8章 アンダードッグ-後編

zzz


 夕方。日没。

 暗闇のなか、相沢拓哉は月明かりだけを頼りに走っていた。

 数年ぶりに、以前のように脚を使うことに戸惑いつつも、そんな事はどうでもいいという覚悟がみられた。事故によりドクターストップを告げられていたが、いまさら復帰するわけでもない。

 命を燃やし尽くすつもりで、全力で駆ける――。何故なら、〝彼女以外の全て〟がどうでもよかったからだ。伯奇から不意に突き付けられた真実。拓哉は歯を食いしばって、地面を思い切り蹴って前へと進んでいく。

 事態の不安を煽るかのように、住宅地の電灯はパチパチと音を立てて点滅を繰り返す。

(あの〝はくき〟が、言ってたのが本当だとしたら、僕は何も知らないで生きていたんだ!)

 考えれば考えるほど、拓哉は後悔していた。それでも、今は立ち止まって考えている暇はなく、命を燃やす勢いで目的地へと急ぐ。

住宅地、商店街を駆け抜けると彼は自分が通う中学校に着いた。

 閉門の時刻。休日であっても、普段この時間は職員室や部室は明かりが点いているのだが、今日に限っては真っ暗だった――ただひとつ、拓哉と未が在籍するクラスの教室を除いて。

 唾を飲み込んで意を決すると、拓哉は閉まっている門扉の格子をよじ登って侵入をきめる。

やっとの思いで門を越えるが、着地がうまくいかずバランスを崩して地面に突っ伏す。

「っつう――……」

 恐怖から足ががくがくと震える。全力疾走で息切れを起こしているのか、脳に酸素が行き渡らないようだ。これから起こるであろう状況を予想すると、更に鼓動が早くなり額に汗を滲ませていた。

(落ちつけ、こんなのは大丈夫! 未のことを確かめなきゃ!)

 ただの予想に怖気づいてしまう拓哉。すぐに悲観的になり、いつも何も成せずにくすぶる彼は、頬を叩いて気持ちを切り替えるのだった。

 

 校舎へ近付くと、下駄箱の玄関は開錠されていた。

 誘いこまれている状況に緊張が走りつつも、拓哉は自分が所属するクラスの教室の前に立つ。

(もし、ここを開けて、いー兄たちが言ってる〝ゴースト〟がいたら? 刺されたり、殺されたりして、未に会えなかったら?)

 今までの後悔を全部背負うと決めた――〝あの人〟のように、自分ももう逃げないと覚悟を決めてドアを開ける。普段から通い慣れて飽きてしまった風景を見渡すと、部屋の中心には人影が佇んていた。

「たっくんどうしたの?」

 不意に、未の声が教室に響いた。拓哉は彼女から距離を取りつつ、問いかける。

「……………お前は誰だ?」

「誰って……ふふ、たっくんおかしなこと言うんだね。私だよ? 夕暮未だよ」

 可愛らしく、わざとらしく、くすくすと笑いながら返事をする。

 その少女は月夜に照らされ、顔にかかった影が不気味さを強調させていた。

見慣れた笑顔のはずなのに、どこか冷たい雰囲気で燃えるような情熱を秘めた幼馴染がそこに居た。

「(違う。未は――)あいつはそんな笑い方しないっ!」

苛立ちと不安と後悔が混じり、拓哉は叫ぶ。

(あいつは『なんで』なんて一度も言わなかった――いつも『そうなんだ』って言っていた)

きょとんとした未は言葉を理解すると、

「なんで? 私は私だよ? たっくんのことが大好きな――夕暮未だよ」

刹那。未の体は焔に包まれた。目の前で急に幼馴染が発火し、言葉を失う彼に向かって、少女はなんでもないといった様子で声をかける。燃えているというのに、熱くないようだ。

