第7話 初陣の鼓動


 初陣はそれから2ヶ月後の話だった。


 ノースプラトーの兵たちが国境付近に50名ほどの騎馬を中心にした兵を集めているという情報があった。対抗してノースフォレストも同数程度、兵を配置することになり、そこに俺たちもいた。


 俺の馬術はまだまだだったが、なんとか陣形についていくことくらいはできるようになった。与えられた馬は気性が優しく扱いやすいが、その分のんびりした性格で闘争心が欠けていた。


 その様子は遠くの友人を思い出し、俺はノルディンと名付けた。


 ノルディンはいつもより殺気だった周囲の様子に落ち着かない様子だ。俺は栗色の立髪を撫でて、安心させるように「どう、どう」と声をかけた。


 俺と馬を並べて、何人もの初陣の騎士たちがいる。その中にはハンスやタルモもいた。みな等しく緊張した面持ちで前方を見つめ、馬の手綱を握る手が震えていた。


「大丈夫だ。俺たちは名誉あるハウルド殿下直属の騎士団だ。ノースプラトーなんかに遅れをとるはずがない」


 俺は周囲の肩を叩いて鼓舞した。


 同期たちは頷き、俺に向けて親指を立てる。


「確かにそうだ。俺たちはあのイカれ……いや、ハウルド殿下の地獄のしごきを耐えてきたんだ」


「一番の地獄を見てきたランスが言うんだから、違いない。あれ以上の地獄があってたまるか」


 ハンスとタルモが笑った。


 ハウルドの仏頂面を思い出して俺も笑い、他の同期たちからも笑い声が上がった。空気が少しだけ緩み、みなの声にも元気が出てきた。


 唐突に、敵陣から角笛の音が鳴らされる。音が平原に木霊し、それに呼応してこちらの軍の角笛も鳴らされた。勇ましい両国の音がぶつかり合い、空気を揺らした。それは突撃の合図で、戦闘の始まりを意味するものだ。


 俺たち騎士団が一斉に突撃を開始する。


 他の馬に合わせ、掛け声と共にノルディンも駆け出した。

 特別に疾い馬ではなかったが、馬術に慣れない俺の言うことでも従順に聞いてくれる良い馬だった。

 俺は抜刀し、みるみる迫ってくる敵の騎士団を見据えた。敵の持つ白刃が陽光に煌めいている。


 先頭の騎士たちがぶつかり合い、続けて俺も突撃して、相手の騎士の一人に剣で撃ちかかった。剣は切れ味よりも、叩きつけることを目的とした無骨なものだ。


 初陣の第一撃は相手の盾に防がれた。敵が反撃しようとしたところを、俺はそれより早く第二撃を振るい、相手の兜に叩きつけた。兜を歪めさせて、敵が馬上から落ちる。


 死んだか?


 一瞬、相手の生死が気になったが、しかしそれどころではない。

 俺は自分の思考を叱咤しったし、次の敵を探した。

 

 今こそ、与えられた役目を果たすべき時だ。兄の期待に応えねばならない。


 それから俺は無我夢中で敵の騎士に撃ちかかり、何人かを地面に撃ち倒した。


 倒すたびに少しずつ、俺の鼓動が高鳴り、高揚していくのを感じた。次の敵、また次の敵と俺は相手を探し求めては、剣を撃ちつけた。


 どのくらい戦闘していたか、わからない。気がつくと、相手の騎士は敗走し始めていた。伝令の角笛が鳴らされたが、それは追い討ちをせず、怪我人の救護や取り残された敵の騎士の捕縛を示していた。


