7章  バーニングラヴ-後編

 zzz


 翌日。教室での出来事。

 未は拓哉に声をかけるが、彼は何故かぎこちなく不自然に接してきた。

少女は疑問に思いつつも、その日はあっという間に時間が過ぎていく。

未は学校から帰宅すると、自身の家の戸締りを確認してから、必要なものを持って隣の家に向かう。

インターホンを押すと、中から拓哉の従兄である難浪夢夜が玄関を開けて招き入れた。

「夢夜さん、こんばんは」

「こんばんは。未ちゃん、いらっしゃい」

 快く出迎えてくれる夢夜に挨拶すると、未は用意されたスリッパに足を入れた。

「今日は泊めてくれてありがとうございます! よろしくお願いします!」

「よろしく。そんなかしこまらなくていいからな。あと、寝る部屋は和室でいいか?」

「はい。大丈夫です」

「じゃ、荷物はそこに置いて。えー、拓哉はいま外出てていないけど――」

 二人は廊下を歩きながら案内していると、廊下とリビングを繋ぐドアの前で、左手でフライパンを持って仁王立ちをするカルミアがいた。

 興味と侮蔑をまぜた表情で夢夜に問う。

「あらまあ、マイスタァ? とうとう思春期の少女にまで手を……いやあ不潔ですねえ」

 開口一番、カルミアは挑発を言葉にする。心なしか、毒が含まれているようだ。

「はあ? カルミア、お前忘れたのかよ。今日は未ちゃんが来るって伝えただろ?」

 夢夜は彼女の心境を知るはずもなく、事実についてのみ返答をする。この男はどこまでも鈍感だった。

 呆れた夢夜は、彼女の隣を素通りする瞬間――、

「うおっあ、ぶっ!?」

 彼からは見えないが、口元を〝くの字〟にしたカルミアが背後から飛びかかったのだ。

 衝撃に驚いた夢夜は、そのままうつ伏せに倒れ込む。

 カルミアは、肘をついて起き上がろうとする彼の腕を足でホールドすると、アームロック『腕ひしぎ十字固』が決まる。左手は鉄で作られた調理器具を持ったままである。

 どうやら肉を炒めているらしく、香ばしい香りと、じゅわじゅわと音を立てている。

「私という女がいながら――マイスターは年下が好きなんですか? 若くて可愛いですもんねえっ!」

 その言葉と同時に彼女は力を込めて腕を締めると、夢夜はつぶれた声を出す。

「先日の愛の誓いは?」

「誓ってないし! 誓ったというか、契約したのは雇用という主従だし。てか、それを愛というなら重いッ!」

 未は二人に視線を向ける。以前、拓哉から『居候が増えた』と聞いて存在は知っていたが、怪我の見舞いで初めて対面したのだ。彼女なりの愛情表現なのだろうか、好きな子をいじめたい心理なのだろうか、未をさし置いて茶番が繰り広げられる。

 動物が甘噛みをしているように――カルミアが夢夜に甘えている様子を見て、思いきって声をかける。

「夢夜さん、カルミアさんは…………ただ、きっと、妬いているだけかと」

 熱せられたフライパンを夢夜の頬に乗せようとするカルミア。

 タイミングが悪く、攻防の真っ最中だった。『やく』の意味を誤解した彼は、目を丸くして叫ぶ。

「焼くっ!? こいつが今焼こうとしているのは俺の肌だろッ!」

「あっはっはっ! 今日のお肉は人肉です~~!」

『人肉』という聞きなれない言葉で思春期の少女は口を開けて動きと思考を停止させた。

「笑えねええええっっ! やめろカルミア、未ちゃんフリーズしてんぞ!」

 ぎゃあぎゃあと騒いでいるところに、学校から帰宅した家主が呆れた声が響いた。

「なにしてんの。あんた達」

 拓哉は荷物を持って私服姿で立っている未に視線を向けて、そのまま疑問を投げかける。

「なんで未がいるんだよ」

「お邪魔してます。その、今日だけお泊りすることになったの」

 未が遠慮気味に説明すると、拓哉は仏頂面でカルミアに拘束されている夢夜へと視線を移す。

夢夜は保護者というだけであって、家主代理は拓哉である。

本来、許可を取らなけれならないのは拓哉なのだ。もしかしたら、不満に思っているところがあるかもしれないと身構えたが、

「あ、そ――いらっしゃい」

拓哉は、素っ気なく言うと階段を上がって自室に行ってしまう。

 

 未は案内された和室に荷物を置くと、リビングに向かった。

 彼女はキッチンにいる夢夜とカルミアの手伝いをしようとするが、ほぼ準備は整っているらしく、椅子に座って待つだけになる。

 少しして、二階から部屋着姿の拓哉が降りてくると、未の隣の席に腰を下ろした。

 食卓の上には、蓮根ハンバーグ、はまぐりの潮汁、漆の皿に盛られてた桜餅、ひなあられが並ぶ。

 メイン料理は食材により層が分かれたケーキ風ちらし寿司。キュウリや海苔がはさまれているようだった。表面はいくらや錦糸玉子、桜でんぷとエビが散らばり、薔薇に模したサーモンが中心に飾られる。

(す、すごい。ネットに載ってる映えのあるご飯だ……!!)

