6章  Contrarian-前編

 zzz


「っと、今回の依頼はこれで全部か。急なリテイクもあって焦ったけど、なんとかなったな」

 難浪夢夜は在宅仕事から解放されると、作業椅子を軋ませて大きく伸びをして、窓の外へと視線を移す。カーテンレース越しに鉛色の空を見ると、薄日が世界を照らしていた。

  十二月年末、午後三時。

 先日の鬼岩との事件から早一か月。

 あの日から、難浪夢夜は副業であるゴースト回収を行っていない。

 あと数日で新年を迎えるため、彼は今まで起きた超常現象、摩訶不思議な経験を振り返ってみることにした。

 当初から比べると、『染まってきてるな~』などとすんなり受け入れてしまう彼だった。

 それでも、出会ってきたゴーストたちの真意を、怨念を――増悪を浴びせられてきて、憂いてしまう。

 彼らの理由はどうあれ、夢夜は目の前で悪辣非道な行いをたくさん見てきたのだ。

 その体に、脳裏に、魂に、多くの傷跡を残してきて『今までのことを忘れて生きろ』という方が無理な話なのである。無かったことにはできない。

そして、特に気にかけることがあった。夢夜にとって鬼岩との一件は、集中治療室に放り込まれてもおかしくないレベルの大怪我をした。

 その時に彼は死を覚悟したのだが、カルミアの治癒能力によって助けられる。

 夢夜は治してくれた彼女に感謝をするが、目を泳がして歯切れの悪い言葉で返されてしまい、それ以上は追及できなかったのだ。

 最近はカルミアから距離を置かれており、気が付いたら年の瀬である。

(そういえばあのとき奥歯抜けたけど……カルミアでも治療できなかったから、思いきって貯金はたいてインプラント手術したんだよな。あと、スマホの新調。ああ……当分節約だ)

 現実を直視して、がくりと項垂れる。

 彼女というと――夢夜の料理を食し、漫画喫茶扱いで相沢家で生活している。冬眠体勢だろうか。

 ニート、無職の極み、家庭内経済の消費頭。数か月前から、夢夜と立場が逆転しているようだ。

 彼は少し休憩したのち、三人分の夕飯の準備にとりかかる。

 メインに豚汁、副菜はかぼちゃの煮物とえびとブロッコリーの炒め物、厚焼きたまごを作っていく。

「俺も小食なのに作りすぎた……。仕方ない、タッパーに詰めておこう」

 近くに置いたスマートフォンは、ブブッと振動する。

「――……? 俺、いま変なこと言ったか?」

 作業する手を止めて、画面にいる黒うさぎに問いかけた。ほぼ独り言なのだが。

 画面のマスコットは体を左右に向ける仕草をする。どうやら否定のポーズらしい。

 鬼岩との交戦で破損し、新たに分割購入したのがこのスマートフォン。カルミアにアプリを入れ直してもらったのだが、手伝いの進捗は引き継がれているようで安心した夢夜だった。

 人間。一か月経てば、大抵の出来事など忘れてしまう事のほうが多いだろう。

 しかし、一か月前のそれは夢夜にとって『大抵』ではなく、昨日の出来事のように脳裏に焼きついた光景だった。傷は癒えても、受けた衝撃は今でも脳に、心に、体に――染みとなり残っていく。

 鬼岩の在り方や矜持は歪んだものだったとしても、自分なりに弱者を守ろうとしたのではないかと考えてしまうのだ。それは彼なりの人助け――。人は他人の不幸を可哀想と思う事はできても、代わりに解決したり成敗しようなどとは思わないだろう。

