第23話 月下の約束(前)

 ノースフォレストからノースプラトーへ向けて早馬が疾っていく。携える書状には、これから始まる弔い合戦のため、改めて宣戦布告の旨が記載されている。


「かの式場のようなどんな卑劣な罠を仕掛けようと、我らノースフォレストは正々堂々と戦い、貴様らを粉砕する」


 攻撃の開始を1ヶ月後に指定し、その日に向けて準備が開始された。王国の各地から鉱石や兵糧のための食材が集められ、鍛冶屋はハンマーを振るって武具を作り、城の調理場では料理人たちが大きな鍋で料理をしている。


 ここ数十年の形骸化していた戦争の雰囲気とは一変していた。国民の一人一人が、今度の戦争に国を挙げて貢献しようとしている。ノースフォレスト全体が怒っていた。


 これまでより大規模な行軍になることもあり、ハウルドや古参の白狼騎士が中心になって、改めて指揮系統や作戦伝令、陣形の確認などが行われていく。王家を示す白狼の旗のもとに、今まで見たこともない数の騎士たちが集まり、白銀色の甲冑が波のように煌めいている。


「壮観だな」


 思わず呟いていた。俺は遊撃部隊として、50名ほどの騎士団を任され、少し離れた場所から白銀の騎士たちを見ている。


 城下に戻れば、道ゆく人たちに声をかけられる。


「ランス様! どうかヴィンタス殿下の仇を!」


「あの愉快な酒呑みを殺した奴らを許すな!」


 どの者たちも怒り、勝つための協力を惜しまない様子だった。そんな町の空気を、心配そうに見ている子連れの母親がいた。まだ幼い子が、状況もわからずにキョロキョロと当たりを見回している。


「私たちは勝てますでしょうか」


 子供を抱き上げて母が言った。俺は微笑み、自信を持って言った。


「もちろんです。我ら白狼騎士団は無敵です」


 すると母はほっとしたように微笑んだ。抱き抱えられた小さな女の子が、俺に花で編んだ首飾りを渡してきた。


「きしさまに、これ、あげます」


「いいのかい? ありがとう! 嬉しいよ」


 俺が女の子の頭を撫でると、彼女はエヘヘ、と笑った。


 そう、負けるはずがない。ノースフォレストの白狼騎士団のような存在として、ノースプラトーには黒い武装で身を固めた、黒羊騎士団が存在する。だが、騎士たちの士気は低く、少しでも戦況が不利になればいつも簡単に敗走した。


 ハウルドの指揮の元、常日頃から厳しい鍛錬に励んでいる白狼騎士団との戦闘力の差は歴然としている。本気でぶつかれば、ノースフォレストに負ける要素はない。


 城の中庭の近くを通っているときに、フィリオリの姿を見かけた。控えめな北の花の庭園の中を、白いドレスを着た彼女が歩いている。向こうも俺の姿に気がつき、俺のそばに歩み寄ってきた。


「なぜこんなことになったのでしょう」


 銀髪の王女は、先日まであんなに穏やかだった国民たちが怒りの声をあげていることに、悲しみの表情を浮かべていた。


 その問いに返せる言葉はなく、俺は沈黙した。

 

 そう、なぜこんなことになってしまったのか。


 つい先日までは平穏な日々だった。そしてフィリオリと向こうの第一王子が結ばれ、戦争が終わり、今頃は真の平和が訪れているはずだった。しかし、事態は最悪な方向に向かっていく。


 式の日を思い出す。


 礼拝堂の扉が開き、王子を乗せた馬がゆっくりと歩を進める。その背中に乗っていた王子の顔は黒く干からび、冥界の亡者のような禍々しい様相を見せていた。

 

 魔女の呪いだと、教会の老シスターは言っていた。


 それから魔女の犬を名乗るガイツという剣士が、フィリオリを攫おうと現れた。奴の明らかに人間離れした身体能力と、心臓まで達する傷を受けて動くことのできる不死身さ。そのガイツは明らかに神聖教会やノースプラトー側に立ち、フィリオリの身柄を押さえていた。


