4章  幽愁暗恨-幕間


       zzz


  これは誰かの記憶。

 青髪をもつ十歳に満たない少年は、独りで河川で遊んでいた。

水面に映る自身を見つめる。

物心ついた時には、すでに彼には親がいなかった。

 少年は施設暮らしなのだが、新しく入ってきた子どもに変な名前と揶揄われて喧嘩をしたのが一時間ほど前。居心地が悪く、勝手に抜け出して、家出ならぬ『施設出』をしている最中なのだ。

「先に悪口言ったのは向こうなのに。そんな子に優しくしなきゃいけないの、絶対おかしいよ……」

『ぼくのほうが先にいて、せんぱいなのに』と、少年は不貞腐れた顔でぽつりと呟く。

行き場のない苛立ちから、底が見えない水に指を入れてぐるぐるとかき回してみる。

 動かす方向に水の流れができると、思い通りに動く様に、少しだけ優越感にひたる。

「帰りたくないなぁ」

と、小さく零した刹那

 誘いこまれるように――

 導かれるように――

 何かに呼ばれた気がして――水のなかに静かに落ちた。

 不意に、耳穴と鼻腔から水が入り聴力と呼吸を奪われる。

先ほどの優越感とは一変し、身体を支配された絶望感が一斉に押し寄せる。

 急いで水面に向かって腕を動かそうとするが、『行かせない』とでもいうように、何かに両足を引っ張られた。

 生物の細い触手なのだろうか、しかし、人の指のような感触を残していた。

 ぶよぶよとした触手は物体は絡みついて、縋りつくように足から胸下まで徐々に呑み込んでいく。

 【(縺ゅ≠縲√>縺ィ縺励>縺イ縺ィ)】

 少年はその歪な〝声〟を聞く。

 耳に水が入り込んで聞こえなくなったはずなのだが、どうやらそれは直接脳内に響くもののようだ。

 あり得ない出来事に、少年は体が固まってしまう。

 【(縺翫∪縺。縺励※縺翫j縺セ縺励◆)】

 【(繧上◆縺励r縲√◆縺吶¢縺ォ縺阪※縺上□縺輔▲縺溘s縺ァ縺吶??)】

 彼の魂はその意味を悟ると、それを哀れみ悲しんだ。

 しかし、齢十の少年にとって得体の知れないそれはひどく恐ろしく、振り返ることができない。

(ここで死んじゃったら、誰にも見つけてもらえない――忘れられたくない)

 もがけばもがくほど、水底に引っ張られてしまう。少年の脳に悲痛な叫びが木霊する

 【(縺?°縺ェ縺?〒縲√>縺ィ縺励>縺イ縺ィ ‼)】

 息苦しさから、体内の酸素が枯渇する。身体の感覚が薄れていき、視界に靄がかかる。

 水中で寒く冷たい世界のはずなのに、それは温かい靄で、漆黒を照らす微かな光であった。

 意識が途切れる瞬間、少年はそれに向かって手を伸ばす。


 ■■■■■の片隅。

 ジャンクデータにも満たない、隅に追いやられた情報。

 忘れられた存在。

 蓄積された、成就できなかった願い――「無念」である《   》に触れた。


 サイレンと大人の男性たちの張り上げる声や女性の悲鳴が聞こえた気がして、少年は重い瞼を開けた。

「あなた目を覚まして! 嘘、こんなの嘘よぉ……!」

「奥さん、離れて! 」

「少年の意識が戻った! 君、大丈夫か!」

 救急救命士に安否を問われたが、少年は覚醒しきれていない意識により口が動かせずにいた。

 どうやら、口元には酸素マスクが装着され、毛布で包まれていたようだった。

 異常な寒気に恐怖するが、奈落のような水中ではないことに安堵する。

 そして、自分の意志とは別に、どうしようもない眠気が彼を襲い再び目を閉じた。


       zzz


  辺り一面に線香の香りが漂う。

 大きな泣き声が聞こえる。子どもの声だ。

 すすり泣く声が聞こえる、女性の声だ。

 少年は病院に運ばれたものの、奇跡的に軽度の症状で済んで二日ほどで退院し、葬儀場に来ていた。

彼は部屋の隅で、施設の職員が何度も女性と子どもに向かって頭を下げているのを眺める。

先ほどまで、彼自身もそこにいたが「あの人が救った命だけど、今は見たくない」と女性に拒まれてしまったのだ。

 赤の他人ではあるが、〝母〟という象徴に拒絶され、居心地の悪さにより俯いてしまう。

 人に言われて改めて知らされる罪の意識からか、落ち込んでいる少年に小さい灰色の靄が肯定の言葉を紡ぎだす。

『偶然に起きた不祥事に、悪意はない。謝辞も負い目も感じるだろうが、過度な自責は不要である』

「……ぼくのせいで、あの子のお父さん死んじゃったのに?」

『案ずるな。お前の一部に成るだけだ』

「それって、どういう意味?」 

『愚生は、 契約したお前を助け導く存在。いまは未熟、 他者から養分を得る必要がある。故に《   》のである。比喩ではあるが、愚生の中にその人間の情報は存在している』

「君の言ってること、よく分からない」

 少年は前髪の間から、ちらりと灰色のそれを見る。

 棘を含む言い方に、靄はもどかしさを表すように中心に煙霧を寄せてから弁解をする。

『……美談にするのは好ましくないが。あの者は命を賭してお前を救ったのだ、悲観になるな』

「そうなんだ……。ぼくも、あの子のヒーローになれない?」

 救った。その言葉から善行を感じ取った少年は、不意に、無謀と呼ぶべき役柄の単語を口にした。

 先ほどの内容は難しいと言われた手前、靄はデータから単語の意味を検索する。

 しかし、少年がどの事柄を指してるのかその心情を汲み取れず、会話の冒頭から察することにした。

『贖罪か?』

「しょくざい、ってなに」

 なるほど、違ったようだ。と、靄はその微粒子の塊を大きくくねらせてから元の形状に戻ると、質問の答えを告げる。

『善行を積み、自身の犯した罪や過失を償うことである』

「つぐない……それかも。ごめんって気持ちと、何とかしてあげたい気持ちでいっぱいなんだ。あんなふうに泣いてる姿――もう見たくない」

 少年はゆっくりと顔を上げて、遠くで泣いている親子に視線を移す。

 彼のそれは何かを含んでいたが、本人も知らずに出た言葉に、靄が理解できるはずがなかった。

 判ったのは、罪悪感に苛まれながらも、僅かな希望と憧れを抱いて覚悟を決めた姿だったということ。

 賞賛がほしいのではなくて、誰かから見ても素晴らしいとされる正義の振る舞いをするのではなくて、超人的な能力も知識も技術も何もない少年は――ただ、人の助けになりたかったのだ。

『相分かった。このような状態でも、滑り込ませるくらいならば容易である』

 灰色の靄は少年に問う。

『愚生は■■■■■。固有名は不明である。お前の名は?』

「かたなみ、いめや」


 それは〝かたち〟を得た合成獣の記憶。

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