三話、客層。

「なんだ、この店……」


 次のテーブルを見て、思わず言葉を零してしまった。老夫婦の反対側にあるテーブルには子供が二人で座っていた。男の子と女の子、その机の上にはハンバーグが一つ置かれているだけ。そのハンバーグを食べずに二人は無邪気に笑いながら話をしている。それはまぁいい、子供が二人でこの店に来る。そういうこともあるに違いない。


 だけど、一番驚いたのはその向こうにあるテーブルを見た時だ。そこに座っているのは男の人と──犬。犬の犬種はゴールデンレトリバー、隣の席の子供より大きいサイズ。その二人……いや、一人と一匹が座るテーブルの上にはお茶碗が一個置かれているだけだった。その中身はここからではわからない。なんとも侘しく見えるが、男の人は涙を流している。犬は舌を出しながら息をしていた。


 それにしても犬はいかがなものか? 犬を連れて入れる店もあるとはいえ、嫌がる人もいるはずだろうに。


 だが、大人しい犬だ。その犬がこちらをじっと見たまま舌を出している。それを見て、少しだけ笑ってしまった。その犬を見ていると、実家にいた犬のことを思い出す。物心がつく前のことだったから、もう名前は忘れてしまったが、思い出の中にしっかりと残っている。


(それにしても、皆二人組なんだな。一人なのは俺だけか)


 ざっと見回してみると、二十近くある他のテーブルも全て二人組で埋まっていた。俺だけ一人なので浮いているようにも見える。


 俺は誰も座っていない相席を見た。この店にいる客は、皆自分の大切な人と来ているようだ。その中には泣いている人もいた。どうして泣いているのかは俺にはわからない。俺はもう、ずっと泣いていない。母さんが亡くなったあの日からずっと。


「……ん、あれ?」


 俺は目を疑ってしまった、さっきまで隣にいたはずの老夫婦がいつのまにかいなくなっていた。席を立った気配もなく、突然その場から姿を消したのだ。一体何が起きたのかがわからない。まるで神隠しだ。


 周囲の人たちは会話に夢中で、このことに気付いていないようだった。


「あ──」


 ──あのさ、と隣の子供に言いかけた言葉が止まる。店員の言葉が胸に引っ掛かる。お客様の邪魔をしないようにと言っていた。


 どうしようかと逡巡していた俺は犬と目が合った。犬はずっと俺のことを見ている。


 俺のことなんか見ずに飼い主のことを見ろよ。そう思って、飼い主を見ろと訴えるように顎で二回ほど示してやると、犬はそれにつられたのか飼い主を見た。


 飼い主は犬が自分の方を向いてくれたからか、ここからでもわかるくらいに喜びの笑みを浮かべた。


 その光景を見て、心に温かい気持ちが芽生えはじめる。だが、なにかを忘れている気がしてならない。


(……そうだ、さっきまで何を考えていたんだっけ?)


 まぁ、忘れるということはどうでもいいことなんだろうな。そう思い、もう一度隣の席を見るとそこには一人の女性が座っていた。その女性も呆気に取られた表情を浮かべている。もしかすると俺と同じなんだろうか? この人なら邪魔にならないだろうと思い、俺は思い切って声を掛けてみることにした。


「もしかして、あなたも一人ですか?」


「え、あ、ここは一体?」


 ああ、やっぱりこの人は俺と同じなんだ。それにしても、なんで髪が濡れているんだろうな。……。


「思い出レストランって言うらしいですよ、ここ」


「思い出、レストラン? あのなんで、私はここにいるんですか?」


 女性は慌てて俺に聞いてくるが、俺は肩を竦めて「さぁ?」と返した。それは俺が聞きたいよ。


「ここ、変わっているレストランだからさ、ほらあそこに犬もいるし」


「え、犬? どこにですか?」


 俺が女性の視線の方を向くと、そこにはあれだけ大きかった存在感のあった犬が消えていた。まただ⋯⋯まただ? さっきもあったのか? そんな記憶はないのに?


 困惑して、考えがまとまらない。女性に視線を戻すと訝し気な目で俺のことを見ていた。


「ごめんごめん。犬のような人がいたんだけど、どこかに行ったみたいだね」


「犬のような人ってなんですか?」


「……俺も知りたい」


 無理矢理ごまかしたのだけど、突っ込まれて言葉をなくした。気まずくなってそこで女性と話を打ち切ることにした。そろそろ料理が届くころだろうし。


「え、あ、はい」


 女性は何か独り言を話し始めた。それを耳に聞きながら、料理を待つ。


「お待たせしました」


 そして、店員の声が聞こえた。

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