「アリガさん?」


 「アリガさん?」

 顔をあげた彼女は確かにアリガさんだった。

 その表情はまず驚き、次に怪しみ、最後にぱぁっと笑顔になった。

 大学一年生から三年生までの間、大学の最寄りから三つ離れた駅の前にある家系ラーメンの店で一緒にバイトしていた仲だ。

「どうしたんですか? しゃがみ込んで……」

 彼女に声をかけるのは勇気のいることだった。と言うのも、ここはいけふくろう前。人混みから投げられる奇異の視線の真ん中で、体育座りをするスーツ姿の女性こそが──アリガさんだった。

「……ねぇ今時間ある? これをさ、ここで持ってて欲しいんだ」

 彼女は大きな紙袋を手渡してきた。GUだ。テープで封をされていて中身は分からない。

「これ、お礼にあげるから」

 リップクリームを手渡してきた。そしてアリガさんは何度も振り返って手を振りながら、駅の奥へと去って行った。

 七時間後。

 終電なので、俺は帰ることにした。

 紙袋はその場に置いた。

 山手線のホームへ上がり、ゴミ箱を探す。すぐに見つけた。俺はバニラの香りがするリップクリームを放り捨てた。

 そして顔を上げたとき、気がつく。

 向かいのホームのベンチにアリガさんが座っていた。泣きじゃくっている。横には駅員が二人いて、困ったような宥めるような曖昧な態度を取っていた。

 ──電車、が来てその光景は遮られた。

 俺はリップクリームを拾ってから、飛び乗った。


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