【短編】ホラー好きに捧げる幼馴染NTRざまぁ恋愛小説

八木耳木兎(やぎ みみずく)

【短編】ホラー好きに捧げる幼馴染NTRざまぁ恋愛小説





「断る」

「うぅっ……!!」





 幼馴染の有栖ありすの頼みを、俺、小室英次こむろ えいじは一蹴した。

 わざわざ俺がいる大学内のカフェに来てくれたのに申し訳ないが、だからってさっき彼女が言った頼みを承諾するかというとNOだ。




「よりを戻そうと言われても、俺はもう君とは関わりたくないんだ。ごめんな、有栖」

「ねぇエー君お願い……もう一度チャンスを頂戴? また昔みたいに仲良くやろうよ!」

「その昔の思い出を汚したのは、君自身だろ」



 昔と全く変わらないあだ名で、俺のことを呼んで来る有栖。

 はたから見れば微笑ましい光景なのかもしれないが、その事実に俺は反吐が出ていた。

 確かに、幼稚園の頃の俺たちは、実の兄と妹のように仲が良かった。

 中学に入って、異性として意識し合った結果、付き合うことにもなった。




 だがその関係も、俺が高一だったあの日すべて終わった。

 放課後の教室で、彼女が先輩に寝取られているのを見た、あの日から。




「大体君にはあのイケメンの先輩がいるじゃないか。あの人と一緒になればいい」

「エー君も知ってるでしょ……あの人は最低のクズだったのよ! だから麻薬密売で捕まっちゃったのよ!!」

「三年付き合っておいて、彼を庇う気もないのか。俺のこともそんな風に裏切ったわけだな」

「そ、それは……」



 よく聞いたら、有栖の表情も口調も、久々に会った幼馴染と会話するには緊張しすぎていた。

 三年来ベタ惚れしていた男が麻薬密売とあれば、彼女が関与していたとしてもおかしくない。

 近いうちに彼女も、法の網にかかるのだろう。



 彼女の末路を憂いていると、視界の端に艶のある長い黒髪の女性を捉えた。

 待っていた人がようやく来たとわかり、俺は席を立った。



「人と待ち合わせてる、じゃあな有栖。久々に話せたことは嬉しかったよ」

「行かないで…………エー君…………ううぅ…………」



 泣き崩れている有栖を一瞥も振り返ることなく、俺は彼女の元へと向かった。



「遅いですよ。式場の下見に遅れてもいいんですか?」

「ごめんごめん。ウェディングドレスの試着をしてたら、ちょっと遅れちゃったの」



 こんな会話を彼女としている、という事実が嬉しかったのか、俺は少々の遅刻を笑って許すことが出来た。

 有栖にはこのことを伝えなかったが、一ヶ月後には彼女―――同じ高校の一つ上の先輩・入間いるまみどりさん―――は俺の、俺だけの花嫁になっている。

 その事実がたまらなく幸せで、思わず彼女と握り合う手の力も強まる。




「ところで、さっきのあの娘って……」

「あっ、彼女とは何もないですよ?」

「…………いつか、キミが話してた幼馴染ね?」




 こちらをさぐるような視線で、碧先輩は見知らぬ女が誰かを言い当てて来た。

 やはり彼女このひとには適わない、俺の全てをお見通しだ。




「今の彼女から見れば、私がキミのことを寝取ったことになるのかしら。悪い女ね、私も」

「いいんです、もう放っておきましょう。今の俺にも、まして先輩にも、あいつは何の関係もないんだ」




 苦笑する先輩の前で、こう言いはした。

 だが人はポジティブな記憶よりも、ネガティブな記憶の方が頭に残りやすい。

 碧先輩の手の温かさ、柔らかさを感じられる幸せなひと時の中にあっても、俺の頭は彼女との思い出、そしてその思い出の全てが汚された、あの日の苦い記憶を浮かび上がらせていた。

 


 

 そうだ、あの娘は幼稚園からの俺の幼馴染であり、中学時代の俺に初めてできた彼女だった。そのはずだった。

 だけど俺は、彼女を。

 高校一年生だった三年前のあの日、俺は彼女を寝取られたんだ―――









◆  三年前  ◆









「あぁん♡ だめぇ♡ そこはだめぇ♡」


 何が起こっているか分からなかった。

 忘れ物を取りに、教室へと戻った俺は、そこで女子の喘ぎ声を聞いた。

 


 その場でどんな経緯で、どういう過程でそういう行為が行われていたのかは、よくわからない。



 一つ確かだったことがある。

 その艶めかしい声は、紛れもなく、有栖―――さっき部活で急な予定が入ったから今日はデートできない、ごめん!と言って別れた有栖のものだった、ということだ。

 その教室で、俺は見てしまった。




 ドスッ!!




