5章 同衆餓鬼-後編

異質なものを排除しようとする世界は、掲げた大儀や正義をも反故にする。

 隠蔽しようとする社会は、障りすら利用する。

 優越に浸る強者に、絶体絶命に陥った弱者は反撃をする。

『悪を以て、悪を制す』者の末路は、〝自業自得〟と呼ばれるそれにより、手ごたえもなく駆除された。

 たとえ後戻りできなくとも、その地獄から脱するためならば――。

 悪逆非道と言われても、大逆と言われても、その道を征った者。

 しかし、彼の人生の幕が降りる瞬間、大魚の影がすり抜ける――。


 宙に立つカルミアは、夢夜を抱きかかえながら、炎と黒煙を纏う大きな鉄くずが転がっている地上を見つめる。

 軽蔑も侮蔑でもなく、起きているシーンを淡々とその瞳に映すだけ――。

 朧げな夢夜は、先ほどまで敵対していた男の言葉を思い出し、息が詰まるのを感じた。それでも、救けに来てくれたカルミアに感謝をしない理由には至らず、なんとか言葉を絞り出そうとする。

「カ……」

「手当します。動かないで」

「ッ……」

 殺気を帯びた声色に怯んでしまい、喉の奥に押し戻され唇を結ぶことしかできなかった。

 カルミアが時折見せる冷酷な一面。無価値だと判断した存在への無慈悲な振るまい。

 彼女にとって、この活動は与えられた役割を、タスクをこなしているだけにすぎないのだ。

(もし、俺を騙していたとしても、嘘だとしても、信じたい……)

無邪気に笑いかけてくれた姿を、励ましながら優しく触れた温もりを、ぼんやり思い出していた。

彼にとって都合がいい自己解釈は、眠気とともに闇に溶けていく。

(今ここで死んでしまうなら、最期に伝える言葉は――)

「ありが……と……、ごめ――」

 かすれた声で伝えると、夢夜は目を閉じた。


       zzz


 カルミアは近くの公園へ降り立つと、街灯近くのベンチに夢夜を寝かせて応急処置をする。

 彼女が持つ能力で、ひとまず彼の死は回避できたようだ。

「どうして、こんな状況になってもあんなこと……。弱いくせに強がってひとりで抱えて――自分のことより他人を優先して気遣って」

 夕飯後、カルミアが家中を探しても夢夜の姿はなく、近場に出かけているのかと思っていた。

 しかし、「耐久映画鑑賞をした後に、どこかに出かけるほどの体力はない」と、撤回する。

 拓哉は自室に戻って休んでおり、霊体でリビングをぐるぐる浮遊するカルミア。

(それでも、無理を通して行動するほど重要なこととは――? どこにいるか、電話するべき? もし杞憂だったら、マイスターに揶揄われるかな。それはそれで、心配する自分がバレるのは……なんか負けたようで気にくわない)

 彼女は自身がどういう状態で物事に耽っているのか分からないらしく、庭側の窓を通過し外に出ていた。遠くで微かに生太刀に似たエネルギーと異質な気配を感じ取ると、彼女のタブレットは警告音を鳴らす。そして、普段利用する駅とは反対側の地域へ跳んだのだ。


 そして、現在に至る。

カルミアは彼との今までの記憶を振り返る。いつも以上にぼろぼろになって横になる少年の姿を見て、

「こんなやつ放っておけばいいのに……失いたくない気持ちが止まらないのはどうして?」

 自身に問いかける。既視感のある顔に親しみを覚え、ほかの人間よりかは好意を持って接している。

 彼女自身、〝難浪夢夜〟を特別扱いする自覚はあるようだった。

 しかし、何故これほどまでに喪失感を抱くのか分からず、確かめようとして夢夜の顔を覗き込む。

(あれ? 傷がそのまま……、夏の時は勝手に回復していたのに――)

 しんと静まりかえる。心なしか彼の顔色が青紫になっていく。

「マイスター?」

 呼びかけても無反応。いたづらにしてはタチが悪い。そもそも、彼はきっとこんな冗談はしない。

 以前のような自己回復が起きず困惑していると、カルミアの足元に霞を纏い伯奇が姿を現した。

『あれほど、心せよと申しつけたはずだが……これは手酷くやられたものよ』

 合成獏はベンチに横たわる夢夜の上に乗り、自身の長い鼻の先端を彼の心臓に当てる。

「何を――!?」

 カルミアにとって得体の知れない伯奇。

 そのゴーストは自身を守護霊だと宣うが、彼女はどうしても信じられなかった。見た目が変わっていてもゴーストとは――負の感情とは、大なり小なり他者に悪影響を及ぼす事のほうが多い。

