8章 アンダードッグ-幕間

 zzz


「……未、死んじゃったんだね」

 駅にある老舗デパートの屋上、ビアガーデン。いつもは賑わいを見せていた場所だが、今となってはその役割を終えたようだった。設備だけが残されたそこに、人影が動く。

 崩壊していく空を双眼鏡越しに見ながら、夕暮凛々子は背後にいる合成獏に向かって話しかける。

「あの時の、遊園地での誘拐事件。アレ、君の仕業でしょ?」

『如何にも。愚生の力によるものである』

 彼女の口から出た話題は、拓哉と未を誘拐した犯行グループの魂を喰ったことを指していた。

 外傷が無いのは、内側のモノを奪ったから。

 道具が無いのは、彼自身の能力によるものだったから。

「もう会えないのなら、私もここでお終いでいいかな~」

 手にしていた双眼鏡を床に置きながら、彼女はその場に座り込む。

『……生命の終わりである。意識の断絶である。恐怖はないのか』

「私にとって、未が、あの子が希望だったから。死んでも大丈夫なのさ」

 架空の世界が終わりを迎える。凛々子は自身がただのNPC的存在だと気付いてしまい、気が抜けてしまったらしい。

 そして、彼女は、伯奇が自分の元へと来た理由に薄々気付いていた。

 ここ一年。世間では、異常現象でなければ説明がつかない出来事が頻繁に起きていたのだ。

 ――宗教団体の壊滅、異色の火事、浮浪男性の謎の圧死事件。

 周りの人たちはすぐに忘れていくが、凛々子だけは何故か覚えていた。昔起きた誘拐事件のようだと、直感が、『これはエラーだ』と告げる。

「ねえ、消えてなくなる前に抱っこさせてよ! ふわふわしてて、ずっと気になってたんだわ」

『抱擁のことか。………………構わんが』

 突飛な要求に、伯奇は少し時間をかけて了承した。

 それは小動物を撫でる仕草だと思っていたのだが、ぬいぐるみのように抱きしめて頬ずりされた。

 腹部の羊毛に顔を埋められ、ぞわぞわ悪寒が走しり思わず身動ぎする。

(この女の傍若無人さを甘く見ていた……!!)

 猫吸い、もとい、伯奇吸いを堪能している凛々子――人間の変態行為を一身に受け止めて、硬直してしまう。

「あ~落ち着く」

『そ、そうか』

 これほどまで心を乱されるイベントがなかった伯奇は、なんとか冷静さを保ちつつ言葉を返す。

「ふわふわしてるのって安心するんだよね。未もふわふわしてて、あったかくて……幸せそうな顔すると、私まで幸せな気持ちになるんだ」

『それは――』

 『そのふわふわという形容は、物質的なものではなく、心が、魂が安らぐ拠りどころではないだろうか』

 そんな無粋なことを考えるが、伯奇は言葉を紡ぐのをやめた。

(愚生と、同義と仮定すれば、拠りどころとは、死して吸収されることが果報になってしまうではないか)

 特殊な形をした双眸は、静かに凛々子を見つめる。何かを感じ取った彼女は、埋めていた羊毛の腹から顔を上げ、伯奇に告げる。

「根拠がなくてもいい。難しく考えないでいい。フィーリングで、パッションで生きていかなきゃ辛いからさ。生きたいと願うなら、誰だって幸福を望むんだよ」

『……その詞、確かに受け取った』

「あ! あと、君は私のこと覚えていてくれよ? もう友達なんだから!」

『案ずるな。――――嫌でも、忘れはせん』


 世界が光の粒子となって解けていく。

(消えてしまうなら、不安からくる嫌悪で、意地悪で夢夜に手渡した激辛マドレーヌもきっとチャラになってくれるはず)

 凛々子は、まだ残っている街の一部をゆっくり見渡す。

(それでも、ここで夕暮凛々子として必死に生きていた。大切な家族が、妹がいた)

(恐怖も悲しみも、後悔も幸せも、自分自身のなかに全部詰まっているから大丈夫)

