8章 アンダードッグ-中編
翌日。拓哉は夕暮凛々子から未が病院に運ばれたと聞かされる。
(きっと元気だと思うけど、これでも一応あいつの幼馴染だし。そうじゃなくても、クラスメイトとして行って、風当りの調整くらいしないとあとで非難されそうだし! そう、これは礼儀。顔を見るだけ!)
拓哉は一人でお見舞いに行こうとするが、何故か夢夜とカルミアも付いてきた。大所帯になってしまい、少しだけ恥ずかしがりつつも、彼女の元を訪れるのだった。
拓哉はそれ以来、二日に一度のペースで彼女を見舞い、また学校からの配布物を届けていた。
その日も彼は病院に訪れる。ふと、病院の目の前にある公園に視線がいった。
その公園には遊具や屋根付きの休憩スペース、噴水や花畑があり、映えのあるスポットだ。
人気の場所だったが、数か月前に起きた女子高生の交通事故により、以前より人はまばらであった。
病院と公園を繋ぐ横断歩道、信号機の下には季節外れの向日葵が一輪添えられていた。
拓哉はそれに向かって軽く手を合わせてから、足早に幼馴染の元へと向かう。
「そういえば。ほかのクラスメイトは? 未ならたくさん来そうだけど」
「え、と、えっへへ。………………面会謝絶にしてる」
恥ずかしがりながら、他者の好意を切りすてる言葉を口にし、拓哉は呆然とする。
彼女は、彼が思うよりもずっと強かだったらしい。
「あんまり、『弱いところ人に見せたくないな~』って思ってて。あっ、たっくんはいくらでも見ていいからね!? 手首の傷も見る!?」
「こわ。やだ、見ない」
拓哉が断ると未は枕を顔にあてる。彼女は行き場のない思いをどうにかしようと唸っているようだった。そんな姿を見て、彼は疑問を投げかける。
「未は、どうしてそんなに僕のこと気にかけるの?」
「好きだから、だよ。ずっと一緒に居たい。辛いのも悲しいのも、楽しいのも、たっくんとなら分かち合いたい。いまもこうして二人でおしゃべりできてるの、すごく嬉しいんだよ」
未は拓哉の言葉に顔を上げると、はにかみながらそう答えた。
(よくわからない。他人は簡単に裏切るし、何かと比較して蔑んでくる。勝手に目の前からいなくなって、助けてほしい時に助けてくれない。それは――)
「それは、僕が、なんにも持っていないから……」
「……?」
(何も持っていないから、認めてくれない。何も持ってないから、愛してくれない、信じてくれない。それでも、無価値な自分を気にかけてくれる子が、確かに目の前にいる)
目を伏せて思い悩む彼に、未は優しく声をかける。
「たっくん、急にどうしたの。大丈夫?」
(いつも未のこと突き放すくせに、気になって、こうして見舞いに来るの矛盾してる。――けど……)
「なんでもない。……未が無事で、こうして話ができてよかった」
その後。夕暮未が退院してからというものの、不思議なことが起きて、困惑する拓哉だった。
「なんで? 私は相沢君と一緒に帰りたいから、だめかな?」
彼女の言葉に違和感を覚えつつも、二人は同じ帰路につく。
「小学生低学年のときは一緒に帰ったり、ときどきサッカーのパス練習してたよね! 私蹴ろうとしたら、空振りして転んじゃってさ。たっくんものすごい速さで走ってきて慰めてくれて、あの時は素直で可愛かったな~」
「大げさなんだけど。可愛くないし、そんなことよく覚えてるね」
すらすらと言葉が出てくることに不審に思いながらも、拓哉は相槌を打つ。
彼女の話す内容は拓哉もなんとなく覚えており、事実なのだ。
「そうだ!! たっくん、私との約束覚えてる?」
「約束……もしかして、『将来、結婚する』って話? 子どもの冗談でしょ。あんなの無効だよ」
「冗談にも無効にもしないで。私の気持ちはずっと変わらないもん!」
「ハイハイ、人の気持ちは環境や経験で変わるんだから」
頬を膨らませて自信たっぷりに好意をぶつける未。拓哉はそんな彼女のことを適当にあしらう。
怪我をして価値が無くなり、周りから見放されたことを思い出しながら歩く彼は、相当に拗らせていたようだ。
「そんなぁ。もしかして、たっくん他に好きな子できて、嫌いになっ――」
「そんなわけないっ!!」
足を止めて涙ぐむ未の言葉を断つように、拓哉は否定を口にしていた。反射的だったため大きな声が出てしまい、彼女も、言った彼自身も驚く。
「っ……ごめん。忘れて」
「私のほうこそ、ごめんなさい……」
謝罪するものの気まずくなってしまい、二人は無言のまま帰宅する。
