3章  破鏡不照-中編

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 津島隆夫という男は、小規模ではあるが反社会勢力に属している。

その彼が、高校生に囲まれて暴力を振るわれそうになっていた少年――相沢拓哉を助けた。

少年と出逢ってから、二週間ほど経ったある日のこと。

  七月下旬。

 閑散とした住宅地のはずれ、敷地面積一、三〇〇坪。

そこには日本家屋の本邸と、寺のような建物があった。

 しかし、それは外見が寺のように見えているだけで、その実態は〝紫教会〟の本拠地である。

 荼枳尼天を性愛を司る神として解釈した密教――真言宗外法の宗教団体『真言紫鏡流・紫教会』。

髑髏本尊の元で『紫の鏡』に恐怖した少女たちを、性的な儀式によって信奉し浄化させるというもの。

救われたその少女たちも信奉者となり、子を成し、世代を越えて受け継がれていくものだった。

 本来、それは一般的な面からみたらその行為は間違いであるはず。だが、盲目的な信仰から脱却できない魂たちは、是とし、これに倣う。

 人口が増える度に、突然発生する異端者――。

 植え付けられた教えに疑問を抱く彼らは、抑圧された自我を解き放つために憎悪を募らせる。

 信仰集めるためにオカルトの話が流行ったのか、または流行ったオカルト話に乗じたのかは判らない。

 表向きはそれらしく真っ当を演じているが、ひっくり返せば本来の高潔さを失った邪教だった。

 津島は、尼僧であり恋仲である紫鏡真弥がとりまとめるそれを支援するため、裏の社会に身を投じる。

飲食業経営を始めに賭博、隠ぺい工作、違法薬物売買など悪事に手を染めてきた。合法違法含め、彼女のために人を誘いこみ、信徒を増やす役割。彼女の幸福を守るために暗躍する。

本邸の廊下から庭園を眺めながら、考えごとに耽る津島。

ここ最近は、次々と同業者が潰れていることに対して焦りを募らせる。

そこへ、先日駅なかで行われた縁日。部下の数人が勧誘中に蒸発したなどと聞かされて、彼は自身の仕事に身が入らず苛立ちを覚えていた。

誰もその状況を見ておらず、真相がつかめない。

それと同時に、『そんな奴らいたか?』と、違和感を抱く。

蒸発した彼らが部下であることは、組員の話で理解している。それでもなぜか、津島のなかからその人物たちの記憶は抜け落ちていた。

(祭りの時に何人か勧誘できたようだし、きっと山本組も数人用意してくるだろ)

 彼は収穫があるだけましだと言い聞かせるが、心配の種は尽きないようだった。

 一人の男が乗り込んで組織を壊滅させたという噂や、出火元不明の火事による被害により、予備として用意した別の拠点が使い物にならないというトラブルに頭を悩ます。

ニュースでは、放火魔集団によるものだと取り上げられているが、未だ捕まっていないと聞く。

 次々に起こる問題に大きなため息をつくと、津島はなにかを決意した面持ちで、うろついていた前の部屋の襖を勢いよく開けた。

「真弥、拓哉の怪我の具合は?」

 和室を無理矢理アンティークやバロック調に改造した空間が広がったそこは、異国の家具や雑貨が配置されており、時代や様式が錯誤していた。

動線を考慮してレイアウトされているが、情報量に眩暈を起こしそうだった。

「擦り傷と打撲でしたわ」

 声をかけられた女性――紫鏡真弥は振りかえり返事をする。僧であるのに、修道服をまとう彼女は不思議な佇まいだった。

「素人の応急処置で申し訳ないけれど……相沢さん痛かったでしょう?」

「いえ、その、手当てありがとうございます」

 夏休み。家に居場所のない拓哉は、彼らの元に足を運んでいたのだが、ここに来る途中、自販機で飲み物を買ったとたん、同年代らしき子どもから見計らったかのように喝上げにあったのだ。

 彼らはSNSに上げるつもりなのか、スマートフォンを拓哉に向けながら殴ったり、押しやって転ばせて暴行をする。そこを偶然通りかかった津島により助けられたのだが、彼を見た瞬間、怯える加害者たちは謝罪を残してさっさと逃げてしまうのだった。

 拓哉は貼られた湿布の匂いに違和感を覚えつつ、紫鏡に礼を伝える。

(サッカーやってた時に使ってたのと違う、メーカーで匂い変わんのかな?)