「……!」

「あ、ごめん。間違えたわ。〝アタシたち〟だったわ」

彼女は朱色に染める。それは、夕日が沈む色。

郷愁に浸り、その想いを永遠に馳せ焦がす時空が目の前に広がる。

それは、淡々として冷たい声で、普段の彼女とは違う雰囲気に身構えた。

「アタシは『もう一人の夕暮未』。巷でいうドッペルゲンガーってやつ」

「お前……未に体を返せ!!」

「アタシも『未』なんだけど? ヒドイなあ、たっくんのせいでこんなふうになったのにさ」

「僕の――せい?」

「自覚はしているのね。まあ、していなかったらヒドイけど。ま、いいや。『相沢拓哉』の答えを聞かせて」

 拓哉が叫ぶと、ドッペルゲンガーはわざとらしく肩をすくめて呆れた表情を見せる。

だが、ドッペルゲンガーは目を伏せたかと思えば、ゆっくりと視線を合わせる。そして、

『「たっくん、いまも私のこと好き?」』

 それは、悲しくも期待を寄せた問だった。〝彼女〟の声は重なって聞こえた。


      zzz

 相沢家。在宅ワークをしていた夢夜は、画面下側にある時計に目をやると十七時を過ぎていた。

 夏の事件以降、拓哉は定期的に連絡して門限を守るようになっていたが、今日はまだ連絡がきていない。普段なら然程気にしない状況ではあるが、窓の向こうの夕空が燃えるように色濃く感じて不安を覚える。得も言えない心のつっかえ――仕事に身が入らない夢夜は、スマートフォンの通知を確認しようと手を伸ばした時だった。

《半径一キロ以内にゴーストを発見。速やかに対処してください》

 久しく聞いた警告音に驚きながら地図を開くと、目的地のアイコンは公立桜野山中学校を指していた。

「っ――! カルミア、これ……!?」

 夢夜は自室から飛び出して、勢いよくリビングのドアを開けるが、彼女の姿は何処にもなかった。

「?」

 普段、この時間であればカルミアはテレビでも観て、くつろいでいるはずだった。――が今日はそれがない。

「っと、俺だけでも行かなきゃ……! もしかしたら、拓哉が巻き込まれるかもしれないっ!」

 夢夜はひとりそう呟くと、すぐさま支度を済ませて目的地を目指すのだった。


      zzz


「答え。ってなんのこと?」

「アンタは〝アタシたち〟のことをどのように思っているのか。邪魔な幼馴染か、はたまた、愛しい良い人だと思ってくれているのかな?」

「なにそれ、今そんなの必要ないんじゃない……」

 何を言い出すのかと思えば恋愛事情のようだった。

 今までそのような事情とは無縁だった拓哉は、現在の状況を忘れて少しだけ顔赤らめる。

 しかし、頭のなかに記憶の一部が呼びおこされて、息を呑む。――『いや、無縁ではなかったはずだ』と。

 昔は恥ずかしげもなく、何度もそんな言葉を無邪気に言いあっていた気がする。

「あの子にとっても、アタシにとっても大事なことなんだよ。こんなに気持ちを伝えてるのに」

「ぼ、くはッ――」

「昔の約束も覚えていないの?」

 昔の約束。口に出すのも恥ずかしい約束が鮮明になっていく。

 あの時は何もかも〝信じていた〟のだ。安らぎも慈しみも、ありのままに受け入れられた。

 だが、今は何もかも変わってしまう。厭い憂う気持ちに染まり、目の前が見えなくなっていく恐怖。

「僕は、お前と一緒には、いられない」

「なにそれ。まだ言う? そんなにアタシたちの言葉が信じられない。そんなに一緒はイヤ?」

 拓哉は喉から言葉を絞り出すが、ドッペルははっきりとそう切り捨てる。

「っ未は僕といたら、きっと後悔するからだよ! 僕なんかほっといて、ほかのヤツといれば良いだろ! 頼んでもないのに、ずっと付きまとってなんなの!? 自分も信じれないのに、お前のこと信じられるわけないじゃん! いつか居なくなるのに、期待なんかしたくない!」

 溜め込んでいた彼の本音が爆発する。両親のこと、信じようとして裏切られた過去を言っているのだろうか。手のひらを返されるのなら、最初から期待を持たず、不信であることを露わにする。

