第5話 仕組まれた剣戟

 ヴィンタスの部屋は、派手ずきな兄にしては意外に、ダークウッドを基調とした落ち着いたトーンの部屋だった。俺が部屋に入るなり、高そうな酒を出そうとするヴィンタスを制止する。


「私はお酒は飲みません。それで相談というのはなんですか?」


「なんだ、つまらないやつだな。色町へ出かけろとまでは言わんが、酒くらい飲まんと人生の楽しみのほとんどを損しているぞ」


 ぶつぶつ言いながら、自分のグラスに酒を注いだ。


「まあいい。実は困り事というのだがな……」


 ヴィンタスは毎夜、街に繰り出しては飲めや歌えやの贅沢三昧をしていたわけだが、全てを自分の名前でツケにして遊んでいた。しかしその支払いが滞っており、困った店が連盟して王都に向けてツケの領収書を持ってきたとのことがあった。


「いやあ、さすがの俺も父や兄の顔が見れなかったぜ」


 ヴィンタスは大いに笑った。


 領収書は国の国庫から支払われたが、その後、すぐに父から呼び出された。


「今度、王国の生誕何周年だかを祝って、王の前で剣の御前試合があるんだ。それに出ろと言うんだ。信じられるか?俺がまともに剣も握れないことを知っているはずだ。なんて意地の悪い父親だ」


 自分のしたことを棚に上げてヴィンタスが言った。俺には話が見えてこない。


「それで兄さんは、剣の修行をつけてくれ、と言っているのですか?」


「まさか!剣など握るのも真平だ。まだ男の〇〇でも握ってた方がマシかもしれん」


 ヴィンタスの卑猥な例えに俺は眉を顰めた。


「ランス、お前に頼みたいのは、俺の代わりに試合に出てくれないか、と言うことだ」


「私がですか?そんなこと、父王が許されますでしょうか」


「大丈夫だ!試合は全身甲冑を着込むから、顔は見えない」


「はあ」


「しかし勝利の際に兜を外し、勝利宣言をする必要があるんだ。だからランスよ、試合ではある程度善戦して、父上たちを満足させたら、負けて欲しいんだ」


「わざと負けろと言うんですか!」


「大きい声を出すなよ。部屋の外に誰がいるかわからんだろ」


 慌ててヴィンタスが俺の口を塞いだ。


「頼むよランス。俺はお前が最初に困っている時、助けてやったじゃないか」


 最初、つまりあの城門で門前払いを食っていた件を思い出す。

 確かに、ヴィンタスの口添えがなければ王に会うことは難しかっただろう。


「親愛なる弟のランスは、受けた恩を忘れるほど薄情な男ではないだろう?」


「……そうですね。わかりました、やってみましょう」


「おお、やってくれるか!よかったよかった!いやあ、お前と俺、実はそんなに背が変わらないんだ。体型はまあ、甲冑を着ていると言うことでカバーできるか」


 ランスはヴィンタスと自分の胴回りを見比べる。二回り、いや三、四回り違うように見えるが……


「ヴィンタス兄さん、少し太ったのではありませんか?」


「そうかな?まあ、酒浸りの日々だからな。当日までに少しでも痩せるように努力はしよう」


 そう言ってヴィンタスは酒のつまみにソーセージを出してきた。ランスの視線に気付き、「ああ、明日からの話だ」と悪びれもなく言った。




 その依頼から2週間後、俺は甲冑の仮面の下でため息をついた。わざと負けるなど相手に失礼だし、兄のふりをして周囲を欺くことも気が乗らなかった。


 これも与えられた責務を果たしていることになるのだろうか。確かに兄さまを守るとは誓ったが……


「第2王子ヴィンタス!」


 名前が呼び出され、御前試合が始まろうとしている。もう考えている暇はない。


 ヴィンタスとの打ち合わせを頭の中で繰り返しながら、俺は気の乗らない歩みを進めた。


「ヴィンタス王子様よ!今日は酒が抜けてんだろうなあ」


「怪我しないようにうまく負けて帰ってくるんだよ!そしたら今夜、うちの店で慰めてあげる!」


 観客席からは野次なのか応援なのか、たくさんの声がした。

 

