4章  幽愁暗恨-中編

zzz


その感情は止め処なく溢れ出て、憎悪の泥に塗れた足跡を残していく。

少女だったものは呟く。

「ユルサナイ」

 その霊は立ち入り禁止の立て札を超えて、侵入者を拒むロープで囲まれた敷地へと入っていく。

石造りできたその建物は、屋根と呼ぶものは殆ど無くなっており、ところどころ壊されて瓦礫を積み上げていた。火事で燃やされたのか、焦げ残った部分からは十字架らしき模様が見られる。

その霊は肌が青白く、長く白い髪をもち、そして額からは大きい角が生えていた。

口元が液体のようにどろどろ溶けている感覚を不快に思いつつも、それは音を発しようと喉を啼らす。

「――=――==__==――。……??」

(おかしい。へんなおとしかでない。人が出していい音ではない)

ソレは自身の不調に疑問を持ち、それは再度喉を啼らしてみる。

「==。====。――_。==……」

 人の声。獣の鳴き声。機械の音。軽快な楽器の音。鉱物の触れあう音でもない。

 ごろごろと空を震わせるような雷のような響きは、身体の血肉まで怨讐を伝播させる悲鳴であり、咆哮であった。

「なんやぁ。怨鬼やないの」

その霊は、声の主の方をゆっくり振り向く。

長身で女性の形を残しつつスレンダー、髪は後ろで団子にして右側の前髪はそのまま垂らしていた。紬の着物を身に纏い、サイズが大きいジャケットを羽織っている。

にやりと笑った口の端から鮫の牙が見える。

怨鬼と呼ばれたそれは、返事をしようとも、ひゅーひゅーとすきま風の音しか出なかった。

「怨鬼ちゃん、どないした? 嫌な事でもあったん? ああ。あったから、そないな恰好になっとるんやな」

怨鬼は彼女を睨む。目を伏せるのではなく、顔を背けるのではなく、いつの間にかその存在は睨むという、一点を見据える事を覚えていた。

「あ~~。その状態じゃあまともに喋れへんよな。面頬あげるで~。顎固定して喋れるようなる」

前方は鋼材でできており、両サイドからベルトが伸びて金具で固定する装置だった。

不信に思いながらも、怨鬼はこの声が出せない状況を脱したいがために、女性からそれを受け取る。面頬のベルトを調整して顎を固定させると、幾分かは気分が晴れた、感じがした。

「怨鬼ちゃん、気分はどうや?」

「ドウシテ、ワタシノコト『エンキ』ッテヨブノ?」

「そらあ、アンタが怨念から生まれたからや。 他人を殺したいほど憎んで恨んで貶めたいと思っているからな。ほな鏡」

峠の前に、縁が紫色の鏡を差し出される。彼女は含みを込めて言葉を続ける。

「普通の鏡じゃあ、あんたは映らへんからな」

つまりこれは普通の鏡ではなく、曰くつきの鏡であり、魔法の鏡でもなく、呪いを映す鏡。

自身が鏡に映る高さまで上げるとそこには――青白い鬼がいた。


        zzz


 峠友恵。かつては人間で、今は怨念で動く鬼となってしまった存在。

 あの鮫のような人間から説明を受けた事を整理すると、憎悪や悪意でこのような恰好になっているというものだった。

そして、もう〝普通〟には戻れないとのこと。

 溶けている口の事を聞くと、『そんなのは自分が一番わかっとるやろ?』と言われてしまったのだった。あらゆるモノを通過でき、上空から街を見下ろす事も可能になった峠――今は怨鬼と呼ばれるゴースト。

