5章 同衆餓鬼-中編

 zzz


 数か月前。六月下旬の出来事。

 橋を架ける下には、県境を流れる河川が広がる。

「あー……暇だァ。暇じゃねェけど」

橋下の河川敷に座った四十路の男はそう呟いた。

日雇い夜勤もとい徹夜明けにより、気だるげに煙草の紫煙をくゆらせる。

流れる水をぼんやり眺める瞳は活気がなく、精神的疲労なのか実年齢より十ほど老けて見える。

 シャツとボトムを着崩し、ミリタリーコートを羽織り、何本目か分からない煙草を指にはさむ。

吸っては地面に押し付けて火を消す、という行為を繰り返して数時間が経とうとしていた。

 溜まりに溜まった有害物質の山を見て、自身にもまだルールを守る意識があったのか、と自嘲する。

 学力は並み、運動は学生時代に柔道部に属していた。仕事に就いてから体つきは変わり果ててしまったが、それなりに誠実に生きてきた彼は鬼岩慎吾。

 しかし、痴漢冤罪により職を失い、信用を失い今に至る。妻はいるが現在、別居状態。

 一週間ほどで釈放されたかと思えば、すでに周囲には根回しされており『犯罪者』と呼ばれていた。

鬼岩に対する周りの見る目は変わってしまったものの、彼は再び俗世に出られたことに安堵する。

 釈放については関係が冷え切っている彼の妻によるもので、弁護士に相談して釈放交渉をし、相手と示談交渉をし、なにかと力を尽くしてくれたようだった。

 有難い話であるはず――だが、実際は夫である鬼岩慎吾に、多額の生命保険をかけているのが理由。

 金のなる木を失うのは惜しいと思ったのだろう。その結果、恩を売り、娯楽皆無の奴隷にし、搾取する考えにいきついた。ここで離縁しても、『尽くした妻をないがしろにした軽薄な男』というレッテルを貼られることになる。世間体が悪い。何より、汚名を重ねるのが辛い。

 鬼岩はそれでも、なんとか生きようとするのは『自身は間違っていない』と証明したいからなのだろう。

 彼は人生最大のトラブルにより転落人生を歩む事を余儀なくされ、焦燥感と苛立ちを覚える。

そんなことをぼやいても解決策にならず、明日をどう生きるか考えて頭を掻く。――が、

「世のなかの全部が憎い。あいつらも、欲望のままにのうのうと生きてる奴らをぶっ壊してやりてェ」

一度飲み下そうと思った不満は最高潮に達しており、無意識なまま言葉に出ていた。

無実の罪で裁かれる寸前だった鬼岩。

(欲のままに犯罪を起こす奴らを根絶やしにしなければならない)

(思い込みで大衆向かって声を上げた者に報復しなければない)

(偽善で自身を取り押さえた傲慢な奴らを蹴落とさなければならない)

(権力をかざし圧力をかけて虚偽を促す機関は許すべきではない)

 ――裏切った奴ら、見放した奴ら全て目障りだ――

欲望の〝タガ〟が外れた彼に呼応し、河川の水底からなにかがせり上がっていく。

「……!!」

『理性を超えた欲望――気に入った。力を貸してやろう。その掲げた理想の行く末、見届けてやろうではないか』

 巨大なそれは告げると、鬼岩慎吾を飲み込んだ。

 

       zzz


 時は戻り現在。午後二十二時。

 『人殺し』というメッセージを見たあと、夢夜はカルミアと拓哉に行き先を告げずにスマートフォンだけ持って外を歩いていた。

 普段の彼ならば大いにショックは抱くものの、悪戯だと解釈してメールはゴミ箱行き。

 だが、それをしなかったのは、消滅した怨鬼の残滓とも呼べるわだかまりが、夢夜のなかを駆け巡るからなのだろう。

 歩き疲れた彼は、住宅街沿いの鉄道線路に架けられた跨線橋で休むことにした。

都心ほどの美しい眺めではないが、人が寝静まる刻を肌で感じつつ、一望しながら夢夜は考えに耽る。

(人殺し……あのメールは誰からだ? 〝ゴースト回収〟を知っている人間……偶然その場に居合わせたか、それとも宗教団体の逃した人物?)

