7章  バーニングラヴ-中編

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少女はゆっくりと瞼を開ける。

目に入ってきたのは辺り一面白を基調とした室内で、自分一人だけ。

部屋はそこそこ広く静か。独特の雰囲気を考えると、病院に運ばれたのだと確信する。

ベッドの隣には、背の高い扉付きの収納が備え付けられていた。

テレビ台の近くには電子時計が置かれており、《二月十日――午前二時》を表示している。丸一日眠っていたようだった。

 そして、電子時計の底にはさまれている便箋を手に取り、照明を抑えて読むことにする。

《愛する未へ。出血多量でどうなるかと思ったけど、大丈夫そうで安心した。あ、ぬいぐるみとお菓子とか差し入れしようとしたら看護師さんに断られちゃったから、持ち帰るわぁ。収納棚の冷蔵庫にスポドリとお茶入ってるから飲んでね~~。早く良くなってね。 by妹推しの姉より》

 彼女自らの意志で切った患部には包帯が綺麗に巻かれていた。それを乱暴に振るのだが、特別痛がる様子は見られない。深呼吸にも似た長い溜息のあとに、少女は口を開く。

「は~~~~~~~~……。まったく、あいつは意気地が無いなあ。消極的かつ内向的、そのうえ利他的の三拍子。だからあの鈍い拓哉にも分かってもらえない。だいたい、可愛いからなんでも許してもらえると思ってるところ、我ながらウザいなあ――」

「〝あんた〟は表のあんたを相当毛嫌いしてたんやな」

「ンン~~~~。アンタ誰?」

 突如として現れた海醒蛇顎は自然な流れで、夕暮未の独り言に声をかける。鮫のような風貌に、齢十三の少女は躊躇うだろう。――だが、彼女は眉間にしわを寄せ、くだけた口調で返す。

