第20話 魔女の犬
ついこの朝に、王家の一族が花嫁を囲んで談笑していたこの部屋に、むせかえるような血の臭いが充満している。テーブルや椅子が散乱し、無惨に破壊されている。
中央に立つ巨漢の剣士の足元は血に染まっており、赤い絨毯をさらに赤く生々しく染めていた。周囲には3名の白狼の騎士が無惨に甲冑をひしゃげさせ、首や手足がありえない方向に曲がり、血溜まりの中に沈んでいる。
その巨漢の手が、フィリオリの折れそうなほどに小さい手を握っている。真っ白な花嫁姿のフィリオリは白い顔をさらに蒼白くし、恐怖に震えて立ち竦んでいた。
巨漢は血の滴る長剣を肩に担ぎ、俺を見てにいっと笑った。
「よお、久しぶり。てまあ、俺のこと、覚えていないよな? 俺は覚えてるぜ。月夜の晩に、グリシフィアと会っていたな」
グリシフィア。フィリオリそっくりの自称魔女の名だ。
そうかこいつは、彼女を迎えにきた、あの従者だ。
「貴様、ノースプラトーの者だったのか!」
「そんなチンケな国の奴らと一緒にするんじゃねえよ。俺はガイツ。まあ言うなれば、魔女の犬よ」
闘犬のような笑みを浮かべて巨漢、ガイツは言った。フィリオリが必死の顔で訴える。
「ランス! この男は危険です! 戦ってはだめ!」
「大丈夫です。姉さん、すぐに助けます」
ただ者ではないことは肌で感じる。しかし、フィリオリが向こうの手にある以上、引く選択はなかった。
「姉さんを離せ」
「この女はお前の姉か? いやあ、見たときは驚いたぜ。どこからどう見ても、グリシフィアにそっくりなんだからな。見れば見るほど、忌々しい顔だぜ」
ガイツが渋い顔をして、首を横に振ると、剣を勢いよく払った。大気を裂く音が響き、払われた血が壁に飛び散る。
入り口にいる俺と中央にいる巨漢との距離は5m程度で、俺の剣の間合いにはまだ遠い。奴の狙いは分からず、いつその剣がフィリオリに向かうともわからなかった。俺はじりじりと間合いを詰める。
「いいね、弟くん。やる気満々じゃねえか。そんなにこのお姉さまが大事か? それじゃあ、しっかり受け取れよ」
ガイツはフィリオリを勢いよく俺の方に押し出した。そしてその背中に向けて、長剣を振り上げた。
「受け取りやすいよう、半分にしてやるからよ!」
「くっ!」
俺は一気に駆けて姉の前に出ると、ガイツの振り下ろす剣を受け止めた。
ガツッ!という鈍い音と火花が舞う。剣から伝わる凄まじい衝撃で、俺は膝をついた。
「お、止めやがった!やるな、弟くん」
信じられないほどに重い一撃だった。手が痺れて感覚がない。驚愕の目を浮かべる俺に、ガイツが笑いかける。
「おいおい、褒めてやってんだぜ。もう少し喜んだらどうだ」
そのとき、ハンスとタルモが扉から乱入してきて、こちらへ突進してきた。ガイツは余裕の笑みを浮かべながら後方に飛び、間合いを離した。
俺を庇うように立ち塞がった二人の同期の騎士は、すぐに目の前の相手の異様さに気がついたようだった。
「ランス、こいつは」
「わからないが、化け物だ。ハウルド以上の」
「お友達も到着か。いいぜ、3対1だ。少しは楽しませろよ」
騎士3人を前にしても、ガイツは無造作に間合いを詰めてきた。その迫力に同期たちは後退りするが、意を決したように二人同時に斬り掛かっていく。
だが二人の刃が届く前に、ガイツはハンスの甲冑に剣を叩きつけ、タルモの方に吹き飛ばした。激しい金属音と共に二人は重なり合って壁に叩きつけられ、動かなくなった。
「お前の相手はこっちだろう!」
俺は大声を出し、ガイツに打ち掛かった。防御を捨て、体ごとぶつける勢いで剣を振る。しかしその一撃も容易く受け止められた。
「馬鹿正直な一撃だな。力で勝てないのがわからねえか?」
ガイツはなんなく剣を押し返し、俺はその勢いで体勢を崩される。そこへ鬼神のような一撃が飛んできた。俺は剣で受け止めたが、その剣が押されて肩に食い込み、そのまま壁まで飛ばされた。
テーブルを弾き飛ばしながら石の壁に衝突し、背中から頭に鈍い衝撃が響く。俺は再び立ちあがろうとするが、頭がぐらついて足に力が入らない。肩からは流れる暖かい血が、鎧の下のシャツに染み渡っていく。
「あーあ、安物がよお」
