第22話 鐘の音

 結婚式場だった大聖堂の中では、両国の兵士のおびただしい数の死体が転がっている。


 ノースフォレストとノースプラトー、二つの国の100年にわたる戦争を終わらせる、記念すべき日になるはずだった今日は、最悪の形で期待が裏切られてしまった。


 ノースフォレスト第二王子、ヴィンタスは兄を庇って肩口に深い剣の傷を受けた。包帯を巻いて応急処置を受け、担架で馬車に運ばれた。


 故郷に向かう馬車の中でも血は止まらず、何本もの包帯を血に染めた。


 数刻して何とか王城の医務室に着くが、顔は真っ白で、傷は熱を持ち、意識もはっきりとしない。寝台でヴィンタスは付き添う母の手をとってうわごとを繰り返した。


「ヴィンタス、しっかりなさい。母より先に逝くなど、許しませんよ」


 いつもは王女として毅然とした様子の彼女だが、今は王家の者である前に、ただの母親だった。祈るように息子、ヴィンタスの腕を握っている。


 そんな中、ヴィンタスがうっすらと目を開けた。自分を囲む母、父王、兄ハウルド、俺、フィリオリ、の顔を見回して、状況を理解して微笑んだ。


「あーあ、やられちまったんだったな。父上……、母上……。私は最後まで……親不孝な息子でした。生まれ変わりがあるとするなら……今度こそあなた方のもとで親孝行……いたします」


「何を言うの! ヴィンタス! いつもの減らず口はどうしたんだい! 親孝行なら、現世でしなさい! そんな……来世だなんて」


 王妃の叱咤は、涙で震えていた。父は黙ってそれを傍で見ている。


 ヴィンタスは母の厳しい言葉に苦笑しつつ、フィリオリの方に視線を向けた。


「妹、フィリオリよ。お前はもう他所の国なんかに行くな。王家なんて関係ない。好きな男と……暮らせばいい。なあ、ランス、聞いてるか?」


 ヴィンタスは震える真っ青な顔を俺の方に向けた。目はすでに焦点が合わなくなっている。


「お前は……すごいな。俺は剣も、馬もダメだった。怖かったよ、王家に生まれながら、何もできない自分が、怖かったんだ。けど何か、俺にもできることが……役目を、探していたんだ」


 息も絶え絶えになりながらも、ヴィンタスは必死に話し続けた。それから不意に、両手を虚空に伸ばした。


「兄ちゃん……どこだ? 近くにいるのか?」


 その手をハウルドが掴んだ。


「俺はここだ、ヴィンタス」


 するとヴィンタスが笑みを浮かべた。いつもの彼の皮肉めいた笑みではなく、少年のような顔をしていた。


「兄ちゃん、俺は最後に……少しだけだが……男気を見せたよな? 兄貴のために……役目を……はたしたよな?」


 あの式場で丸腰のハウルドが武装した剣士に襲われたとき、ヴィンタスは自らの体で剣を受け、それを奪ったのだった。ハウルドはその剣を持って、窮地を脱した。


 ハウルドは頷くと、ヴィンタスの手を握る手に力をこめた。


「ああ、確かにおまえは、立派に役目を果たしたよ。後は兄ちゃんに任せておけ」


「ははは、痛えよ、にいちゃん。この馬鹿力で、ノースプラトーの奴らなんか、やっつけてやってくれ。レイスと一緒に……見届けさせて……もらうよ」


 それを最後に、ヴィンタスは目を閉じ、話すのをやめた。


 荒い呼吸が徐々に静かになっていき、やがて止まる。その顔は悔いのない、満足そうな顔をしていた。


 母の、息子の名を呼ぶ悲痛な声が響き渡った。母は何度もヴィンタスの名前を呼んで、やがて崩れ落ちたその体を、父が支えた。


「満足そうな顔をしおって」


 厳格な父王が言う。


「こいつはいつも事を大きくし、後のことは我々任せだ」


 父の表情は見えなかったが、微かに声が震えている。


 ドン!と石壁を殴る音がし、勢い余ったハウルドの手からは血が滴り落ちた。それから地の底から響くような、兄の声が聞こえた。


「———奴ら、根絶やしにしてくれる」



 城の塔という塔にある鐘が鳴らされた。

 いくつもの鐘の音が衝突し、共鳴して、遠く城下に鳴り響いた。


 訃報を告げる鐘の音に市民たちの嘆く声が聞こえる。


 父は城のバルコニーから出て、城下を見渡した。そのすぐ後ろに、兄ハウルドと、弟である俺が控えている。眼下には、たくさんの王国民が城の庭園にある広場に集まっていた。


 悲痛な顔をするもの、怒りに顔を歪めるもの、老若男女、富める者も貧しい者も、様々な人間が集まっていた。


「ノースプラトーを許すな」


「神聖教会をこの窪地から追い出せ!」


 口々に叫び声が聞こえた。


 それに応え、ハウルドが大声を挙げる。


「弔いだ! ノースプラトーの雑兵ども、一人たりとも生かしておかんぞ!!」


 おおおおおおおお!!!