 ノースプラトー、神聖教会、魔女の犬。


 これらは繋がっているのだ。魔女を仇敵と定めているはずの神聖教会が、なぜ魔女の犬を名乗る男と繋がっているのかはわからない。


 そして王子の死体を見たとき、故郷に流れ着いた死体を思い出した。それは王子と同じく、黒く干からびていた。そのほかにも、ノースプラトーでは村ごと村民が消えてしまうことが何度も起きている、との噂がある。


 ノースプラトーで何かが起きているのだ。そしてその裏で暗躍しているものがいる。そしてことあるごとに出てくる、魔女という単語。


 夜がふけ、今夜は満月だった。最初に魔女を名乗る女に出会ったのは、こんな満月の夜だったか。


 魔女を自称するグリシフィアという女。黒い髪と瞳の彼女は、その色以外はフィリオリにそっくりな顔をしていた。しかし彼女の示す全てを見下ろすような表情は、フィリオリとは大きく異なるものだ。


 思えば、グリシフィアと出会った日から、少しずつ、運命の歯車が狂って行ったような気がする。あの傲慢な彼女は、今、どこで何をしているのだろうか。


 俺は月夜のバルコニーで手すりにもたれ、なんとなく月を見上げていた。


「ランス」


 背中から声がして振り向くと、フィリオリがそこに立っていた。俺の顔を見るや否や、駆け寄ってきて俺の手をとった。その手が震えている。


「怖いわ、ランス。何か、とても怖いことが起きそうな気がするの」


「どうしたのですか、姉さん。俺たちはノースプラトーなんかに負けませんよ」


「そうじゃないの。聞いて、ランス。実は私……」


 フィリオリが俺を見上げた。


「魔女と名乗る者に会ったことがあるの」


 俺はどきりとした。


 また、魔女か。


 しかしよりによって、姉の口からその言葉が出てくるとは思わなかった。フィリオリは真剣な目をして、話を続けた。


「彼女は私とそっくりな顔をしていたわ。向こうも私を見た途端、とても驚いて、そして仲良くなったの」


 話によるとそれはまだ政略結婚の話がまだ出てきていない、ちょうど俺がグリシフィアに会う少し前のことのようだった。


 フィリオリが城下に出かけ、仕立て屋で新しいドレスを見ているときだった。その彼女もドレスを選んでいて、最初は鏡に映った自分と勘違いした、とフィリオリが少し笑った。


 その後も何度か街で出会い、食事を共にして少し話したのだそうだ。そんな中、フィリオリは政略結婚の話が出ているのを知り、もちろん自分が王女であることは秘して、望まぬ人間のもとに嫁ごうとしていることを話したらしい。


 初め、女は興味なさそうにしていたそうだ。だが話をしているうちに、だんだんと苛立ちを見せていったらしい。


「同じ顔をしている私が、うじうじと悩んでいたことをとても嫌がっていたの。私と違って、すごく堂々としていたから。彼女は私が悩んでいる理由がわからない様だったわ。私は魔女だから、人間の悩みなんかわからない、と」


 役目のために誰かのために生きようと、どうであろうと、人間はあっという間に老いて死ぬのでしょう。


 脳裏に、グリシフィアの言っていたことが蘇ってきた。誰かに与えられた役目に沿って生きることを「家畜のようだ」と嘲笑していた。


「そんなに結婚が嫌なのなら、その……あなたと一緒に、遠くに逃げればいい、と言っていたわ。そのときは冗談だと思っていたけど。そんな彼女に最後に会ったのは、あなたの故郷から戻って、少し経ってからのことよ。式のドレスを選んでいた私の元へ彼女が現れて、忠告してくれたの」


「忠告……ですか?」


「ええ。彼女の忠告はね、早く逃げなさい。この北のノースティアを出て、港から船でずっと、ずっと遠くまで。この国はもう時期———なくなるから」

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