第12話 パルシルシフ -運命の目覚め-

 色とりどりの花畑の一角に小動物と小鳥が集まっており、その中心に小さな10歳位の女の子が仰向けに横たわって眠っていた。


 彼女を一目見て特徴づけるのは、体を覆うほどに伸びた金髪の髪だ。

 髪はふわふわとウェーブを描き、彼女の体と花畑に広がり、そのところどころに花びらがついている。彼女が着ている羊のローブは、外出着というにはパジャマのように見え、彼女自身も羊の枕を両手に抱えていた。

 

 彼女の首には、針の止まった懐中時計のペンダントがかけられていた。


 少女の周りに集まっていた小動物の中から、一匹の狐が出てきて俺たちの前に二本足で立ち上がった。それだけでも驚いたが、その後に起こったことにさらに驚かされた。


「ここはどこだ、人間よ」


 どこからか、成人した人間の男性の声だった。

 俺は周囲の花畑を見回したが、女の子と小動物の他に何かがいる気配はない。


「どこを見ている。聞いているのは私だ」


 信じられない思いで、目の前のキツネを見た。

 

「喋っています! キツネが喋ってる!」


 フィリオリが驚き、悲鳴に似た声を上げた。


「知らなかったわ。城の外のキツネは人の言葉を話すのね」


 いや、城の外でも内でもキツネは話しませんよ。俺は内心で返答した。戸惑っている俺たちにキツネが返事を催促する。


「答えよ、人間。ここはどこだと聞いている」


 尊大で、人にものを聞く態度ではないな、と思いながらも俺は答えた。


「ここは霊峰フロストピークの麓の、暖かい泉の森に続く道だ」


「霊峰? あの山が霊峰フロストピークか。ではこの近くにあるという天の杯というのは」


「天の杯はあの霊峰の頂上近くの高台だ。ここからでも見えるだろう」


 俺が指差した先、はるか霊峰の頂上の一段低いところには平坦になっている場所が見えた。ここからでも見えるほど、広大な場所である。


 その答えに、キツネの顔が少し青ざめたように見えた。


「あそこだと? それでは確実に時間には間に合わない」


「天の杯まで行くつもりか?しかし、フロストピークは雪と氷に閉ざされた山だ。白狼や灰色熊も出るし、人間でたどり着いたものはいない。エルフであれば辿り着いたものを知っているが」


「雪も狼も怖くはないが……本当に恐ろしいのはあの憤怒の御方だ。ただでさえ、我が怠惰なる主人は目をつけられているというのに」


 キツネは心底恐ろしそうにブルっと震えた。キツネの怠惰なる主人というのは、あそこで寝ている女の子のことだろう。


「まあ、間に合わないのは仕方がない。行ってみるとしよう。ありがとう、人間よ。礼を使わそう」


 キツネの声に、宝石を咥えた一匹のリスがこちらに走ってきて、俺の腰の皮のポーチまで登ってきて蓋を開けた。その瞬間、


「ギャッ」


 声をあげて後ろに飛び下がる。

 蓋のあいた袋の奥底で、月を模した指輪が光を放っている。


「人間!」


 キツネは毛を逆立てた。


「それをどこで手に入れた!」


「グリシフィアだ!」


 他のリスたちが人語で騒ぎ始めた。


「グリシフィアの月の紋様!」


 月の指輪が薄く光を放っている。俺がそれを手に取ると、それは光を増して光線となり、花畑の中で眠っている童女の額に当たった。すると長い長い金髪の向こうで、薄い灰色の目をうっすらと開いた。


