第21話 リーヴェルシア

「奴がいないぞ」 


 窓の外を眺めた騎士の一人が言った。俺も確認したが、確かに奴の姿はなかった。地面の石畳には血の跡があり、それは遠く東の方、ノースプラトーの方角に続いていた。この部屋は3階だが、ガイツの人間離れした生命力ならここから落ちたくらいでは死にはしないだろう。


 俺は奴が生きていると確信していた。


 しかし、なんだったのだ、あいつは。


 ハウルドも優れた剣士ではあるが、それでも人間の範疇(はんちゅう)での話だ。奴の腕力や生命力は、明らかに人間の範囲を超えている。


 ヴェールを被った白い花嫁が俺に抱きつき、胸に顔を埋めた。敗れたドレスから覗く白い肩や膝がガタガタと震えている。



「怖かった! 怖かったの…ランス」


「はい…」


 俺は立っていられないほどに震えているフィリオリを抱きしめた。腕の中で、彼女は声を殺して泣いていた。だがこの儚い少女のようなこの人は、俺ですら怯んだ、あのガイツに一歩も引かずに立ち向かっていったのだ。


 姉さんは本当に強い人だ。俺はヴェール越しに銀の髪を撫でた。あなたのその強さが、いつも俺に力をくれる。


 やがてフィリオリはひとしきり泣いた後、黙ってこちらを見ているリーヴェルシアの視線に気がついて俺から離れた。顔を赤くし、涙と鼻水を拭った。


「すいません、取り乱して……ありがとうございます。ええと……」


「リーヴェルシアですよ。フィリオリ様」


「ありがとうございます、リーヴェルシア様。あなたに命を救われました」


「この国では、騎士が果たす当然の義務というものなのでしょう?」


 俺に目配せして女騎士が言った。変わらずに涼しい顔をしているが、その視線に親しみのようなものを感じた。


 気がつけば、戦闘の音はもう止んでいた。窓から、ノースプラトーの騎士団が退却していくのが見えた。俺は安堵のため息をついて、リーヴェルシアに向き直った。


「私からも礼を言わせてください、リーヴェルシア卿。しかし、あなたの仲間である教会のシスターは私たち、ノースフォレストが魔女の呪いで王子を殺したと疑いをかけ、矢を射かけてきた。それなのに、教会の騎士であるあなたが、なぜ助けてくれたのですか?」


「あの老シスターは啓示卿、ナルシタリアです。神聖教会で法皇から役目を与えられた七人の枢軸卿がいて、彼女も、討滅卿である私も、その一人です。枢軸卿はそれぞれが独自の考えで動く権限を持ち、同じ枢軸卿といえど、互いの考えを知っているわけではありません」


 リーヴェルシアは胸に手を当て、正式な騎士の流儀で頭を下げた。


「ナルシタリアがあのような行動を取ることは分かりませんでした。謝罪させていただきたい。到底、償えるものではありませんが……」


「やめてください、リーヴェルシア卿。頭をあげてください」


 慌てて俺が言った。


 確かに、今回の件で敵味方含めて、何人の人間が死んだことだろう。しかし、だ。


「あなたが姉の命を救ったことに変わりありません。私はあなたを信じます」


 俺が言うと、フィリオリも強く頷いた。


 リーヴェルシアは顔を上げて、少し眉を寄せて、諌めるように言った。


「ありがたいお言葉です。ですが、そのように容易く人を信じてはいけません。しかし、ランス卿。最後の技には驚かされました。人間離れしたあの男を、討ち取ってしまうなんて……」


 白狼の剣技のことを言っているのだろう。王家の秘伝を褒められて、もちろん悪い気はしない。だがそれよりも、


「私のほうこそ驚きました。あなたがいつの間に走り込んできたのか、あの剣を受け止まるまで気が付きませんでした」


 風のような疾さだけではない。あの甲冑の騎士を人形のように吹き飛ばすガイツの一撃を難なく受け止めていた。この華奢な体で、だ。


 それはなんらかの技術なのか。しかし力を受け流しているようにも見えなかった。彼女のいる大陸ミッドランドでは、俺が知らない剣の技術がたくさんあるのかもしれない。


 俺と、リーヴェルシアの視線が交錯した。彼女の吸い込まれそうな紅い瞳、その奥にちらちらとゆらめくものが見えた気がした。この仮面のような表情の奥に、何らかの感情が隠されているように見えた。だが、それが何なのかまではわからない。


 彼女は変わらず、抑揚の少ない話し方で言った。


「ランス卿、あなたの力の片鱗を見た気がします。けれど、あなた自身がまだそれに気がついていないようですね。この北の窪地を出て、世界の有り様を知ったとき、あなたはその力に気がつくのかもしれません」


 北の窪地を出る? そんなこと、考えたこともない。


 いや———涙に濡れる姉の姿を思い出した。


 フィリオリは俺と二人で、このノースティアを出て、海を渡ることを望んだ。だが俺は、それを選ばなかった。


「世界がどうであろうと、関係ありません。私はこの北の窪地にて姉を守り、国を守るのです」


「ではこの国が亡くなった後は、あなたはどうするのでしょう」


 国がなくなる? 俺はその言葉の意味がわからず、彼女に真意を問うた。


「どういう意味です? 私が生きている間に、国がなくなるというのですか?」


「あなたに期待してもいいのでしょうか」


 質問には答えず、彼女は言った。

「私に期待ですか? あなたには助けられた。あなたの期待に答えられるものなら、答えたい」


「ではランス卿」


 窓から吹き込んだ冷たい風が、リーヴェルシアの黄金の髪をまわせた。乱れた髪で、少女のような無垢な顔で俺を見上げた。


「私を、この残酷な世界から、救ってくださいますか?」


 その姿は、まるで迷子の子供のようだった。だがそれも一瞬のことで、リーヴェルシアは俺に背を向けた。


「ランス卿。いつか、この世界のどこかで、またお会いしましょう。そのとき、あなたが見てきた世界がどうであったのか、教えてください」


 彼女は部屋から出ていくと、姿を消した。その後、誰に聞いても、彼女の行方はしれなかった。

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