翌日。拓哉は学校に行くと、未から声をかけられる。
しかし、先日の会話を引きずっている彼はぎこちなく返答するのだが、『なんで、そんなに驚いてるんだろう?』とした顔をされてしまい、面食らうのだった。
放課後になると、拓哉は散歩がてら、商店街、河川敷、普段は利用しない大きな駅へと足を運ぶ。
以前と違和感のある未のことを考えて歩みを進めていたが、なんの収穫もなくただ体力だけを消耗する結果に終わる。夕日が沈んでいくなか彼は家路へと急いだ。
帰宅すると、廊下には取っ組み合いをしている居候二人。そして、未がいた。
拓哉は三人に向かって声をかけると、未は丁寧に挨拶を返す。
「お邪魔してます。その、今日だけお泊りすることになったの」
遠慮気味に説明する幼馴染と、いまだ膠着状態のカルミアと夢夜に視線を移すと、
「あ、そ――いらっしゃい」
社交辞令を言い放つ。冷めた歓迎をした彼は、渋滞する廊下を超えて自室への階段を昇っていく。
(未がいるのに。人前で恥ずかしくないのかな、あの人たち)
制服から部屋着に着替え終わると、一階のリビングに行く。未はすでに食卓の椅子にかけていた。
拓哉はテリトリーでもある自分の椅子に座る。隣の彼女は、並べられた御馳走に釘づけのようだ。
(正月のおせちも気合い入ってたけど、このケーキ風ちらし寿司もすごい。未がいるから豪華にしたのかな。こどもの日なんか買ってきた柏餅食べるだけだし)
ちょっとした不満を心のなかで思いつつ、スマートフォンのカメラを起動して写真を撮っていく。
スフレ風ホットケーキ以降、凝ったものが出てきた時は写真に残すようにしていた拓哉。
不意に、隣からの視線に気付いて口を開く。
「……なに」
「えへへ、なんでも~? あとで写真送ってね!」
「ん。まあ、それくらいなら」
(うわ、癖でやっちゃった。ガラにもないとか思われたかも。はずっ……)
拓哉は自身の意思とは反して、顔が火照っていた。
夕食を終えると、カルミアの発言で映画鑑賞をすることになった彼ら。
お菓子パーティーも兼ねているようで、拓哉とカルミアは近くのコンビニに買いに向かう。
「拓哉、将来の夢とかってありますか?」
「え、なに急に。そんなの……ないけど」
信号待ちをしていると、普段の彼女からは考えられない話を持ち出されて困惑する拓哉。
以前は恐ろしく不吉な雰囲気をまとっていたため、距離を置いていた。
しかし、ここ数か月は我儘かつはしゃぐ姿に慣れてしまい、気軽に話すようになっていた。
彼女はニート生活を決め込んでいた時期があったのだが――、『僕も学校なんか行きたくないのに、自分勝手にこんなだらだらして……!!』と恨めしく思ったが一番の要因だろう。
拓哉なかで、カルミアへの評価は夢夜と同等になっていた。
「では、マイスターの夢は? 将来の、やりたい事とか願いとか聞いてませんか?」
「知らない。お互いそんな人生相談するシュミないし。直接聞けばいいじゃん……カルミアさん、なんかあったの。もとは兎だから、へんな物でも食べちゃった?」
「食べてません~!! 直接言えないから、拓哉に聞いてるんです! それに、私の仕事が終わりそうなので、言いづらいといいますか……」
「うーん。気にしなくていいんじゃない? やっとゴーストうんぬんと無関係になるんだし。逆に『やっと解放されたぜ』みたいなパーティしそう」
「はは~、殊勝な心がけですね。私も、慰労と称して、可能な限りお礼をしたくて。それが終わったら、――あの家を出て行きます」
少しだけ目を伏せるカルミアに、拓哉は一瞥する。一応、彼女にも別離の寂しさはあるようだ。
「僕はべつに、残ってもいいと思うけど。母さんたちも、行く宛てない人に『出ていけ』なんて言わないから。それに……いー兄、カルミアさんと一緒だとなんか楽しそうだし、居なくなったら困るかも」
彼女の思いを汲み取ったのか、拓哉はそう言うと、信号機が青に変わった横断歩道を渡りはじめる。
「……はは。それは、悪いことしますね」
幼く不器用だが、誰かと似たような優しさを見せる少年。面と向かって語りはしないが、当たり前に、会話のなかでさりげなく未来の話をする。その後ろ姿を見ながら、カルミアは足早に後を追うのだった。
三月下旬。春休み。
図書館で調べものをするついでに、以前、未が入院していた病院の通りを歩く。
その通りは入院患者の憩いとして、桜並木が広がる。
だが、信号機の傍に、逆さ三メートル、幅六十センチほどの黒い影が佇んでいた。