 俺の彼女が。





 ザクッ!!!


 




 幼稚園からの親友で、中学に入学したばかりの俺に恋人になろうよと言ってくれた、有栖が。








 ドシュッ!!!!!












 包丁で、腹部をメッタ刺しにされていているところを。













 教室の床は、彼女の血で真っ赤に染まっていた。





 包丁の持ち主は、ホッケーマスクをかぶった、高身長の先輩男子。

 日頃無口で、そこが変にクールな魅力があるとかで女子にモテている先輩だった。



 

 彼氏として、猛烈な怒りと共に割って入らなければいけなかったのかもしれない。

 だが、できなかった。

 彼女の浮べていた表情が、俺の足を止めていたのだ。





「せんぱいの包丁、ありすのお腹に突っ込んでグリグリしてぇん♡ せんぱいの斧、もっとありすの体にぶち込んでぇん♡」




 求めていたのだ。

 彼女が、彼女の体が、先輩あの男を。



 そのままその先輩は大きくて立派な斧を有栖の胸にぶち込むと、ベランダ前に置いてあった楕円形の何かに手を出した。



 ヴォォン!!!

 ヴォォォォン!!!!!

 ヴォォォォォォォォン!!!!!!!!

 ギュイイイイイィィィィィィィィィィィィィィン!!!



 バイクのエンジン音を思わせる轟音と共に、その楕円形の何かは目にも止まらぬ速さで刃を回転させ始めた。



「わぁ……せんぱいのチェーンソー、すっごく立派ですぅ…………♡」



 猛々しいものを艶めかしく求める声の主は、俺の知っている子供の頃の有栖ではなかった。

 今思えば、それは証明でもあった。

 俺の知らない場所で、少女だった彼女が女になっていたことの。



 刃が見えないほどに高速回転をさせたチェーンソーは、ゆっくりと、彼女の脇腹に迫り。



 ズギャギャギャギャギャギャ!!!!!!!!!



 彼女の胴体を切断し出した。

 辺り一面を、包丁で刺した時とは比べ物にならない血飛沫が舞っていた。




「はァん♡ せんぱいのしゅごいのが、ありすのなかまで届いてりゅううぅぅぅ♡」



 血飛沫は止まらず、だんだんと血色も濃さを増していった。

 時々、肉片すらも飛び散っていた。

 まるで俺の知らない、有栖の中のどこか奥深くに潜んでいたドス黒い本能が溢れているかのようだった。




「そんなことされたらアリス、イクッ、イクッ、イッチャウウウゥゥゥゥゥ♡」




 何かに達したかのような彼女の叫び声と共に、上半身に別れを告げた有栖の下半身が、ドサッ、と床に崩れ落ちる音が聞えた。

 有栖の上半身はというと、まるで昇天したかのような、恍惚な表情を浮かべていた。

 俺の前では、あんな顔見せたことなかったのに。





 その日の、それから後のことはよく覚えていない。

 ただ気がついたら、俺は自宅の自分の部屋にいた。

 何も考えられずに、黙って家に帰りたかったのだと思う。




 もう、何も考えたくなかった。

 有栖を年上の男に奪われたという事実が、俺には受け止められなかったのだ。





◆  次の日  ◆




 昨日の出来事が脳裏に焼き付いたまま、俺は次の日も学校へ来ていた。

 先日あんな出来事があったというのに、いつもと変わらず登校できていることが、我ながら奇妙だった。

 昨日までの日常へ戻りたい、そう本能が願っていたのかもしれない。 

 だが、そんな日々に戻ることは、もう無理だった。



「エー君、おっはよー!」



 ―――えっ?



 昨日別れた時と全く同じ格好で、こちらへかけ寄って来る有栖。

 見た目だけだと、昨日と何も変わらない、いつも通りの日常。

 だがその光景が、俺にはどうしようもなく不気味だった。



―――何なんだよ、この娘。



―――昨日、あんなことがあったのに。



―――よく今、平然と俺のところに歩いてこれるなッッッ!!!