(あの時、最後のほうは気を失って状況はよくわからないけど、外部に連絡できる時間くらいはあったなら、事件後にすぐ人を集めて報復にやってくるはず)

(そもそも、メールという回りくどいやり方。以前会ったとしても、人の外見だけでSNSやサイトを特定できる能力なんてあり得るのか? まさか生きた人間ではなく、ゴーストが人間に憑依して……という可能性も――)

 夢夜がひとりで頭を悩ませていると、地上から人間同士が争う声が近付いて、彼は反射的に身を低くする。

(酔っ払い同士のケンカ? 通報したほうがいいのかこれ?)

 反対方向から立ち去るか緊急通報するべきか迷っていると、ひときわ野太い悲鳴が聞こえ、続けざまに重いものが倒れたようだった。

 一瞬で静けさを取り戻したが、騒ぎを聞いた近隣住民が野次馬に来るわけでもなく、先ほどと何も変わらない空気が流れる。問題が発生しても、誰からも気付かれない異常事態に夢夜は覚えがあった。

(結界、隠蔽、ゴーストの仕業なのか……?)

 夢夜は橋の防護柵から少し顔を覗かせて、事件が起きたであろう場所を見る。

 街灯の下は、地面はところどころ赤い色がこびりついていた。激しく抵抗したのか、またはのたうち回った跡のようだが、近くに被害を受けた人物は見られなかった。

 殺傷事件、死体は別のどこかへ遺棄。と頭をよぎる。が――

「依頼されてめった刺しただけだぜェ。とある女が窓から乳児を落としそうになっていたもんで」

「!!」

 突然背後から声をかけられ、夢夜はすぐさまそれから距離をとる。

 彼の目の前には、ところどころ黒く汚れたミリタリーコートを羽織った男が立っていた。シャツとボトムを着崩して体つきはわからないが、見たところ長身の中年男性のようだ。

「話を聴けば、非協力的な暴力旦那に愛想が尽きた、だってよ。よくある話じゃあねェか」

 安っぽい小型のライターで煙草に火をつけると一服し、男は独りで語り始める。

 よく見ると、コートの袖とシャツには赤黒く染まっていた。さきほどの諍いはこの人物によるもので間違いないようだ。夢夜は被害にあった存在が気になるものの、その怪しい男と周囲と警戒する。

「あんたが手を下さなくても、通報するとか……方法はあったんじゃないか。なにもあんなに傷つける必要はないと思う」

 夢夜のその抗議は牽制または虚勢のようなものだった。黙って怯えているよりかは、何か言葉を口に出していた方が、ほんの少しだけ心持ちが〝まし〟になるらしい。

「おっと、年功序列、敬意を払え。オレの名前は鬼岩慎吾。お前は〝難浪夢夜〟だろ」

「は――!?」

 夢夜は自身の名前と顔が知られていることに目を見開く。

 そんな彼に構わず、鬼岩は煙草の煙を肺いっぱい吸い込んで、夜景を眺めながら紫煙をくゆらせる。

 悠長そうに考えに耽る姿に、夢夜は少しだけ拍子抜けしてしまう。

 鬼岩は満足したのか、地面に放ったそれを靴底で火を消しつつ、やっと夢夜の意見に応える。

「あー、で? テメェのその意見だが。もっと酷くなると思うけどな、オレは。物事を甘く見てまともに取りあわねェクズに期待なんざしねェ。公平なんかあったもんじゃねェ」

「それは、あんたの……鬼岩の主観だろ。ただの偏見だ」

「なら、弱者の声を聞いたヤツがいたか? 親身になって助けてくれたヤツがいたか? なんで必死こいて生きてる人間が咎められなきゃならねェ? ――真っ当に生きてきたのに、なんで冤罪なんかで苦しめられなきゃならねェ?」