少しだけ気になったが、折角手当てしてもらったのにケチをつけるような事は失礼だと思い、黙って学生服で包帯を隠す。

拓哉がお礼を述べると、紫鏡は彼の顔をじっと見つめて言葉をかけた。

「相沢さん、貴方には私達がついています。今は難しくても、悟りをひらけば、生きたまま苦楽から解放たれ仏になれるのです」

 彼女の言っている言葉はなんとなく理解はできるが、拓哉はそれについて深く考え込もうとすると、突如頭のなかに白い靄がかかる。頭上にはてなマークを浮かべる少年に、修道女は告げる。

「精進波羅蜜……辛い事がありましたら、また起こしください。作法を学び、毎日続けるだけでも幸せな生活を築く源となるのです」

「真弥の言う通りだぜ。ちょいちょい手ェ合わせて祈ってれば、たいていの事はどうでもよくなるもんさ」

「もう、隆夫ったら。あまりいい加減なこと言わないでちょうだい」

「ははっ。すまんすまん」

 紫鏡は適当にフォローする津島をたしなめる。

 言い合っているものの、二人の信頼関係と雰囲気に好感を持つ拓哉は、自身の両親と二人を少しだけ重ねていたのだろう。出会って数週間であるが、居心地の良いこの場所を彼は気に入っていたのだ。

 三人は夕食を交えてしばらく話し込んでいると、時間は二十一時を過ぎていた。

 別れ際に、紫鏡は達筆で読めない文字が書かれた三枚のお札を拓哉へ差し出す。

「こちらのお札を……気休めではありますが、貴方のことを守ってくれるでしょう」

「紫鏡さん……ありがとうございます!!」

 彼女の気遣いに、拓哉は礼を告げてそこを離れる。

 拓哉を家まで送るため、津島は車を走らせていた。後部座席に座って、窓から流れていく街並みを見つめながら、名残惜しむ拓哉は話題を振る。

「あーあ。帰ってもうるさい人しかいないから、嫌なんだよなあ。僕の家が津島さんの所だったらいいのに!」

「隣の芝生は青いってやつか。………………拓哉。さっきの札、使うなよ」

 津島は真剣な声で否定する。時間をかけて返ってきた言葉は、少年にとって意表を突くものだった。


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その夜、帰宅後。

連絡せずに帰宅することがルーティンになってしまい、家に着く時間は次第に二十一時、二十二時を指していた。その日も拓哉は門限を無視して悪びれる様子もなく玄関の扉を開ける。

玄関の扉の向こうには、夢夜とカルミアが待ち構えていた。

無言。以前より空気が重々しくなっていた沈黙。それを最初に破ったのは夢夜だった。

「……拓哉、最近帰り遅いぞ。どこで遊んでるんだ?」

 拓哉のなかで、何かに刺さった気がした。その台詞はトリガーに近しい。

「あんたには関係ないじゃん」

「関係なくないだろ。 家族だ――」

「うっっっさいな!」

 先ほど会っていた男女と異なった自身のあつかいに、思い通りにならないことに、拓哉の苛立ちは限界を超えてしまった。張り上げた声が室内に響き渡り、しんと静まり返る。

 彼の迫力に気圧されてしまったが、夢夜は我に返ると少しだけ、怒りのこもった声を上げる。

「そ、んな……言い方ないだろ。心配して言ってるんだぞ!」

「どこが心配だよ! いつもいつも勝手に世話焼いてくるくせに、助けてほしい時には助けてくれないだろ!?」

「なっ!? お前一度も言ったことなかっただろ。分かるわけ――」

「言えるわけないだろ、言いたいわけないだろ、惨めすぎるだろ、察しろよ! ああ、そんな事できないか、だってあんたは家族じゃないもんな、他人だもんな! 心配だとかどうせ建前だろ! 親が不在だから、保護者だから、優しい奴って演じておかないと世間体に悪いもんな! 自分の評判悪くなるもんな!?」

 拓哉が抱えた感情は、連続して風船が弾けるようだった。

 それを癇癪や反抗期だと決めつけるには浅慮であり、かける言葉により純粋な感情を更に拗らせるように見えた。彼自身が自己を正当化しようと言葉を並べても、底が空いた器が満たされることはない。

