第4話 王女フィリオリ
熱に浮かされて俺はうっすらと目を開けようとしたが、腫れているのか、思うように開かない。
わずかな視界で周囲を見渡すと、知らない部屋の、ベッドに寝かされているのがわかった。
胸の上に重さを感じて手を伸ばすと、サラサラとした髪の毛に触れた。
俺を庇ってくれた銀髪の女性が寝息を立てている。
俺は状況を思い出して体を起こそうとし、全身が激しく傷んで悶絶した。あたりには草の匂いが立ち込め、湿った感触から、体のあちこちに薬草が貼られているのに気づいた。
「ううん」
女性の長いまつ毛が揺れると、ゆっくりと瞳が開き、顔をあげた。
銀の眼が俺の視線と交わると、大きな瞳がみるみる潤んでいく。
「目覚めたのですか!よかった、死んでしまうのではないかと」
震える声でそう言うと、彼女はこぼれそうになる涙を指で押さえた。
このくらいで死んだりしませんよ。
そう言おうとしたが、口の切り傷に染みて呻(うめ)き声しかあげることができなかった。
「無理をせずとも大丈夫です。もうここに、兄はいませんから」
女性はゆっくりと立ち上がると、真剣な表情をして俺に頭を下げた。
「我が兄が非礼をいたしました。妹として、王族としてお詫びいたします。どうか許してください、第4王子ランス」
第4王子、とはどうやら俺のことらしいと気がつくまで少し時間がかかった。その呼び名が、まるで御伽噺のように現実味がない。
「申し遅れました。私の名前はフィリオリ。このノースフォレスト王国の第1王女です」
<挿絵>
https://kakuyomu.jp/users/ichigo_0515/news/16817330669504817683
「フィリオリ様……」
「様をつける必要はありません。母は違えど、私はあなたのお姉さんなのですから」
フィリオリは俺の手に触れて言った。
「私、驚きました。あの兄に、あなたは最後まで怯みませんでした。とても勇敢です」
「いえ、なすすべもありませんでした。不甲斐ない」
「いいえ、あなたはとっても強い人ですよ」
フィリオリが俺の頭を撫でて微笑んだ。それは遠い母の記憶と一瞬重なり、思わず俺は下を向いた。泣きそうな顔を見られたくなかった。
フィリオリはそんな俺の様子に気づいたかはわからないが、優しく言葉を続けた。
「本当、気がついてよかったわ。でもまだ無理をしてはいけませんよ。何度も頭を打ったのです」
「はい」
「それから、もうこんな無茶はしないでくださいね。あなたはもう王家の一員で、私の弟なのですから」
フィリオリは立ち上がると、軽く会釈をして部屋を出た。
あとは彼女の髪の匂いである、淡く甘い花の香りだけが残った。
「死んでしまったかと思った、か」
そう言う彼女の真剣な眼差しは、冬の嵐の日の母を思い出させた。
彼女を守れるくらい、強くならねば。
助けてもらった恩に報い、彼女を守る盾となるつもりだった。
俺は母のブローチに向けて新しく誓いを立てると、布団をかぶって目を瞑った。
「おいおい、聞いてた通りコテンパンだな」
次の日に訪ねてきたのは小太りの第2王子、ヴィンタスだった。
彼と会うのは門前の件以来だ。
「恐ろしい兄上だろう。だが俺はあの堅物の兄上よりは話がわかる男だ。恐ろしい兄を持つもの通し、それなりに仲良くやっていこう。な」
ヴィンタスは俺に手を差し出した。俺はその手をとり握手する。
「しかしお前もなかなか苦労しているようだな。私生児というのも大変だ」
「いえ、苦労というほどではありません。全ては私の不甲斐なさが招いているのです」
心の奥底からそう思う。与えられた役割を果たすために、俺はあまりにも無力だった。
「殊勝なことだな。殊勝と言えば、昨日はフィリオリ自らが寝ずの看病をしていたそうだな。我が妹ながら、俺に似ずに優しい妹だ。驚いたろう」
「はい。驚きました」
彼女の献身には心底、驚いている。
初対面のはずの俺に、なぜ王家の彼女がそこまでしてくれるのか。
「第3王子、つまり俺たちの弟の話は聞いてないな?」
「第3王子殿下ですか」
「第3王子のレイスはな、不幸なことに狩の最中に落馬し、命を落とした。まだ子供だったフィリオリの目の前で、だ。フィリオリは懸命に看病したがな、甲斐なく命を落としたよ」
死んでしまったかと思った。フィリオリのほっとしたような、震える声を思い出す。
「ランスは15歳だったな。フィリオリの二つ下だから、レイスが生きていればお前とちょうど同い年だな」
ヴィンタスがランスの頭をがしがしと撫でた。
「まあ、仲良くしてやってくれよな」
その後の俺は3日ほど床に伏せ、1週間もすると何とか歩ける程度に傷が癒え、俺は再び修練場へ通い始めた。まだ実践練習は行えなかったが、筋力トレーニングなどできることはある。
1週間ぶりの修練場では、以前よりさらに見習い騎士たちが近づかなくなっていたが、面と向かって嘲笑されることはなくなった。
2週間もすると、俺はだいぶ回復し、他の見習い騎士との実践訓練も再開された。久しぶりの実践でまだ傷を作るかと思ったが、不思議と以前よりも相手の太刀筋がはっきりと見えた。
また、がむしゃらにただ振り回していた剣を、以前よりは考えて振るようになった。その時にイメージしていたのは、兄ハウルドの剣である。
ハウルドの一件で俺はただやられるだけだったが、しぶとく粘ったため、一流である兄の太刀筋をたくさん見ることができた。訓練中だけでなく、食事中から寝る直前まで、俺は兄の太刀筋をイメージし、自分とどう違うのかを考え続けた。
そんな毎日を過ごすうち、気がつけば見習い騎士との模擬試合では負けることはなくなった。
「ランス」
俺を呼ぶ声がする。淡い花の香りから、姉が来たとすぐにわかった。
「姉さん」
俺にそう呼ばれると、フィリオリは少し照れたように俯(うつむ)いて、笑った。
「ずいぶん強くなったのね。びっくりです」
「まだまだハウルド様には及びません」
常にハウルドの剣の幻影を追ってはいるが、イメージの中の差はまだ歴然としていて、縮まっているようにも感じない。
「いやはや、大したものだよ」
ヴィンタスも修練場を訪ねてきていた。
「ヴィンタス兄さん、珍しいですね」
本当に珍しかった。というより、修練場に来るのを初めて見た。
第二王子は剣や馬の訓練をサボり、父や兄の目を盗んでは夜の街に繰り出していた。
「そうだ、珍しいだろう。いやあ、実はな、困っているんだよ」
ヴィンタスはあまり困っていなそうな顔でランスに頼んだ。
「相談がある、今夜、俺の部屋に来てくれないか?」
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