「っ――――! うそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつき!!」

 彼女が声を張り上げると同時に、焔が一気に燃え広がる。

 その想いで憂いて。その想いを焚べて。身を焦がしてもなお、信じ抜く深い恋慕――愛を棄てられずに泣き叫ぶ少女がいた。

「だいすきなのに、どうして、伝わらないの……!」

「……っ!」

「独りにさせたくない、そばにいたいのに。好きでいたいって思うのは、そんなにダメなこと……?」

 未は不甲斐ない自分に嫉妬し、その焔をくすぶらせる。

幼馴染の悲しそうな表情につられて、急に何かが込み上げてくる感覚を覚えて喉奥がひきつった。

拓哉は足を前に出そうとするが、いうことをきかないそれに引っかかりを感じ、そして、

「……――!!」

 急に両膝ががたがた震えたかと思うと、その場に崩れ倒れる。

 足はかつてないほど熱を持ち、神経が痛みを伝達させ、額に汗がにじむ。筋肉が分断されて、勝手に動いているような錯覚に狼狽える。

 激痛だった。拓哉は涙を浮かべて、歯を食いしばって駆け巡るそれに耐えることしかできない。

「たっくん!?」

 未は大声を上げて拓哉に駆け寄る。焔を身に纏いつつも、その表情はいつもの彼女に戻っていた。

「どうしよう、ひと、だ、だれかっ……」

 すでに周りは火の海になっており、ばちばちと弾ける音が聞こえてくる。

 辺りにある物は溶けて、焦げて、黒い煙が天井へ満ち広がる。自分で生じさせた焔に囲まれてしまい、彼女は絶句する。

(『なにやってんのよ、アタシ。拓哉の痛みを薪にすればいいんじゃない』)

「!!」

(『どうせ助からないんだから。最期くらい、苦しまずに死なせたほうが拓哉のためだと思うけど』)

 ドッペルはそう告げる。 

 それは、〝彼の命を奪うこと〟を指す。苦渋の決断を迫られてしまい、躊躇いつつ彼女は涙を流す。

「っ――ごめん、巻き込んで、ごめんね。たっくん」

 断腸の思いだった。もはや彼女にとって、その行為のほうがはるかにましだろう。

 未は〝相沢拓哉の『痛み』を焚べ〟ようと手を伸ばす――が、手首を力強く捕まれて阻止された。

「だ、いじょうぶ……だから」

 拓哉は、幼い頃、家の近くに未が引っ越してきた記憶がよみがえる。

 母の後ろに隠れて恥ずかしがりながら挨拶する彼女の姿が鮮明になっていく。それは一目惚れだった。

 ともに同じ時間を過ごして、ともに居ようと未来を願った。

 「大きくなったらたっくんのお嫁さんになる」そんな真っ直ぐすぎる彼女の口癖を思い出す。

その度に、顔を赤くして同じ気持ちだと答えていた拓哉。

 そして例の事件。交通事故。しかし、何かが違っている。

(父親は、母親は――。それにあの従兄は――)


「お前は、僕といたら不幸になるっ……未まで周りから罵倒されたり、危害を加えられたり。そんな嫌な気持ちで生きていてほしくないんだ」

 彼女は拓哉の体を起こすと、窓際に寄せる。そこから見えるのは焔に染まった景色だった。

「僕のことはいいから、未だけでも逃げて」

 夢夜たちの仕事の端々から、ゴーストや、強い思いにより特殊な能力が備わる話を思い出す。

 そして、先ほど会った〝伯奇〟。

何らかの理由で、彼女は特別な存在になったのだと感じ取っていた。

「いまの未なら、一人でも助かる。僕がいなくても、生きていける」

 少年は途切れ途切れになりながらも、少女に告げる。

(『なんでそんなこと言うの? 私はそんなこと思ってもいないのに』)

「たっくん。そんなことない。そんなことは、ないんだよ」

 目元に溢れた涙を零しながら、彼女は――彼に語りかける。

(『自分はダメだって、そんなこと言う自分が一番つらいのに、悲しいのに』)