ソレは低空飛行で辺りの様子を探っていく。

 同じ存在である力の弱いゴースト達は、彼女を恐れて身を隠す動きをしていた。

日が傾き始めた頃、空き地に服装の乱れた年齢不詳の人間がふと目に入った。中身の見えない袋をケージの中心に置き、隙間から棒で突いては、水を掛ける奇行を繰り返す。

 怨鬼は耳を澄ませば、小動物の泣き声が聞き取れた。

 その小動物は逃げようにも逃げられず、助けを呼ぼうにも口がきけずじまい。

自分と似ているように感じたが、それでも、自分とは違う道を行って欲しいと思い、怨鬼は袖から二メートルほど爪を伸ばす。

 そして、横に薙ぎ払い、自然な動作で人間の首を刎ねた。

ごとん。と鈍い音を立てて頭が地に落ち、それに続けて胴体が倒れていく。

先ほどまで頭と胴体が繋がっていた箇所からは噴水の如く血しぶきを上げて、赤色の水溜まりを作っていた。

「ユルセナイ、ユルサナイ」

 峠が恨めしく静かに呟くと、先端が尖り大きな手で、小動物の拘束を柔らかい物を触るように解き始める。

 爪でケージを破壊し、袋から出してやると生後三か月の子猫が顔を出す。拘束されていたものが全て無くなると、本能により子猫は草むらに逃げていった。

 別に、『少しくらい撫でさせもらっても良かったのではない』と、ジト目でその先を見つめる。

 静まり返った足元に転がる猫をいじめていた人間を見て、先ほどの一方的な非道を思い出す。

 弱き者をいたぶり持て遊び捨てる。制止を促しても、止まらない暴力と暴言。

 他者を平気で傷付ける存在に、生きる価値などない、――止め処なく溢れる憎悪を熱に、ソレは大きく飛躍した。


 怨鬼は、かつて家族だった人物の元へ来ていた。

 ソレは変質した異形の手で父親と母親の人皮と爪を剥いでいくと、見えない拘束具で天井から逆さ吊りさせる。むき出しになった肉を少しずつ焼いていくと絶叫が響き渡るが、止めずに追い打ちをかける。

 妹は椅子に括りつけ、無理矢理口を開かせてうじ虫や百足を押し込んだ。始めは泣き叫んで抵抗をしていたが、次第に白目を向いて静かになる。虫が這い動いてまわり、やがて彼女の全身を包み込んだ。

 これはただの拷問だった。

 ソレには、彼らは一瞬で楽にはさせないという執念があった。

 骨を折り粉々にしても、肉をねじり、内臓を引きずり出して千切っても、どうやら満足しないらしい。

 跡形もなく全てを肉片にすると、飽きたとでもいうように青い炎で燃やし尽くす。

 新なる怨嗟を招いていることなど知る由も無く。怨鬼は彼らの声を、終ぞ耳にすることはなかった。 


       zzz


 いじめにあっていた少女が病院前で死亡してから、二ヶ月が経つ。

 駅付近の道路で消防車のサイレンが響いた。

「最近、火事がめちゃくちゃ多いっすね~。放火魔って話ですけど、同時刻に別のところで何件も火が上がるらしいですよ」

「赤じゃなくて青い炎なんだろ? しかも犯人掴まってないし、この規模だと計画的集団による事件だと思うがな」

 会社帰りのサラリーマンたちは足早に少年少女の横を通り過ぎていく。

 夢夜とカルミアは共に、駅の近くのスーパーに買い出しに来ていた。

 ここ二ヶ月。

 住宅やマンション等の火事が多発しており、知らぬ人などいないと言われるほどまで話題となっている。ニュースでは、同じ手口や特徴的な青い火災から、同一犯の放火魔によるものだと注意を呼びかけていた。

 しかし、時間が経つにつれ、近頃は災害レベル――同時多発テロと化していた。

「マイスター。放火事件、やっぱりゴーストの仕業です。各地で同時に起きる青い災は、霊的現象しかあり得ません」

「ああ……でも足取り掴めていないだろ?」

「そうなんですよねえ。ゴーストの組織的犯行は今ままでなかったので、やり辛いです」

 日夜話題になっている青い火事。もはや火災といってもいいだろう。

 災害を起こすゴーストは転々と移動しているらしく、カルミアの持つ探知機でも追跡ができなかったのだ。警察による調査によれば、とある高校の生徒を主に被害を拡大させているらしい。

