3章 破鏡不照-後編
「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ……てか……」
夢夜は、紫雲鏡と札の呪いの影響により息も絶え絶えだった。
ほんの少し息を整えてから、よろめきつつもなんとか立ち上がった時、近くで丸まった石を弾いたような音が響いた。
辺りを見渡すと、透明と乳白色で作られたパワーストーンらしき数珠が視界に入る。おもむろにそれを拾うと、背後に打撃と痛みを感じて呻く。
「っう――、なん……!」
「返して……!!」
声の主を見ると、そこには髪を振り乱した紫鏡が般若のような顔で夢夜を睨みつけていた。
それは本能むき出しの、悲痛な願い。つかまれた衝撃で身体のバランスが崩れるが、踏みとどまる。
(もしかしたら、これが呪いの根源じゃ……)
夢夜はそう確信すると、彼女に素直に返すことができなかった。
紫鏡は必死に、縋りつくように彼の腕を両手で爪を立ててぎりぎりと握る。女性の力とは思えないほどの化け物じみた腕力に、夢夜は怖気づいてしまう。
それでも、爪先が食い込んでいようが、皮膚や肉が痛んでも放そうとしなかった。
これが原因であるならば、人々に害を及ぼすものならば、渡すわけにはいかないと信じて疑わない『正義という信念』からくるもの。
頭の上で持ちかえた瞬間少しだけ力が緩んだのを見計らい、夢夜は目を瞑って彼女を払った。
そして、持っているその手を高く上げる――、
「いやっ!! それだけはっ……やめててえええええええええええええええええええええええええええええ!」
つんざく悲鳴が耳の奥まで響く。
夢夜は耳奥に届く切望を聞きつつも腕を思い切り振り下ろして、地に向かってそれ叩きつけた。
数珠は強い衝撃により、連なった珠を弾けさせる。
経年の劣化か品質の悪いものだったかは判らないが、それは破片を散らして粉々に割れた。
そして、数珠と彼女の命が繋がっているとでもいうように、紫鏡もまたその場に力なく倒れる。
それは例えるならば、ぴんと張っていた糸をハサミで切った状態に近かった。
「真弥!!」
張り上げた声とともに、スナイパーライフルを片手に姿を現わした津島。彼女の元へ駆け寄って体を起こそうとするが、だらんと腕が揺れるだけだった。
呼びかけても呼吸が感じられず、瞳からは光が失ったその姿に、彼は絶句する。
殺気。殺意。夢夜がそれを感じた瞬間、津島により横から力強く腹部を蹴られていた。
「つぅッ……ごほっ――」
「ははッ…! なんだ弱いじゃん……よくも真弥を……真弥をっ!」
吐血し嗚咽まじりに体を起こそうとするが、うまく力が入らずその場に倒れ込んでしまう。
間髪入れずに津島が上下横から蹴り続ける。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ねえええええええええええ!」
他人から容赦なく暴行と殺意と浴びせられて、夢夜は精神をも擦り減らしていった。
静まり返った仏堂。人々が肉片となったそこで、打撃音だけが響く。
完全に動かなくなったところで、津島は手を出すのをやめた。そして、
「ははははははッ……はあ――これで、良かったんだ……」
溜息と安堵が混じった言葉を呟くと、津島は後ろで太刀を手にするカルミアに向きあう。
先程まで怒り任せに暴行を加えていたとは思えないほど、穏やかな表情で語る。
「真弥を止めてくれてありがとう。あんたの男、怒り任せで殴って悪かったな」
「……私を排除しなくていいんですか?」
「ははっ、無理無理。アレ見てあんたに勝てるわけないだろ! それに、俺はあいつの後を追わないといけないからな……『ずっとそばで守ってやる』って約束したんだ」
彼は抱いた願いを、今は亡き恋人への想いを口にした。
カルミアは少しだけ目を逸らして躊躇するが、すぐさま自分の役割を全うする。
「そうですか――、貴方の望みは分かりました」
彼女の言葉を聞くと、津島は静かに目を閉じた。
そして、空を裂く音がしたかと思えば、男の身体は縦に真二つになっていた。ドチャッと音を立てて、液体が飛び辺りに転がる。
恋人を想った彼の最後はあっけなかった。
人の不幸を願った彼女の戦いの末はあっけなかった。
「……ただの怪談に惑わされても、自分を無価値だと決めつけて、神や世界、人を憎んでも……それでも、確かに貴方の隣に〝愛〟はありましたよ――」
空に向かってカルミアは呟く。