 思春期で多感な年頃に、正解の対処法など知らない夢夜とカルミアは、黙って聴くことしかできなかった。それでも、夢夜は勝手に決めつけられた事を否定しようと口を開く。

「本当にお前の身を案じてて、そんなこと思ってなんか……」

「あーあ、あの人たちなら僕の話ちゃんと聞いてくれるのに!! ったくなんでこんな奴がいる――」

 責めた言葉をいいかけて、背筋が凍る拓哉。見ず知らずの人物と比較されたのか、自身のパートナーである夢夜の責めた態度に不快になったのか判らない。あるいは両方だろう。

 一瞥すると、少しだけ殺気を漂わせるカルミアがいた。

 従兄である夢夜は、彼女のことを受け入れていた。だが、

  ――その生き様は異質

  ――その在り方は異端

 拓哉の本能は、正体不明な彼女にどこどなく不信感を抱いていた。

 そんな『よく判らない』カルミアの言いなりになっている夢夜にも、不満と嫌気がつのる。

「カルミア怖い顔すんなよ。とりあえず、部屋移動してから話の続き――」

「触んなっ」

「ッ……ぐッ――」

 夢夜は不穏な空気を変えようと拓哉に手を伸ばすが、その手は拒まれ弾かれてしまう。

 そして、右腕に電気を流したような刺激と気味悪さを感じて、その場にうずくまった。

 押さえつけられるような重苦しい〝気〟。

 それは、頭からつま先まで悪寒が駆け巡り、彼の脳はけたましく警鐘を鳴らす。そして、頭が締め付けられたかと思うと、胃からせり上がってくるものを感じて、手で口元をきつく押さえる。

 突然の異常事態に、カルミアは心配そうに夢夜の背中をさする。

「え……おおげさ。そんな強く叩いてないじゃん」

「――!! 拓哉、なにを持っているんですか!?」

「? 何も持ってないけど――。え、なに、これっ……!?」

彼女が指摘した手元を見ると、拓哉は何も持っていなかった。――が、両手の指先から肘にかけて黒い模様で染まったことに気が付く。

流砂のように渦巻いてゆっくり形を変える汚れのようなものに、パニックになりつつも拓哉は原因を探る。帰宅した時は何もなく、夢夜と接触した瞬間、それは現れたのだ。

「守る……。使うな、おふだ……!」

エナメルバッグから渡された札を引っ張り出すと、三枚のうち一枚はほとんど焼け焦げて塵を残していた。他のものに燃え移らない怪奇性に、彼は言葉を失う。

「それをこちらに」

普段の明るく騒がしいカルミアは冷たく鋭い目つきで促すと、拓哉は震える手で札を差しだした。

彼女は、宙から人間ひとり入れそうな大きい甕を顕現させる。水道水と変わらない、透明な水が並々入っていた。だが、札を水に浮かべると、突如として現れた泡はそれを捉えて霧散させる。