「ウチの名前は海醒蛇鰐。よろしゅう」

「アタシはもう一人の夕暮未。ドッペルゲンガーの未ちゃんだよ」

 ドッペルゲンガーと宣うその少女は、にやりと笑う。

「弱っちい表のあんた見てたんやけど、あんたは影響を全く受けへんなあ」

「影響ってか――あの子みたいに、弱く鳴くのは性に合わないの」

 普段の彼女なら一人で悲鳴をあげ怯える状況に対し、この少女は自身をあの子と呼ぶ。ときどき、本来の彼女ではありえない言葉使い。

「ドッペルって呼んだほうがええか?」

「好きに呼べば。アタシはあの子と違って繊細じゃぁないからな」

 夕暮未のドッペルゲンガーは、落ち着いたピンクベージュの先端を焔のように染める。

「ならドッペルちゃん。あんた、どないしてそうなったか分かっとるん?」

「裏の自分が、こうして表に出てこられたコトを言っているの?」

もう一人の自分。二重人格、内なる存在。

二つの自己が存在するといえば、フィクションとしては格好良いのだろう。

しかし、これは意識の乖離ではなく、魂の分離であった。以前、廃遊園地でゴーストに声をかけてしまった時の影響だろうか。

 表の未、裏のドッペル。だが、その分身は本来の役割をせず、本体を乗っ取ることにした。

「ちょっとだけ、暴れてみようかと」

 未の顔で意地悪そうな表情をするドッペルは、海醒にそう答える。そして、

「ま、乗っ取るといっても一時的なものだけどさ。こっちで見てても全然進展しないんだもん」

「ホンマ。進展せえへんと、腹立つのようわかるわぁ」

 少女は、明るく歳相応の振る舞いに切り替えると、海醒は頷く。

 だが、彼女の含みのある言い方に、ドッペルは少しだけ怪訝な顔を見せる。

「そうさなぁ、ドッペルちゃん。ちいとウチに協力せえへん?」

 海醒の勧誘に、未のドッペルゲンガーは何かが引っかかった。

 本能は、〝海醒蛇顎〟の存在を快く思っていなかったらしく、強く拒もうとする。

ドッペルは別に本体に危害を加えたいわけでも、損をさせたいわけでもない。

 だが、他者に利用されるとなると、外敵からそれを護るのは必然だった。

「なにソレ、しないしない。メリットなさそう。アタシはあの子の願いを叶えなきゃだし」

「……そか。なら仕方あらへんな」

警戒を隠しつつドッペルは興味が無いように言い放つと、海醒あっさり身を引いた。

「なら、伝言だけ頼まれてくれへえん?」

「伝言? 誰に」

「職務怠慢のクソうさぎ女に――」

 海醒が頬を上げて笑うと、鮫の牙を見せながら告げる。


 夕暮未は大事を取って二週間入院した。突発的に精神が不安定になり、また自傷行為をすると判断されたためだ。そのおかげで、バレンタイン行事を逃してしまう。

「うう~~。今年こそはダミエケーキのリベンジできると思ってたのに……」

 彼女は毎年スポンジが市松模様のケーキに挑戦していたのだが――、生地が硬かったりゆるかったり、塩気が多く含まれていたりと問題が多かった。

 また『バレンタインにホールケーキは重い……』と拓哉本人から言葉をもらってしまったため、カットして贈ろうとしたのが、去年のバレンタイン。しかし、いざカットしてみると模様がひどく挫折する。

 結果、市販品を渡すというのが恒例行事だった。

動画やレシピ通りにやっても、何故かうまくいないのだ。彼女は去年までの出来上がりを思い出し、

「! もしかして私……料理下手? 夢夜さんに弟子入りするべき?」 

 致命的な欠点に気付いたようだった。未は自身の才能、あるいはセンスのなさに落ち込んでしまう。

(バレンタインじゃなくても、別に機会に渡そう。たくさん練習しよう……)

 そんな後悔を残しつつ、あっという間に二週間が過ぎていく。

 そして無事に退院すると、再び桜野山中学校に通うのだった。


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  三月一日。

「……大掃除をします」

「はい? 急になんですかマイスター」

休日二日前――木曜日の朝の話である。

 拓哉が学校に出かけた後にすぐインターホンが鳴り、夢夜は不審ながらも玄関のドアを開ける。

 相沢家の前にはパンツスーツを着こなした細身の女性――夕暮未の姉である夕暮凛々子が、そこに居た。セミロングの落ち着いたピンクベージュが揺れる。未とは歳が八つ離れており、短大を出てすぐに就職をし、会社に揉まれながらたくましく社会を生きる人だった。

 彼女は拓哉の保護者である難浪夢夜に頼みごとをすると、都心の方角へ走って行く。

その頼みごとの内容と大掃除の理由は、

「拓哉の幼馴染みが泊りに来るから、部屋の掃除をします」

 というものだった。なぜか、マスクをして、頭はバンダナを巻いている。

「部屋? 他に部屋なんてありましたっけ?」

「実は一階に、物置部屋と化した和室があるんだ」

目を反らしながら告げる夢夜に、カルミアは指摘する。

「おっと! それは聞き捨てなりませんねえ!! 私、十一か月もの間マイスターのベッドとリビングのソファでご就寝ですよ!?」

「俺も自分のベッドと、リビングのソファで寝てたけどな!!」

 相沢家のリビングにあるソファベッドは、それなりに触り心地が良い材質だ。

 カルミアは最初の頃は陣取ったリビングで寝ていたが、気分転換と言って夢夜のベッドを利用することが少なくなかった。追い出された彼は、一階のソファベッドで眠ることを余儀なくされる。