 膝の上にいる友人を撫でながら、最期の言葉を紡ぐ。

「最期に幸せな夢をありがとう――。ああ、でも………やっぱり少し怖いなぁ……」

 温かい一零が、角が生えた伯奇の額をなぞっていく。

 今しがた彼女がいた場所には、双眼鏡レンズが静かに一匹の友を映していた。

『喰らって世辞を云われるのも初めてだな。我が主――夢夜よ』


 zzz


 ――『その日はとても晴れていたはずだった』――


 十歳の相沢拓哉は泣き喚いていた。心臓がぎゅうっと締め付けられ、底なしの恐怖を抱く。

 しかし、子どもの彼は感情をコントロールできず、暴走したそれを従兄にぶつける。

「返してよ返せかえせかえせ……うぇぇかえしてよ〜!! うああああんっ~~~」

「それは……事故で、トラックが――」

「あんたのせいで、パパもママも死んじゃった!」

「ッ……」

 その言葉に、十四歳を迎えた難浪夢夜は、口をぎゅっと結ぶことしかできなかった。

 泣きじゃくっていたが、次第に鼻をすする音に変わり、やがて聞こえなくなった。

泣き疲れたようで、少年は目元に涙の跡をつけて眠りにつく。夢夜は彼の頭を撫でてやる。

『眠ったようだな。しかし、父母を亡くすとなるとは……。だが、これも人の生。越えねばならぬ壁である』 

 靄から進化した合成獏。空気を白色に染めて霞とともに現れた。

 長い鼻と四つ耳が特徴で、生えかけの角と牙が幼さを強調している。

 憔悴しきった夢夜は、伯奇に告げる。

「……拓也の記憶を改竄してほしい。そして、俺の記憶を……夕暮家の人たちも」

『……愚生との約束はどうなる?』

 忘れないでほしいと願った無念の集合体、夢夜の誓約で〝かたち〟を得た合成獏は食い下がる。

 苦悩の選択。

 苦渋の決断。

 ――行き場のない焦燥感と苛立ちを手に込める。しかし、ふっと諦めた表情をしてからそれを解くと、夢夜は淡々と言葉を吐く。

「ごめん。もう、どうしたらいいか分からない。あの子を忘れて離れれば、解決するかもしれない。でも父親を奪った責任がある。母親についても……見殺しにしたようなもんだ」

夢夜が『俺が身代わりになればよかった』と呟くと、溢れた感情が〝魂〟を通じて伯奇に伝わる。

『――運命とは不条理である。成るべくして成った。故に、お前の責任ではない。その優しさは最早自己犠牲である。自身の身も守れず、愚鈍に生きる屍になるだけよ』

「それでも、あの子を……一人にはできない。見捨てられない……」


  ――「いめやって言いにくいから、いー兄だ!」――

 滑り込ませた関係性と、環境と、偽の記憶。

 改竄した直後――家族になった男の子の笑みを、宝のように心に留めてきた難浪夢夜。

 受け入れてくれただけで、救われたような気がした。

 そう呼ばれただけで、生きていて善いのだと思えてしまう。

 浅はかだったのは、騙しているということよりも、〝自身の存在を正当化しよう〟という純粋な願望だったこと。今思えば、それは盲目で、愚かだった。

『彼らを、不幸から遠ざける務め。〝ヒーロー〟にはなれないかもしれないが、人助け程度ならできる』そんな淡い期待を抱いて、その役割を全うしようとした。

 ――大儀と云ったら聞こえはいいが、結局それは自己満足によるものだろう。

 それでも、夢夜は純粋に笑いかけてくれた拓哉の表情に救われたのは、紛れもない事実だった。

 しかし、彼の肉親である母親が亡くなるという不運は防げず、希望はすぐに砕け散った。


「悲しくて、辛くて、苦しい過去は忘れたいんだ……!! ずっと後悔と責任に押し潰されて、もう考えたくない。でも、自殺は――したくない、できない。やるべきことは果たしたい……弱くてごめん、でももう無理なんだ」

 悲痛な思いから弱音を口にし、夢夜はその場に蹲ってしまう。その言葉は矛盾だらけだった。

『我儘も大概にせよ!! それで現実から逃げてどうなる!? 己を忘れて、愚生を忘れて生きていくつもりか!? 己の過去を否定して、無かったことにして……いつか同じ過ちを繰り返すことになるぞ! お前の〝願い〟とはその程度のものかっ!』

 怒りをあらわにし、伯奇は初めて主である夢夜を叱咤する。

しかし、少年は顔も上げずに首を横に振り、泣き言をもらす。

 その姿に失望した伯奇は、喉奥を締め上げられた感覚に陥った。

伯奇は夢夜に希望を見た。その尊い心根に可能性を見た。

  ――人を救け導き心を解く優しさを――。

  ――苦悩に苛まれても前に進めるという力を――。

 夢夜は下を向いて、頑なに拒む。ただただ沈黙が流れる。

 伯奇は特徴的な四つ耳を垂らして、主の願いを受け入れることにした。それしか方法が無いと判断したのだろう。

『もうよい……それがお前の意思ならば』

「ごめん伯奇……自分のせいで誰かを悲しませるのは――もう耐えられない」

 伯奇は鼻から濃い煙をまくと、夢夜は目を瞑る。やがてそれは辺りに充満し、霞がかかる。

『(〝耐えられない〟――か。人の生とは、艱難辛苦の連続。一時の忘却にしかならぬというのに、夢見に興じるか)』

 霞がゆっくり晴れると、伯奇の前にいた人物は姿を消した。独りになったそれは空に向かって呟く。

『前に進もうと、願いを果たそうと。その意思変わらぬ限り、もう会うことはなかろうよ――夢夜』


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 相沢拓哉は目を開ける。白い天井と、液体の入った袋が視界に入った。袋と繋がった管の先を辿ると、右前腕の内側に刺さっていた。