 招かれた少女は心のなかで絶賛していると、隣から数回シャッター音が聞こえ、顔を上げる。

 拓哉はすまし顔でスマートフォンに食卓の写真を撮っていた。意外な一面を目にし、未は頬が緩む。

「……なに」

「えへへ、なんでも~? あとで写真送ってね!」

「ん。まあ、それくらいなら」

 少し顔を赤らめつつも、あっさり了承する拓哉。、普段とは違う彼を見て、特別感に浸る未だった。


「夢夜さん、おいしかったです! そういえば今日、ひな祭りでしたね~」

「ありがとう、喜んでもらえてよかったよ」

 食後。カルミアの提案で映画鑑賞をすることになった彼ら。

 当の本人と拓哉はお菓子を買いにコンビニに行き、残った夢夜と未は後片付けをしていた。

「で、あの、聞きたいことがあって……カルミアさんのことなのですが――」

 その発言に、夢夜は身構える。以前にも彼女について問われ、トラブルになっていたからだ。

(もしかして、この子もどこかでゴーストの……)

「お二人の出逢いはどこで? どのような関係なんですか、もしかして付き合ってたりするんですか!?」

「うおぅ……ぐいぐいくる」

 杞憂だった。夕暮凛々子の要素をしっかり持っている彼女に、夢夜は少しだけたじろぐ。

「ええと、去年の春からで、仕事の同僚みたいな関係? 付き合っては――いないよ」

「はわわわ、その様子!! もしかして片思いでしょうか!? アタックしましょう、応援します!」

「いやいやいや……。そりゃ、まあ、他の女性より気心知れているのはあいつしかいないけど」

「カルミアさんも、きっと夢夜さんのこと魅力的だと思っていますよ!」

 きらきらと目を輝かせる未に押され、夢夜はカルミアのことを思い浮かべる。

 彼女は等しく魂を奪うと云った。その時の、諦めた表情が鮮明に蘇る。

(どうなるかは分からないけど、カルミアの言葉が事実なら『ここで起きる事すべて、意味が無いもの』になる。年末のアレも、ただの気まぐれで悪戯だったのか。でもあのシュシュ渡した時は、素で喜んでいたように見えたし……)

 彼女が欲しいものが思い出と解釈すれば『天然のオーロラを見に行くこと』は絶対に成就できない願いになってしまう。

(オーロラ云々よりも、先に俺が――)

「あー、うん。俺が好意を伝えても困らせるだけだよ、きっと」

 夢夜は思考を止めて、わざとらしく笑みを作る。やるせなさと哀しみをともなう彼の表情を目の当たりにした未は、それ以上追及することはできなかった。

「……じゃ、じゃあ! 私の恋の応援をしてください、お義兄さん!」

「未ちゃん、もしかして〝おにいさん〟の意味違うね? 気早くない?」

「私はゼッタイ、たっくんと結婚するので! 約束かつ夢なので!」

「そ、そうなんだ。拓哉も前より愛想よくなったと思うけど、考えてることちゃんと言葉にしてほしいもんだ。言ってくれないと分からないし」

「ほんと、それです! 学校でもクール塩対応なんですよ。ちいさい頃は明るくてかっこよくて素直だったのに、なんであんな――」

 そこで、本能は違和感を覚えて言葉が詰まった。『なにかが、違っている』と感じてしまったのだ。

「未ちゃんにも、か……苦労させて悪い。まあ、でもあんな事故があったんじゃ無理もない。追っていた夢が断たれたんだ。俺は見守ることしかできないけど、君が支えてくれると心強い」

「と――当然です! 任せてください、お義兄さん!」

 夢夜から助力を求められた未は、先ほどの違和感を振り払い意気込んだのだった。


 zzz


 あの後、未はコンビニから返ってきた彼らと交代してシャワーを浴びてから、風呂上がりにスイーツとお菓子を空けて映画鑑賞をはじめた。

 ローテーブルに食べ物がところ狭しに置かれ、懐かしい光景に、未は幼少期を思い出す。

(昔もこんなふうに子供向け番組一緒に観てたな。嬉しいな……)

 そんな夜更かしをしたあと、用意された布団に入ると、太陽の温かい匂いに誘われて瞼を閉じた。

「―――って、寝れるかいっ!」

 が、少女は勢いよく飛び起き上がる。

 結い解いた長い髪の先端は焔色に染まっていた。ドッペルゲンガーの登場である。

「あのピンク髪と青髪がいると、私が出ていけないな」

 敵陣といった方がしっくりくる空間に、彼女は警戒心を抱く。

(あの青髪の男と会話した時のヘンな感じは何? ホントはもっと目も当てられなかった、はず――?)

