7章  バーニングラヴ-前編

「おおきくなったら、たっくんのおよめさんになるっ!」

 そんな可愛らしい夢を――少女はずっと見ている。

 

 二月中旬。

 夕暮未ゆうぐれひつじは悩んでいた。

 彼女の家の隣に住む同級生の男子。幼馴染の相沢拓哉について、相当に悩んでいた。

それは、目の前にある数学の方程式の答えを出すよりも難題ならしい。

国語の『主人公の心象を読み取りなさい』という問題に対し、かれこれ十年費やしている。

 家族とともに、この住宅地に引っ越してきたのも、ちょうど十年前。出会ってからずっとこの調子のようだ。

 恥ずかしがり屋で引っ込み思案な未に、初めて声をかけてきたのが相沢拓哉なのだ。夕暮未にとって、それは一目惚れで、運命の相手だと感じて心がどきどきと高鳴ったのを覚えている。

 そこから拓哉と未はいつも一緒に過ごすようになる。

小学生低学年までは友人が少ない未だった。

 しかし、四年前の十歳の時。拓哉の身に起った事故により、周りの人間が急に彼女を取り巻くようになった。環境が変わり――人付き合いが変わってしまったのだ。

 幼馴染である拓哉の傍に居たいと思っていても、未の隣にはいつもクラスメイトや友人がいる。

 やりたい事ができず行動を制限されてしまい、彼に近付こうとすれば、クラスメイト達は『あんな根暗で陰湿な奴は放っておこう』『相沢と仲良くなったらクラスから省かれる』と、親切心から阻止される。

 いつしか、彼との距離は遠くなり、気付けば深い溝ができてしまっていたようだった。

 だが、廃遊園地に行った以降、未に声をかける者は少なくなっていた。

『移動教室、一緒に行こう』『部活だから放課後の掃除代わってくれ』という些細なお願いをされる程度。

 彼女にとってそれは悲しいものではなく――やっと解放された、と心の底で安堵するものだった。

 未が話題を振れば彼らは笑いを交えて話をしてくれるし、避けられているわけでもないのだ。

ただ、必要以上に興味が無くなったという雰囲気。今までが過剰なのだと思うのだが。

 そのような経緯があり、今まで以上に拓哉に声をかけやすくなったのだ。

 以前のように登下校を共にできるのだと期待に胸を膨らませて、未の気持ちは穏やかになる。


 学校の教室。

 休み時間――未は幼馴染の拓哉の元へ行く。

 彼女は拓哉のことを愛称で呼んだ時があった。

 だが、呼ばれた彼は嫌な顔をすると、そっぽを向いて一週間ほど口を利いてくれなかったのだ。

「相沢君」

 少女は今日も幼馴染の〝苗字〟を呼ぶ。四年前の、彼の交通事故以降は呼び名を変えて。

 呼び名を変えたからといって、距離が近くなるわけでも親密になるわけでもないが、少なからず不愉快にはしないだろうと考えた結果なのだろう。

 それでも彼は彼女と友好的に関わろうとしない。『思春期特有の、素直になれない気恥ずかしさからくるのだろうか?』などと想像していた。

 肘をついて窓の外を眺めている拓哉に、未は反対側から声をかける。

「相沢君。聞いてる?」

 確認をするように、もう一度を呼ぶ。

 彼はゆっくりと頭を動かしてから目で未をとらえるが、その表情は不満そうであった。

「……なに」

 短く応える。反応してくれただけで、彼女は嬉しそうに頬を赤く染めながら話題を切り出す。

「最近、調子はどう? 夢夜さんとカルミアさん元気?」

「別に。フツー。あの人たちもフツー」

「そ、そうなんだ。じゃあ、何か楽しい事とかはあった?」

「特にない」

「えと……今やってる現文の範囲って難しいよね! 配布プリントの問題で『主人公と弟の性格の違いをどう現しているか文中から探せ』とか、あれは数ページに渡って表現がされてて――探すの大変だったよ~」

