4章  幽愁暗恨-後編

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 夢夜とカルミアは跳躍しながら霊園に近付くと、彼女は生太刀を顕現させて上空から斬撃を放つ。いつも以上に力を込めた浄化一閃により、跋扈する怪物たちを一掃し霧散させたのだった。

 二人はそのまま地に降り立つと、残ったゴーストに目をやるのだが、――そこには白く長いウェーブがかった髪、額から生えた角は欠けており、大きい瞳を青白く光らせる存在が座り込んでいた。

 死装束を着做し、口元を覆う近代的な面頬を着けたゴースト。

 ゴーストと呼ぶには可憐で、化物と罵るには人情を捨てきれない未熟さ、不安定な心を持つ鬼の形をした少女。ソレの腕なかで身を丸める同い年くらいの少年を目にすると、夢夜は声をかけるが、

「生きた人間!? 早くその人の手当を――」

 太ももから先が無く、鮮血に染まる光景に絶句する。

「カ、カルミアなんかできないか!? お前の不思議パワーで、俺を助けた時みたいに」

「助かりません」

 夢夜はこの手の専門家である彼女に救けを求めるが、冷たくあしらわれてしまう。

「ゴーストの亜種。自我すら失い、生死の区別もなく本能だけで他の存在を脅かす『化物』による接触。これはどうしようもできません。今風で云うなら、ゾンビみたいなモノですね。彼、伝染しているのでしたら、行く先はやつらと同じ化物になるだけです」

「お前、何を……言ってるんだ?」

 数か月ほど共にして初めて聞いた内容に、夢夜は追い付けずにいた。

「まだ純粋なままで屠ったほうが、その少年の意思も尊厳も守れます」

「ッ!! ヤメテ!!」

 カルミアは生太刀を山本の体へ向けると、怨鬼が覆い被さり阻止するべく睨みつける。

「……自分を見ているようで腹立つ」

 カルミアは誰の耳にも届かないように呟く。

それは、本人も気付かず出た言葉だったらしい。少しだけ首を傾げて、すぐに雑念を払い怨鬼に問う。

「じゃあ、どうするんですか? このまま化物にして意思も尊厳もない状態でのさばらすと? こっちの仕事にも影響でますし、見逃すはずないでしょう」

「カルミア。お願いだから、ちょっと落ち着いてくれ」

「マイスターがやれない事をしているだけですよ。代りにやりますか? 自分の意思で誰かを亡き者にすることを」

 夢夜は久しく見なかったカルミアの冷酷な部分を目の当たりにし、息を呑む。

「あ、れ、寝てた」

「…ヤマ…モト、ク」

「はは。と、うげ……チャンだ」

 山本は目の前にいる異形を見ても臆することなく笑いかける。こんな姿になっても〝峠友恵〟だと思ってくれている彼に怨鬼は目を伏せようとするが、

「やっぱり、下ろした、方が……可愛いじゃん」

 彼はゆっくりと伸ばした手で、ソレの頬、冷たい面頬に触れると微笑んだ。手は頬から移動すると、長く垂れた白い髪を指でくるくる巻いていじる。ただの手遊びだと思っていたが、

「君に聞き……あって――す、きな花っ……教えて」

 縛り出したのは最期のお願いだった。怨鬼は泣きそうになるのを抑えて、それを口にした。

「ッ……。ヒマ、ワリ」

「! ……っ、ぼくとおんな…………じ……――」

「……」

 山本は思いがけない言葉に目を丸くすると、何か満たされた面持ちでゆっくり目を閉じていく。

 ソレは黙る。好きな理由は、彼のその印象が向日葵のように天を向いて堂々として、重ねていたようだ。

 怨鬼は、憧れである山本遼太郎の命が終わることを感じ取るとともに、空気がずしんと重くなり辺りに緊張感が漂う。鬱蒼とした雰囲気を漂わせたそれは、魂の変質が始まっていたのだろう。

 彼が純粋なまま終われば、これから目指す長い道のりには明確な違いが在ることを想像する。

 しかし、同族に――化物まで堕ちれば、共に歩めるのではないかと思ってしまう。

 だが、彼を敬愛する彼女にはそれができずにいた。

『我儘になる事に慣れていなくて良かった』と、生前の弱虫で臆病な自身に苦笑する。

 人を恨み呪い悪霊となった今、同じ場所へ逝くことが叶わないと知って涙していた。

 ――彼から勇気をもらい、憧れにした。その輝きを、自らの欲望で穢してはならないのだと。

 ――恨みも復讐も忘れて、彼の未来を願っていればそれで良かったのだと。

 ――生前、過酷な環境にいた自身の痛みよりも、唯一の友の死に際の方が何百倍も辛くて苦しくて切ないのだと。

 気付いた時は既に遅く、何もかも失ってしまっていた。

「アア……アアアアアアアァアアアアアアア―――!!」

 号哭とともに、青い炎が山本の体を包み込んでいく。

 その炎は決別と尊敬と懺悔を意味していたのかもしれない。

不浄に染まる前に、今生、二度目の死を迎えることがないように、せめてもと思い自分の手で別れを告げる。

 次第に、山本の魂は陽炎に溶けて輪郭を失っていく。

「うッ……あ……!」

「マイスター……!?」

 青い炎に包まれる二人を見届けていた夢夜は心臓を押しつぶされたような感覚に陥り、その場に崩れ落ちた。

 吐き気をともなう浮遊感に、自分の意思とは異なる脱力感。心臓の鼓動が早鐘を打ち危機を知らせる。

(なんだ、この引っ張られる感覚ッ――)

