5章 同衆餓鬼-前編
知恵を持つ者は時として残酷である。
大儀や正義を掲げ、異質なものを排除しようとする世界。
不都合な出来事を隠蔽しようとする社会。
弱者が虐げられ、強者は欲を満たし愉悦する。
命の天秤は答えを出さない。
罪の天秤は大きく傾き罰を与える。
ならば『悪を以て、悪を制す』者の末路は――
zzz
『なんで助けてくれなかったの?』『何故救ってくれなかった?』『ああ、もうどうでもいい』
『苦しいのに、悲しいのに、憎いのに、なぜ奴だけが成就するのだろう。なぜ俺はこんな事になっているのだろうか』『報われない報われない報われない! おかしいおかしいおかしい!』
『羨ましい妬ましい恨めしい』『理不尽で不条理だ。慈悲などどこにもない』
『何も成せず死んでいく――』『お前が■■■■■■■■■――』
「うわあああああああああああああああああ!!」
深夜。難浪夢夜は自分の叫び声と同時に飛び起きた。
ベッドから自身のテリトリーでもある空間を見渡すが、見慣れたそこはしんと静まり返るだけだった。
両手で顔を覆い隠し呼吸を整えつつも、夢の中で聞こえた言葉が耳奥に残り、消えない恐怖に焦りが募る。退路を断たれた状態で人の悪意や憎悪を生身で受け止め、ただでさえ不安定な精神が擦り減っていく。
間違いだと声を上げたくとも責められ続け、大きくて暗い穴に突き落とされるような絶望感。
(なんで、俺ばっかり――!!)
「マイスタ~~。 黒てかりする、虫でも出た~?」
一階のソファで寝ていたはずのカルミアは、床を幽体で通過してきたらしく、眠そうに目をこする。
しかし、声をかけられた夢夜は先ほど見た悪夢で過敏になっているのか、毛布で包まって恐怖を凌ごうとしていた。
隠遁とでもいうように被ったそれを少しだけ持ち上げて、視力の悪い目を凝らすと、眠気で立ったままぐらぐら揺れている彼女のシルエットを見て安堵する。
「カ、カルミアか。ちょっと…………怖い夢を見て」
毛布から顔だけ出すと、子どもじみた理由に迷いつつも言葉を返した。
自嘲を含んだ彼の口ぶりに、「ふうん?」と相槌を打って、彼女は状況を理解する。
そして、なにを思ったのか、カルミアは毛布を被って丸くなった夢夜を反対のベッドの端へと押し込んで、空いたスペースに寝転ぶ。
「もっと端に寄ってください」
夢夜は依然として毛布に包まったまま足を伸ばして、狭いベッドに二人は収まる。
向き合って横になる体勢となり、お互い密着する。ここまでくると、目を凝らさずとも彼は彼女の表情までもが判別できてしまう。
(壁のほう向いて移動すればよかった!!)
心のなかで羞恥と後悔を織り交ぜたツッコミを入れていると、カルミアと視線が合い、気恥ずかしさにより思わず目を伏せた夢夜。
彼女はというと、悪夢を見て寝付けないのであろう彼の頭を優しく撫ではじめた。
「おこちゃますぎて笑えます」
半分寝惚けているとはいえ、くすくす笑いながら発動された母性溢れるそれに対して、彼は一気に顔を火照らす。
(いや、そこまでしなくていいが!? てか、どの意味だそれ!!)
お子様発言に、なんと文句を返せばいいかと思考を巡らすが、状況が状況で考えがまとまらない。
一人で悶々と考えている彼の心情も知らず、その間にもカルミアは変わらない手つきで撫で続ける。
「私、今めっちゃ優しくないですか~~? ふああ、起きたら……分厚いふわふわのスフレパンケーキ御饌てくださいね」
寝言に近い自画自賛と、対価の要求らしき言葉を呟いた。聞き慣れない言葉が含まれ、夢夜は脳内の辞書を引く。
「? みけ、ってなん……」
「ぐぅ」
(えッ、この状況で寝落ちた!?)