 文句を言ったことがあったが、部屋の真ん中に置かれた寝床より、狭い部屋の隅に置かれたベッドのほうが性に合う。などと言い始めて決着がつかなかったのだ。

 しかし、彼女が何故和室にそこまで反応するのか夢夜は分からない。和室が好きなのだろうか。

「で、どのような部屋なんですか?」

「これ着けてくれ、開けられない」

 夢夜はカルミアにマスクを渡し、装着するよう促す。そして、口を覆ったことを確認してから、彼はがたつく襖を開けた。

「うっわあ……」

 薄暗く、数多くの物影があった。湿気を含んで腐った様な木材の匂いが鼻腔を刺激され、嫌悪を隠し切れずカルミアが嫌そうな声で感想を述べる。

 壁に備え付けられている照明にスイッチを入れると、それは役割を果たした。

 明るくなった室内を見渡すと、家具に埃が積もって物置状態。窓は閉めきっていて太陽の光が届かず鬱蒼としていた。

 額縁に入れられたサイズの大きい絵画や洋風の豪華な作りの椅子、中身が入った段ボールが積み重なり、重力によりそのフォルムを直線から曲線に変えて崩れかかっている。

 本がぎっしり入った本棚と、ルームランナーや筋肉トレーニング器具といった重そうな物まで詰め込まれていた。座卓テーブルは壁に立てかけられ、一番隅に置かれていた。

「こういうのって誰が使っていたんです?」

「俺も気にしたことなくて、今さっき一度確認したばっか。きっと拓哉のご両親じゃないか?」

 カルミアは、近くに落ちている木彫りの仏像を転がしながら、『フーン』と短く相槌をうつ。

 既にやる気はないらしい。理矢理巻き込んでから仕方ないのだが。

 ここで人手を逃がせば自分一人でやるはめになるため、切り替えようと夢夜は声を上げる。

「とりあえず!! 必要なものは取っておいて、そのほかは全部、廃品回収にまわすぞ」

「全部って……床見えないくらいに物で埋まっているんですけど」

 カルミアは雑にコメントした後、マスクの下で長い溜息を吐いてから続ける。

「私こんな面倒くさいのはパスです。やりませんよ」

 くるりと身を翻してリビングへ戻ろうとするが、

「カルミア。これが終わったら高級ジェラートアイスとドーナツを二つずつ与えてやろう」

「さあさあ!! なんでもかかってきやがれです!!」

 スイーツにつられたカルミアは埃被った部屋に突撃する。

「ちょろすぎんだろ」

 ぼそっとツッコミを入れてから、夢夜は腕の袖を捲りながら参戦する。

 二人ははじめに窓を開けると、換気をしつつサイズの大きい家具や装飾、段ボール等を外に運び出すことにした。しかし、運搬作業数分でカルミアが根を上げて文句をいう。

「はーなんか面倒ですね。ちょっとエネルギーもとい魔力を使おうかなっと!」

夢夜の『魔力ってなんだよ。お前そんな設定ないだろ』という指摘を無視して、カルミアは鳥獣戯画風の兎を三体呼び出す。

「外からこれ見えちまうんじゃないか? 平面絵画の兎が動いているとか、不気味過ぎんだろ」

「家の周りに結界張っているから大丈夫です~~~。ヘマしません」

兎らは無言で荷物を外へ運び始め、四十分ほど時間をかけてようやく室内に物がなくなる。

「こんなに広かったんですね~~」

 カルミアは膝から下を煙のようにし浮遊すると部屋の中を見て回る。

何もなくなった和室は八畳くらいの広さがあった。

 しかし、開放的にはなったが、快適とは呼べないこの空間を今から掃除していくのだ。

 夢夜は外に出した大量にある調度品や嗜好品を片付ける苦労を比較すると、部屋は一人でも清掃できそうだと判断し、カルミアに声をかける。

「ここからは手分けして作業するぞ」

 カルミアは和室の掃除、夢夜は戯画兎たちと家具の整理にとりかかる。

 浮遊できるカルミアは和風のペンダントライトをはじめ、天井や壁をハンドモップで埃を取っていく。

 はたきでは埃が部屋中を舞ってしまい掃除の効率が悪くなるため、モップで取り除くという夢夜の指示である。

 夢夜は、分別をして要らないものをゴミ袋に入れつつ、必要なものは埃を払う作業を繰り返す。

その後に戯画兎たちが乾拭きをしていく。初めてにしては連携が取れていて、効率のよい流れ作業ができていた。家具と雑貨をバランスよく配置すると、そこは侘び寂び溢れる和室に様変わりする。