想い人を追って行き止まりを選んだ男を、邪の道を歩んでもなお愛されていた女を、羨ましく思い、そして弔う少女の姿があった。
カルミアは生太刀を粒子に帰すと、急に辺りが白い霧に包まれ視界が霞む。
気持ちの良い穏やかな気が流れ、心が満たされていくようだった。『幸福』とはこの事だろうと錯覚するほどに。
ばちん。と何かが弾けた瞬間――、人が、誰一人いなくなった。
マジックや神秘をもつ魔法によるものなのだろうか、それとも、ただ幻覚を見ていたのだろうか。
先ほどの被害が嘘だったかのように、しかし無機物と争った爪痕だけを残し、その空間に静寂が広がる。
(これはゴーストの力なんかじゃない。奴らがこんな安らぎを振り撒くはずがない。こんなことは初めて――)
カルミアは経験を元に考えを巡らせていると、背後に気配を感じてとっさに振り向く。
そこには、多種の生物をつぎはぎにしたモノ――伯奇が自慢の尾を揺らしながら佇んでいた。それは彼女の顔を一目見ると、そのまま立ち去ろうとする。
「待ってください! ……貴方は一体なんなのですか?」
『愚生は……執念、無念、怨念でかたち作られたゴーストとは違う――』
それはカルミアの制止に振り返ると、言い淀みつつも台詞を繋げた。
『悪霊が存在するならば〝守護霊〟も存在するだろう』
zzz
突然現れ、数百人いた人間たちを跡形もなく一瞬で消失させた合成獏。
それは善悪問わず、人間が持つ魂であるエネルギーを『喰った』と言った。
喰われた分のエネルギーを譲渡してもらうようカルミアは交渉したが、
『これらは数多のように見えてその実、微々たるものである。貴女も知っているはず。要望には応じかねる』
そう断られ、交渉は失敗に終わったのだ。伯奇が去ると、カルミアは倒れている夢夜の元へ駆け寄る。
意識を手放して床に転がっていた彼の体には、あちこちに切り傷や打撲による腫れが見られた。
カルミアはそれなりに対処できるように夢夜に加護を施していたのだが、ゴーストの亜種・奇怪が現れるとは思っておらず計画が狂う。加護による耐久性をはるかに越え、ましてや途中で生太刀を手放してしまい、一気に押し寄せる衝撃の蓄積に絶命は免れないのだろうと感じていたのだ。
(拓哉との約束守れませんでしたね……いつだって運命なんて、そんなものです)
ところどころ血で汚れていたが、そんなものに構わずカルミアは夢夜の胸に耳を当てる。
しかし、それはとくんとくんと微かに鼓動し、彼女は目を見張った。
それは奇跡だった。
カルミアは彼が死んだのだと思っていたが、寸でのところで生きていたらしい。
悪運や生命力によるものか。と、感心していると、夢夜の傷が徐々に塞がっていき、そのまま腫れも呪いの穢れも引いていく。
なんの術も、処置も施していない。生太刀による恩恵も無い。
しかしそれでも、彼の体は傷ひとつなく元通りになった。
(超回復なんていつの間に? それとも、今になってシステムによるエラーが起きた?)
彼女は自身の経験からいくつか予想をするが、答えが出せずにいた。
なぜ? という疑問と同時に、あの時乱入してきたゴースト――伯奇を思い出す。
「守護霊って、まさかこの人の……?」
(そんなものはこの世界の普通の人間にはできない芸当。呪いは振り撒いても、こんな奇跡や神秘は起こせないはず。なら、この男の正体は――)
そこまで考えて、夢夜の目が薄っすらと開いた。カルミアはいつもと変わらない調子で彼に聞く。
「お目覚めですか? マイスター」
「ああ、つうッ………。カルミア、あのシスターどう――」
「呪いを、魂を回収しました。……はあ、自分の傷の心配よりそっちですか」
彼の問いかけに、彼女はすかさず適当に言葉を返した。自身の体調の確認よりも、他者を気にかける様子に呆れるカルミア。
傷は塞がっているはずだが、当の本人は気づかない様子で疑似的な痛みに呻いていた。
カルミアは彼の次の言葉を待って、そのままじっと見つめる。夢夜はその視線に気付くと、迷いつつも自身の成果を確かめるように問う。
「そ……うか。でもこれって逆に、救えたんだよな……? 無理矢理になっちまったけど」
その言葉は、自分に言い聞かせるようにも見えた。
口に出した瞬間、夢夜は先程の光景を思い出して心苦しくなりカルミアに背を向ける。
「――そうです。貴方は善いことをしたのだから、泣かないでください」
「泣い、てない……」
微かに震える背中を見て、えにもいえない衝動にかられた彼女は優しく慰めていた。