侵入を拒む機能――水の入った甕は、どうやら意思を持っているようだった。

カルミアは拓哉の腕を掴むと、強引に甕のなかに沈める。

「その穢れがなくなるまで、このなかで冷やしておいてください」

「あのっ……ごめ、いっつぅ……!?」

 カルミアに向かって拓哉は謝罪しようとするが、水に触れた部分が熱を持ち、ひりひりとした痛みを感じて呻く。浄化のための代償なのだろう。

「拓哉、気にしなくていいです。さて、マイスター起きてください。仕事ですよ」

「し、ごと? ……っ、ぐ――」

カルミアは説明しながら夢夜の服の袖をまくり右腕を露わにすると、拓哉と同じような模様が渦巻いて肩まで広がっていた。

彼女は夢夜のスマートフォンを宛がうと、なかに穢れが吸い込まれていく。カルミアがインストールした異能力を持つアプリは、どうやら様々な機能が備わっているらしい。

呪いの類を吸収した端末――。『取り込んだ魂に、なにかしら影響があるのでは?』と不安になるだろうが、今の彼にとってそんな悠長なことを考える余裕はなかった。

画面のなかで、黒いうさぎが機械的な動作でせわしなく体を左右に向ける。

表面上の穢れは薄くなっていたが、いまだ拭えない痛みが体中を巡り蝕んでいくようだった。

夢夜はなんとか足に力を入れて立ち上がると、カルミアから自身のスマートフォンを受け取る。

「応急措置で申し訳ないですが、一刻も早くこれを行った人間の負のエネルギーを収集しなければいけません」

「? でも、それ、ゴーストじゃ――」

「そうですね、ゴーストじゃない。生きている人間です。この場合は願いを叶えるのではなく、夢と願いを潰します。というより、これはもう願いではなく呪いです」

 カルミアは生きている人間の願いを、『恨みを潰す』という。

 緊迫した状況により理解が追いつかない拓哉は、ただ二人を見つめることしかできなかった。

 自身が招いた原因で、彼らがどこかに行ってしまうのではないかという恐怖が募る。

 邪魔だと、疎ましいと思っていたはずだった。しかし、いざそれに直面すると怖気づいてしまっていた。

「二人はなにしに、行くの……?」

 陥ったのは静かに何かが切り離される感覚――また失う気がして、拓哉は純粋な気持ちを口にする。

「拓哉、必ず共に――マイスターを連れ帰りますので、待っていてくださいね」

 心配そうにする拓哉にカルミアはそう告げると、夢夜を連れて闇のなかを駈け抜けた。


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『真言紫鏡流・紫教会』本居地。

呻き声を上げ、焦点の合わない目をした男たちが堂に入っていく姿があった。

違法薬物でも取り込んだのか覚束ない足取りで、しかし誘われるように奥の方へ進んでいく。

仏像の元で、何の事情も知らない少女たちが十数人。

スーツを着て身なりを整えた男たちが、逃げないようにとり囲んでいた。彼女たちはなんらかの理由で、または誘い話で反社会的勢力の組織に連れて来られたのだろう。

本尊の前でその様子を眺める組織の男たち数人と紫鏡と津島。

彼はためらいつつも、隣にいる彼女に声をかけた。

「真弥……拓哉の件なんだけどよ」

「儀式が始まるわ。それに、私がみなを等しく教え導く在り方に不満な点でも?」

「……ハッ、不満なんてあるわけねェ。――今回も信仰する者が増えるといいな」

 ぴしゃりと遮られてしまい、彼は当たり障りのない言葉で返答してしまう。

津島は頭をガシガシと掻きながら辺りを一瞥すると、壁に沿って急いで走ってくる若い男がいた。

 恐らく組織の組員だろう。その人物は本尊の前に着くと、声を張り上げた。

「か、会長! 緊急の連絡が……!」

「見てわかんねえのか、いまから大事な儀式だ」

 低く威圧感ある野太い声が響く。それに組員は怯んでしまうが必死に伝えようとする。

「ひっ、す、すいやせん会長! でも学校から、若が病院に運ばれて手術してるってッ」

「まったく。……あいつも落ち着きがねえな……悪いな紫鏡ちゃん。せがれの所に行ってもいいか?」

「構いませんよ、山本さん」

「ああ、あとで小切手よろしく頼む」

 男はそう答えると、部下数人を引き連れてその場から立ち去る。話の内容から、紫鏡は組織に少女たちを提供してもらい、その報酬を支払っていたのだろう。

「即身成仏。人々は悟りを開き、また等しくなくてはなりません。しかし、ひとりひとりが作法を学ばなけばそれも叶わない。ならば、導くほかありません」

 彼女が高らかに言葉を紡ぐと、少女たちを囲んでいた男たちはその場を離れる。

 自ら望んで仏の教えを学ぶのではなく、彼女のエゴにより強制的に悟りを促す。

 紫鏡の捻じ曲がった主張は、邪教を利用し、成仏と宣い少女たちの尊厳を傷つけるものだった。

 もはや邪道外道の域。

それはかつて自身にも同じことが起きて、盲信故なのだろうか。

それとも別の理由でもあったのだろうか。彼女が仏道に身を置くその執着は、悍ましささえあった。

 目が虚ろな男たちは雄叫びのような声を上げて、少女たちに襲いかかる。悲鳴が上がっても、誰も手を出さない。

 たとえそれが猥褻であっても非道徳でもあっても、尊い行為の前では不敬となる。

 津島はそれを何度も見てきたが、その度に胸糞悪いと思ってしまうほど嫌悪感を抱いていた。

 恋仲であっても不信も嫌悪を抱く。しかし、それは隣で経を唱える紫鏡には決して届くことはない無粋な情だった。

「歸命毘盧遮那佛 無染無着眞理趣 生生値遇無相敎 世世持誦不忘念――」

 刹那。

 爆風と同時に破壊音が響き渡ると、スーツを着た三十人の男たちはすぐさま侵入者らしき影に向けて銃を向ける。発砲音が鳴り続けるが、放たれた弾は全て、突如として現れた光の壁に呑み込まれてしまうのだった。


