第24話 月下の約束(後)
国がなくなる。
先日、リーヴェルシアも言っていたことだ。
フィリオリは堪えきれなくなったように、話続けた。言葉と感情が溢れてきて、止まらなくなっているようだった。
「もちろんそんなこと、信じてなかった! けどね、式があんなことになってしまって! あの司祭様は魔女の呪いだと言っていたわ! ヴィンタス兄様は亡くなられてしまうし……私、恐ろしくてたまらないの! グリシフィアの忠告が本当になってしまうんじゃないかって。ランス、あなたと離れたらもう、二度と会えない気がしてしまうの」
俺は震えるフィリオリの細い身体を抱きしめた。彼女は驚いたようだが、徐々に力が抜け、震えがおさまっていく。
「姐さん、約束します」
俺はフィリオリの目を見た。
「この戦争が終わったら、全てが終わったら、このノースティアを出て、外の世界に行きましょう。そして二人で一緒に、色々なものを見てまわるのです」
フィリオリは大きく目を開いて、そしてその大きな瞳から涙がこぼれ落ちた。
「そんなこと、許されるのですか?」
「わかりません。けれど、誰かの許しなど必要でしょうか。もし許されないと言う者がいたとしても、私があなたを守ります」
すると、彼女は両手で自分の顔を覆った。
「姐さん? すいません、突拍子もないことを言ってしまいました」
「いえ、違うのです。ランス、どんな顔をしていいのかわからなくて」
彼女はゆっくりと手を外し、潤んだ瞳で俺を見上げた。ふっくらとした唇が、幸せそうな弧を描く。
「嬉しいの、ランス。こんなに幸せなことって、あるのね」
そう言い、彼女は俺の胸に顔を埋めた。月の光を受けた銀の髪から、花のような香りが漂う。
北国の冷たい夜風が吹き付けてくる。俺は姐さんが冷えないよう、折れそうなほどに細いその体を俺のマントで包み、抱き寄せた。
外気から阻まれた、二人だけの体温で温められたこの場所で、そのまま抱き合っていた。
ずっとこのままでいたかった。今だけは戦も、不吉な未来も、全てを忘れて、ただこの暖かさに
姉さんも、同じ気持ちだろうか。ぴたりと寄り添ったまま、動かずに、息を繰り返している。
どのくらいそうしていただろう。
姐さんはゆっくりと体を離した。
「ランス、絶対に、かえってくるのですよ」
潤んだ瞳で、祈るように言った。俺は力強く、頷く。
フィリオリが微笑んだ。
「約束ですよ、二人で外の世界を見るのです」
「はい、約束です」
俺は手を振って、フィリオリと別れた。彼女は名残惜しそうに何度も振り返りながら、自分の部屋へと続く階段を降りていった。
フィリオリを見送った後も、俺は城のバルコニーで一人で夜風に当たっていた。
ポケットから母の形見のブローチを手に取って眺める。思えばヴィンタスとの出会いはこのブローチからだった。彼が口を聞いてくれたから、俺は王族としてここにいる。
だが俺は、兄を守ることができなかった。ブローチを強く握りしめる。
ヴィンタスは今際の際でフィリオリに、好きなものと一緒に暮らすんだ、と言っていた。もちろん、もう俺にはその意味がわかる。
姉のまっすぐな気持ち、想いは、先ほどのやり取りでも痛いほどにわかった。そして俺にとっても、フィリオリの存在がいかに大きいかはわかっている。彼女は大切な、姐だった。
彼女を守りたい、幸せになってほしい。その気持ちは紛れもない、真実だ。
だがしかし、フィリオリは姉なのだ。
俺が彼女に向けるこの気持ちは、愛と呼ぶものなのか。正直なところ、恋愛はおろか誰かを意識することもなかった俺には、わからない。
魂の声に耳を傾けるんだ。その声に従うんだよ、ランス。
ノルディンの声が聞こえた気がした。
ノースティアを出て、様々のものをフィリオリと共に見る。
フィリオリはあの故郷で見せたように、笑ってくれるだろう。
その笑顔を守りたいと、切に思う。
これがノルディンのいう、魂の声なのだろうか。
俺はノルディンからもらった真銀の短剣を抜き、月夜にかざした。真銀は青白く光っている。だが今は。俺は兄の魂を弔うため、祖国を守るため、戦う。
そしてもしそれが終われば、もし全てが終われば…
俺は初めて、魂の声に従って生きていくのかもしれない。
そのとき改めて、本当の意味で彼女の気持ちに向き合えるような気がする。
そんな予感がした。
今夜は満月だった。
月の光が、雪に閉ざされたノースティアの平原と、それを遠く取り囲む霊峰の山々を浮かび上がらせている。
あのフィリオリと同じ顔をしていた自称魔女と出会ったのも、こんな月夜だった。グリシフィアは夜より深い漆黒の髪と黒い瞳で、全てを見下すように微笑んでいた。
その彼女と、フィリオリが出会っていたのだという。そして不吉な忠告を残した。
「この国はもうすぐ、亡くなる」
「バカバカしい」
俺は声に出していた。グリシフィアは常に人を小馬鹿にするような態度で、その様子は預言者には程遠い。純心なフィリオリは、俺と同じように体よく
そして俺とフィリオリはもう一人、魔女を名乗る者に会っている。
花畑から目覚めた10歳くらいの童女。彼女は自分のことを、怠惰の魔女、パルシルシフと名乗った。
おまえに100万回の生をやるよ。
あどけない顔で悪魔のように笑った童女が俺の額に口付けをすると、あたりはこの世のものとも思えないほどの眩い光に包まれた。
俺は口付けを受けた額を抑えた。
100万回の生か。
文字通りなら、俺は死んでも何度も生まれ変わるということだろうか。
しかし途方もない数字である。
ノースティアも、他の全てが消えて亡くなった荒れ果てた荒野に、俺が一人で立っている姿が浮かんだ。そこには誰もいない。兄も、ノルディンも、フィリオリも。そしてその荒野を俺が一人であてもなく、永遠に歩み続けていく。
「おれの代わりに考えてよ、おれたちのゆくすえを…さ」
パルシルシフの声が響く。
「私を、この残酷な世界から、救ってくださいますか?」
リーヴェルシアの願いの声。
そして、傲慢に
グリシフィアからもらった指輪を取り出し、小指にはめてみた。月を模した指輪が、夜空の月の光を受けて輝く。
その時、低く、地鳴りがした。
俺は咄嗟に辺りを見回し、地鳴りは遠く霊峰の方から聞こえてくるのがわかった。そのとき視界の端で、城壁に影が取り付いているのをとらえた。
目を凝らしてみると、それは黒い装束を着た人間で、かぎ爪のようなものを使い、城壁に掴まり、昇っていく。
あの方角は、フィリオリの部屋だ!
追いかけようとした俺は、背後から気配を感じて振り向いた。突如、暗闇から現れた刃が突き出される。俺は体を捻って避けると、かわしながら拳を突き出した。何者かの顔を捉え、吹き飛ばす。
吹き飛んで床を滑りながら、そいつはすぐに立ち上がった。黒装束を着込んでおり、歌劇で使うような怒りの仮面をかぶっていた。黒装束は短剣を俺に向け、いつでも飛びかかれるよう低く構えた。
腰の剣を抜き、俺が叫ぶ。
「敵襲だ!」
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