夢夜の脳裏に、懇願する表情と悲鳴のワンシーンが繰り返し流れ、心に疵が刻まれていく。
憎悪や憤怒ならまだ割り切れただろうが、あのような感情を向けられてしまい、正義か不義か分からなくなっていたのだ。
ただ、自身の不甲斐なさを自覚し、唇を噛んでその痛みに堪えることしかできなかった。
zzz
深夜。
相沢拓哉は、自宅の一階リビングで居候二人の帰りを待っていた。
目元は赤く腫れて、鼻先も赤同様の色をしている。
呪いを受けた手の模様は完全に抜け切り、浄化が済んでいるようだった。
あれほど邪険にしていたはずなのに、いざ傷付いた姿を目の当たりにすると、どうしようもない罪悪感に駆られてしまっていた。
膝を付いて蹲り、血を流す光景がまぶたに焼き付いて忘れられないのだった。
玄関の扉が開く音に反応して足早に向かうと、そこにはふらつく夢夜を支えたカルミアがいた。
二人は拓哉に気が付くと、普段と変わらない態度で声をかける。
「拓哉ただいま」
「ただいまです。拓哉」
いつもと変わらないその優しい声に、鼻の奥がつんと熱を持ち、口を震わせながら言葉を繋げる。
「おかえり、なさい……。二人とも、酷いことたくさん言ってごめんなさいっ……!!」
普段、可愛さの欠片もない反抗期真っ最中の少年が、頭を下げて素直に謝罪した瞬間だった。
夢夜とカルミアは突然の事態に、『これは幻覚か?』と目を合わせてから、再度彼に目をやる。
そして、未だ顔を上げない拓哉の頭を二人はわしゃわしゃと撫で回しはじめた。
彼はされるがままになっていたが、終わらない二人のそれに照れくさくなり羞恥心の限界を超えて叫ぶ。
「~~~~~~~っ! 何してんのさ、もういいよ!!」
「いや。拓哉が素直になって嬉しくて」
「ちょうど撫でやすそうな頭があったので」
にやにや微笑む彼ら。照れくさくなった拓哉は、なんとか取り繕った仏頂面で二人を見つめる。
そして、悩んだ末に気恥ずかしそうに口を開く。
「…………いー兄、その、けが」
「拓哉、今なんて?」
「マイスターのこと、お兄さんて言いませんでした?」
「なっ……別にいいでしょ!? なんだよ二人してっ。赤ん坊を相手にする目で見るな~~~!!」
「愛称で呼びたいくらい仲良くなりたかったのですか? 拓哉も案外可愛いですね」
再び拓哉の頭を撫でながらカルミアは満面の笑みでからかう。隣にいる夢夜は何故か涙ぐんでいた。
「拓哉が良い子にッ……!! 俺は嬉しい、叔父さん叔母さんに顔向けができる……」
「え、僕の素行そこまで重大だったの?? じゃなくて、あんた怪我してんじゃん、大丈夫なの!?」
「ああ、これは服がボロボロなだけ。怪我はカルミアが治してくれた」
「んんっ!? 私にかかれば、お安い御用ですよ。それはそうと、疲れたからお茶しません!?」
急に振られた話題に、カルミアは咳払いしてから言葉を繋げる。
一段落すると、三人はリビングにある食卓の椅子に腰を下ろす。
カルミアが淹れたお茶が少しだけ温くなった時に、拓哉は二人に尋ねた。
「紫鏡、津島って呼ばれてる人いなかった?」
「二人は……」
「あの二人ですが、一足遅くて逃げられてしまいました。いまは行方知れずです」
カルミアは夢夜の発言に被せてくると、しれっと嘘を吐いた。彼女の考えを察して、彼は唇を結ぶ。
「そっか。いろいろあったけど、一応はお世話になったから……」
そう呟いてからお茶を飲み干すと、拓哉は「安心したら眠くなった」といって自室に戻る。
室内に残された二人はお茶を淹れ直して、もう一服することにした。
夢夜はなにを話せばいいのか落ち着かない様子でいると、先に切りだしたカルミアは憂いを口にする。
「マイスター、傷は……本当に大丈夫ですか?」
自己回復した彼の具合の確認だった。副作用や、異変が気になるのだろう。
「特になにも、全身筋肉痛ぐらいかな……。カルミアが治してくれたんだろ? 死んだかと思ったからマジ助かった、ありがとうな」
「――、っそうですよ。私が治して差し上げたんですから、ご褒美に冷たいスイーツを要求します!」
夢夜は目尻を下げてカルミアに礼を告げる。
申し訳なさそうに笑う表情に、細い針を刺す感覚に似たようなものを覚えつつも、彼女は『いつもの彼女』を取り繕うのだった。
「はいはい。できる範囲なら、なんでも作ってやるよ」
いつもと変わらないカルミアに安心したのか、夢夜はお茶を口に含んだ。
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