 『その本質は変わらない』という固定概念があったからだ。

 瀕死の夢夜にさらに危害を加えるのかと思い込んで、彼女はそれに手を伸ばすが、

『!? よしなさい!』

「ッ!?」

 その羊毛の毛先に触れた瞬間、どこからともなく現れた光により手を弾かれてしまう。

 カルミアはその衝撃に驚きつつも、すぐさま隣にいる一人と一匹に視線を移す。

 治療を続けている伯奇には何も影響はなかったようだった。

 鼻を通じて夢夜の体に光が流し込まれ続けると、徐々に傷口が塞がり、顔に赤みが戻っていく。

 しかし、伯奇の長い鼻や耳から耳が生えた特殊なそれと、先端が霞んでいる尻尾は項垂れていた。

『ああ。すまない。…………貴女は、愚生に触れるべきではなかった』

 制止を聞かずに触れたカルミアが悪いはずだが――伯奇は驚愕するのでもなく、叱咤するのでもなく、俯いて謝罪を紡ぐ。

 それが何故そんなことを言うのか、カルミアには理解できずにいた。

 以前言っていた〝守護霊〟だと仮定し、先ほどのように彼女が仕返しを受けるのだとしても、謝られる理由にはならない。


【そもそも、ソレは本当に〝守護霊〟なのだろうか】


 段階を変えつつ魂の回収という仕事を行ってきたなかで、カルミアは過去に一度も〝守護霊〟と区分される存在に出会ったことがなかったのだ。

 対象となる人物から災いを退け、守り保護する意思を持った霊的存在。

 ならば、難浪夢夜に憑いているそれは、一体何から彼を守っているのだろうか。

 憶測をしても答えが出ず、押し寄せる不安に困惑する彼女は問いかける。

「貴方、いったい何者なんですか……!!」

『多くは語れぬ。しかし、貴女の世界の言葉を借りるならば――愚生は、システムのバグとも呼べる存在』

「バグなんて一度も起きたことないのに――」

 カルミアは、自身しか知り得ない情報に息を呑む。伯奇は固まる彼女に、さらに言葉を告げる。

『愚生を排除すれば、こやつは直ちに死ぬ宿命にある』


zzz


 難浪夢夜は、半畳ほどの狭い空間に閉じ込めれていた。

 目の前にある三十平方センチほどの窓には、鉄格子がはめられている。

 目線の先には鉛色の空が広がる。――どうやら、とても高い位置に置かれているらしい。

 彼は状況を整理しようとするが、たちまち地鳴りが響き、地上のものは大きく揺れ、追い打ちをかけるように雷鳴が轟く。上空へと視線をやると、暗雲のなかに、稲光を纏った大きな鯰の泳ぐ影があった。

 

 生まれながらにして人にそなわった欲求――すなわち煩悩。

 間違いを正当化する衆生――そこに心の迷い無し。

 〝悪〟という〝煩悩〟を否定した魂に、荒々しく〝正しさ〟を説く。

 

 かつては不動明王の雷となり、共に畏怖され信仰されていた存在。

 今やその性質も役割も異なって堕てしまった『雷鯰』。

 帯びた雷をとき放ち大地を揺らす大鯰は、不心得者の夢夜に罰を与え、傍らにいる伯奇に問う。

『わが依り代は掲げた理想に朽ちた。しかし、それもまた一興。うぬの依り代も、この箱の水底に眠る〝理〟に与するとき。抗ってなんになる?』

『……貴様の救けは要らぬ。故に、不動尊からはぐれた雑魚など恐れるものなし』

『ほぅ……足し合わせただけの無能者がよく吠える。悪を以って悪を制す――その大願を、矜持を砕いた子よ。焦る必要などない。この試練で己のあやまちに詫び伏すがよい』

 激しく打つ大雨を伴い一層ひどくなる災害に、体を抱えてうずくまることしかできない夢夜。

 肉体に物理的な衝撃はないものの、いたるところでけたたましく響く警報、不規則に起きる轟雷と震動に精神を脅かされて苦痛に顔を歪める。

 さらに冷え込んだ空気に触れ、次第に体温が奪われ、焦燥感に駆られるのだった。

『一方的に責め苛む事など、悟りに非ず』

 伯奇の長い鼻から白い霧が噴き出されると、以前取り込んだと思われる椿の異形が現れる。

 かつては己の欲求により、悪戯に他者の命を奪っていたモノ。

 顔布で隠匿したそれは変わらないが、 冬景色のなかに咲く椿を思わせるような切なさを漂わせていた。それでも、そのゴーストの性質になにかしらの変化があったのだろう。今や手元は縄手錠も台もなく、背にしていた二振りの刀剣が握られている。