 俺は打ち合わせ通りに、その一つ一つに手を振って返す。観客席の後方に、変装しているヴィンタスを見つけたが、流石に神妙な顔で祈るようにこちらを伺っていた。


 相手が入場する。


 第一王子ハウルドの近衛騎士団長を任されるイスカル。ノースフォレストの中にあっても指折りの実力者である。


 その後方に置かれた椅子には父王と、隣の席に座るハウルドの姿を見つけた。

 この二人は相変わらず、無言の存在感を放っている。

 そしてその横に椅子から身を乗り出して、不安そうな表情で祈りを捧げるフィリオリがいた。


「始め!!」


 審判の号令とともに試合が始まった。


 わざと負ける手筈だが、まあ相手は実力者、労せずともうまく討ち取ってくれるだろう。


 俺は様子を見るようにゆっくりと剣を振るった。相手は難なく受け止め、打ち返してくる。それを受け止めて、俺は違和感を感じた。


 これが近衛騎士団長の剣技か?あまりに軽いし、狙いも受けてくれとばかりのところに撃ってくる。


 撃ち終わりには明らかな隙が見えた。いつもなら即座にその隙を突くところだが、わざと負けるべき今、そうはいかない。構えている剣に向けて気のない一撃を返した。


 決着はつかず、試合は長引いた。観客はすっかりダレて、野次やブーイングが飛び交っている。


 俺は何度も隙を晒してみるが、相手は決定的な一撃を全く撃ち込んでこない。


 まさか、相手もわざと負けようとしているのか!?


 ようやくそのことに気がついて、混乱した。そうか、相手も第二王子ヴィンタスに花を持たせるつもりなのだ。

 

 お互いがわざと負けようとしている、こんな状況、想定したこともない。


 どうしたら良いかわからずに無難な一撃を返すと、相手の剣が不自然に手から滑り落ちる。


 なるほど、そうきたか!


 俺は咄嗟にその剣を足ですくい上げると、相手の手にうまく戻してやった。相手が戸惑っているのが仮面越しにもわかる。


 そちらがそういうつもりなら!


 俺は大ぶりに振りかぶってわざと空振りし、剣を地面に打ちつけ、手が痺れたように見せかけて剣を落とす……つもりだった。


「どういうつもりだ!貴様らぁあ!」


 雷鳴のような声が会場全体に響きわたる。俺は咄嗟に落とすはずだった剣を握り直してしまった。


 さっきまで口々に騒いでいた観客も静まり返り、その怒号の主に固唾を飲んで目を向けている。


 第一王子ハウルドだった。


 ハウルドは王族の席から試合場に降りてきて、俺の相手であるイスカルから剣をもぎ取ると、力任せにこちらに一撃を放ってきた。俺はかろうじて受け止める。


「ヴィンタスよ。仮にも王の一族であるお前がこの醜態はなんだ!」


 ヴィンタス。そうだ、今の俺はヴィンタスだ。だが答えれば声でバレてしまうため、俺は無言で頷くのみだった。


「答えぬか!!」


 怒号とともに、ハウルドは剣を振るった。相変わらず鋭く、重い。俺はそれをなんとかいなし、どうすべきか会場の後ろの方にいるヴィンタスに目線を送った。ヴィンタスはこちらを見るな、とばかりに手を交差させている。


「どうしたぁ!撃ち返してこい!」


 ハウルドは狼の咆哮のような声で凄んだ。俺はもう甲冑の仮面をとって許しを乞いたい気分だったが、一度受けた依頼だ。できるだけのことはすべきだろう。


 今日のハウルドは甲冑を着ておらず、礼服だ。試合用の剣とはいえ、怪我をさせてしまうか……いや、相手はハウルドなのだ。


 俺より頭ひとつ分大きい、国一番の剣士である。俺が撃ち込んだところで、きっと何なくいなしてしまうだろう。


 俺は覚悟を決め、深く息を吐いた。

 よし、望み通り、全力でやってやる。


 俺は大きく踏み込むと、力をこめて剣を横なぎに振るった。剣はイメージ通りの軌跡を描き、白影を残しながら進み、ハウルドがそれを剣で受け止めた。彼の表情が一瞬変わり、一撃を撃ち返してきた。俺はそれをうまくいなすと、また撃ち返し、剣の応酬が始まった。


 いつもイメージしていたハウルドの剣。そのイメージ通りの凄まじい一撃が返ってくる。だが、俺はそれを交わし、弾き、受け止めた。

 

 彼の動きについていき、四合、五合と剣を合わせ続けた。


 そうだ、戦えている。


 俺が、あのハウルドと!

 

 俺はこの剣の応酬に胸の高鳴りを感じた。楽しい。


 しかし徐々に、ハウルドの剣がイメージしたものよりも一層鋭く、苛烈になっていった。徐々に俺は押されていき、ついに受け損なった一撃がまともに胴に入った。甲冑越しに、肋骨が砕ける音がする。息が吸えずに悶絶し、膝をついた。


 そんな俺を巨漢の剣士が無表情に見下ろしている。ハウルドは肩で息をしており、その額には汗が浮かんでいる。そしてハウルドは無言で背中を向けると、自らの席に戻っていった。

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