夏休み前に起きた肝試しの記憶が蘇り、拓哉は血の気が引いていくのを感じていた。
自分の心臓の音を拾っているようで、耳奥にどくどく音が響く。意を決して、突っ切ろうと一歩踏み出す。
しかし、視線を合わせず食い入るように足元を見ていても、それは誘うように拓哉に〝声〟をかける。
「――__――==!?」
「……っ!!」
拓哉は反射により、歩みを止めてしまった。背筋が凍る緊張感、悍ましさのかたまりが迫ってくる気配を感じ、目を瞑る。
「……? いたく、ない?」
拓哉は恐る恐る目を開けると、辺り一面に霧がかかっていた。『もしかして、死んだあと!?』などと思って慌てふためくが、不意に声をかけられて心臓が跳ねた。
『終焉……終幕が近い。故に、清算をしに参った』
そして、少しだけ懐かしさを感じる〝それ〟により、脅威は排除されたのだと悟るのだった。
目の前で溺れて、無慈悲に水の底へと沈んでいく父親。
血塗れになりながら、細い腕に自分を抱き寄せて微笑んで、そして目を閉じる母親。
二人の遺影を持って――泣いている自分がいて――それで、
目の前に――彼の姿があった――……
大好きな母親と手を繋いで歩いて、数メートル離れて後ろは■■■が後を歩く。
あの人はどこか少し怖いところがあるけれど、とても優しくて、泣いていたら駆けつけてくれる。
ヒーローみたいな人――でもその表情はいつも悲しそうで、辛そうに見えた。
ある日のこと。その日はとても晴れていた。
サッカークラブの試合の帰りで、そこの横断歩道は視界がひらけていて、信号機も赤だったのを覚えている。
ただ、青に切り替わるのを待っていただけなのに――
強い衝撃を受けて、痛くて熱くて寒くて体から力が抜けていったのが最後だった。
拓哉は眠っていた記憶を呼び起こされ、頭を殴られた感覚に陥る。込み上げてくるものをなんとか手で抑えると、臆することなく異質なそれに訊ねた。
「なに、こ……れ?」
『愚生はあ奴の、夢夜の〝守護霊〟なるもの』
「何言ってんの……? ワケわかんないよ」
『懺悔のため、君の傍らに居た。――君の父親を奪った罪。生涯をかけて償おうとしていた』
難浪夢夜の願いは『相沢拓哉という人物の幸福』――。
それは〝責任〟による情が多くを占めていたような懺悔に近い。
それでも彼にとって、大きなことを成せずとも、負い目を感じていても――少年を支えるヒーローになれればよかったのだ。
「……ははっ。何それ、重すぎでしょ」
いままで何かに邪魔をされ、つっかえていたモノの正体がようやく分かった気がして、拓哉は嘲笑う。
彼の直感は、ずっと夢夜を〝うさんくさい人間〟〝不自然な存在〟だと告げていたのだ。
「要するに、可哀想だからって、ずっと嫌々家族ごっこに付き合ってたことでしょ!」
『概ね是である。しかし、そこに厭う気持ちはあれど、憎しみはない』
「どうだか! 内心邪魔だと思ってずっと一緒にいたに違いないね!」
『あ奴が一度でも君を見放したか。愚かにも自身に科した定を投げ出したか。記憶を書き換えてもなお、君の傍にいる道理は考えたか』
「っ……!!」
『はじめは愚生も〝役割〟だと決めつけていたが、次第に考えを改めたのだ。……〝見守る〟というのも、寄り添って生きていく〝愛〟というかたち。あ奴からみれば家族の絆である』
伯奇の圧に、拓哉はきつく唇を結ぶ。
従兄は煩わしいほど付きまとい、お節介を焼いていた。拓哉の冷たい言動に呆れることはあるが滅多に怒らず、喧嘩による流血沙汰になることもなかった。
――そこには優しさなんてものは無く、在るのはただの贖罪。
――あの日、両親を失った心の叫びで、〝難浪夢夜〟という存在をさらに地獄へと叩きつける。
自身への失望。偽物の環境に、拓哉はぽっかりと穴が開く気持ちになっていた。
すべて用意されたとはいえ、安住の地で目の前に問題に立ち向かいもせず不満をいう姿は、なんと滑稽だっただろう。何も知らずにわがままを言って過ごしていた自身に、拓哉はかつてないほど自己嫌悪する。
難浪夢夜の背負っていたものに比べれば、愚かで矮小だった。
「でも根っこは変わんない。そんなのなんかで、そばにいてほしくなかった。僕がいるかぎり、あの人が幸せになることなんてないじゃん」
『ならば、捕らわれる前に己の約束を果たせ。それであ奴の願いは成就する』
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