第13話 木洩れ日の家

「なんだったんだ」


 俺はいつの間にか落としていた月の指輪を拾った。それはもう、光を発してはいなかった。


 100万回の生……だと?


 それは何かの例えなのか、謎かけか、まるで意味がわからなかった。


 あの童女、パルシルシフは自らを怠惰の魔女と名乗った。


 先日の月夜に出会ったフィリオリそっくりの女性、グリシフィアも魔女を名乗っていた。


 ------魔女。


 遠い昔、大陸から渡ってきた神聖教会の教義に語られる存在である。


 人間が生まれながらに持っている7つの大罪、すなわち、

 傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、暴食、色欲、怠惰。


 それらを象徴する7人の魔女が存在し、日々、人間を堕落させるべくあらゆる手で誘惑してくるのだという。


 もちろんパルシルシフが本物の魔女というわけはあるまいが、魔女の名前を出すということは教会の関係者なのだろうか。つまりノースプラトーの民だと考えられる。


 俺たち、ノースフォレストでは神聖教会を信仰していないからだ。彼らは自らの神と精霊のみを信仰し、俺たちが信仰する白狼や雪の精霊などを認めない。一方、ノースプラトーの方では国教として、広く信仰されている。



 しかし、彼女が言っていた魔女たちの行末とはなんだ。そしてそれはなぜ俺に、託されたのだろう。どうせなら教会を信仰する、ノースプラトーの民に託すべきではないのか。


 怠惰の魔女の投げやりで、気だるそうな様子を思い出した。突如飛びつかれ、口付けされた額を触った。そしてフィリオリの姿が目に入った。


「私の場所なのに……」


 なぜか姉は、子供のように口を尖らせていた。


「姉さんの……?」


「いえ、なんでもありません! しかし、ふわふわして可愛い子でした」


 フィリオリが慌てて俺から視線を逸らすと、思い出して微笑んだ。


「可愛い、とも言えるでしょうが。しかし同時に、禍々しい感じがしました」


「そうですか? 私にはそんなふうに、見えませんでしたが」


「100万回の生が、なんとか」


「ひゃくまんかい? なんの話ですか?」


 姉が細い首をかしげる。


 聞こえなかった? いや言動だけでなく、パルシルシフの発した光の洪水や、悪魔のように微笑んだこともまるで覚えていないようだった。もしかして、俺だけが見た幻だったのだろうか。


 パルシルシフの存在は謎のままだったが、考えてもわかるものでもない。俺とフィリオリは再び馬に乗り、古いエルフの友人の家へと続く道を進んだ。


 花畑や泉を横目に進んでいき、やがて針葉樹が密集した森に入った。


 鬱蒼うっそうと繁る木々の間から木洩れ日が降り注いでいる。木々の根元にはまだ雪が残っていたが、その所々に湯気を上げた小川が流れて泉を作っており、その周りだけは雪が溶けて小さな花や草が群生していた。


 道は曲がりくねりながら奥に続き、馬の足がゆっくりと進んでいく。ノルディンの家まではこの一本道を進めば良いはずだった。


 やがて森が開け、木々に囲まれた広場に出た。その中央には小高い丘が見え、一際大きい大樹が生えている。その根元に一軒の家が見えた。


 古い家だ。土の壁や屋根は厚い苔に覆われていて、大樹の根に取り込まれ、半分埋れているように見えた。家の前の立札にはエルフの文字と標準語で、『ようこそ旅人。ここは暖かい森のエルフ、ノルディンの家』と書かれている。


 俺とフィリオリは馬から降りて、その手綱を手頃な太さの木に括り付けた。大樹の木漏れ日の下を歩いて家の前まで来ると、ドアをノックした。


「誰かな?」


 聞こえてきた声は、少年時代に聞いていたものと変わらない。ドアがゆっくりと開き、白金色の髪をしたのっぽのエルフが出てきた。久しぶりに会うというのに、子供の頃から見ていた彼とまったく変わらない姿だった。