 純真無垢そのものな笑顔を前に、俺の心は逆に恐怖と戦慄を覚えていた。

 昨日と同じように、彼女のことを快く迎え入れられたらどれだけよかったのだろう。



「……ごめん、有栖」

「なぁに? エー君」

「今話す気分じゃないんだ、しばらく距離を置こう」

「ちょっ、エー君!?」



 その日はそう言ったきり、逃げるように無視を決め込んだ。

 昨日までの楽しくイチャついていた日々が嘘だったかのように、授業中も休み時間も、彼女とは一言も話さなかった。

 すべては、俺の脳内が昨日の教室のあの景色に支配されていたからだった。




(…………なんであの娘の【初めて】が、俺じゃなくて、あの男なんだ)




 放課後になって、俺の脳内を悔しさが満たし始めた。

 あの出来事から丸一日経過して、ようやく脳が事態を受け入れたのだ。





(なんで、なんで…………!!!)






 本能の奥底で望んでいた、しかし今はもうどうあがいても届かない彼女の【初めて】が他人に奪われたことに、俺は嫉妬と情けなさに見舞われるばかりだった。









(なんであの娘のお腹を初めて包丁で突き刺すのも、あの娘の胸に初めて斧をぶちこむのも、あの娘の身体を初めてチェーンソーで真っ二つにするのも、全部全部、俺じゃなくてあいつだったんだ……!!)






 昨日あの教室で。先輩あいつがあの娘にやっていたことは、全て、俺が、俺の本能があの娘に対して求めていたことだったからだ。






(畜生、ちくしょうちくしょうちくしょう………………………………!!!!!)






 絶望でおおわれていた俺の頭は、ふと、中学のある景色のことを思い浮かべていた。




 中学の頃、休み時間にクラスメイトの男子が、大人の女性がたおやかな腸や脳髄をさらけ出している雑誌のグラビア写真を見て「エロい!!」「エッチだ!!!」と騒いでいたことがあった。




 その光景を見ていて、ふと思った。

 俺も将来、有栖の頭や腹をかっさばいて、脳みそや腸を引き摺り出すことになるのだろうか、と。




 その時は、ダメだダメだ、幼馴染相手にそんなこと考えるなんてモラルに反する、と、俺の中の理性が必死に制御した。

 もっと段階を踏んでからだろう、まだキスすらしてないんだぞ、と、気持ちを落ちつかせた。




 もっと早く、自分の本能に正直になっておくべきだったのだろうか。

 しかし、今更後悔したって何もかも遅い。




 あの光景を見たからこそはっきりわかる。

 幼稚園の頃から側にいた女の子は、もう体も心もあの先輩のものだった。

 それに気づいた瞬間。

 俺の人生は―――

 





◆  ◆  ◆





「……空っぽになった。そう思ってました」

「…………なるほど、辛かったわね」




 碧先輩を電気椅子にかけながら、俺は昔話をしていた。

 聞いても誰も得しない、たわいのない昔話だった。



 あの放課後から一年が経った日の夜。

 ここは俺達以外誰もいない、ラブホテルの一室。




 駅前のマックでたわいない会話に盛りあがっていたらいつのまにか日付が変わって終電も無くなり、二人とも今日は帰れないとわかった一時間前にすべては始まった。




『…………し、仕方ないですね! お金あんまりないけど、タクシーでも借りてシェルターに』

『全く……キミは肝心なところで意気地なしね、英次君』

『え? それってどういう…………』

『とぼける暇があったら、ちゃんと今、本当に言いたいことを言いなおしなさい。初キスは私からしてあげたんだから、今度はキミの番よ』




 ……終業式の日のあの唇の感触って、やっぱり俺の妄想じゃなかったのか。

 あなたはもう逃げられない、と言わんばかりに腰に手を当てて、答えを促して来る碧先輩を前に、俺はそう思った。

 状況を受け止めるのに必死でその時は真相を聞けなかったが、今思えばこの問答のために、わざと彼女は会話を長引かせ、終電を逃したのかもしれない。




『……今夜……』

『目を見て言うの』

『……………………………………今夜、碧先輩と一緒にいたいです』

 チュッ。

『よくできました』

 ウインクして微笑む先輩を前に、俺は覚悟を決めた。

 今唇に触れた桜色の感触には、少しの震えを感じた。

 先輩なりの覚悟を持って、ああやって答えを促してきたのだろう。

 ならば彼氏として、連れて行きたい場所へ彼女を連れて行くのが道理だ。

『………………………………ついて来てください』

 先輩の手をぎゅっと握りしめ、今夜向かうべき場所へと向った。





 そういうなりゆきで先輩を連れて行った先が、今いるラブホテルだった。

 他でもないこの俺が、彼女をこの場へ連れてきたのだ。

(…………キスの最初の二回を彼女の方からされる彼氏ってなぁ…………)