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 夢夜はスマートフォンを操作する。タップひとつで爆発を起こし、防御壁なるものを出現させる。

組員がそれらに気を取られている間に、身を低くして素早く本尊の元へと駆け寄る。

 彼は今まで見たことのない凄惨な光景に目を背けたくなるが、生太刀を持つ右手に力を込めて、紫鏡を見据えた。彼女の見た目こそは美しいほうだが、溢れ出る負のオーラに咽そうになる。

 紫鏡は津島に目配せすると二手に分かれたようだった。その場に残った彼女は、振り返り様に夢夜に声をかける。

「本日の拝観は終了していますの」

「ごほっ……従兄のお礼回りしに来た、ただの不敬者だ」

 咳込みながら名乗りあげる夢夜に対して、紫鏡は全てを見透かしたように言葉を紡ぐ。

「あら、お気に召したようでなにより。……あなたも混ざりますか? みな等しく在るべき姿へと成りましょう」

「っ……人類みんな平等なんて、できるわけねーだろ」

「この世の衆生全て、生きたまま解脱すればよいのです。我々の宗教信仰の何がいけないのでしょう?」

「人の命をもて遊んでもか……? 感情を殺すことが、絶望することが〝悟り〟なわけがない!」

「あら、ひどいわ。なら、感情なんてものをとってつけた神という存在こそ、人類を弄んでいるとは思わないかしら? 魂の解脱こそ、神の束縛から解き放たれる方法。仏の教えこそ真理――」

「はは、キリスト教徒が聞いたら卒倒しそうな思考だな」

 夢夜はただの感想を言ったつもりだった。彼女はにっこりと微笑んで首を傾けてから、

「愛を語るただの戯言になんてもののほうが卒倒するわ」

 ドスの入った低い声で、ゴミを見るような目を夢夜に向ける。どうやら地雷を踏んだようだった。

「信じていたモノに身を穢される経験はあるかしら? 自ら人々を愛しても、彼らからは愛されない――自身の価値が〝無〟だと思ったときはないかしら?」

「ッ……」

「たとえ自身が心を尽くそうとしても、力を尽くそうとしても、いつだって運命という粗末な事柄に縛られる。神が与えた試練なんてものに〝愛〟は無いわ。弱い人間が縋るための妄想にすぎない!!」

 信じても裏切られる事に幻滅してしまった彼女は、人を傷つけることを救いとした。

 それが唯一残された生きる術だというように。価値を取り繕うように、それに手を染めていった。

「さあ、衆生すべて平等に奈落の呪いを――」

 紫鏡の声に応じるように、正円で瑞雲柄に縁取られた紫色の鏡が現れた。鏡面に舌を出した顔のようなものが浮かんだ瞬間――、

「そう、あなたの正体、わかりました。偽物でつなぎ合わされた泡沫の存在」

「……? 何を――」

「〝紫雲鏡〟」

 彼女が短く呟くと、呪いを凝縮した三本の光線が螺旋状に夢夜のわき腹を貫いた。

「ッ……!?」

 突然の攻撃によろけてしまい、膝をついて受け身をとる。生太刀を手にしている影響か、幾分痛みが和らいでいるようだった。

「教えに背くというのなら、文字通り――殺してあげましょう」

 ゴーストの亜種のようなものだろうか。彼女が使役する紫雲鏡から矢継ぎ早に繰り出される猛攻に、夢夜は生太刀で防御に徹するので精一杯だった。

 それでも、訓練されてもいない彼が完全に防ぎきれるわけもなく、その身に傷を増やしていく。

 手負いの状態、間合いは詰められない、体勢すら整えることができなかった。

 一か八かで、夢夜は生太刀を紫雲鏡に向かって投げ放つ。

「ぐっ、ああ――!」

 彼の元から神秘が手元から離れた瞬間、体中に激痛が走り呻く。

 切り傷、火傷、貫通したところに空気が触れ、血が流れていく不快感と恐怖に体が固まる。負の空気に包まれ、全身を毒素が蝕んでいき、その場に立つのがやっとだった。

(ここで死んだら、呪いがあいつを――拓哉を人殺しにしてしまう。それだけは、絶対にだめだ。帰るって約束しただろ……!! 『責任を果たせ!』)