「まさか!パルシルシフ様!」


 キツネが今日一番の大きな声をあげる。


「目覚められたのですか!」


 パルシルシフと呼ばれた童女の体に小鳥たちが集まり、彼女のローブを咥えて持ち上げ、立たせた。少し浮遊した少女が、ぼんやりと月の指輪を見て、そして俺の顔を見る。


 小さい背丈を越えて伸びた長い髪が素足の下で花畑に広がっている。小鳥やリスを従えた姿は、おとぎ話の妖精のようだった。


 小鳥たちに運ばれてパルシルシフが近づいてきて、ゆっくりと上昇し俺の眼前に顔を並べた。童女が口を開く。


「おまえ、その指輪持ってるってことは、グリシフィアのおもちゃってわけ?」


 可愛らしい声音だが口調はぞんざいだった。


 パルシルシフはちょっとだけ考えるそぶりをする。


「んー、グリシフィアかあ。かかわると、めんどくさいことになる。けど手ぶらでいくのも、リーヴェルシアが怒るよなあ。それもなあ……めんどくせえ」


 パルシルシフは眉をひそめて目をつぶり、そこで固まった。やがて口からよだれが一筋地面に落ちる。


「寝ちゃったのかしら」


 フィリオリが興味津々で俺に聞いてくる。


「ふわふわの髪の毛、ちょっとだけ、撫でてみてもいいかな?」


 やがてパチリと童女の目があいた。「ん?お前なんだっけ?」と不思議そうな顔をして「ああ、そうだそうだ」と状況を思い出したようだ。


「君は一体だ……」


「まあ、考えるのもめんどくせーや。お前名前は?」


 俺の声を遮り、パルシルシフが小さな指を俺の顎に当てた。


 こちらの都合などまるでお構いなしのやりとりは、先日の月夜のことを思い出させた。フィリオリそっくりの顔をした自称魔女と、目の前の童女は何か似たものを感じる。


「俺はランス」


「そうかランスくん。お前に決めたよ。お前が代わりに考えてよ」


「考える?何を……」


「正気ですか!?」


 俺の声を遮ってキツネが驚きの声を上げた。


「パルシルシフ様はこの人初対面ですよね!何にも知らないですよね!?そんな、偶然この場にいただけの人間に決めちゃっていいんですか?」


「いいのさ」


 パルシルシフは童女の顔で、悪魔のように笑った。


「だっておれは怠惰の魔女、パルシルシフだもの」


 童女の胸から下げた懐中時計の止まっていた針が、ゆっくりと時を刻み始めた……かと思うと、みるみるスピードをあげて、狂ったように回転し始めた。


 パルシルシフの髪が生き物のようにうねりながら伸びて、花畑に広がっていく。


「さて、ランス。安心しろよ、君はゆっくりと考えてくれていいんだ。ゆっくり、ゆーーーっくり、ゆーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっくりと考えてくれたまえ。時間はたっぷり与えてやるから」


 今や童女の目ははっきりと見開かれ、その目にはただならぬ光が宿っていた。


「さあて、何回あれば足りるかな?んーと……いいや、めんどくせー」


 パルシルシフは一瞬考えるそぶりをして、すぐに思考を放棄した。顔が俺に近づいてきて、その大きな青い瞳で俺を見た。そして、刑を告げるように厳かに言い放った。


「ひゃくまんかいだ」


 俺は童女の目から目を離せない。まるで彼女の瞳に捕えられてしまったように体を動かすことができない。


「お前に100万回の生をやる。だからせいぜい、考えてみて」


 100万回の生。意味はわからなかったが、その響きには得体の知れない恐怖を感じた。この童女は何を言っている? 俺は圧倒されながらも、なんとか声を絞り出した。


「……何を考える?」


「おれたちの、ゆくすえだよ」 


 パルシルシフがにいっと笑ったかと思うと、素早い動きで俺に飛びつき、額に口付けをした。フィリオリが驚いて「そこ私の場所……」と言いかけて口をつぐむのが見えた。


 次の瞬間、彼女の髪の毛が輝きを増し、光の束となった。それは俺の心臓に集まり、中へと吸い込まれていく。


 徐々に増す光は洪水となり、あたりを白く包み込んだ。


「んじゃ、あとはよろしくぅ」


 パルシルシフの声と共に光が弱まり、少しずつあたりが見えてきた。


 気がつくと、パルシルシフは最初の時のように花畑の中で眠っていた。あの長かった髪が肩のあたりまで短くなり、巻毛に寝癖がついている。首から下げた懐中時計の針も動きを止めていた。


 キツネは世にも恐ろしい顔をしてこちらを見つめていた。俺は100万回の生の意味を聞こうとしてパルシルシフに近づくが、阻むようにして小動物たちが集まった。


「天の杯の場所を教えていただき、感謝いたします!」


 キツネが慌ただしく礼を言った。

「では、あなたの旅路に幸多いことをお祈りいたします」


 それだけを言い残し、狐は花の中に隠れてしまった。強い風が吹き、花吹雪が俺たちの視界を塞いだかと思うと、気がつけばパルシルシフの姿はなくなっていた。

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