第16話 予感

 結局、ろくに眠れずに朝になった。


 俺は外の路上から人の声がするのに気がついた。何やら慌ただしい様子で、多くの人の声と足音がした。


 急いで着替えて部屋の外に出ると、すでにフィリオリが宿の待合室にいた。外の異変に気がついているようで、不安そうに俺を見た。


「何かあったのでしょうか」


「見てきます」


 俺が宿の外に出ると、フィリオリもついてきた。


 いつもは静かで人通りもまばらな路地を、何人もの村人が足早に歩いていく。俺はそのうちの一人を呼に止めて事情を尋ねた。



「河川に死体が上がったんだ」


「死体?」


「らしいぜ。珍しいよな、この辺で死体が上がるのはよ」


 確かに、この村は戦地からは離れている。それに、ほとんどの村民が顔見知りであり、殺人のような凶悪事件などは聞いたことがなかった。


 胸騒ぎを感じ、俺はフィリオリの手を引いて河川に向かった。


 河川には人だかりができていて、その中心に一層の小舟が見えた。俺が近づき、中を覗いてみる。


 初め、黒いものが目に入り、それは海藻か何かの束かと思った。しかしよくよく見ると、それは干からびた人間だった。


 肉も水分も失われて、黒ずんだ皮だけが頭蓋骨や四肢の骨に張り付いている。服は着ておらず、男性のようだった。


 俺は振り返り、姉に後を向かせた。


「姉さんは見ないでください! みなさん、落ち着いて! 私は王都の騎士ランスです」


 俺の声に、村の皆の視線が集まった。


「おお、ランス」「本当に騎士になったんだ」


 俺は自警団に見知った一人を呼び止めた。俺が物心ついた頃から治安を守るために働いてきた50代の男は、死体を前にして青ざめている。


「今日の早朝のことだ」


 彼の語るところによると、釣りに来た老人が川辺に流れ着いた小舟を発見したらしい。見慣れない船を不審に思って近づくと、黒い死体が乗っていて腰を抜かしたそうだ。


「とにかく死体をここに置いてはおけない」


 俺は周囲の人間に協力を頼み、死体をシーツに包むと数人で引き上げた。持ち上げた死体は軽く、動かすとベキベキと乾いた関節の音がした。そのまま台車に載せて、村の外れにある安置所に運んだ。


 一息つくと、自警団の男が言った。


「ランスよ、この死体はどういうことだ? 俺は長年この村を守ってきて、死体を見つけたことだってあるがよ。だが、こんな干からびた死体は見たことがないぜ」


「確かに異常です」


 ノースフォレストでの寒い気候では死体が凍って腐敗を免れ、ミイラになることはある。だがここまで完全に干からびるものだろうか。


 おまけに、この身が凍る地にも関わらず、死体は裸体である。俺は死体の指に嵌められた指輪に気づくと、抜き取って眺めた。

 

 エルノール神聖教会の紋様が入っていることから、教会を信仰するノースプラトーの住民だと考えられた。


「ノースプラトーか。最近、向こうの国では嫌な噂が多いな」


「嫌な噂ですか?」


「ああ、行商人が話していたんだ。馴染みにしている村を訪ねたんだが、いつもならうるさいくらいの子供達の声や牛の鳴き声が、まるで聞こえなかったそうだ。村には誰もいなかった。一人もだ。それどころか家畜も消えていた」


「村が? 白狼か灰色熊の仕業でしょうか」


「それだとおかしいだろ。獣の仕業だとすれば、食い散らかされた死体が残るんじゃないか? 村の中央には凄惨な血の跡があったが、死体は一つも発見されなかった。おまけに噂では、そんな村がいくつもあるって話だ」


 そんな事件は初耳だった。


 王都で騎士の役目を果たしているだけでは、わからなかった。


 ノースプラトーで何かが起こっている。


 いや、ノースプラトーだけとは限らない。俺はパルシルシフのことを思い出した。向こうの国だけでなく、このノースフォレストを含んだ、ノースティアの窪地全体に、何かが起こっているのかもしれない。


「ノースプラトーの村の領主や自警団は対策をしているんでしょうか」


「隣の国のことまでは知らんさ。しかし、元々いい噂を聞かないからな。神聖教団の奴らがやってきてから、向こうの国は物騒になったなんて、うちの爺さんは話していたがな」


 神聖教団。


 彼らがこの窪地にやってくるまでは、ノースフォレストもノースプラトーも同じ精霊を信仰していた。それは白狼や白梟などの森の動物たちであり、その頃は争うこともなかったと聞いている。


 しかし今、その教義を原因に、霊峰の地を巡って二つの国は争い続けている。


 俺は安置所を出ると、不安そうにしているフィリオリに声をかけた。


「姉さん、どうやら死んでいたのはノースプラトーの民のようです。ことの次第を王都に知らせねばなりません。帰りは急ぎになります」


 フィリオリが真剣な目をして、頷いた。


 そのとき、俺は細かく地面が揺れているのに気がついた。地鳴りが起こり、音が少しずつ大きくなったかと思うと、不意に地面が大きく揺れた。


「姉さん!」


 俺はフィリオリを抱き寄せると、膝をついて辺りを見回した。だが幸い揺れはそれ以上大きくはならず、収まった。時間にしては1分程度だっただろうか、ざっと見渡して建物などに被害も出ていない。


「地震が起こるなど、珍しいですね」


 俺は腕の中のフィリオリに話しかけた。フィリオリは顔を伏せたまま、「ランス、もう離れても、大丈夫よ」消え入りそうな声で言った。


「ああ、姉さん、すいません。咄嗟のことで……どこか痛かったですか?」


 フィリオリは黙って首を横に振った。顔を伏せて、左胸に手を当てている。耳が赤くなっていた。俺はその意味に気がついて、慌てて離れた。


 彼女は気を落ち着かせるように深呼吸をしてから、顔を上げて言った。


「ランス、急いで戻りましょう。何か良くない予感がするの」


「俺もです」


 俺は頷いた。胸騒ぎがする。

 

 それから急いで俺たちは馬に乗り、王都への道を急いだ。


 さっきまであんなに晴れていたのに、道の先では暗い雲が立ち込め始めている。


 雨が降るだろうか……その前には帰りたい。


「飛ばします。落ちないようにしてください」


「はい!」


 フィリオリが俺の背に掴まる力を強くし、体重を預けた。俺は馬のノルディンの腹を蹴ってスピードを上げる。


 刺すような向かい風が、頬を通り過ぎていく。

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