 歩きながら、そう彼氏として情けなさを感じていた。

 ならばせめて最初の一夜はリードしたい、そう思うのが男の意地であり、彼氏としての責務だとも思う。




 俺が向かった先は、歓楽街の穴場にあるラブホテル。

 俺の家(両親出張中)につれて来られると思っていたのであろう先輩は、意外そうな顔をしていた。こんな日の夜はラブホなんかどこもかしこも満室だから無理もない。

 用意していたものがここにあるから、と説明して、そこに入室した。



 ここのホテルの支配人は両親の旧友で、俺の古くからの顔見知りでもあった。

 前に先輩とのことを俺に話したことがあったが、その時俺たちが来るような日のために、と言って、部屋の一室を俺たち専用にしてくれていた。

 そして、そのような日のために使うも、その部屋に預けておいてくれた。

 苦節三週間、いつか来る日のために執行錯誤を繰り返し、必死に作り上げたDIYの電気椅子だった。

 持って来た時は、色々なカップルを見ているはずの支配人にすら、「こんなマニアックな器具でプレイだなんて、君の将来が心配だよ……犯罪だけは犯すんじゃないぞ」と呆れられたものだ。




 だがすべては、今目の前にいる先輩に、俺の愛を示すためだった。

 でも実際にこの椅子を使うだなんて、早くても来年の話だと思っていた。

 こんなに急に、彼女とこれを使ってあんなことやこんなことをするだなんて、全く思いもしなかったのだ。

 部屋に入った後、まずシャワーに入ろうとする碧先輩を俺は止めた。

 「体臭がする方が燃えるから」と言ったら、ボソッと「変態」と言われた。 





「…………ともかく、その日からなんです。俺が異性を信用できなくなったのは」

「…………キミは私と一緒ね、何もかも」

「……もっとも、目の前の人は別ですけどね」

「……ありがと」







 過去を振り返るような口調で、電気椅子に座る碧先輩は俺の昔話に反応した。






◇   ◇   ◇





 彼女に出会ったのは、ほんのちょっと運命の歯車がズレて言えば起きるはずもない、全くの偶然だった。

 その日、なぜか夜の歓楽街にいた彼女は、精神病院から脱走した仮面の男に刃物を持って突撃されたりだの、側溝から覗いて来るピエロ姿の男に引きずられそうになったりだのの、しつこいナンパを受け続けていた。




 有栖を寝取られたショックでその日も放心状態で歓楽街を歩いていた俺は、ナンパされていた彼女をかばって、胸をナイフで刺された。

 女性を助けたい、とか、上級生の校舎で見覚えがある人だったから助けたい、とかそういう正義感からではない。

 もういっそ殺されてしまいたい、という自暴自棄な状態での自暴自棄な行動だった。





『何してるのあなた!!?? 死にたいの!?!?』





 驚きの感情が籠った先輩の声を、今でもはっきり覚えている。

 別に褒められたわけでもないのに、その時一瞬だけ俺は救われた気がした。




『どういう事情かはよくわからないですけど、男性ならともかく女性一人であんな場所をうろつくのはオススメできないですよ。友達と同行するか、家にいないと』



 一命をとりとめた俺は、入院中に病院でお見舞い兼お礼に来てくれた先輩にまずそう言った。

 別に俺の人生も終ったようなもんだし、彼女にも興味はないはずだったのに、どういう感情が動いたのやら。




『それって、友だちも帰る場所もない人間はどうすればいいのかしら?』




 そう彼女は答えた。

 そして、教えてくれた。

 彼女の父親である新興宗教の教祖が、彼女の実母との離婚後、宗教を名目に信者の女性を家に連れ込み、寝室で内臓を切り開いたまま吊るし上げたり、動物のコスプレをさせた後丸焼きにしたりなどの淫らな行為を行い続けていること。