 ノルディンは俺を見て一瞬驚いた目をし、すぐに満面の笑みを浮かべた。


「ランス! ランスじゃないか! どうしたんだ、帰ってきてたのかい?」


「ノルディン!そうだ、帰ってきたんだよ」


 ノルディンは近づいて俺を抱擁ほうようした。


 細身だが力強い腕、服から香る埃と森の香りが懐かしい。


「よく帰ってきたね。こんなに逞しくなって……そちらのお嬢さんは……もしかして」


 ノルディンはフィリオリの姿を見てから、俺の顔をまじまじと見る。


「ああ、そうだよ。紹介するよ、この人は……」


「おお、なんということだ! ランスが奥さんを連れてくるなんて!」


 ノルディンは顔を輝かせた。


「いや、ノルディン……」


「わかったよランス! とにかく、ここだと冷えるだろう。中でゆっくりと話を聞こう。お嬢さん、自己紹介が遅れてすみません。私はこの<暖かい泉の森>のエルフ、ノルディン。ランスの古い友人だよ」


「は、はい。初めまして。私はフィリオリです」


 挨拶をするフィリオリの頬は緩んでいて、なんだか嬉しそうだった。




 家の中は明るい木肌を基調にしていて、部屋の中央に木製のテーブルと椅子が置かれている。テーブルの上には木彫りの、小さな白梟しろふくろうつがいが置いてあった。


 椅子に座ると、俺は改めて姉であるフィリオリを紹介した。ノルディンは再び驚いた顔をし、頬を赤めた。


「ランスのお姉さんでしたか。いやあ、とんだ早とちりをしてしまいました」


 確かに俺とフィリオリはあまり似ていないため、姉弟には見えないかもしれない。


「早とちりだとしても弟のことでこんなに喜んでくれるなんて。なんだか私も嬉しくなりました」


 フィリオリが微笑んで言った。


「ということは、フィリオリ様はノースフォレスト王家の王女様ということになりますね。そうとは知らず先ほどまでの私の非礼、どうかお許しください」


「いえ、そんなにかしこまらないでください。今は王女の身分を忘れて、ただのランスの姉としてここにいるのです。私こそ、弟を立派に育ててくださったあなたにとても感謝しています」


 ノルディンとフィリオリのそんなやりとりを、俺は安らかな気持ちで聞いていた。温かい木の香りがするこの部屋に、おっとりした二人の声が穏やかな空間を作り出していた。


「そうだ、すいません。お茶の一つも出さずに。ランス、久しぶりに花の蜜の紅茶を出すよ」


「そうか、それはありがたいな」


 少年時代、ノルディンが俺の村を訪ねるたびに花の蜜の紅茶を飲ませてれたことを思い出す。あの甘い香りと味は、ノルディンとの記憶の象徴だった。


 お茶の香りを嗅いだフィリオリが大きな目をさらに大きくした。


「なんて芳しい花の香りかしら。こんな香り、王都でも嗅いだことはないわ」


「姉さん、このペプラの実を絞って、お茶に入れるんです」


 俺は置かれていた赤い実を手で絞り、紅茶に入れた。フィリオリも真似をして数的絞ってから、紅茶を口に含んだ。


 次の瞬間、顔を上げて俺の方を見た。その大きな瞳が輝いている。


「美味しい! 甘くて、なんて優しい味なのかしら」


「ですよね!そうなんです!私も子供の頃から、ノルディンのこのお茶をいつも心待ちにしていたのです」


 年に何度か行商人としてやってくるノルディンの記憶は、いつだってこのペプラの実とお茶の香りがした。


「しかし意外でした」


 フィリオリが俺の顔をまじまじと見る。


「何がですか?」


「あの兄上と激しく剣を撃ち合ったり、厳しい修練を積んでいるあなたが、こんな甘いお茶が好きだんて」


 なんだか女の子みたい……と小声でフィリオリが言った。


 聞こえていますよ、姉上。


「女々しいですか。本来の私はこんなものですよ。王都では日々騎士として励んでいますが、根っこの部分ではノルディンを追いかけて迷子になっていた頃と大きく変わらないような気がします。幻滅しましたか、姉さん」


「いえ」


 フィリオリの目が優しく俺を見ている。


「幻滅どころか……」


 そこで一瞬口をつぐみ、考えてから「私はランスと同じものが好きで、楽しめていることがとても嬉しいですよ」と言い直した。


 ノルディンはそんな俺たちのやりとりを穏やかに微笑んで黙って聞いていた。その様子に気付き、


「どうしたんだよ、ノルディン。ニコニコして」


「ニコニコしていたかい? ああ、でも嬉しいんだよ」


「嬉しい?」


「ランス、君のことがずっと心配だったんだ」

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