 事態を重く受け止めたのか、つい先日学校閉鎖をしたようだった。

「うーん。この手のタイプは超ど級のエネルギーでも起こしてくれないと見つけられそうにありませんね」

「超ど級って、古ッ……。あと、あんまりやばいフラグ立てないでくれよ」

 カルチャーショックなのだろうか、彼女の思考が一瞬止まる。

「冗談ですよ。じょーだん!」

 カルミアは取り繕って笑いながらステップを踏んで二歩三歩前を歩くと、ぞくりと悪寒が走る。

「ゴーストが三つ……?」

 彼女のそれが合図とでもいうように、夢夜のスマートフォンはアラート音を発する。

 二人以外には聞こえない仕様ではあるらしいが、夢夜は慌ててタップしていると、彼女が血相を変えて声を張り上げた。

「マイスター! あの方角には何か特別な施設はありますか!?」

「霊園があるけど、ここから線路を超えた向こう側……五キロくらい離れてるかな? 交通量が多い道だ――」

「わかりました。ではショートカットします」

 言い終わる前にカルミアは夢夜を抱きかかえると、大きく跳ねる。

「えッ……ええええええええええええええ!?」

 急な展開に目を瞑っていた彼だったが、跳躍の衝撃と風に抵抗が無くなり目をあけた。

 ほんの数秒、浮遊感を全身に浴びたあと、重力により落下する恐怖に悲鳴を上げる。さながら、命綱のないジェットコースターを強制敵に体験しているようだった。

 夢夜の叫び声をBGMにしてカルミアは建物から建物へと飛び移り、空を駆けていく。


       zzz


 山本遼太郎は、峠家の墓の前に立っていた。

 彼女がこの世を去ったあと、不審なことに彼女の家族は惨く残酷な死を遂げたという。

彼が知ったのは最近のことで、風の噂によるもの。

「峠チャンが、あの世でも幸せになれますように……。なるべく華やかなのを選んだけど、好きな花聞いとけば良かったな~。いや、今からでも届くかな? 夢枕で立って教えてほしーな」

 山本は仏花と自身が推している向日葵を供えて、墓石に向かってしきりに話しかける。

彼は生前と変わりなく接するが、話題が少なくなってくると、彼女に対して小さく疑問を投げかけた。

「ここ最近の火事って、君じゃないよね……」

 彼が退院して復学すると、教師も学生も峠友恵の在存を忘れていた。

 忘れ去られていたというより、最初から在籍していないような口ぶり。

不審に思った彼は学校全体で悪質ないじめを隠ぺいしているのだと考えるが、自身だけ彼女を覚えている理由が分からず、原因を突き止めることは困難だった。

 そして、彼女が亡くなってから数か月の間に在学生ばかり狙った青い火事が度々起きる。

 上級生や下級生も被害にあっていたが、峠が在籍していたクラスの全員と担当教員が例の火事にあい、授業どころではなくなったため、学校から当分閉鎖になるとの知らせがあった。