「ああ、そうだね」

淡々と答える拓哉に、未は負けじと話題を振るが、結果は惨敗である。

 驚くほど会話が続かないため、彼女は何を話せばいいか分からなくなっていた。

 だが、先週返却された中間テストの結果を思い出すと、すぐさま食い気味に話題を繋げようとする。

「だ、だからね!! 私国語が苦手だから中間テストが赤点だったんだ~。もっと頑張って勉強しなくちゃだよね」

「お前さ……それ嫌味?  マジでうざいんだけど」

 拓哉は未の顔を見ず、淡々と冷たく返す。

 思ってもみなかった返事に、未は一瞬硬直する。喉の奥が麻痺してひくっと震えた。

 乱れそうになる呼吸を誤魔化すかのように、身振り手振りで取り繕う。

「えっ、あの、そうじゃなくて。私何やってもだめだめだからさ。もっと頑張れって感じだよね!? 相沢君もそう――」

「思ってないけど。勝手に決めつけて、なんなの――お前」

 どう言葉を返そうか迷っていると、拓哉は苦痛に歪んだ顔をしていた。そして睨みつけて、

「僕より成績もよくて社交的なくせに、自分より格下の奴に自慢して趣味悪。――ほんっとうざい」

「ちっ、違うよ!」

 彼の悪態に、すぐさま未は叫ぶ。

 何があったと言わんばかりに、クラスメイトが一斉に二人を見る。注目の的だった。

「え……と、あの」

「……」

 気まずそうにする未を見て、拓哉は溜息をつく。先ほどとは違った雰囲気に、教室が騒がしくなる。

 深呼吸をすると、周囲に聞かせるように、わざとらしく声を上げた。

「ああ――そうだね。ここの問題の答えは違ってた~、丁寧に教えてくれたのに、ごめん」

 彼は棒読みのように言葉を口にする。自身の評価を落として未の株を上げる。

 小さな愚痴は一気に暴言に変わってしまった。

「せっかく夕暮さんが勉強教えてくれてるのに、何なのあいつ?」

「なにあれ。感じ悪ィ。未ちゃん可哀想」

『夕暮未が勉強を教えているのに、その優しさを無下にした』という悪い空気が漂う。

 当事者の心を考えずに、表面だけで勝手に決めつける。傍観者ほど楽なものはないだろう。

「あ……うん。 私のほうこそ、大きな声出してごめんなさい」

 庇ってくれた――といったら自惚れかもしれないが、未は彼のその優しさに心酔してしまう。

(なんだかんだ言って、たっくんは優しいんだよなあ……)


 zzz


  放課後。

 教室に人がいなくなってから二時間半ほど経過し、部活動終了のチャイムが聞こえる。

 一日の授業が終わっても未は帰る気が起きず、ひとり残って自習していたのだ。

 視線を窓の外へ移すと、いつの間にか空はオレンジ色に包まれ、辺りは暗くなりつつあった。

「は~~、もうこんな時間」

彼女は溜息を吐いて、机の上に広げたノートに突っ伏した。

自身の名前に『夕暮れ』という字が入っているからか、この時間は心地良いとともに、寂しいと感じる未だった。今は暖かい光に包まれているのに、空はやがて紺色に染まり星々が輝く。

 未はそんな世界も好きだが、夕焼けを見ると、つい郷愁を感じて思いに耽ってしまう。

 温かい夕日は、脳裏に焼き付いた情景を引き起こす。

 相沢拓哉との思い出が、『好き』という気持ちとともに、心の奥から込み上げてくるのだった。

幼い頃は彼のことが太陽のように思えて、いつも温かい気持ちでいたはずなのに――。

(いつからだっただろうか。違和感を覚えたのは)

(いつからだっただろうか。君の呼び名を変えたのは)

(いつからだっただろうか。本音が言えなくなったのは)

「どうして分かってくれないのかな――ただ心配しているだけなのに……」

 未は外を眺めたまま、今日の出来事を思い出す。

 いつも一人でいる彼を心配して、そして、なにより力になりたいのに、どうして避けられているのだろうかと不満に思っていたのだ。

考えれば考えるほど、目元が無性に熱くなり、鼻先がつんと痺れる。

涙が止まらず雫が落ちてノートに滲みをつくる。

「私のこと……嫌いなのかな――邪魔なのかな……?」

『なんでアタシのことを見てくれないんだろう』

「どうしたら伝わるのかな……」

 自問自答を繰り返す。それは、彼女にとって精神安定の機能――もう一人の私が、大丈夫だと言い聞かせてくれるのだ。心を落ち着かせ、背中を押してくれる頼れる存在。

『だったら、アタシに任せてよ。アタシだったら上手くやれる。こんな悲しい気持ちにはさせないよ』

 少女の目は虚ろになり、糸で操られている人形の如く、ふわりと椅子から立ち上がる。

「そうだ。私は上手くやれる。大丈夫、なんでもできる」

『そうだよ。アタシは――なんでもできるんだ』

 少女は呟くと、机の上にあったカッターを握り――自身の左手首を目がけて振り下ろす。

ざっと切ったところが熱を持ち始め、じわじわと痛みが走った。そこから生温い液体が広がると、次第に体の力が抜けて床に倒れた。

 冬の夕暮時とは、気付けばすぐに紺色が空を覆ってしまうものだ。

 数分して、少女はゆっくり立ち上がる。そして、傷口から溢れ出た焔は、彼女の全身を包み込んだ。

 彼を想う余り執着し、嫉妬し、命を燃やす。恋心を焚べてそれは暴走するのだった。


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