意味が分からず彼女に問いかけてみたが、幼子が眠るように、すぅすぅと安らかな寝息だけが返ってきただけだった。
夢夜は頭に置かれた手を退けようとも、無邪気で無防備な寝顔が視界に入り思わず目を瞑る。
そもそも、彼女のこの行動に理解できない彼は、混乱を極めていた。
怨鬼の件で関係が少しだけ気まずくなっており、ゴースト回収の手伝う量も減らしていたのだ。
しかし、気まずいと思っているのは夢夜だけで、変わらない距離で接してくるカルミアを何かと理由をつけて、彼が避けているといった方が正しい。
もし、彼女が変わった部分があるとすれば、皮肉交じりの会話が減ったくらい。
それでも、夢夜は先日のカルミアの顔を忘れられず、必要最低限に留めてなるべく触れないようにしていた。
恐怖でもなく絶望でもなく、生きる為に――小さな光を頼りにするしか術がなく、諦めた表情。
選択肢はない。ノーは認められない。答えを間違えられない。それしか方法がないという眼差し。
夢夜にとってカルミアはただのビジネスパートナ―、居候仲間、かろうじて友人のカテゴリに収まる関係性。
そのはずなのに、心に針を刺されて今もずっと引っかかっており、忘れられないのだ。
(お前は、本当は……何者なんだ?)
彼のなかで罪悪感が募るが、何かに阻まれたかのように思考は停止し、深い眠りに誘われた。
肌寒さを感じてカルミアは瞼を開けると、目の前には毛布を被ったまま規則的な寝息を立てて眠っている夢夜がいた。
寝惚けて彼の布団に入ったのだろうと自答して体勢をかえようとするが、体の一部が痺れている感覚に驚く。痺れの先を目で辿れば、自身の手は彼の頭にあった。
なんとか力を込めて腕を伸ばしつつゆっくり仰向けになる。
一息ついてヘッドボードにあるデジタル置き時計に視線をやると、朝の五時を表示していた。
中途半端な時間に起きてしまい、二度寝をするか考える彼女は、隣にいる夢夜に顔を向ける。
視線を移しただけの行為だったが、何故か――熟睡中の彼の寝顔に惹かれて、つい眺めてしまうカルミアがいた。
デジタル時計の数字だけが先を刻んでいく。
我に返ったカルミアは夢夜が被っている毛布の端を持つと、起こさないように少しずつ自身へと毛布を寄せて体に掛ける。
程よい温もりに目を細め、体を丸くして全身で享受する。
彼女が夢夜にとった行動は特に理由はなく、「怯えた彼を安心させたかった、守らなければならないと思った」だけだった。いうなれば〝責任〟のような意味合いが強い。
それでも、カルミアは少しずつ思い出してきたかつての上司と難浪夢夜を重ねていた。
(心配してくれる、それがとても嬉しい)
(素っ気ないように見えて、文句を言いつつも、付き合ってくれるその優しさがたまらなく好き)
(目尻を下げて笑いかけてくれるその表情が愛しい)
(たしかあの人もそうだった――)
その役割が終われば、〝全てが終わる〟にも関わらず、彼女は少しだけ夢を抱く。
「ちょろいのは私かもしれませんね……」
当初の計画通り進んで正しい選択であるはずなのに、後悔し贖おうとしているカルミアがいた。
zzz
翌朝。休日、朝七時半。
壁を背にして眠っていたはずの夢夜は、何故か反対側の床に蹴り落されていた。
痛みに耐えつつゆっくり立ちあがり、ベッドと毛布を独占したカルミアに目を向ける。
夢夜は鈍痛と寝相に文句を言うつもりで口を開こうとするが、
「むにゃ……ふへへ~~」
「ッ~~~~~~……!!」
毛布を抱きしめて幸せそうに頬を緩ませた表情に何も言えなくなり、唇を強く噛むしかなかった。
朝支度を済ませた夢夜は、朝食の準備に取りかかる。
冷蔵庫から作り置きしたコールスロー、ブロッコリーとベーコン和えを取り出す。
カルミアの借りを早く返したいという気持ちから、メインはスフレ風パンケーキに決め、検索した動画の手順通りに作っていく。利子が高くつきそうで怖いのが本音かもしれない。