 難浪夢夜の考える〝正義〟と逆の路を征く者。悪を以って悪を制す者。

 ――夢夜の人助けが、誰かを〝不幸〟にしているのだと。

 ――その本心はただの偽善、愉悦、高慢なのだと。

 鬼岩は夢夜にそう云った。死闘を繰り広げてなお他人からあのように指摘されると、彼は考えてしまうのだ。自分がやっている事が正しいのか、そうではないのか。

 自問自答を繰り返して、出ない答えに苛立ちを覚えて頭をかく。

 本当は答えが決まっているはずなのに、絶対に間違えたくない思いから別の正解を模索する。

 滑稽だとしても希望にしがみついてしまい、追い求めてしまう。

「結局は自分が大事、か……」

 夢夜は呟く。そして、二人の帰りを待つのだった。


zzz


翌日、午前十時。橋の上の出来事。

 年末の買い出しをするため、久しぶりの外出を決めた難浪夢夜。

 着こんでいるものの、凍てつく寒さに身を震わせて下を向いて歩いていると、何かにぶつかった。

「……ッすみません」

 謝罪をしながら顔を上げ、目の前に立つ人物を見る。

 学生帽を被り、地面に届きそうなほど長いマフラーを二重にして首の後ろでリボン結びをしている少女がいた。

 着物だが袖が長く手が隠れ、それに反するように、足の付け根あたりからはスカートもボトムも穿いていないほど短い恰好をしていた。

 極端に言えば、素足で下駄を履いていたのであった。

 大雑把に言ってしまえば、萌え袖に股下ぎりぎり丈の少女が立っていた。

(この冬の季節に素足!? 見ているこっちが寒い……)

「やあ。少年、そんな見るに堪えない醜い顔をして、どうしたんだい?」

「……はぁ?」

 開口一番に、罵倒を含んだ質問を投げかけられる。失礼な態度に、鬼岩のとき同様、警戒をする夢夜。

 見た目は花のように可愛らしい少女。しかし、中身は棘のある毒花のようだった。

 普段の夢夜なら硬直するか、『すみませ、っす……』等と小声で謝罪して、視界から消えるようにするだろう。

 しかし、この少女の口調はどこかで聞いた覚えがあり、声を上げて反感していた。

「下ばかり向いて、溜息ばかりして。なんだい、君は今から死ぬ人なのかい? せっかく生きて、生きながらえているのに、自分勝手に己の命を絶とうというのかな?」

「いや。そ……別に、そういうわけでは」

「そっか、わかった。誰か看取ってくれる人を探していたんだね。人間、一人寂しく死ぬのは誰だって嫌だろうし。首吊りが役不足なら切腹がある。ボクはその手のものは上手いからね。なんなら介錯してもいい」

「ッ人の話を聴いてくれ!」

 初対面だというのに、自信満々に高らかに宣う。

 どうやらこの少女は、カルミアと同じく突っ走る質らしい。彼女は夢夜の目を見て告げる。

「君のことなど聴かなくても、ボクは君のことを知っているよ。難浪夢夜君」


zzz


「君は、悪霊と生霊と鬼の魂を集めているね?」

「!?」

「虚無に邪教に怨念に殺生を、不幸をばら撒く者たちと関わっている。さて、君はヒーロー気取りでここまで頑張って来たけれど、ここで一度振り返ってみようか」

「振り返る、って何をだよ……」

「君は今、迷っている。自分がやって来た事が正しいのか、そうでないのか。曲がりなりにも正義の名の下でやって来たのはいいが、それが正義なのか解らなくなっている。迷子になっている」

「……お前は」

 夢夜は、自身とカルミアしか知らないはずの情報を口にした少女を警戒する。

「おやおや、そんなに睨まないでくれたまえ。紫鏡真弥の怨親平等。峠友恵の不俱戴天。鬼岩慎吾の以毒制毒。しかし、彼らは生まれながらにして、恨みなんて持っていなかったはずた。彼らをそうさせたのは、人であり環境であり条理である」

