第11話  聞きなれた音

 美少女がハナの手を握る。


「ありがたき事じゃ。これで少しは戻るだろう。後は人々がどう動くかじゃ。我らとしてはこれ以上はやりようもない。これでだめなら定めということじゃ」


 美少女が悲しそうに言う。

 神という存在が儚いものだと感じたハナは、おじいちゃんの手をギュッと握った。

 おじいちゃんがハナを見上げてニコッと笑った。


「帰るぞ。すぐに始める。長はおらんと言っておったから、此度は夢枕を使おうと思う」


 熊ジイが声を出す。


「おお! 大掛かりじゃな。手伝うことはあるか?」


「呟き終わったら遣いを出す。様子を知らせてくれ」


「わかった。ではハナ坊、また会おう」


「はい、皆さんもお元気で。また遊びに来てくださいね。おばちゃんも一緒に」


 美少年と美少女に物凄く嬉しそうな笑顔を向けられたハナは、なぜみんな『ちゃん付け』に拘るのだろうと思いながら、おじいちゃんと一緒に戻った。

 目を開けると聞きなれた穏やかな滝の音がして、帰ってきたと実感する。


「おじいちゃん、すぐに始めるの?」


「ああ、いまから祝詞を書き上げるから、ハナは茶を淹れてくれ」


「うん、わかった。あっ、そういえば私の着替えは?」


「自分で念じろ」


 ハナは頷いて、ずっと前に街で見かけた水玉のワンピースを思い浮かべた。

 ごてごてしている割に全く重みを感じなかった十二単が消え、白地に黒い水玉模様のワンピース姿に変わる。

 ヒラヒラと広がるスカートの裾が、肌に触れてくすぐったい。


「予想外に派手じゃな……」


 おじいちゃんの呟きはマルっと無視した。


「似合ってない?」


 おじいちゃんはプイっと横を向いた。


「似合っているが気に入らん」


 ハナはクスっと肩を竦め、いつも着ていた地味な着物を念じて着替えた。

 なぜかそんなハナの姿にニコッと笑ったおじいちゃんは、縁側に書台を持ち出し、小ぶりな筆にたっぷりと墨を含ませた。


「書き終わるまでは話しかけるな。夢枕は邪念が入ると悪夢となる故な」


「うん、わかった。大丈夫になったらおじいちゃんから声を掛けてね」


 おじいちゃんは頷いて書台に向かった。

 言われた通りお茶を淹れて、書台の横に置いたが、おじいちゃんは集中しているのか、全くハナを見ようともしなかった。

 ハナは数秒その場にいたが、あまりの威圧感に耐えきれず厨房へ逃げた。

 今夜は何が食べたいかを聞くのも憚れるので、ハナは自分の好きなおかずを心で念じた。


(サバの塩焼きが食べたいです。大根おろしをたっぷりのせて、罪悪感を感じるほどお醬油をかけて、アツアツご飯と一緒に食べたいです。お味噌汁の具はほうれん草と油揚げが好きです)


 かなり具体的に念じたハナは、固唾を飲んで作業台を凝視した。

 

(私の念力じゃまだまだなのね。卵がまだ残っているから、今日こそ卵丼にしよう)


 修行らしい修行もしていないと自覚のあるハナは、さっさと諦めて洗米を始めた。

 味噌汁は今朝食べつくしているので、新しく作る必要がある。

 厨房と座敷の間にある一間ほどの板の間に腰かけ、ハナはイリコの頭と腹をちぎる。


(話しちゃいけないってなかなか苦痛ね)


 以前は黙々と一人で食事の支度をしていたのに、おじいちゃんが話しかけてくれるようになってからは、喋りながら作業するのが楽しくて仕方がなかった。

 そのことに気付いたハナは、滝前の縁側で熱心に筆を動かすおじいちゃんの横顔を盗み見た。


(なんというか……なるほど一言主神って感じよね……それにしてもおじいちゃんの本来の姿ってどんな感じなのかしら。熊ジイも最上のおば様の大きかったから、やっぱりそんな感じなのかしら? でも水分のみいちゃんは小さくて細かったわよね? 弱ってたから?」


 そんな事を考えながら、次々にイリコの頭と腹を爪先でもぎ取るハナ。

 いつの間にか作業に集中していたようだ。


「そんなにいるのか?」


 おじいちゃんの声で我に返ったハナは、弾けるように顔を上げた。



「終わったの?」


「ああ、書き終えた。後は村の衆の夢に送り込むだけじゃ」


 相槌を打とうとしたハナの後ろで、ドサッという音がする。

 慌てて振り返ると、塩サバと大根とほうれん草と油揚げが作業台に置かれていた。


「あっ! 通じた! 通じたんだ!」


 ハナが立ち上がって嬉しそうな声をあげた。


「なんじゃ?」


 おじいちゃんがハナの膝から零れ落ちたイリコを拾い上げながら、怪訝な顔をする。


「今日何が食べたいかをシマさんに念で送ったの。そしたら、来たの! 通じたのよ!」


「当たり前じゃろ? お前……信じてなったのか?」


「信じてなかったわけじゃないよ? でもできる自信は無かったのよ」


「そうか。まあ、修行中じゃからな。そのくらいの謙虚さで良かろう。飯を食ったらわしは出掛ける。お前は疲れているなら残っても良いが、夢枕の術はあまり使わんから、体が大丈夫なら見に来るか?」


「うん、行く」


「では早めの飯にしよう。わしは今日は魚の気分じゃ」


 ニンマリと頷いて、ハナは焚きつけの小枝に油を染み込ませた紙を巻きつけた。

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