生地を焼いている片手間にフルーツを切っていると、音と匂いに誘われたのか、二階で寝ていた拓哉とカルミアが一階に降りてくる。
「おはよう。もうすぐ朝飯できるから、顔洗ってきな」
「おは……ん? カルミアさん、いつも一階で寝てなかったっけ?」
「ん~、途中から二階のマイスターの部屋で寝たんですよ。ふあぁ」
「え……!?」
欠伸をしながら答えるカルミアに、眠気が吹っ飛んだ拓哉は驚きを隠せなかった。
この家は面倒事が起きないよう、別室で眠る決まりになっている。というより、夢夜も拓哉も、自身のパーソナルスペースに入られるのが苦手という理由だ。
夢夜のほうは、出会った当初から無遠慮に入ってくるカルミアに慣れてしまって克服したようだが。
家主代理でもある拓哉は不健全な事でも起きたのかと思い、汚物を見る目で彼を睨む。
「いや、俺のせい? 違うからな!?」
最近、少しずつ右肩上がりに好感度グラフを更新している従兄弟。
ただでさえ不安定な信頼に亀裂が入り、崖っぷち底値を叩き出す勢いだった。
「マイスター、怖い夢を見ちゃったんですって~。お返しに、ふわふわスフレパンケーキ作ってもらうんですよ」
「!! ふわふわ……ケーキ……!?」
カルミアの「ケーキ」という言葉に食いついた拓哉は、居候の失態を思考からすぐさまカットして、ケーキの想像を膨らませる。二学期に入り、夏休み中に食べに行ってきたらしいクラスメイト数人が話題にしているのを耳にし、興味津々なのだ。
拓哉は存在自体は知ってはいたが、リアルな感想を耳にするとどうしても気になってしまうのだった。
分厚く、くたっとした柔らかさを前面に押し出したスイーツ。ホットケーキの作り方をアレンジして、メレンゲで高さとふわふわ食感を作りだしている至高の一品。クリームやフルーツを添えて見栄えのよいSNSの写真、バターをのせてハニーシロップを回しかけている食レポ動画。
「俺の話は置いておいて……その話題のパンケーキがもうすぐ焼けるから準備しろよ」
「「わーい!!」」
夢夜は胸を膨らませている二人に支度を促すと、無邪気な声が返ってくる。
彼らは食べたいものがすぐ出てくるなんて夢のようだとはしゃいで準備をして戻ると、食卓には皿に盛り付けられたスフレパンケーキが並べられていた。
表裏はきつね色に染まり、側面は淡いクリーム色で食欲をそそられ、それは生地から熱が抜けて柔らかくなったのか、力なく形が崩れていく格好は愛らしさを兼ね備えていた。そのうえパウダーシュガーという粉雪を降らし、どことなく神秘さを醸し出している。
ココット皿には切った苺やバナナ、キウイ、ブルーベリーが添えられ、卓上を彩っていた。
マグカップからは紅茶の香りが漂う。
「SNSで見たやつだ……! えっ、これは流石に写真撮りたい」
「料理に関しては素直に認めざるを得ない……。これは、ぜーったいに美味しい!!」
「ン。そりゃよかった」
写真を撮ったり、本音がだだ漏れる二人。夢夜は彼らの歓喜にまんざらでもない様子で相槌をする。
平常を装っているが、今にも恵比須顔になるのを抑えているといったほうが正しいかもしれない。
なんとか持ち直した夢夜は自身の力作を口に含んで、数回咀嚼をして飲み込むのだが――、違和感を覚えて持っていたフォークをテーブルに置く。
先ほどまで空腹感があり、味覚も食感もあった。
初めて作ったにしては出来栄えが良く、視覚的にも異常を招く要素はない。ただ、感動が一瞬で駆け抜けて、すぅと溶けて無になる感覚に陥った。
体調や気持ちの問題なのか、無性に空しさを感じてしまい、彼は二人に皿を差し出す。
「歳かな……。口つけてないとこだけど、いるか?」
「「いるっ!!」」
即答だった。夢夜の皿の上はたちまち空になり、カルミアと拓哉の皿の上にはスフレパンケーキが一個づつのせられる。
『食べたくなれば、また作ればいい』と思い、彼は紅茶を呑みながら食事風景を楽しむことにした。