「そんな風に自分を卑下しないで? 自分自身を見棄てないで」

  未は拓哉に優しく語りかける。

「私ね……たっくんと一緒に居るだけで楽しいし幸せだよ? たっくんとならっ、つらいのも、悲しいのも……乗り越えていけるもん」

 彼女は、震える声で本音を伝える。その震えは、すぐそこにある自分の死への恐怖からだろうか――それとも、優しい想い人への溢れんばかりの想い故だろうか。

 その訴えは、説得は、拓哉の気持ちを変える。その目尻からは、温かい雫が落ちていた。

「いつもまっすぐで、支えようとしてくれる、信じてくれる。――僕はそんな君が、本当は大好きなんだ」

 拓哉は素直に想いを伝え、未もいままで以上に想いを届ける。

「うん……私も、不器用だけど優しくて、一生懸命守ろうとしてくれるたっくんが大好きだよ」

 拓哉は小さく『ありがとう』と呟くと、窓に備え付けられていた防火カーテンを引きちぎって、未の頭に布を被せた。

 綺麗なヴェールとは言えないが、それは彼女を花嫁にのように見立てる。――これが不器用なりに出した結果だった。

「待たせてごめん、未」

「うん」

「ごめん――。僕、馬鹿で臆病だからさ、ずっと言えなくてごめんね」

「大丈夫だよ」

 自分の夢は叶えられなくとも、彼女の夢なら叶えられるだろうと思っていた拓哉。

 だが、嘘偽りの世界ではそれも無駄で無意味だと知ると、消えてしまう前の、せめてもの手向けだった。

「夢を叶えられそうにないから、だから、これで許して欲しい――」

 拓哉は言いかけて、未の肩を寄せてそっと唇を重ねた。温もりを感じると、それはすぐに離れていく。

「えへへっ。夢叶っちゃったよ」

 頬を赤らめて、嬉しそうに無邪気に微笑む。その表情につられて、拓哉も自然と笑みが零れる。

 未は恋人の笑う顔に耐性が追いついていないのか、恥ずかしさを隠すように拓哉の手を握ると、自分の頬に寄せる。

(火に囲まれて熱いはずなのに、それとは違った温かさがある。今もここで生きているのに、こんなにも感じられるのに――)

 目頭が熱くなり、唇が震えて泣きそうになるが、ぎゅっときつく口を結んで堪える。そして、

「あのさ……。こんな時にヘンなこと話すなよって感じだけど、聞いてほしくて」

「うん?」

 思い切って、〝真実〟を口に出す。他にも話題はあったかもしれないが、もう二度と訪れない日常を語るにはむなしいのだろう。突拍子のない空想へと舵をきった。

「ここってさ、実は誰かが作った偽物の世界で、僕の両親も本当はとっくのとうに死んでるらしい。いー兄も親戚でも何でもなくて……赤の他人だったし」

 言い迷いつつも『赤の他人』を口にする拓哉に、未は首を横に振って否定する。

「そうなんだ……でも、たとえ嘘だったとしても、夢夜さんはたっくんをいつまでも〝従弟〟だって……きっと、かけがえのない家族だって思っているよ。私も、パパもママもお姉ちゃん、皆大切だもん」

「そうかな……そうだといいな」

「それに、私もね。今この瞬間、たっくんに対するこの気持ちは本物だよ」

 拓哉は夏の出来事を思い出す。大声で言い争い、傷つけ、自分の気持ちを格好悪く晒しても、それでも彼らは変わらずに声をかけてきた。

 宗教団体を思い出す。あの頃は、〝都合のいい優しさ〟しか見ていなかった拓哉。不満に目をつけられ、一時の感情により家族を殺めるところだった。

(もしあの時、カルミアさんがいなかったら。もし、いー兄が死んじゃっていたら……どんどん悪いほうにいって、僕は僕じゃなくなってたかもしれない)

 懐柔し言いなりの人形にするのではなく、夢夜たちは見守りながらも意思を尊重してくれていた。

 とってはりつけた優しさではなく、あれは家族を思う〝愛〟だったのだろう。

(今更そんなことに気付くなんて。声を挙げても無駄だと思って、ずっとわがままと文句を言って、卑屈になって自分の世界に逃げてきただけじゃん)

「ねえ、未」

「なあに?」

 ずっと突き放そうとしてきたが、その包み込むような優しさに、何度も助けられてきた事を悟る拓哉。

 記憶のなかのあの日と同じように、いつもと変わらずに可愛らしい声ではにかむ彼女に、彼は優しく声をかける。

「僕のお嫁さんになってくれる?」

「たっくんのお嫁さんになるよ!」

 二人は幼い日の約束を思い出す。無垢で、なんのしがらみもなく無邪気に笑いあっていた日々。

 きらきらと輝いたそれを大事にもって、少年少女は目を瞑る。

 焔に囲まれた拓哉と未。だが、不思議と――熱さも苦しみも痛みも感じないようだった。

 そして静かに寄り添い、焔に包まれていく。

 焔から生まれたひとすじの煙。命を輝かせるそれは、やがて〝狼〟を模した煌めきと成り天を貫いた。


      

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