 集中して作業していたせいか、時計は十三時半を指していた。

 終わるや否やカルミアは風呂場に直行し、夢夜は遅めの昼食の準備をはじめる。

野菜を洗っていると電話が鳴り、調理を中断して彼は受話器を取ることにした。

 声の主は今朝インターホンを鳴らした人物で、かけた先の確認もせずに、挨拶する間もなく彼女は告げる。

『幼馴染の保護者さん、言い忘れたことが二つある』

 この女性は、友好ではない相手に対して、代名詞で言い表す傾向にあるらしい。

「な、なんでしょう?」

『一つ。これはサプライズで当日まで――つまり当日の夕方直前まで、私の妹様のお泊りについて幼馴染には一切言わないようにね』

 メモをする内容でもないかもしれないが――念のため、夢夜は受話器台の横にあるメモ用紙にペンを走らす。

「(妹様……?)あ、はい、わかりました。内緒にしておきます」

『二つ。もし守れなかったら、きみの全身の骨を粉砕。内臓と肉は挽いて野良犬の餌にすっからな』

「ハイッ!」

 夢夜の返答は上擦った。前半は元気溌剌で陽気なお姉さんの口調だったが、後半はドスが効いたカタギを連想させる圧だった。

 了承した夢夜の返事を聞いて『ありがとうね。じゃあ、よろ~』と気分よろしく彼女は電話を切る。

(殺人予告かよ!! こええよ!!)

