第10話 最上のババア
「なんじゃ? 最上のババアも弱ったものじゃな。構えておったのに」
おじいちゃんの声に目を向けると、灰色の唐衣を揺らしながら真っ白な髪の老婆が立っていた。
昨夜の熊ジイもそうだったが、神々というのは、本来驚くほど体が大きいものらしい。
「来てくれたか。礼を言う」
ゆっくりと頭を下げた老婆が、ハナを見て微笑んだ。
「愛し子か? 良き霊力じゃな」
おじいちゃんが老婆に言う。
「この子はまだ慣れておらん。ちと小さくなってくれぬか?」
「ああ。これで良いか?」
一瞬で少女の姿に変わった元老婆に向かって、ハナは深々とお辞儀をした。
「一言主神が愛し子のハナと申します」
「良き娘じゃ。吾は最上と申す」
いやいや、どう見ても可憐な少女だ。
「此度は足労をかけてしもうたな。しかし吾はここを動くことができぬ。そこで熊野のジジイに頼んだというわけじゃ。徐々に水量が減ってはおったが、まさかこれほど一気に減るとは思わなんだ。先見は怠らなんだが、思ったより早かった」
おじいちゃんが神妙な顔で応える。
「ああ、そのようじゃな。竜神はサボってはおらぬと聞いた。やはり水分のババアか」
「水分のババアというより、供物を供えておった一族の最後の一人が逝ってしもうたのが原因じゃ。継ぐ者がおらぬのだろう」
「うむ。供物が戻れば戻るな。ここが枯れたら飢饉が起きる。下手をしたら疫病が出るぞ」
「そうなのじゃ。だからお主に頼んでおるのじゃ。お主はその昔、水分と良い仲じゃったろう? なんとか取り持ってくれい」
ハナの前で大昔の恋愛沙汰を暴露されたおじいちゃんは、耳まで真っ赤に染めていた。
「言葉を慎むがよかろう」
慌てるおじいちゃんを見て、最初は来たがらなかった理由を察した。
ニヤニヤしながら見ているハナの視線から逃げるように、おじいちゃんが口を開く。
「熊ジイ、急ぐぞ。供物をハナに持たせよ」
「抜かりはない。奴の好きな干物と桜桃を用意しておる」
ひとつ頷いたおじいちゃんがハナの手を握る。
「ハナは半分は人じゃ。供物を供えることができる」
「うん、わかった」
ハナは熊ジイから籠を受け取ると、最上のババアと呼ばれる美少女に頷いて見せた。
「行ってきますね」
「ああ、よろしく頼む。それと吾のことはおばちゃんと呼んでくれ」
おじいちゃんが『厚かましいババアだな』と呟いたが、ハナは聞こえない振りをした。
目を瞑ると、また一瞬で景色が変わった。
今度もやはり清々しい空気が流れる森の中だったが、滝の音は聞こえない。
水分と言うからには水源だと思っていたハナは不思議に思った。
「おじいちゃん、小川も無いね」
「ああ、水源は地中にあるからな。湧き水になるまで地表には出んよ」
「なるほど」
感心しているハナの横でおじいちゃんが、恥ずかしそうに声を出した。
「みいちゃん、出ておいでよ」
プッと吹き出したハナは悪くない。
「みいちゃん……」
ハナは呟きながら、手に持っていた籠を頭上に掲げた。
「その小さな社に供えてくれ」
「はい」
ハナが籠を置くと同時に、供えたものが一瞬で消えた。
「相当飢えておったようじゃ」
おじいちゃんの声に、まだ見ぬみいちゃんに同情してしまった。
静かに待つこと数分、社の前にボロボロの衣を引き摺った老婆が現れた。
「いっくん。久しぶりねぇ」
「ああ、みいちゃん。苦労したねぇ」
「うん、もうずっと何も供えられなくて……苦しかったけど、水源から離れるわけには行かないでしょう? でももう無理かもって思ってじっとしてたの」
「そうか、そうか。可哀そうに」
「でも助かったよ。ありがとうね。好きなものばかりだった。その子が今度の愛し子? 良き霊力を持っているねぇ。さすがにいっくんの末裔だ」
ハナがチラッとおじいちゃんを見ると、真っ赤な顔をしていた。
「ハナと申します。お目に掛れて光栄です」
「可愛いねぇ。で? いっくんが呟いてくれるの?」
「ああ、今回は俺がやる。急いだほうが良さそうだ。村の長はどこにいる?」
「供物を持ってきていた一族は絶えたみたい。次の代が育っていない」
「では村全体に言い聞かさねばならんな」
「よろしくね、いっくん。ハナちゃんも」
「早急に手を打とう。もう少し耐えてくれ」
「うん、今の供物で生き返ったよ。最上のババアにも熊野のジジイにもよろしく伝えておいてほしい」
「了解した」
そう言うとおじいちゃんはハナの手を握る。
「行くぞ」
ハナは頷いて老婆に一声かけた。
「復活したら遊びに来てくださいね」
その言葉に水分のババアは頷き、おじいちゃんはブルっと震えた。
ハナが目を閉じると、最上のババアの住処だった。
「どうだった? 出て来たか?」
「ああ、供物を置いたらすぐに消えた」
「相当我慢していたのじゃな……憐れじゃな」
熊ジイが眉を顰めた。
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