 紫雲鏡の表情は、夢夜の無謀で陳腐な行動にせせら笑っていた。

 貧弱脆弱、吹けば飛ぶ紙の如く。弱まってはいるが、元から呪いによる障りがあったのだ。殺すのは容易だろうと慢心する。

『――……!?』

 しかし、いつの間にか漂いはじめた白い霧により周囲の状況が分からなくなってしまい、それは慌てふためく。自身が映し出すのは広がる霧のみ。

 彼自身は弱く、その正体も理解している。それでも、彼の奥底までは知り得ない。

 遮られただけの濃い霧からただならぬ圧を感じ、人ならざるそれは気圧されてしまうのだった。

それは謂うなれば、多くの者たちの残滓が集まって繋ぎあわせた無数の《   》。

ひときわ霧が大きく揺れた瞬間――紫雲鏡の真後ろには、生太刀で切りかかった夢夜がいた。

 切先は極光を煌めかせ、そのまま紫雲鏡を両断する。

 鏡面が割れ、今まで籠められていた呪詛が勢いよく天へと解き放たれていく。

 そして、役目を終えたかのように粉々に砕け散った。

 夢夜は生太刀を投げ放った後、確かに痛みに呻いていた。しかし、白い霧に誘われるように、あるいは鼓舞されたかのように、無理を強いて紫雲鏡の近くに落ちた武器を再び手に取っていたのだ。

「な――!」

 紫雲鏡を失い、隙が生まれた紫鏡の腹部を柄の部分で強く打つと、彼女は気を失い倒れ込む。

「はあ、はあ……ッ」

満身創痍ではあるが、彼は生太刀のおかげで意識を保てていた。目の前の脅威が去っただけで、事が済んだわけではないため、次に備えて呼吸を整えようとする。

 紫鏡の敗因は、人の心の強さを見誤ったこと。

 再び立ち上がることを予想せず、他者である彼を掌握できると思ったことだった。

 

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  夢夜と紫鏡が対峙している時――広い御堂の中央は入り乱れ、赤い飛沫が降り、肉塊が転がっていた。カルミアは右手に生太刀を握り、少女を襲う人ならざる者を片っ端から切り捨てていく。

 流れるように軽やかに、かつ俊敏に確実に息の根を止める。

 紫鏡の部下である僧侶と組員は彼女を阻止しようと、手に持つハンドガンで二発打つ。しかし、即座に間合いをつめたカルミアは男の手元を下から蹴り上げると、隙だらけになった胴を真っ二つにする。

 降ってきたそれを左手でキャッチし、少女を組み敷いていた虚ろな男の頭部に弾丸二発入れてから、七時と九時の方向から彼女を狙う組員二名の額に一発ずつ命中させた。

 時折、物陰から何度か狙撃されるが、ゴーストの影響なのか姿が判別できない状況だった。

「ちっ……後回しにしますか」

 歯が立たないと思った組員はマシンガンを持ち出して、カルミアに向けて連射する。

 だが、彼女は真上に跳躍して躱すと、目にも留まらぬ速さで後方転回を繰り返し、相手の脳天にかかと落としを食らわせる。

 それは重力と勢いにより床ごと破壊され、ざくろのように割れて鮮血が飛び散る。

 操縦主を失ったマシンガンを生太刀で九等分すると、音を立ててその場に鉄くずの山ができあがる。

 殺戮あるいは修羅の如く、絶対的で一方的な強襲に恐れおののいて、逃げ出す者が続出した。

 根性か忠誠心かは分からないが、残っていた武装者はことごとくカルミアの手によって屠られていく。

 最後に残しておいた少女たち――絶望し泣き叫ぶ者、一点を見つめて頭を抱えてぶつぶつと同じことを繰り返す者、恐怖から抱きしめ合って泣きじゃくる者、快楽を享受し恍惚する者。

「……いま、楽にしてあげます」

 魂を穢され壊れゆく少女たちに、カルミアは等しく命の輝きを振り下ろした。


       

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