「? 事情やタイミング、関わる相手によるもので一概には言えない。それに、全部が全部……助けられるとは思えない」

 鬼岩のその言葉には私情が混ざったように思い、夢夜は怪訝な顔で彼を見つめる。 

「はっきりしねェな、難浪。テメェは被害者の人生を、弱者の命を、軽く見ているとは思わねェのか」

「あんたもさっき誰かを殴り倒したっぽいけど。その様子だと、他にも何人か手にかけたんじゃないか?」

「なァに、勧善懲悪ってやつだ。意外と仕事が多くて笑えるぜ。社会が、法が裁かねェなら、オレがこの手で裁くだけ。 ――『「悪を以って悪を制す」』ってなァ」

 鬼岩が発した言葉に、夢夜は、彼の声とは別のくぐもった音が被ったような気がした。

「秩序や法があっての裁きだ。個人のそれはただの自分勝手な暴力にすぎない!」

 夢夜のその言葉は、鬼岩を大きく切りつける。

 ――その立場になった事がないから、憶測で何でも言える気楽さ。

 ――その世界を見た事がないから、〝正しいこと〟が言えてしまう台詞。

「なんだ。テメェは自分勝手じゃねえと言うのか? 自分は今まで生きてきたなかで、すべての問題を正しく解決し、すべての不条理を文句を言わずただ受け入れてきたのか? 皆誰しも抱いた殺意を、怒りを、法だの道徳だのに縛られて動けねェ代わりにオレが実行しているだけだぜ」

 どうやら夢夜は鬼岩の反感を買ったらしく、彼は怒気を含める。

「それは……。人とは間違いを犯すもので、不条理もいってしまえば避けて通れない人生の障害で、受け入れるしか――」

 夢夜は怨鬼を、峠友恵を思い出す。障害だらけの人生、その末路。彼らのその後を視てしまった夢夜は、その先を紡ぐことはできなかった。言う資格がないと思っているのだろう。

 伯奇が阻止したとはいえ、彼女の道連れを拒み受け入れられなかったのは事実。『死ななくてよかった』等と宣うそれさえも、自分勝手といわれているようで、夢夜は吐き気を感じる。

 鬼岩はなにかと夢夜を重ねているらしく、遠くを見つめてうんざりした顔で溜息を吐いた。

「どうしてこうも、何も知らねェヤツほど〝正義〟っていう空想を抱くんだろうなァ」

「そうだとしても……お前のそれは、〝必要悪〟なんてものは、自分の悪事を正当化させるための言い訳だ」

 まるで弱者の総意。――代弁者とでもいうように、弱き者の主張を誇張させて大儀とする在り方。

 〝報復〟や〝世直し〟を免罪符にし、身勝手な理由で他者の命を奪おうとする彼に、夢夜は否定する。 

「自分がやってきた事が全部正しいだの最善だの言うのか? もしかしたら、その善意、善行、正義が――誰かを苦しめているかもしれねェよな?」

「正義が、誰かを苦しめる?」

「テメェの〝仕事の手伝い〟とやらも〝正義〟も、自己満足に過ぎねェだろうよ」

「!」

「人間は欲深くて傲慢で、他人より優れていねえと気が済まねェ。まともなフリして蹴落として他人を犠牲にして、それを〝正義〟と宣うんだぜ? 高慢だとは思わねェか? 自分を棚に上げてヒーロー気取りはねェよなァ、難浪」

「俺は別にヒーロー気取りなんて思ってない。ただの人助け程度に――」

 そこまで言いかけて夢夜は口を噤んだ。喉奥がつっかえてさらに青ざめる。

 鬼岩の追及に、自身が抱いた希望を、矛盾を突き付けられたからだった。空気が張り詰めるのを感じて、彼は後退りする。

「現実から逃げて、偽善を働いている自分は、清廉潔白だと思ってんのか?」 

 鬼岩の核心を突く発言に、夢夜は言葉を失う。

 彼の罪――人の魂を■■■。言い換えれば人殺し。

魂が輪廻転生すると仮定するのなら、■■■命の道はそこまでとなる。死んだ後に、また死ぬということ。魂の消失であり輪廻の行き止まり。

(でも、あれは、伯奇のせい。俺自身はなにも――)

 考えれば考えるほど、その〝現実〟は眩暈を引き起こす。

 堪らなくなった夢夜は、住宅地へまぎれようと跨線橋の階段を駆け下り逃げ出した。

(!! さっきの血痕がない!?)

 位置的に見かけるだろうと思っていた、先ほど被害者は何処にもいなかった。

 締め出されたのか、あるいは閉じ込められたのか分からないが、この空間には彼らしかいないらしい。

 自分ではない、夢夜の体が知っている、異様な力の働き。

 単独では対処しきれないと判断した夢夜は、走りながらスマートフォンでカルミアに通話を試みるが、――端末はバチィっと弾け飛び、重力に向かって地に落ちる。画面は大きく割れ、電気の光を放っていた。

「そんな――」

『「サシだ。他人に頼るな。多数を求めるな」』

(またエコーかかったみたいな二重音声……いったい、何なんだ!!)