ガイツの剣がひしゃげていた。凄まじい怪力に剣の方が耐えられないのだ。ガイツは倒れた兵士の一人から剣をひろうと、ゆっくりと俺に近づいてくる。その丸太のような脚に花嫁が縋りついた。
「ランス! 逃げて!」
ガイツはフィリオリを見下ろすと、無造作に脚を降って彼女の体を飛ばした。俺の横に華奢な身体が叩きつけられる。純白のドレスは破れて乱れ、あちこちに血の染みができていく。しかしフィリオリはすぐに立ち上がると、両手を広げて俺の前に立った。
「私が死んでも、ランスは殺させない」
「へえへえ、感動的だがな、言う相手を選ぶんだな。俺はあいにく、そういう感情は鈍くできてるもんでね」
ガイツの剣が振るわれた。束ねた髪のブローチが弾け飛び、フィリオリの銀の髪が広がった。しかしフィリオリは怯まない。
「あらら、怖い目だねえ。いやあほんと、イライラするほど俺の上司にそっくりだなあ。見れば見るほど、その顔、叩き落としたくなるぜ!」
ガイツの手元が光ると、フィリオリの銀の髪のいくつかが空間に舞い落ちる。
「次は耳を飛ばす。どこまで細切れにすればそこを避けてくれるのかな?」
「やめろ! 姉さんに手を出してみろ! おまえの方を細切れにしてやる!」
俺は衝動のまま吠え、立ち上がった。左腕は打ちどころが悪かったのか、力無く垂れ下がっている…ように見えるはずだった。
右腕一本で剣を構え、姉の前に出た。左手は腰のあたりに垂れ下がり、その先の腰のベルトにはもう一つの武器が刺してある。
ノルディンからもらった、
「片手で俺とやる気かよ。まあいいが、俺の体は片手じゃ絶てねえぞ」
「シッ!」
俺は鋭く息を吐き、右の剣で打ち掛かった。当然のようにその一撃は簡単に弾かれる———瞬間、俺の左手が短剣を抜きざま、ガイツに向けて放った。
真銀の短剣が光を放ちつつ、ガイツの目に突き刺さる。
「ぐおっ…」
たまらずガイツが目を抑えて後ずさった。
俺は今度は両手で剣を構えると、全身の力を込めて撃ちかかった。狙いは首だ。
それをガイツの左の鉄甲が受け、右手で剣を撃ち返してきた。俺はかろうじて受け止めるが、片手とは思えない威力に大きくよろめく。
「なんだよ、これ! 目が……灼ける!」
ガイツは短剣を引き抜くと、それを床に投げ捨てた。空洞となったガイツの左目から蒸気のようなものが上がる。
「クソが! 油断したぜ! こんな得体の知れないもので突き刺しやがってよおおおお!」
獣のように飛びかかってくる巨漢の一撃を俺の剣が受け止め、そのまませり合いになった。凄まじい力で押してくる剣の圧に、俺はその場で持ち堪えるのがやっとだった。
押しながらガイツが怒りの咆哮をあげる。
「ああ、やりやがったなああああちくしょう! 相当、痛えぞこれええ! この目、治るんだろうなあ?」
その時、ガイツの左側、つまり視界の死角側から、ボロボロの花嫁が近づいてくるのが見えた。その手には先ほどガイツが投げ捨てた真銀の短剣を持っている。
フィリオリは両手で大きく振りかぶると、勢いよくガイツの背中に突き立てた。驚いた顔でガイツがフィリオリを見る。俺はその機を逃さず、声をあげて全身全霊で剣を押し返した。
「ああああああああ!!」
男の巨体がたまらずよろめき、わずかな間合いが生まれる。俺はそこに踏み込み、上段から一撃を叩き込んだ。刃がガイツの肩に食い込んだが、しかし、鎖骨で止まる。
馬鹿な、止まった!? この勢いと角度なら、容易く骨を断つはずだ。なのにこいつの体、硬すぎる!
「だから痛えっての!」
ガイツは怯んだ様子もなく剣を振るって俺を壁まで弾き飛ばすと、すぐ背中にいるフィリオリの方を向いて見下ろした。
ヴェールを被った銀髪の花嫁は息を荒くし、細い肩を上下させて両手で短剣を握りしめている。
「ランスは殺させない! 私が守る!」
フィリオリは子供と大人ほどの体格さのある男にも全く怯まず、まっすぐに睨みつけている。
フィリオリ! ダメだ!
俺は彼女の元に走った。
「そうかい」
ガイツの剣が振り上げられ、そのままフィリオリの細い首に向けてまっすぐに落ろされる。彼女の目がふと俺に向けられた。
いっぺんの曇りもない銀の瞳。
俺と目が合うと、彼女の体の震えがびたりと止まった。そして優しい、微笑みを浮かべる。
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