 椿の異形は空に映る雷鯰に突撃し、身を回転させて切り刻もうと攻撃を仕掛ける。

『不遜不敬である!』

 抵抗する雷鯰に弾かれてよろけるものの、何度防がれても椿の異形は動きを封じるために執拗に打ち込む。煩わしいと思った雷鯰は、模した街に雷を落とすと、あちらこちらで炎が上がり、街並みは崩れていく。大地震が起こした津波は、やがて都市を飲み込んだ。

 ――人間であるならば、秩序を乱してまで欲望のままに悪を正当化してはいけない――

 ――あやまちも、消えていった者たちの願いも、全てを背負うからもうやめてくれ――

 天変地異に恐怖する夢夜は、否定しつつも心のなかで赦しを請う。

『……だから、言ったのだ』

 伯奇は、情けない姿を晒す夢夜を感じて、呟く。

 攻撃を躱しながら宙を駆け抜け、白い霧を蔓延させる。やがてそれは極光と成り、雷鯰の上空に降り注いだ。

 椿の異形は伯奇を庇いつつ、斬撃による衝撃波を繰り出して間合いをとる。

 反撃とでもいうように、雷鯰はその身に帯電させたエネルギーを解き放つと、彼らの視界は途絶えた。


 夢夜は瞼を開ける。

 どうやら自室のベッドで眠っていたらしく、横に目をやると端に顔を預けていたカルミアがいた。

 ずっと見守っていたらしく、彼女の表情は少しだけやつれているように見える。だが、夢夜の視線に気付くや否や、いつもの調子で口を開いた。

「おはようございます! マイスター、体の調子はどうですか」

「おはよ……。なんか、すげえ夢見た……」

「珍しいですね、興味があります! 教えていただいても?」

 興味を示すカルミアは空元気にも見えたが、彼は夢の内容を話し始める。

「俺は狭い箱みたいなのに閉じ込められてて、空に浮かぶ大きい鯰が雷と大地震起こして。なんでか知らんけど、伯奇と廃遊園地で会った首無しゴーストが仲間になっててさ。俺のことを助けようと戦って――、てッ、奥歯いってえ。エッ、か、鏡…………ハァ!? 無くなってる!?」

「あはは、情報が渋滞しててカルミアちゃん困ります~」

 夢夜は頭のなかの出来事を話していると急に左頬に痛みを感じて呻き、近くにあった折りたたみミラーで口内を確認する。

 左下の奥歯が無くなっており、歯肉が見えていた。

「……なんで!? てか、これ親知らずじゃな――」

「ああぁ~~……。その怪我、治癒できなかったんです。ごめんね?」

 永久歯を失った夢夜は青ざめると、目を逸らしながら可愛らしく謝るカルミア。

 無茶をしたのは自分のせいであり、彼女を責めるのは八つ当たりになる。夢夜は大きく溜息をついてから、もうひとつの心配事を尋ねる。

「俺の、スマホは……?」

「探してみましたが、歩道橋近くに落ちてましたね。使いものになりませんが、一応回収しておきました。これです」

「……」

 カルミアから差し出されたスマートフォンは見るも無残な状態で、夢夜は引いていた。

 画面は粉々になっており、裏側にひっくり返すとバッテリーが配置されていた部分は破裂して溶けていた。鬼岩との死闘で放置し気付かなかったが、あの後爆発したのだろう。

(あの時、無理に拾わなくてよかったけど……)

「は~~~~~~~~~。………………グスッ」

「アプリは入れ直せますのでお気になさらず」

 データは主にクラウド上で管理、バックアップしているとはいえ、急な損失と出費であった。

 長い溜息をついて鼻をすすると、カルミアから優しく肩を叩かれて慰められる。

 後日、預金通帳とにらめっこをしながら、歯科病院に通う夢夜なのであった。

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