 後を追いかけてきた、鬼岩による攻撃によるものだった。夢夜はスマートフォンを拾い上げようにも、感電の危険性があるため、手に取ることができずにいた。ここで、気絶などしている場合ではない。

 鬼岩は手で顔を覆い、天を仰いで大きい溜息をつくと、訣別の言葉を紡ぐ。

「全部〝無〟になれば、こんなクソめんどくせェ事考えなくて済む。まずは目障りなテメェをぶっ殺してから、全員消そう。この世界も社会もぶっ壊す」

「そんな事は、させない……!!」

 秩序を乱そうとする鬼岩に、夢夜は強く拒絶する――と、その手には無光の生太刀が在った。

(ッ??)

「ヒュウ~~。大層な得物じゃ――ねェか!」

 鬼岩は夢夜を茶化したかと思えば、一気に間合いを詰めて彼の懐に入る。

 その手にはサバイバルナイフが握られ、下から上へと振り上げられた。夢夜は咄嗟に刃を交えて攻撃を受け止めると、すぐさまキンッと弾かれてしまい、――視界が揺れ、背中に痛みが走る。

「~~~~!!」

 足技をくらい、転倒したのだった。痛みに悶えていると、馬乗りになった鬼岩にナイフを突き立てられそうになるが、寸でのところで身を捻り回避する。死になった夢夜は、柄の先端で彼の横腹を思いきり殴りつける。わずかではあったが、太刀が握られたそのは手は光を纏う。

「ぐっ……」

 呻きよろめく鬼岩から抜け出して、夢夜はそのまま逃走する。

(三十六計逃げるに如かず! 体術と筋力は向こうが上手、接近戦では敵わない……!)

(スマホはあいつの仕業で使えない。ゴースト絡みなら、なんとか時間を稼いで、カルミアにこの異常に気付いてもらうしかない!)

 夢夜は日中の疲労のことなど忘れて、閉じ込められた空間を走る。カルミアに気付いてもらえるよう線路沿いに逃げていると、辺りは繁華街に変わり、幅のある踏切が現れた。どうやら、大きな駅が近いらしい。

 彼は明かりの多い場所に出られ一息つくも、背後に轟音が落ちて心が跳ねる。

 雷とともに鬼岩が現れたのだった。一瞬で追い詰められ驚くものの、線路脇に落ちている砂利を複数手にすると、散らすように投げつける。

「ちっ。邪魔くせェ――!?」

 鬼岩が電撃で砂利を捌いている隙に、夢夜は彼の死角から峰打ちを決める。

 しかし、ぬるりした感触にまったく手ごたえを感じられず、夢夜は目を見開く。

(さっきは攻撃が通ったのになんでッ……!?)

 ナイフを振りかざしつつ、手と足で殴打を仕掛けてくる彼に、夢夜は刀で防ぎ逸らし続けることしかできない。夢夜にとって、敵意はあっても殺意はないのだ。

 それでも、少しだけイメージをして生太刀の神秘を引き出そうとする。刀身が弱い光に包まれる。

 距離をとりつつ、生太刀を数回ほど薙ぎ払い、衝撃波を打ち出す。

 以前見た、カルミアの見様見真似。だが、その光を纏った斬撃はどういうわけか、全て彼の体に吸収されてしまうのだった。

「……!?」

「おら、返すぜ!!」

 その言葉とともに地面を伝い電撃が波打った刹那、轟音を立て夢夜の体へと稲妻が落ちた。それは瞬きをする間もなく衝撃を走らせ、――彼の周りを避けるようにして地面は焼け焦げた。

「ンだァ? 効かねェのか」

(び、びっっっくりした――!!)

