第28話 ウィッチハント・サーガ:ゼロ(前)

「この国はこれから、なくなるの」


 ひれ伏す俺の前にしゃがみ込み、悪戯の種明かしをする子供のような目で、話を続ける。


「あの炎が見えるかしら? あれがこの窪地をくまなく飲み込むの。あなたの国も、向こうの国も等しく飲み込まれるわ」


 四方の天を焦がす炎の柱が、徐々に折れ曲がり傾くと、地面に倒れ込んでいく。


 炎に炙られた霊峰が呼応して噴火し、轟音と共に煙と溶岩を吐き出し続けた。広まる溶岩と蒸気があっという間に麓の森を飲み込み、一瞬で燃え上がらせた。



 あのあたりは暖かい泉の森のあるところだ。フィリオリと歩いた花畑や、森の奥で紅茶を沸かすノルディンが鮮明に浮かんだ。


 それが今や、松明のように激しく炎をあげている。


 なんだ、これは。これは何が、起きているんだ。


 あまりの光景に、俺の脳が理解を拒んだ。しかしその間にも、炎は広まり、こちらの平野に向けて迫ってくる。


 不意に感情が弾け、俺は叫んでいた。


「こんなことが! これが! お前の仕業だというのか?」


「だとしたら、どうするのかしら?」


 俺が怒りの視線を魔女に向けると同時に、小指にはめた月の指輪がうっすらと光りを放ち、淡い銀色が俺の体を包んだ。するとさっきまで重く抑えつけていた不可視の力が弱まる。


 俺は歯を強く食いしばり、剣を支えに立ち上がった。


「へえ」


 しゃがんでいた魔女が感心し、ゆっくりと立ち上がった。


「あなたの激情に呼応しているのね。魔女の指輪の力を引き出すなんて、面白いわ」


「があああああ!」


 俺は抑えつけてくる力を振り払うように、剣を振り上げた。対して、魔女が右手を横に広げると、夜の闇がその手に収束して黒い槍となった。激情のままに振り下ろした俺の剣を、魔女の黒い槍が受け止める。


「ランス、怒ったの? 憤怒に満ちた、酷い顔だわ。まるで、あの女の本性のよう」


 俺は魔女の槍を押し返そうとするが、しかし力が入らなかった。慣れない浮遊感に足を見ると、地面から離れていた。俺の体はバランスを崩して前のめりになるが、倒れずにそのまま宙に浮いていた。


「けれどそんな剣、私には届かないわ。何ものも、私に届くことはないの。なぜなら」


 宙でもがく俺に魔女の槍が向けられる。


「私は傲慢の魔女、グリシフィアだもの」


「なぜこんなことをする! この国を滅ぼして、どうするつもりだ!」


 噴き上がる炎が壁となって、この窪地を飲み込んでいった。四方から迫りくる炎の壁が、雪と氷の世界を緋色に染めている。


 俺の問いに魔女は小首を傾げた。少し考えてから、


「なぜだとか、どうするだとか、そんなこと知らないわ。どうでもいいの、そんなこと。やりたくなれば、そうするだけよ。滅ぼしたくば、そうするだけ。今はあなたのその顔が見れて、満足よ」


「貴様ああああ!」


 俺は叫んで剣を振るが、空中に固定されたここからでは届かない。握り手に満身のチアらをこめ、グリシフィアに向けて投げつける。しかしそれは大きく軌道をそれ、かすりもせずに地面に転がった。


「なんて無様なのかしら。これ以上見苦しくならないよう、そろそろ死にましょうか?」


 グリシフィアは漆黒の槍の切先を俺の喉に向けた。狙いから逸れようと身をよじるが、宙に浮かんだ俺の体はその場から動かない。


「もがいても無駄。それは、あなたにとって逃れようがないもの、そして私にとっては渇望しても叶えられないもの。けれど死は終わりではないわ。あなたにとってのむしろ、始まりなの」


「始まりだと!? 俺の死から何が始まるというんだ!」


「怠惰の魔女の祝福を受けたのでしょう。あなたには100万回の生が与えられているの」


 100万回の生。


 怠惰の魔女パルシルシフの言葉が蘇る。


 血の気が引き、背筋が泡立った。まさか……いや、そんなバカな。


「はじまるのはあなたの物語よ。無限のように続く輪廻の中で繰り返される、|永遠の魔女を狩る物語(ウィッチハント・サーガ)。繰り返される生と死の果て、でも、そんなものに耐えられる人間がいるのかしら。あなたの脆弱な人間の精神は、一体どうなってしまうのかしら」


 グリシフィアが優しく、祝福するように俺の頬を撫でた。


「ほんのちょっぴりだけど、あなたに興味があるわ。光栄に思いなさい」


「ふざけるな! そんなことが……あってたまるか!」


 ヒュー、ヒューという音が自分の呼吸の音だと気づくのに時間がかかった。


 体が震えている。


 奥底から這い出てくる、心臓を鷲掴みにするような、目の前が暗くなるような果てしなく原始の感情。


 俺は今まで、本当の意味で死を恐れたことはなかったのだと、知った。今、感じている感情に比べれば、戦場で訪れる名誉の死などまるで恐ろしくもない。


 しかし、今、俺は、子供のように震えていた。


 死してなお、永遠に生き返る。もし本当にそんなことがあるのなら、永遠に生と死が繰り返されるというのなら、その果てに、俺は、俺は。


 ———どうなってしまうのだ。


「よそ見をしている場合か! 魔女!」


 魔女の背後からハウルドが現れ、必殺の一撃を放つのが見えた。しかし剣が届く前に、見えない力によってハウルドの体は地面に伏せさせられた。


 この夜に何度も目にした、魔女の不可視の力だ。


「動ける人間もいるのね。少し加減が過ぎたかしら」


 魔女が手を横に振ると、見えない力場が発生し、宙に浮いていた俺も地面に叩きつけられた。俺はなんとか手足をつくが、四つ這いになったまま動けない。地面にめり込んだ手や膝、あちこちで骨がきしむ音がする。


「怯むな!」


 兄の声が響いた。


「弟よ! 誓いを果たせ!」


 ハウルドは俺と同じ力を受けながら、ゆっくりと立ち上がった。地面に足をめり込ませながら、引きずりながら、ジリジリと魔女に向かって近づいていく。


 グリシフィアはそんなハウルドへ冷淡な目を向けた。興味のかけらもない、虫ケラを見る目。魔女の虚空から無数の槍が生成されていく。


「あなた少し、うるさいわ」


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