「……そう、ホントは、もっと、アタシたちの心も痛かった……」

 違和感の正体の手がかりを求めて、ドッペルは本体の深層心理を探ることにした。


 そこは画廊――。絵画の代わりに〝夕暮未〟の生涯の写真が大小問わず展示されていた。どうやらその空間は、俯瞰して過去を見ることができるらしい。歳をとるにつれて、奥へと進んでいく。

 誕生。姉である凛々子からの名づけ。引っ越し、相沢拓哉との出逢い、小学校入学式。

 相沢家と夕暮家、そして難浪夢夜を連れての行楽。小学四年生の林間学校。

 ところどこに、日常の風景や、拓哉のサッカーを見たり、練習に付き合ったりする姿があった。

 小学五年、十歳――その先は霞がかかり、路が途切れていた。

 画廊が、記憶が、意図的に切り取られているようで、少女は怪訝な顔をする。 

 彼女はなんとか通り抜けようとするが、一瞬で同じ場所に戻された。

 納得のいかない結果に思わず舌打ちが漏れ出てしまう。

  その後、何度試しても状況は変わらず、諦めて深層心理から現実へと戻ってくる。


「いったいなんだったんだろ。ナゾしかなかったわ」

 ひとまず過去の事は置いておいて、今できる事をしようと模索する少女。眉を寄せて悩み、そして、

「ハッ……もっと過激なことをするべき? 既成事実とか!?」

『名案だ! それしかない!』とでもいうように彼女は膝を叩いた。和室を離れ、ドッペルは音を立てないように廊下を歩き、二階へ続く階段を上がろうとした時、

「どうしたのかな?」

 小声だがはっきりと聞こえた言葉によって動きを止める。

「いや、どこに行こうとしているのかしら、ゴーストさん?」

 言い直す。どうやら目の前にいる女性にとっては人間の行動が筒抜けらしい。

 ドッペルは彼女の風貌を下から上まで視線を動かす。海醒と似たような雰囲気が感じられた。

 直感に頼り、ドッペルは疑問を投げかける。

「アンタか? 海醒サンのいう同業者ってのは?」

「誰ですそれ? そんな名前、初めて聞きました」

『そんな』と、少しだけ卑下を含めた言い方。

 そして、微笑みつつも表情を曇らせた瞬間を見逃さなかったドッペル。

 目の前にいるカルミアが〝ウサギ〟だと確信すると、少女は続ける。

「うんうん。あんたのコトも聞いたよ、ウサギサン。なんでも昔に想い人を失っているとか。いやあ辛いねえアタシだったら――あの子だったら悲しくて死んじまうなあ」

「……その話題は嘘八百なので信用しないでくださいね。風評被害って嫌ですねえ」

 笑みを絶やさず圧をかけてくるが、怖くはない。

「アンタ冷血無慈悲って聞いていたけど、全然違うね――あの夢夜サンに惚れて骨抜きにされてしまったんじゃない? 昔の男は忘れて夢夜サンに乗り換えちまえば楽だし!」

 それは海醒から聞いた内容。素直に想いを告げられない彼女に対する嫌がらせであり、挑発だった。

 ――しかし、それは決して触れてはいけない領域――

  ずしんと一気に空気が重くなり、地鳴りがしたと思った瞬間――ドッペルは赤で塗られた空間に立っていた。円環から流れる液体は、静かにゆっくり大地に浅瀬を作り続ける。

 少女は捻じ曲がった願いにより今の姿を得ているが、それでも眼前の〝虚〟に怯んでしまう。

 全身は漆黒に染まり容しか分からず、赤い双眸らしき光が少女を見つめる。

【「傲岸不遜。余程、己の命が軽いと見える。頭を垂れて、慈悲を請うがよい」】

 低くくぐもった不協和音が脳内に響く。

「ッ――アタシが生き残ってれば、夢夜サンの願いを叶えられると思うんだけど」

 〝それ〟は止まる。〝それ〟が知らない、〝彼〟の願い。

 ■■■■には言ってはくれなかった本音を、少女は知っていると云う。

「海醒サンから〝終わり〟を聞いた。『アタシたちと相沢拓哉を見逃す』だけでいい。それだけで、あの人の願いは叶う!」

【「確たる証も無しに語るとは――」】

「ははっ! そんなに偉そうなのに自信ないワケ? アタシの言葉より、夢夜サンを信じなよ!!」

【「――…………その豪胆果断に免じて赦す。しかし、定違えば疾く戮す」】

 図星だったのだろう。恐れずに啖呵を切るドッペルに言葉を残して、〝それ〟は闇に紛れて消え去る。

 結界が解かれ、彼女は相沢家の一階の廊下に突っ立っていた。

「……とりま、助かった? おっかな~~。今回は手出すのやめとこ」

 緊張から解放されたドッペルはその場に力なく座り込んでしまう。

 廊下の一角。壁のなかを、一羽の兎が跳ねて去っていく影があった。


 「マイスター……貴方の願いは、夢はなんですか? 私に叶えられるものでしょうか……」

(もし別れてしまうなら、最後に貴方の夢を成就してから――。お互い、後悔のない終末を選びたい)

 兎は眠っている夢夜の枕元に寄り添うと、彼の温もりを感じながら目を瞑った。

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