 別居中の母の家に引っ越そうにも、あの男に腹を刺されて出来た子の顔なんか見たくない、と門前払いを食らったこと。

 出自を理由に学園内で良からぬ噂を立てられた結果、異性には寝室に女を連れている時の父親のような視線を送られ、同性には軽蔑の目を送られ、学校にすら居場所がないこと。

 今にして思えば、俺みたいな見知らぬお人よしにしか、彼女には信頼できる人がいなかったんだろう、と思う。

 しかしその時の俺は、ほぼ初対面の俺にそこまでのことを話す彼女に、重さを感じていた。そして、そもそも異性を信用できる心境じゃなかった。




『…………同じように異性にも同性にも傷つけられた後輩がいる病院へ行く、なんてどうです?』




 だから、冗談半分でそう返した。

 台詞だけなら下心丸出しだし、そう言っておけば俺への幻想も消えて離れるだろう、と思ったから。

 だから次の日も、そのまた次の日も、本当に彼女が病院に来た時は驚いた。

 退院してからも、校舎の屋上、あるいは学校近くの公園での会話、という形で、友人とも話し相手ともいえない奇妙な関係はそのまま半年ほど続いた。




 今から一か月前。

 ある雨の日、放課後いつも待ち合わせている公園に、彼女が来なかった。

 仕方がないから、傘をさしたままベンチに座って待った。

 五時間後、私服姿でびしょ濡れの碧先輩がそこに来た。

 何があったのかと聞くと、大事な用事があるからと電話で言われて放課後すぐに帰宅させられた後、急に父親に車に乗せられたかと思うと、信者である臓器売買専門の闇医者に売り飛ばされかけ、必死で逃げて来たという。

 神の名の下の性に溺れた取引に自分の子供をも利用するような人間の血を引いていることに耐えられないと言って、その場で泣きだした彼女。




 そんな彼女を、俺はただ抱きしめた。

 彼女と同じように、雨の中で濡れながら。

 側にいたかった。守ってあげたかった。

 生きててほしいって、言ってあげたかった。

 そのとき、はっきりと自覚した。彼女を愛している、と。

 幼馴染だからというぼんやりとした感情で有栖と付き合っていた時よりも、ずっと強い感情だった。




 俺が抱きしめた時、先輩の方がどう思っていたかはわからない。

 ただ気がついた時には、それから今までの一か月間で、「小室君」「入間先輩」ではなく「英次君」「碧先輩」と呼び合い、手を繋ぎ合って歩く関係になっていた。

 そして、デート終わり、宗教二世シェルターへと彼女を送った夜。

 別れ際の〇・一秒で、不意打ちにもほどがあるキスをされたような気がした。

 それが、数日前。

 終業式の後、前回のデートでのことだった。







◇   ◇   ◇






(まさかそんな、俺の妄想だろうって思ってたんだけどなー……)

 あのキスはれっきとした現実だし、この夜のOKサイン、と考えられなかった俺は、傍から見れば鈍いし、先輩の言う通り意気地なしなのだろう。有栖のことは許さないが、彼女を寝取られても仕方なかったのかもしれない。





(ほんと、ますますなんで俺がこの場にいるんだろう……)

 今日はクリスマスイブの夜。

 ここはラブホテル。

 壁の向こうで、ドスッ! ザクッ!! グチャッ!!! と、カップルが愛し合っている音が聞こえてくる。

 今頃は俺の知らないところで、色々なカップルが愛を確かめ合っているのだろう。

 そのうちの一組が、俺自身と、学園一の美少女だなんて、実感が全く湧かなかった。

 俺はどちらかというと陰キャだし、こんな日は一人でゲーム―――かま〇たちの夜やデッドバイデ〇ライトのようなエロゲにふけっている方がお似合いの人種。実際有栖を寝取られてからは、大半の日は学校から一人で歓楽街を徘徊した後、帰宅してそんな風に孤独に過ごしていたと思う。

 対して碧先輩は、色々な噂は飛び交いつつも、その美貌とスタイルと血行の良さだけはごまかせない。俺なんかよりもっともっとハイスペックな男とこんな夜を過ごせるはずだ。

 はたから見れば、どう考えても釣り合わない。

 誰よりも、俺自身がそう思っている。




 緊張で手を震わせながら、先輩が怯えないようにソフトな手つきで彼女の身体にワイヤーや革ベルトなどの拘束具を一つ一つかけているこの瞬間すら、俺が見ている夢なんじゃないかと心のどこかで思っている自分がいた。







 だが。

(気を引き締めないと……な)