「わ、たしモ、イッショニ……」

〝峠友恵〟がその言葉を発した時だった。

『罪には罰を』

 その先を紡がせないよう制止をかける声が響き渡り、唐突に視界が霞がかる。

 怨鬼は声の主へと振り返ると、合成獏がふわりと姿を現した。

 ゴーストでもなく化物でなく、〝守護霊〟と宣う存在。

『お前はやりすぎた』

 現れた相手に、怨鬼の本能が警鐘を鳴らす。絶望の淵に立たされるよりも、それに怯える。

知らずのうちに接続してしまった夢夜を通して、それの情報が流れ込んでいた。

 理不尽、不条理、不平等の蓄積、声を上げることができなかった後悔。

 『怨讐』を体現したのが彼女ならば――それは、多くの人々が生涯のうちに零してきた『無念』の集合体。

忘れ去られたジャンクデータ。エラーすら改ざんして全てを呑み込むウイルス性のバグ。


 上空から現われた極光が怨鬼に触れると、その光に吸い寄せられるように彼女の輪郭は解けていく。

紫や緑に光る幕に混ざり、粒子となって散った。

 夢夜とカルミアカーテめて見る伯奇の能力に言葉を失う。

「ッ! 伯奇、なんであんなこと……!」

『あれらは愚生にはどうでもよい存在。お前は感じていたか知らぬが、魂が接続されていた。故に、こちらから取り込んだまで』

 敵意が無いと判断したカルミアは生太刀の形を解いて宙に帰すと、黙って二人の会話を見守ることにした。夢夜は目の前にいる伯奇に、疑問を投げかける。

「魂の接続って――」

『この世に起きるすべての死因と呼ぶもの。疑似的ではあるが、その身に、魂に感じていたのではないか』

 以前感じた、死に囚われる感覚。体全体で警鐘を鳴らしていたあれを、忘れるはずがなかった。

(怨鬼が消滅し始めた時に、引っ張られたのは――)

「もしかして、あいつは俺を道連れにしようと……?」

『是である。そして、これからお前には仇なす者が現れる。心せよ』

 そう言い残し、伯奇は足早に霞に紛れて消えていった。

 排除した化物の残り香に居心地の悪さを感じたカルミアは、俯いて身動きしない夢夜に催促する。

「マイスター、帰りましょう。いつ新手が現れるか分かりません」

「どうしたら……よかったんだ?」

「伯奇がやらなければ、貴方はいま生きていませんよ。私が直に手を出してもよかったですが、マイスターの魂半分欠けそうでしたし――こっちのは最終手段でしたね」

 狂気なのだろうか、二者択一だったのだろうか、困惑する夢夜を置いて、彼女は平然と言ってのけた。

 しかし、まぎれもない事実に彼は唇を強く結ぶ。怨鬼をなんとかしなければ、自分も死んでいたのだ。

 解決策もなく無力にもかかわらず、懲りずに『もしも』を考えしまうのだった。

「……不条理なこの世界では、運命に抗うことも逆らうこともできない。彼女らの運命は、結末は決まっていた」

「カルミア、お前本気で言っているのか? 何もせずに黙って運命を受け止めて、死ねって言うのか?」

「そうです」

真顔で言いきる彼女の瞳は、なにかを諦めた面持ちで夢夜を見つめる。

彼は、尖った刃物を皮膚にすうっと沿わせた緊張により、背筋がぞくりと震えたのを感じた。

希望に満ち溢れた目でもなく、だからといって殺意でもなく、そうするしか術がなく諦めた表情。

しかし、夢夜に向けるカルミアのその眼差しは、どことなく一つの安寧を見つけ出したようにも見えた。思わせぶりな言い方と、何故そんな表情をするのか理由を問いかけようとした時に、先に彼女が口を開く。

「マイスターは、怨鬼とともに死んでもよかったと思いますか? 見ず知らずの人間のもらい事故に巻き込まれてこの世を去ったとしても、何も言わないんですか?」

「それは…………よくない。そんなの認めたくない」

 思考の最中に急に問いかけられてしまい、夢夜は言葉を詰まらせるが、口にしたのは自己保身だった。

「怨鬼の性質は復讐と道連れです。他者に絶望を、苦痛を、無慈悲に死を与える呪いでした。何がどうなってあの状況になったかは分かりませんが、呪いは呪いを生みますから――」