 歓声が上がる。


 ヴィンタス兄さんは王族としての役目を探していたと、言い残した。だが、この広場に集まった国民の数はどうだ。


 日頃から街に出掛けていた兄は、王族で一番、市民に近い存在だった。そして、好かれていたのだ。剣も馬もうまくいかなくても、この歓声が兄の生き方を示している。


 国民の声を受けながら、俺は城の奥に引き下がった。玉座がある謁見の間に戻ると、そこで待っていたフィリオリが俺に抱きついてきた。俺のシャツを強く掴み、胸に顔を埋め、震える声で言った。


「ヴィンタス兄様は……とても優しい人でした」


 俺は黙って頷き、フィリオリの言葉を聞いていた。


「いつも放蕩に振る舞いながら、誰よりも私たち家族や、国民のことを考えていました。でも兄にそのことを告げると、恥ずかしそうに否定するのです」


「はい。市民の歓声が答えでしょう」


 武人である父王や長兄ハウルドとは、違ったやり方で国を支えてくれていた。この国民の声の大きさに、改めて王子ヴィンタスの影響力を感じていた。


 フィリオリが涙に濡れた顔をあげ、俺の服を強く掴みながら、訴えてきた。


「ランス、あなたまで、いなくならないでね」


 祈るようなその顔に、俺は安心させるように微笑んだ。


「姉さんを置いて、どこへいくのですか。姉さんは俺が守ります」


「ありがとう。けれど、それは私の言葉よ。姉の私が、あなたを守ります。たとえこの身が滅びて、魂だけになったとしても、ずっとあなたを守り続けるから」


 長い睫毛から覗く銀の瞳が俺を映している。決意を込めたこの瞳を、強く引結ばれた唇を、美しいと思った。たとえどんなことがあろうとも、この美しく、純真な彼女だけは守り抜こうと誓った。


 その時、遠くで地鳴りの音が聞こえたかと思うと、地面が細かく振動した。


 また地震だ。いつぞや故郷から戻るときにも、この地響きがみられた。決して被害をもたらすような大きいものではないが、しかし俺が生まれてから今まで、地震などなかったのだ。


 立て続けに起こる大地の揺れに、不吉さを感じた。


 何か見えないところで、とてつもないことが起きているような、そんな予感がするのだった。


 


 ヴィンタスの葬儀は戦時のため、簡略されて行われたが、それでも多くの市民が献花に訪れ、彼の棺の前には最後尾が見えないほどの列をなした。


 父であるノースフォレスト王からに厳かに弔いの言葉が語られる。生前のヴィンタスの功績が読み上げられた。


 王国民のための公衆大浴場や、サウナの建設は遊び好きの彼の発案によって建設されたものだった。またヴィンタスはけして貴族が訪れないような歓楽街で派手に遊び、場末の酒場で泥酔して寝ている、その様子も愛されていた。


 そして最後に、父王により宣言される。


「かの日は、ノースフォレストとノースプラトー、両国の長年の戦乱が終わるはずの歴史的な日となるはずだった。だが、奴らの裏切りにより、それは無惨にも引き裂かれたのだ。めでたいはずの結婚式にて、奴らは矢の雨を降らせ、丸腰の我らに容赦なく剣を向け、切りつけた。その結果、多くの貴重な国の命が失われた。我が息子、ヴィンタスは最後まで勇敢に戦うも、奴らの卑劣な刃に倒れたのだ。こんなことが許されてよいのか!」


「否!」


「否!」


 集まった国民の各方面から怒号が上がり、それは大合唱となった。


「息子の無念は、奴らノースプラトーの王の首を持って晴らすこととする。余はあらためてノースプラトーの奴らに宣戦布告を示す。今までのお遊びのような戦とは断じて違う! これは———どちらかが滅亡するまでの全面戦争である!」


「戦争だ!」

 

 国民の誰かが叫んだ。それは波紋の様に拡がり、ノースフォレストの王都を満たす。この瞬間、平和を愛する一般国民すらも怒りの戦士と化していた。この勢いは誰にも止めることはできない。


 100年にわたる両国の戦争が、ついに終わりに向けて動き出したのだ。

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