夢夜はとったメモを細かく破り、ごみ袋の奥の方に突っ込みながら心の中で叫んだ。


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 時間は戻り、三月一日――午前八時四十五分。

 公立桜野山中学校では一限目の開始時刻の五分前。

「夕暮さん一緒に行こ!」

「あ、私も!」

 未と拓哉のクラスでは理科の授業で実験室へ移動することになっている。五分で移動しなければならないため、みな忙しく筆記用具をまとめる。

 女子四人グループが未の席へやってくるが、ドッペルは内心毒づきながらも笑顔で、

「みんなごめんね。ちょっと相沢君に話したいことあるから、また今度ね!」

断った――そして言葉の通り拓哉のもとへ近寄って行く。

「相沢君。次の移動教室一緒に行こう?」

「は……?」

 拓哉の手を握ると、彼の返事を待たずに『早く!』と急かして引っ張る。

 そんな大胆な行動に目を丸くして、彼は思わずぽかんと口が開いてしまう。

 そして、拒否する間もなく足早に連れて行かれたのだった。


  給食後の昼休み。

中年の男性教諭がノートやレポートの段ボールを抱えて歩いていた。

「このプリントをっ、と……お、ちょうどいいところに――」

 午前中に起きた未の行動について考えていた拓哉は、理科の教師に呼び止められた。

拓哉は嫌々ながらも、歩みを止める。教師の取ってはりつけた微笑む表情から『面倒事』だと察する。

 この教師は今のようなやり方や態度が通常運転であり、申し訳なさそうに依頼をすれば相手は断れないと考えている。

 拓哉はこの手に引っかかり、何度も頼み事をされて、いつしか拓哉の中では『面倒事』となっていた。

 一度断った事があったのだが、その直後に出した拓哉のレポートの評価は明らかに私情が混じったもので、毛嫌いしていたのだ。

 そんな過去があり、下手に行動はできないと分かっている拓哉は不満を隠して丁寧に応じる。

「なんでしょう先生」

「これ任せた。一限の返却物だ。予習プリントもあるからな。しっかり配ってくれ」

 その教師は、面倒な事から解放された笑みなのであろうか、拓哉のクラスのノートやプリントが入った段ボールを指差していた。

「一人でですか!?」

 教師が向けた指の先を見ると、明らかに重そうな段ボールが床に置かれており、その苦労を考えると拓哉は声を上げてしまう。

「別に『一人で』とは言っていないだろう。クラスメイトに声をかけて手分けしてやればいい。まったく、物事を悲観して考えるのはお前の悪い癖だぞ。視野が狭い」

「っ――!!」

 〝悲観〟〝視野が狭い〟――言い返せない拓哉は、俯いて口を噤む。本人も薄々気付いているのだ。

 悪意を持っているのかそれとも無自覚なのか、教師は目の前に立つ少年の心に刃を突き立て、上から下に振り下ろすような嫌味を吐いた。

拓哉にこのような協力をしてくれる友人など一人もいないのに、追い打ちをかける。

 クラスメイトはたいてい、拓哉に面倒事を押し付けて利用するだけであり、不機嫌になれば煽り、激昂すれば自意識過剰と言い逃れする。

弱者にはなにをしてもいいのだと。負け犬にはなにをしてもいいのだと。そういう構造ができあがっているのだ。誰も彼の事を見ていない――誰も彼の心を知ろうとしていないのである。

 教師の言葉は的を射て、的中していた。

「で、引き受けてくれるよな。相沢」

「っ……は―――」

圧力をかけられ逆らえない拓哉は、不服ながらも肯定を口にしようとした瞬間だった。

「先生、私もお手伝いします」

 隣からよく知った可愛らしい声が聞こえた。ツインテールを揺らしながら、夕暮未が現れる。

「夕暮。お前、先日退院したばかりだろう? こういうのは元気な男子にやらせるのが一番なんだぞ」

声を上げて笑っている教師を不満そうな表情で見る拓哉の隣で、

「不愉快」

未は笑顔を崩さず低い声でぼそっとそう口にした。拓哉は彼女のその台詞に動揺する。

「ひつ……じ?」

 何かの聞き間違いだろうと、拓哉は隣にいる少女の名前を呼んでみるが、笑みを絶やさずに教師を見上げていた。未のその仕草は向いているだけであって、対象は視てはいない――ようだった。

「私、クラス皆の話題についていきたいのですが、話しかけづらくて……数人だけでもいいのです。声をかけて手渡ししたいのです。だめでしょうか?」

 上目使いで少しだけ前屈みになって交渉する彼女のそれは、あざとささえあった。

 未の問いに教師は一瞬驚くが、口を開く。

「夕暮がそこまで言うんだったらいいぞ~。――相沢、夕暮のサポートしなさい」

 彼は態度を変えて伝えると、二人を残してその場をあとにした。

 贔屓され、雑な扱いをされたにも関わらず、いまだ状況がつかめず固まっている拓哉。

 未は彼の肩を軽く叩いて、現実に引き戻す。

「じゃあ一緒にやろう。相沢君」

「あ。うん……」

 二人が教室に戻ると、生徒は少なかった。短時間でも部活や別の場所で過ごす人が多いのだろう。

教室にいる生徒には未が手渡しつつ一言二言交わす。他の生徒にも同じように配っていた。

 拓哉は返却されたノートとプリントを一組にして、机の上に置いていく。そもそも、彼が呼びかけても、応じてくれる者はいないからだ。

「ねえ相沢君。今日の放課後一緒に帰ろう?」

「他のやつと、帰らなくていいの?」

「なんで? 私は相沢君と一緒に帰りたいから、だめかな?」

 未の言葉に、拓哉は違和感を覚えた。

 彼女は『なんで』という単語で、こんな風に切り返した記憶は拓哉には無い。

(口調が少し変わってる……こんなにハッキリ話せたっけ? いや――たぶん気のせい?)