やがて二人が食事を終えると雑談タイムになり、夢夜は抱えていた疑問をカルミアに投げかける。
「思い出したんだけど。カルミア。夜中に言ってた〝みけ〟ってなんだ?」
「? そんなこと言いましたっけ。覚えてませんねえ」
「歴史の授業でやったけど、〝神饌〟じゃない? りつりょーなんとかで出てきた」
「ああ、神饌の事か。あとそれ律令制度な。でも、またでそんな言葉……」
「私はマイスターたちより上位存在。神様レベルで偉いので! 貢いでくれていいですよ!」
『ふふん』と鼻を高くして得意げになるカルミアだったが、二人は口をそろえて「「あっ、そう~」」と興味なさそうに相槌を打つ。拓哉はスマートフォンをいじりはじめ、夢夜は静かに紅茶の入ったカップを揺らす。時々行われる彼女のどや顔上目線要求に辟易していた彼らは、スルーを決めようとした。
「…………うっうぅ」
「えッ! なんで泣く!?」
「わーん! マイスターと拓哉がいじめた~~~~」
その塩対応は結構効いたらしく、カルミアは嗚咽し泣き喚きはじめる。
夢夜は拓哉に目配せするが、納得のいかない主語のでかさに拓哉は虚無を見つめて口をへの字に曲げているようだった。
考えた末、二人は彼女の機嫌をとるべく、急遽十時間ほど耐久映画鑑賞が行われたのだが――。
拓哉はアクション映画のみ観て、リタイアした。その後は夢夜とカルミアの二人で、ホラー、ゾンビやクリーチャーものといった殺伐とした作風を立て続けに鑑賞する。
人間同士の醜い部分が表現され、救いのない展開、後味の悪い結末により夢夜の体力は底を突いた。彼は途中飽きそうになるも、真剣に観るカルミアの横顔を見て、気持ちを持ち直す。
(カルミア、映画観るときはけっこう真面目なんだよな。途中からだとすぐ飽きるけど……。俺たちと違う存在らしいし、人間の文化に好奇心旺盛なのだろうか――)
そこまで考えて、夢夜は不安を無理矢理掻き消すと、画面のなかの物語に集中することにした。
あっという間に夜になり、夢夜は自室に戻ると、吸い寄せられるかたちでそのままベッドに倒れ込む。
夕飯は出前でピザを取った為そこまで家事の負担はかからなかったが、耐久鑑賞の疲労は抜けない。
「草とナゲットとピザ一切れで満腹。パーティーセット高いのに……なんで小食なんだ……くッ」
食べる機会の少ないジャンクフードに食い意地を張り、夢夜は少しだけ枕を濡らす。サラダを草というほど、やさぐれているらしい。
先日の怨鬼との邂逅による影響なのだろうか、あの日以来、彼の体には異変が続いていた。
スマートフォンを通さずともゴーストが視えており、小さな怪我をしても数分後に跡形もなく塞がる回復速度、生理的欲求の低下を感じていた。
デスクワークで疲れた脳を休ませようと布団に入るが眠ることが難しく、眠ったとしても悪夢に苛まれる。彼の心は欲求しているが、体にとって、それは『欲求』ではないらしい。
心と体が食い違っているように感じ、生物としての本能が薄れ別の何かになるのではないかという不安に襲われるものの、カルミアにその異変を伝えるべきか迷い、結果聞けずじまいだった。
自身の行動に正当性があるのか、間違っていないだろうかと自問自答するようになり、考えることが多くなる。
しかし、考えたとしても、悪夢が、出会い回収してきたゴーストたちが――残酷非道だと突きつけてくるのだ。
「俺は間違っているのか……? 人の助けになっているのではなく?」
気分転換しようとパソコンを起動して、運営しているサイトに接続すると、匿名のダイレクトメッセージが数件届いていた。夢夜にとって日常であり、いつもと変わらぬ手際で一つずつ開く。
しかし、最後のメッセージは悪戯なのか空白が多く、画面を下へスクロールをする羽目になった。
そして、《人殺し》という文字を目にする。
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