 いつまでも夢心地でいるのは俺を受け入れる意思を示してくれた碧先輩に失礼だ、と自分に言い聞かせ、俺は自分の両頬をパン!と叩いた。

 状況から逃げるのは、いい加減やめないと。




 それに、俺自身の心境も徐々に変わりつつあった。

 先輩の身体は今、電気椅子に取り付けられた拘束具で固定されている。

 この部屋に入り、腕、脚、胸、首を拘束された彼女は、もう後戻りも出来ない。

 それなのに、今の今まで彼女は全く抵抗しなかった。

 先輩が完全に俺に身をゆだねているという事実を前に、拘束中、俺の中の何かが熱くなっていた。




 2000ボルトの電流を体中に流す器具に身体を拘束されても、彼女は俺に身を任せている。

 自分の自由を全て俺に捧げようとしている彼女は、服を着ているのに、よく雑誌のグラビアで見た、脳や腸が飛び出た女性以上に煽情的だったのだ。




「ねぇ、先輩」




 最後の準備段階に入った俺は最終確認のために、黒い頭巾と目隠しをかぶせながら先輩にたずねた。




「しつこいかもしれませんけど、やっぱりスポンジを濡らした方が安全じゃ……」

「何度も言ったでしょ、英次君」

 電気椅子を見せた時と同じく、先輩はきっぱりと俺の提案を一蹴した。




 濡らしたスポンジを頭に乗せた状態でこの椅子でのプレイを行えば、スムーズに刺激が体に伝わるし、時間も早めに終わる。

 一方、スポンジを濡らさないままプレイを行えば、かなり長続きする上に、濃密な時間を味わえる。しかし同時に、相当ハードなプレイになるし、刺激も相当強い。

 要するに濡らしたスポンジは初心者用、乾いたスポンジは上級者用だ。

 だから椅子を見せた時に濡らしたスポンジを頭にかぶせた方がいいと伝えたわけだが、目の前の彼女は無難な初心者コースではなくハードな上級者コースをお望みの様だった。




「キミとは遊びじゃなくて、真剣勝負で愛し合いたいの。小細工を使って誤魔化したりしないで」

「…………わかりました」

 俺はこれ以上、何か言うのをやめた。

 頭巾と目隠しで顔は見えなくとも、彼女の口調だけで、先輩が俺よりもずっと強い覚悟を持ってこの場にいることが伝わった。

 散々学園内でくだらない噂を立てられた彼女だったが、確かめるまでもなく、俺に同じく彼女も今夜が初体験の夜なのだ。




(まったく、先輩の身に何かあったら、どうするんだか……)

 乾いたスポンジ越しに、彼女の頭に電導用のキャップをかぶせながら、俺は内心で苦笑した。

 碧先輩がああ言うからには、俺は今夜彼女ととことん愛し合っていいんだ、と喜ぶのが、恋人としての俺の責務なのだと思う。






 準備は整った。

 あとはスイッチを押すだけだという事実を前に、俺は深呼吸する。

「じゃあ………………………………第一スイッチ、入れますね」






「その……碧先輩」

 緊張と共に、スイッチに手をかけて、俺は呟いた。








 それは今ここで改めて確認しておくべきことであり、同時に俺にとって、何もかも曖昧なこの世界で最も確かなことだった。








「………………………………好き、です」

「………………………………来て」






 頭巾越しにそう答えてくれた碧先輩の返答に、俺は返事をするのも忘れてスイッチを入れた。

 「来て」という返答に、俺の頭ではなく、本能が反応していたのだ。





 バチッ!!!

「んッ」

 バチバチバチバチバチバチッッッ!!!!!




 放電によるスパークが、その場に舞い散った。

 先輩の頭からは、煙が舞い上がっていた。




「…………………………痛っ……たぁ…………」

「あっ……ごめんなさい!! 痛かったですか碧先輩!?」

「………………ハァ…………ハァ……………いいよ英次君?…………続けて」




 荒い息遣いをしながら、さらに促してくる碧先輩。

 刺激的な経験をして、本人だって相当緊張しているはずなのに。




(…………この人、なんでこんなに魅力的なんだ…………ッッッ)

 その艶めかしく促す声に、俺のリビドーは突き上がらざるをえなかった。





「第二スイッチ、入れますッッ」

「あァッッ」




 ほとばしる電流の音。飛び散る火花。

 媚薬のようにかぐわしい、彼女の頭や体が焦げる香り。

 劣情を刺激する、彼女の官能的な喘ぎ声。

 俺たちを止めるものは、もう誰もいなかった。








 俺と碧先輩の、燃えるような熱いひと時は、夜通し続いた。








 有栖があの時あの男と過ごしたよりも、同じ時間の日本中の誰が過ごしたよりも、ずっとずっと、熱い夜だった。

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