 散乱した剣や盾の間に、一人の騎士が倒れているのを見かけた。俺は馬から降り、屈んで様子を伺った。


「大丈夫か?」


 倒れていたのは、出陣前に笑い合っていたハンスだった。ハンスの甲冑は胸から腹にかけて大きくひしゃげ、中から血が溢れていた。馬の突撃の一撃をくらったのかもしれない。


 ハンスが俺の手を握って言った。


「ランス、俺の腹はどうなってる?いや、言わないでくれ。怖いんだ。あまり痛くないんだよ。それが怖い。腑が飛び出てたらと思うと、この鎧の中身を見れない」


「鎧の上からはわからない。だが、信じろ。俺が助ける」


 俺はハンスに肩を貸して立たせ、馬のノルディンに乗せた。そのまま救護班のテントまで連れていく。


 ハンスは顔色が土気色だったが、救護員によれば一命を取り止めそうとのことだった。ふう、と俺が汗を拭うと、タルモがやってきて話しかけてきた。


「おい、ランス。あいつは大丈夫だったか」


「とりあえずの一命は拾いそうだ。次の戦場に出れるかはわからないが……」


 タルモは少し黙って俺のことを見つめていたが、やがて声を出した。その声は恐怖に震えている。


「俺を見てくれよ。戦場ではずっと震えっぱなしだった。今だって、ほら」


 タルモの膝がガタガタと震えている。


「無理もない。初陣では皆、そうだと教官も言っていただろ」


「なら、なんでおま、お前は落ち着いていられるんだ。仲間が死にかけ、敵だって何人か殺しただろ?怖く……ないのか?」


「俺だって怖いさ」


 敵の剣に倒れて、役目を果たせないことを思うと恐怖を感じた。


「いや、違うぞ!お前は違う!」タルモが大きな声を出した。


「戦場のお前は嬉々として、次々に敵に撃ちかかっていたじゃないか!訓練の時から思っていた。ハウルド殿下の常軌を逸した訓練でも、お前はいつも涼しい顔をしている。自分が死のうが、誰かが死のうが、そんなことなんでもないって顔してるんだ!まるで戦闘のための人形だ!」


 タルモはそこでハッとしたように我に帰り、「俺は何てことを言ってるんだ……すまない、気が昂っているんだ」消え入りそうな声を出した。俺は気にするな、と肩を叩こうとするが、タルモはそれを避けて俺から離れていった。


 死ぬことが怖くないのか、だって?


 いや、誰でも死ぬのは怖い……そのはずだ。


 いや、本当だろうか?


 俺は思いを巡らせた。


 子供の頃のあの冬の嵐の日、ハウルドと出会ったときの凄惨な真剣での稽古、俺は命を失うことを怖れていたのだろうか。


 浮かんできたのはいつだって、残された者の顔だ。

 母やノルディンや、兄上たちやフィリオリ。皆の期待に応える。それだけの一念だったし、皆もそうではないのか?


 戦うための人形か……


 いやタルモは初陣の緊張でおかしなことを言ってるんだ。そう言い聞かせて、頭から思考を追い出そうとするが、人形という言葉がなぜか引っかかった。


 俺は俺の意志で行動している。


「己の責務を果たしなさい」


 胸にあるのは、幼い頃から言い聞かされた母の言葉だ。それに従い、ここまでやってきたのだ。そのことに迷いはない。


 だが、ふと疑問が湧いた。それは俺の意志と呼べるのか。


 得体の知らないわだかまりを抱え、戦場から帰還して自分の家に着いても、なんとなく落ち着かなかった。真夜中に外へ出て路地裏の道をあてもなく歩いた。


 誰もいない暗がりは凍てつく冬の空気に満ちていて、満月がぼんやりと石畳の道を照らしている。やがて川のほとりに着くと、俺は近くの倒木に腰掛けた。


 そしてふと、先客がいたことに気がついた。


 深夜の闇を凝縮したような黒い髪、対照的な白い肌。少女の面影を残す女性が一人、月を見上げていた。


 月に照らされた白い顔がこちらに向けられ、それを見て俺は驚いた。


 フィリオリ?


 いや、違う。


 そこにいたのは、フィリオリとそっくりな顔の女性だった。



 




 もし運命というものがあるのなら、


 ここでやつに出会ったのは運命だったのだろう。


 この先、幾度となく俺はこの女と出会うことになる。


 もちろん、このときの俺は魔女という存在を知らず、


 その生における結末も知らなかった。


 このちっぽけな北の窪地で俺は、


 あまりに、何も知らなすぎた。


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