「拓哉、大丈夫か! 看護師呼ぶか!?」

 突然横から声をかけられた拓哉は、声の主へと顔を向ける。そこには従兄である夢夜がいた。

「あれ……いー兄、僕どうしたの?」

「覚えてないか? サッカーの試合の帰りに信号待ちしてたら、居眠り運転に巻き込まれたんだ。俺もちょっと腕やったわ」

 包帯で固定された左腕を少しだけ掲げて、自嘲気味に言ってのける夢夜だった。

 拓哉は身を乗り出して見ようとするが、体に違和感を覚えて、動けなくなる。

「あし、動かない」

「……膝から足かけての靭帯損傷で、運動は制限されるって。リハビリして普段の生活で歩くことなら問題ないって言われたけど……」

「そんなっ、もうサッカーできない、の……? うぐ、っうええええええええん――」

「おおお叔母さんに電話するかっ!? 出張で忙しくて見舞いには来れないらしいけど、ビデオ通話できるって! そうだ、下のコンビニでなにか買ってくるよ、何がいい? あ、テレビでも観――」

「ひっぐ、うあああああああん!! でんわ、も、ぜんぶ、うぅいらない~~~~!!」

 母親に甘えたい気持ちと、こんな格好悪い姿と声は聞かせられないと葛藤する拓哉。

 彼のなかで自他ともに認める唯一の長所であり、自信でもあったそれを失ったからだろう。

泣き崩れる拓哉に、夢夜は世話をやこうとするが、彼は夢が断たれたショックから、すべてを拒む。

何故か、自分が何もなくなり、価値がなくなってしまったと思ったらしい。

なりふり構わず夢夜に抱きついて大声で泣きながら、悲痛な言葉をぶつける。

「ざ、ざっがーで、ひっく、できなぅっひっく、ぐでも、がぞぐっっ??」

「……ああ。何になっても、家族だよ」

 騒ぎを聞いて駆けつけた看護師が来るまで、夢夜は拓哉の頭を優しく撫でてあやしていた。


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「なんだ。あれ……――」

 夢夜は目的地へと到着すると、校舎が激しく焔に覆われていた。

《目標まで百五十メートル。被害拡大中。速やかに対処してください》

 アプリの黒うさぎは警告するが、消防活動と野次馬により正門から内部へ入るのは難しい状況だった。すぐさま裏門に向かうが、正門同様に人で溢れかえって近付くことができない。

 次から次へと消防車がやってきて、消防隊員が火を消そうと水を放つ。

 夢夜は大衆に混じって立往生していると、焔の先から一筋の黒い煙が天へと昇っていくのが見えた。

 それはやがて光に変わり、犬のような、狼のような姿に遂げる。

 それは、いうなれば、夜空で煌めく命の輝きのようなものだった。

 そして、どこかへ報せるように遠吠えを響かせると、光は上空を貫いた。

空だと認識していたそれは硝子のように割れはじめ、光を反射させながら破片が落ちていく。

そこから見えた先は、電子で作られたような空間。筒状の蛍光照明は、脈打つかのように静かに辺りを照らしていた。

 夢夜の周りの人々はその姿形がブレたかと思うと、次々に消えはじめた。

 次第に〝背景〟である建物や植物は光る粒子となって消えていく――

「いったい何が起きてるんだ……!?」

 あれほどまでに煩わしかった人混みが一気に無くなったものの、現状を理解できない夢夜は、いまだ消えない自身の体と消えゆく周囲を交互に見ることしかできない。

(これ、俺も消えたりする!? もしかして、拓哉も既に消えちまったのか!?)

 混乱していると、ボトムスに入れたスマートフォンが震動し、彼は怪訝な顔でそれを取り出す。

 端末の画面には、《計画終了まで一パーセント》という文字が大きく表示されていた。

 ぱっと、辺り一面が真っ白な世界に切り替わったと思えば、人や建物等の残像も面影もなく、彼の眼前にはぽつんと赤い鳥居だけが在った。

 そして、そこから突然フッとカルミアが姿を現わす。霊体から実体に変わったのだろう。

「カルミア探したんだぞっ!! 拓哉と連絡とれないし、周り消えてるし、なにか説明を……!!」

 状況を確認しようと、夢夜は彼女に駆け寄ろうとするが、 俯いていたカルミアはゆっくりと顔を上げた。その表情にぎょっとして、彼は立ち止まってしまう。

「お前、なんで泣いて――」

「さようなら。私の〝ヒーロー〟――」

 カルミアは涙を浮かべながら、夢夜に向かってその言葉を零すのだった。

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