第10話 嘘と姫君(後)
「悪いな、聞くつもりはなかったが」
廊下で呼び止めたのは次兄ヴィンタスだった。彼は俺を自分の部屋に招かれ、フィリオリに起こった詳細を語った。
「あいつはノースプラトーに嫁に出される。政略結婚てやつだな」
ノースプラトーは霊峰の地をめぐり100年以上も争い続けている隣国だ。
先日も俺は騎士として、ノースプラトーの軍と戦った。
ヴィンタスはグラスにワインを注ぎながら続けた。
「長年の戦争で両国は疲れている。お互い戦争を辞めたがっているが、まあメンツがあるからな。和平をするにも建前が必要だ。
そんな時にだ、フィリオリの美貌の噂を聞いた向こうの第一王子が直々に、フィリオリを嫁に迎えたいと言ってきたんだ。敵国同士の第一王子と第一王女が結ばれ、手を取りあって平和を宣言する。サーガのように完璧なストーリーだろ」
「ノースプラトーの第一王子ですか」
俺の気持ちは沈んだ。敵国の第一王子は問題のある男だ。
両国の戦争はお互いが引くに引けない状況にあるだけで、本気で戦争をしたい者はごく僅かだ。
形だけ、合戦は行われるものの、基本的には騎士のルールに則って行われる。
捕まって捕虜になった場合は交渉の道具に使われ、ルールを破りさえしなければ、無事に帰ってこれるのがお互いの国の不文律だ。
しかしその第一王子の部隊に捕まった捕虜は、交渉条件を満たしたにも関わらず、全員、5本の指を切断されて帰ってきた。
それだけでなく、拷問を受けたとの証言があった。
当然、ノースフォレストの兵はいきりたった。今までは半分は競技感覚だったが、それからは本気で敵の殲滅に乗り出すことになる。
その後の1年にわたって激しい戦闘が繰り返さ、多くの犠牲者を出した。
のちにノースプラトーの使者から異例の謝罪と、詫びの金貨数百枚が届き、事態は収束した。
「お前の心配はよくわかる。しかし、その後、第一王子はしっかりと教育され直したとのことだ。捕虜の管理もその一件以降は、適切に行われている。向こうだってこの機会を逃したくないはずだ。フィリオリは丁重に扱われるだろうよ」
ヴィンタスは丁寧に説明したが、俺の胸騒ぎは治らなかった。
そもそも、この結婚にフィリオリの意思がないのは明確だった。額に受けた口付けの感覚を思い出す。
ヴィンタスが俺の肩に手を置いた。
「あいつの気持ちはずいぶん前から、気が付いていたよ。しかし、許される恋ではない。おまえは弟、しかも私生児だ」
ヴィンタスの声にいつもの皮肉めいた響きがなく、まるで自分自身にも言い聞かすようにして話している。
「ランス、お前も最初は辛い立場にあったが、ハウルドはお前に目をかけているし、兄上が王になればお前は騎士団長もありうるぞ。フィリオリの気持ちには同情するが、これも王族に生まれたものの務めだ」
己の与えられた責務を果たす。
俺も亡き母のその言葉を胸に何度も誓いを立て、剣を振るってきた。
たしかに和平になれば、戦争による犠牲者もいなくなる。フィリオリは王族の務めを果たしたと言えるだろう。
そう自分に言い聞かせたが、フィリオリの「わたしを攫って」という言葉と潤んだ瞳、額に残る唇の感触が頭から離れなかった。
「両国は式の準備を急いでいるが、まあ、実際の婚姻までにはどんなに早くとも2ヶ月ほどはかかるだろう。少しの間ではあるが、それまでフィリオリには優しくしてやってくれ。お前と一緒のときのフィリオリが一番、幸せそうだからな」
ヴィンタスは別れ際にそう言った。その顔は辛さを隠しきれていない。
兄と別れて家に帰っても俺は一睡もできず、気がつくと窓の外が白んでいた。
俺はこのまま、フィリオリの近くにいるべきなのかどうかも考えた。
フィリオリは強い決意を持って、隣国に行くのだ。俺の存在はそんなフィリオリの決意を鈍らせてしまうのではないか。
いくら考えても、答えが出ることはなかった。
ふと、戸棚に置かれたノルディンからもらった
こんなとき、ノルディンならばなんと言うだろう。
考えてみればもう2年も会っていない。
無性に、ノルディンに会いに行きたくなった。
俺はハウルドに1週間ほど、故郷に戻ることを告げ、訓練を休むことを申し出た。
怪我以外で訓練を休むのは初めての経験だ。ハウルドは怒ると思っていたが、特に感情を見せず、「そうか」とだけ答えた。
俺は次の日、馬小屋に行き、愛馬であるノルディンの元へと向かった。
しかしそこには、目深にフードを被った先客がいた。
「ランス」
声を聞いて、俺はどきりとした。
ローブの下から美しい目と口元がのぞく。
「姉さん。どうしてここに。確か、式のドレスの試着で出掛けていると聞いていましたが」
「断りました。風邪をひいて部屋で寝ていることになっています」
こともなげにフィリオリが言った。驚いている俺に、ふふふ、と笑う。
「言ったでしょう?私は嘘つきなのです」
それから、フィリオリがまっすぐな目で俺を見つめた。
「私も、あなたの故郷に行ってみたいのです」
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