 暇であることと、なにか因果関係があるのではないかと思い友人の墓参りに来ていたのだ。

 山本は峠家の墓石を中心に、辺りの空気が急に冷えたのを感じて見渡す。

 霊魂蔓延る夜にはまだ時間がある、夕刻。

 付き人には、離れた場所にある駐車場で待っているように伝えた。

そのため、ここに人の気配はないはずだと疑問を持ちつつ、献花を回収しようと足元を見た時だった。

『イタイイタイイタイイイ――』『ユルシテユルサナイ、ユルサナイ』『ォゴアア……アア』

 人皮が剥がれた物体が二つと、虫を吐き出しながら地を這う物体が彼の足へと手を伸ばしていた。

 眼玉はくり抜かれているのか、そこには闇を映す穴があり、溢れるように虫がぼとぼと落ちていた。

地面に落ちた虫たちは自然な流れで、当たり前とでもいうように、そのまま宿主の肉を食い破って体内へと戻っていく。寄生虫なのだろうか、穴からは蠢く姿が垣間見える。

 その物体は痛覚がないのか、然程気にしていない様子だった。

「ひっ!?」

 非現実的な光景を目の当たりにした山本は、嫌悪感と恐怖に駆られて足がもつれ、その場に尻餅をついてしまう。

辛うじて人の姿をしている物体は、待っていたかのように、縋るように彼の足を掴む。

「いっ……つぅ!」

 治ったばかりの両足に、化け物じみた強さでそれらの指がめり込んでいく。

 人の域を超えた存在。その風貌と穢れた執着は、もはや怪物だった。

爪は欠落し、皮膚もないその生々しい肉の繊維の感触と痛みに、山本は顔を歪ませる。

嫌だと叫びたいはずなのに、指一つ動かせず、喉が麻痺でもしているかのように声も出せずにいた。

焦りにより世界の音が聞こえず、けたましく早鐘を打つ、自身の鼓動の音に呑まれそうになった。

 刹那――

 目の前に白い何かが現れて、彼の恐怖の原因である脅威を荒々しく蹴散らしていく。

彼の足を掴んでいる肉を引き裂き、人皮のない首を蹴り上げては、胴と真っ二つになった物体を細い脚で吹っ飛ばす。

「サワルナアアアアアアアァッ!」

 青白い炎を纏った怨鬼は咆哮する。

 頭部と胴に分かれたそれらは一瞬怯むものの、その場に立ち上がり、飛ばされた部分を伸ばした触手で引き寄せる。断たれた部分同士を合わせると傷は塞がり、肉は元の形へと戻っていく。

「きみ……はっ――げほッ、」

 山本はその白い影に声をかけようとするが、両足が急に熱を持ち痛み出し、胃からせり上がってくる不快感で咳込んだ時だった――、

「え―――?」

 バンッ。と弾けた。

 空気がぎゅうぎゅうに詰まった袋を、両手で叩き割った音が響き渡る。

今しがた怪物が触れていた両足が、内側から爆ぜたのだった。

「あああああああああああああああああああああっ!! ……あ、しが――!!」

「!! ナンデ――!」

 つんざく悲鳴が辺りに木霊し、裂けた部分は血溜まりを作っていた。

 眠っていた者たちを呼び起こしてしまったのか、囁く声が増えて、次第に騒がしくなる。三体の化物から憎悪と悪意を感じ取った死者は同じように化物へと転じていく。

『カイブツヨンダ、ワルイコダ』『イキテルオカシイ、コロセコロセ』

 怨鬼は痛みに悶える彼を抱えて高く跳躍するが、伸ばされた怪物たちの触手により叩きつけられてしまった。寸前に身を翻して唯一の友人を庇うが、額から生えた角が折れて砕け、苦痛により呻く。

「ッァ……」

 抵抗を続ける怨鬼はすぐさま青い炎で幕を張り、境界を作る。

 抱きかかえた人間に目をやると、気絶したのか全身の力を失い、重力にしたがってだらんと垂れていた。呼びかけても揺さぶっても反応はなく、胸がぎゅっと締め付けられてソレは目頭を熱くする。

 ソレは憎悪による復讐を自らの中で〝正義〟とし、人々に手を下してきた。

 しかし、今になって、彼の傷ましい姿を目の当たりにして後悔する。

 自身の欲求のために、自身の尊厳を守るために、掲げてきたものが崩壊していくのを感じていた。

  生前の恨みを晴らすのは罪なのかと――

  その自由すら手にできないのかと――

  『お前はそうあるべきだ』と運命づけられて、どうしようもない不平等がつきまとうのならば――

  生きていても死んでいても、なにをしても抑圧されて無意味になるならば――

 青白い瞳から、一雫が頬を伝う。

大切なモノを教えてくれた純粋な友人の為に、心から手を合わせた。

人に害を与える存在であるにも関わらず、いまさら非を悟る。

 そんな事を願う資格はないのに、縋ってしまった。例え自分はどうなろうとも、どんな罰を受けようとも構わなかったのだろう。

 行き止まりの希望に救済を求めて、ソレは初めて声を上げた。

「タスケテ」


 一閃が煌めく。

 ――白い一筋が多彩な輝きを放つ。

 ――美しく幻想的な光が空を断つ。

 衝撃で地面を抉り、瓦礫を巻き起こし化物と霊を蹴散らしていく。

「間に合った!」

「人間は醜いと思っていましたが、救いようがない魂たちですね。まあそれでも回収するんですけど」

「ッ――!!」

 怨鬼の前に、セミロングの青髪を持つ少年と、ピンク色の髪を二つに束ねた少女が降り立つ。


    

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