 負の連鎖とは、こうも恐ろしいのだと思い知る夢夜。

 彼女にとっての諸悪の根源は生前の環境だった。加害者は忘れても、被害者はずっと覚えているのだ。

一時の冗談だったとしても、その悪意本位であったとしても――どちらにせよ、怨讐の炎は激しさを増し、やがて伝播していき、絶え間なく憎しみの炎を燃やしつづける。

 その末路が凄惨だとしても、遺恨を晴らさなければ、自身が生きてきた証すら無くなってしまう。

 怨鬼は自分で、自身の尊厳を守ったのだろう。

 他人が手を出すまでもなく、正解を指示さなくとも、意志を持つ存在は自身で業火の道を歩けるのだと。確固たる意思ゆえか、それとも自暴自棄だったのかは分からない。

「俺は……俺だって、何もせずに黙って死ねない。死んだとしても、最後まで抗っていたい。でもそれは、誰かを傷つけるのではなくて、途中で放り出して終わりたくないから」

 夢夜は道半ばで志を諦めろと言われて、後悔しない人はいるのだろうかと考える。

「お前はどうなんだ? 善人も悪人の魂も……俺や拓哉の魂も平等に回収するとでも言うのか?」

「私は……善人悪人も、運命がそう定めたのなら魂を回収します。マイスターたちの魂も等しく――」


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  青白い鬼と対峙し、退治した後、夕方。

 怨鬼の炎上やカルミアの一閃により半壊したと思っていた霊園はなぜか元通りになっており、静けさを取り戻していた。

 もうすぐ陽が沈む瞬間、場所を移した陸橋の上で、彼らは今回の事件を推察してみることにした。

 そして、生前他人からの誹謗中傷によりしがらみや恨みの念が生じてしまい、死後その復讐を果たすために彼らの元に訪れるゴーストになったのではないかと結論づける。

 諸悪の根源というならば、生前の環境や人間関係の出来事しかないだろう。

 しかし、死後恨み続けて生きた人間を殺戮したのならば、諫めるのは明白だった。

喧嘩両成敗とは言い難い。自業自得だと言い表せない。それでも、それは怨鬼が辿った人生。

己の命を尊厳を守るために、悪だろうと声を上げたのだ。

彼女と接続し、その想いを見た夢夜は、疑問を抱く。

夢夜はカルミアの手伝いを、成仏できない魂を回収して導くものだと思い、人助け程度に考えていた。

だが、怨鬼のように、人を恨み欲望を晴らすことによって自身の願いを叶える魂もいた。

道徳に反する悪事だと思いつつも、『それで気が晴れるのなら、唯一救われる方法のならば』と同情せざるを得ないのだった。

「悪い、カルミア。今はお前と話したくない――」

心の整理がつかない彼は、カルミアとどう接して何を話せばいいか分からなくなっていた。


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「火事といい、鬼の子が派手に暴れてくれたおかげで大量や」

 海醒はポケットから携帯を取り出して画面を操作していき、やがて《情報更新終了》の文字が表示される。すると、破壊された建物は光の粒子により、元の形を修復していった。

 事態に巻き込まれ倒れた人間は次々操り人形の様に上に引っ張られて立つと、おもむろに歩き出した。

 中断していた動画を再編集して、都合のいいシーンから再生しているようだった。先ほどの光景は何だったのだろうと見紛うほど、魂を失ったはずの人間が動いていた。

 カルミアと同等の権限をもつ海醒蛇顎うみさめだがく

 彼女は、カモフラージュと称して、抜けた魂の代わりに『情報』を入れたようだ。

 多少ズレはあるものの、予め用意しておいた人間の思考や行動原理をもとに学習機能を用いて、空っぽになった器に情報をインストールする。そうする事によって、世界の均衡を保っていたのだ。

 日常的に大量の人間が死んでしまえばそれは不自然であり、災害だの世界終末だのと、彼らの文化は一気に衰退し、破滅してしまうだろう。 

 イレギュラーなゴースト――異形や怪物といった類のものも同様に、目を見張らなければならない存在であった。放置すれば次第に大きな災害となって人々を抑圧させ、弱体の一途を辿る。

 それらを阻止するために必要な管理者。

 彼女らにとって質のいい魂とは、希望に満ち溢れ、気鋭的、活動的なことを指す。

 絶望に染まった魂が悪いわけではないし、むしろ負のエネルギーのほうが力が膨大で効率的。

 しかし、彼女らにとっては『それだけ』なのだろう。

 絶望の恨みや悪意でも、言い換えれば〝心の糧〟となる。

 そのため、真に効率がよいものは〝命を輝かせるほどの尊い望み〟、〝決死の願い〟であった。

 だが、そんな崇高さを持つ者など、この世界には存在しえないようだった。 

「しっかし、ラストスパートやから様子見てこい言われたけど、あいつ何やっとんねん」

 彼女は愚痴を呟く。その終わりの日は刻一刻と迫っていた。

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