 少女の口から記憶にある人物の名前が出てきて、彼の表情は険しくなっていく。

「だからと言って、殺人や悪事を働いていいわけがない……」

「やったらやり返すのは、自己防衛。生存競争におけるひとつの武器だ。〝ただの不幸〟により家族が殺されたら泣き寝入りをしろと言うのかい? 自分の人生を、その魂を汚されても、諦めろと言うのかい? そんな奴らを赦していいのかい? 泣き寝入りほど無念なものはないよ。世界とは、弱く優しい人間ほど損をする構造になっているからね」

 思い込みによる負の連鎖は呪いを生んだ。その責任は空想へ押し付けた紫鏡

 自身の心の音を上げられず、他者から非道な扱いをされてしまった峠

見せかけだけの正義から、自分なりの悪で弱者を守ろうとした鬼岩

 質問攻め、あるいは説教攻めに堪えかねて叱咤を口にする。

「っ……! それでも、自分がされたからといって、悪意を振りまくのは間違っている! 峠だって、鬼岩だって! もしかしたら、説得すれば考えを変えてくれたかもしれない。罪を償っていたはずだ……いいや違う! あんな事を思わずに済んだかもしれない!」

 諸悪の根源は、人間の環境や行動におけるものだと主張する逆撫かたわら、どんな仕打ちをされても悪意を振り撒いてはいけないと主張する夢夜だった。

「難浪君。絶望した人間に、人の声なんて届かないんだよ。自分の願いが、唯一の希望が届かないとわかってしまうから絶望する。なら、欲を満たすにはどうすればいい? 解決するにはどうすればいい? 誰かが導いてくれるならまだいいかもしれない。でも、それができなかったら?」

「たとえ独りだって――。できるまで、模索しながら生きて行くしかない。挫折や失敗で見えてくるものだってあるはずだ……人生はその積み重ねだ」

「そうだね。ならば彼らが辿り着いた答えは『たまらないほど憎くて、殺したかったから殺しただけ』と言うことになる。他人という存在に頼れず、話せず、感情を押し殺した結果がこれだよ」

「それでも! 人間がそうさせたんだ。環境が、関わった人たちが――。誰も救わなかった、手を伸ばさなかった。見て見ぬ振りをした周りの人間を、俺は良いとは思わない!!」

 逆撫での追及に、夢夜溜めていた怒りをまき散らすように叫んだ。

「諦めが悪いんだね。可哀想な人間だなぁ君は。ここまで来ると、無様すぎて見ていて愉快だよ」

「俺は……不愉快だ」

  夢夜が睨みつけると、彼女は肩をすくめながら溜息を吐いた。

 逆撫はその場で体を踊るように一回転させて夢夜と向き合うと、彼女を追いかけるように首元に結ばれた二色のマフラーが翻る。

  普通ならば、少女が無邪気に笑う姿は可愛いものだろう。

 しかし、残念ながら、その少女は邪鬼の微笑みであった。

  紡ぎ出す言葉に悪意と皮肉を含み、神経を逆撫でさせるような話し方。

的を射て、核心をついたそれは、絶壁の縁に立たされながら質問を浴びせ続けられる拷問であった。

「難浪君。そもそも、賢い人間や一般常識者はそんな面倒くさい事に関わらないよ。時間の無駄、他人の話に興味がない。そんな事をして何の得になる? なんにもならないだろう。自分が助けたとして、擁護して、それで円満解決になれば良い。しかし、働いた善により誹謗中傷されたらどうする? 火の粉が自身に被ったら無意識に振り払うだろう。それと同じだ」

「やらない偽善より、やる偽善だ……」

「その偽善で誰かが傷ついてもかい? 自己満足のために大勢を巻き込んで犠牲にして、それを正義だと言い張るのかい? 言い切れるのかい?」

「それは……」

 夢夜が返す言葉を詰まらせても、遠慮なく逆撫は続ける。

「難浪君。君は自分勝手過ぎるよ。それは、自分が不幸な時に助けて欲しかった、手を伸ばして欲しかった。なのに、世間の風は冷たい、もっと優しくあるべきだ。理不尽だ、不条理だとわがままを言っているようなものだ」