 拓哉は疑問に思いつつも、素直に彼女のお願いを聞くことにする。

「うん。わかった」

「やった~久しぶりだね。私とても嬉しいよ!!」

 未は満面の笑みで拓哉に笑いかけた。


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「あれ? 私、なにして――?」

 未は気が付くと家のなかに居た。家の玄関の石畳に突っ立っていた。

 先ほどまで自分は何をしていたのだろうと耽っていると、階段を何かが転がり下りる音で顔を上げる。

「ひっつじ~~!! さっき幼馴染と歩いてたの見たぞう。昔みたいにつるむようになったのかな~~~~~~~!?」

 猪が突進してくる衝撃を感じながら、がっちりホールドされてしまう。

 未の姉である夕暮凛々子は、勢いよく実妹にダイヴして抱きついては顔を埋めて放さない。

「おかえりぃ、我が妹――我が妹様!! ああ可愛い、なんて天使なの!! 入院した時はどうしたかと思ったけれども、本当に天の使いになってしまうのではないかと心配したんだわ!!」

「お姉ちゃん、また変なこと言ってる……」

「あ。ゴメンゴメン。テンション上がっちゃって~」

 可愛らしくぷくっと頬を膨らませた未の表情を堪能しつつ、凛々子は腕を解いた。

 自由になった未は鞄を床に置くと、靴を脱ぎ始める。

「で? いつ拓哉クンと寄り戻したの?」

「!? お姉ちゃん、待って。私たっくんと帰ってたの……?」

 先ほどから姉は何の話をしているのだろうかと思い、状況が呑み込めず凛々子に問いかける。

「んんん~~~?? 私、二階の自室から未達の事を双眼鏡持って五分くらいずっと見ていたんだけれど、違うのかな?」

「なんで双眼鏡……仕事は?」

 姉の行動に少しだけ眉を寄せて、不満をもらす。

「仕事は早上がりしてきた! なになに、双眼鏡が気になる~? 私の大事な妹様に悪い虫がついたらいけないでしょ? まあ、ついたら問答無用で叩いてひねり潰すけどね!! で、違うのかしら? あの幼馴染だったらまあ――認めてやるんだけど」

 笑みを崩さず、指をポキポキ鳴らして特攻の準備をしている。暴君スイッチが完全に入ってしまう前に、未はあわてて答える。

「まって、落ち着いて! お姉ちゃんが見た通り、幼馴染のたっくんだよ」

「あ、そう? なら良かった」

 ぱあと笑顔になっていく様子を見ると、修羅場は回避できたとほっと胸をなで下ろす。

「あ~~そうそう。忘れる前に言っておくわ。明日は金曜日じゃん? 私は職場の同僚と打ち上げで、父さんと母さんは本家の法事で帰りが明後日だって」

 そこで凛々子は未の両肩に軽く手を置くと、

「で、連中も私ハシゴする予定だから、未は幼馴染の家に泊めてもらってね!!」

 未は一瞬何の話をしているのか分からなかった。頭を働かせて、言葉を理解して叫んだ。

「ええええええっ――!? 私ひとりでお留守番できるよ! 泊まるって言っても家隣だし、そんなことしなくてもっ――」

「おいおい~~一人が一番危ないのだよ? まだ病み上がりだしさ~。もし、未が寝ている間にこの家が火事になったとします。気付いた時にはもう火に囲まれて、助けも呼べずに死んじゃうかもしれないのだよ?」

「お、お姉ちゃん~~」

「あははは~~ゴメンゴメン。怖がらせちゃった。私はねえ、未を一人寂しく留守番させたくはないのだよ!」

「じゃ、じゃあ! お姉ちゃんが打ち上げ、はしごしなければ――」

「うん。うんうん。そうなのだけど――妹様を心配するけれども!! 私はようやく終わったプロジェクトの打ち上げに、人の金で、美味い飯と酒を飲みに行くんだわ!!」

 姉のペースにのまれ、未は振り回されるばかりだった。


      

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