 生太刀の神秘により無傷に終わった彼はその場に立ちすくむ。心臓がどくどく早く鼓動し冷や汗をかくが、どうやら無事のようだ。

「やめやめ。ッたく、埒があかねェ休憩だ」

 鬼岩は吐き捨てるように言うと、コートのポケットから煙草とライターを取り出して一服する。

「そういえば、お前と一緒にいたド派手なピンク髪の女。お前を騙して、罪を被せているのは知ってっか?」

「なんで、あの子が出てくる?」

 突然話を振られ、夢夜の顔は険しくなる。名前と顔だけでなく、深い内容まで知られているようで緊張が走る。

(『一緒にいた』? いったい、いつ、どこで見られていたんだ!? 『騙す』ってのもどういう――)

 外出中、彼女は気分で〝霊体〟〝実体〟と姿を切り替えるのだが、どうやら目撃されてしまったようだ。

「見た目は可愛いかもしんねェが、テメェがこんな状況でも奴隷みたく使い倒してよォ。捨て駒かァ? まったくとんだ悪女じゃねェか!」

「!?」

 その発言に、夢夜は固まってしまう。鬼岩は一気に間合いを詰めると、彼の腹をめがけてナイフを勢いよく横に切り込む。

「いっ!」

 不意打ちだった。どうやら休憩終了の合図らしい。

 夢夜は反射的に紙一重で身を逸らし、切れたのは服の布だけ。そのはずだった。

 それは瞬きの間。

 左脇腹に鋭利な物体を突き刺され、異物感と痛みと熱が同時に夢夜を襲うと、鬼岩は一気に横に滑らせ、その肉を切り裂いた。

「ぐぅッああああああああ――――――――――!?」

 悶え苦しむ夢夜は、その場に崩れ、膝をついてしまう。

 彼が倒れる瞬間に目にしたのは、形状の違う二本のサバイバルナイフを両手に持つ鬼岩の姿。

 初めて見た刃に血が付着しているあたり、二本目のナイフの追撃だろう。

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い―――――ッ!)

 裂かれた場所を必死に手で抑え込もうとする夢夜。

 不意に見てしまった腹部は止め処なく溢れ出る鮮血で染まりつつあった。

 服に吸収されなかった余分なものは少しずつ液溜まりを作っており、恐怖を抱く。

 不快感からか、臓器の損傷によるものかは判らない――だが、夢夜は咽返って吐血する。

 なんとか口を強く結び痛みを耐え忍ぼうとするが、屈んでいるところを下から思いきり蹴り上げられ、仰向けに倒れて後頭部を打つ。

 踏切から線路の方まで蹴り飛ばされた夢夜は強い衝撃をともない、小石やレールに身体を打ち付けられてようやく止まった。全身がずきずきと熱を持ち、自身の意志に反して傷口は血を流す。

 夢夜は呼吸を整えることも、悲鳴も上げられずにいた。

「いい加減、現実見ろォ。いつまでも悦って夢見てんじゃねえぞ、クソガキィ! 多分あれだ。俺はお前を殺しても許せねえし、俺がいま死んだとして許そうとも思わねェな」

 夢夜の傷口に火が残る煙草を放り、体重をかける鬼岩。傷口を殺意を込めた足が、火種が、彼の体をひどく痛めつける。のたうちまわろうとも、抑えつけられて身動きがとれない。

「!? ッああああああぅ――――!? ぐ――ぅ――」

 全身に伝わる激しい痛み、内側に入り込んだ耐え難い熱。

 異物を拒絶しようとびくびくと震え、夢夜が力なく呻いた刹那、――見えない何かが空を切って、鬼岩の体は反対側の線路上まで吹っ飛んだ。

 その体は数回跳ね、ごろごろと転がってやっと止まる。砂利による打ち身に唸りつつも、鬼岩は起き上がろうと肘をつく。

「いってえ。なにが起き……!?」

 キンキンと金属がぶつかり合う音が左右から近づいてくる。

 鬼岩は異能で構築した結界で夢夜と激闘を繰り広げていた。結界の権限は彼にあるため、誰も干渉はできない――はずだった。

「!! まさかっ――」

 これから起きる出来事に戦慄が走る。線路上から逃れようと必死にもがく鬼岩だが、地面から現れた帯に全身を縛りつけにされてしまう。

【「恐懼せよ。この人間に手を出したその罪咎。万死に値する――」】

 脳内に、くぐもった声が直接響く。彼は全身から血の気が引いていくのを感じていた。

 呪詛。奈落。虚。

威勢のよかった表情は一変し、がちがちと歯を鳴らし震える。

彼の体が深い闇に引きずり込まれる錯覚に触れた一瞬、轟音とともに爆ぜた。


 

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