「なっ……俺は別にそんなことは!」

「言ってるよ。約三十分で、分かり易い自己紹介をしてくれてありがとう。君は優しく、自己満足のために偽善を働く人間だ」

「っ――!! 偽善じゃない、自己満足じゃない。誰かが困っていたら、助けようと思うだろ!?」

「自分ができる事なんて限られているんだし、そうでなくても、他の誰かが偽善を働いてくれる。自分で何でもやろうとすると処理が追いつかなくなる。それとも、君はそんな風に追い詰められたいのかい? できない事をしようとすると、それは嘘になってしまうよ。ただの口約束だ」

「なら、逆撫。お前はどうなんだ。できるできない以前に、やれる事すらやろうとしないのか?」

「やれることは引き延ばし、できないことはやらない質なんだ。だって、できない事を無理矢理やるとして、遂行できなかったらどうする? ボクだったら羞恥で死にそうだし、正解の道を選べなかったら自分が赦せないよ……」

 彼女の表情は一瞬だけ曇る。だが、すぐに人をおちょくる調子に戻すと彼に告げる。

「まあ、ボクが今できることは君とこうして楽しくお喋りをして、助言をしてあげることさ」

「……これを楽しいお喋りというのなら、俺がカルミアたちと会話する時は常にお祭り騒ぎということになる」

「なんだい、ボクとのお喋りは楽しくないのかい? 寂しいなあ」

「お前のことなんか知るか!」

「難浪君。いい加減本質を見出さないと、いずれ君は何も知らずに死ぬことになる。それだけは避けなければいけない。なにより、君は生きなければならない」

 夢夜は唐突に、『死ぬ』だの『生きなければ』などと云われてしまい、眉間に皺を寄せて彼女に聞き返す。

「? ……本質ってなんだよ?」

「……いつの時代でも、世のなか犠牲はつきものだ。何かを得ては何かを失う。具体的には、仕事をしてお金を得ては人生の時間を失う。両方は手に入らない。よく言うだろう、『二兎を追う者は一兎をも得ず』と」

「じゃあ、二兎を追って二兎を得ればいい」

 買い言葉に売り言葉。普段はそんな冗談を言わない夢夜は、真顔でそう言ってのけると――、

「おいおい……難浪君ッ。不器用な君が――くっ、それを言ってはいけないよ」

 逆撫は『くくっ』と喉を鳴らして、全身で笑うのを堪えていた。なんとか耐えきった彼女は深呼吸をすると、息を整えて夢夜に告げる。

「――――ふう………………。今のは一番面白かったかな、とても愉快だった!」

 ぱあと逆撫の表情が明るくなり、年相応の表情になる。

「俺は不愉快だ!!」

「しかし、まったく……君という人間は優しく甘すぎる。甘すぎて吐き気がするよ。その甘さは、優しさは、きっといつか自分を滅ぼすのにさ」

 下駄を、がこん、ころんと鳴らしながら片足でぴょんぴょんと跳んでいくと、地についた片足を軸にして振り返る。

「難浪君。世のため人のために生きるのはいいかもしれないけれども、自分をおざなりにしてはいけないよ。足元をすくわれるから」

「ああ……?」

「顔には出さないけれど、出しても見せてはやらないけれど、ボクはこれでも君を心配しているんだ。 あと、鮫には気を付けてくれたまえ。君のことが気に入らないらしいから」

 初対面だというのに、少女は夢夜のことを案じていて、そして、知らぬところで命を狙われていると知り、緊張が走る。『恨みを買うような事をした覚えはないが……』と思いつつも、ゴースト回収による最近のトラブルを考えると、一旦彼女を信じることにした。

「ああ。わかった」

「人の形をした鮫。見たら解る風貌をしているから、関わってはいけないよ。いいね?」

 先ほどまでふざけていた逆撫だったが、真面目な顔で念を押すと、夢夜は唾をのんだ。


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