3章  破鏡不照-前編

『紫の鏡』というオカルト話がある。

これは都市伝説や怪談の一つとされており、女性なら一度は耳にした事があるほど、メジャーな話題と言われていた。

端的に説明すると、これは女性限定の呪いの類。

女性はその言葉を二十歳まで覚えていると不幸になるだの、鏡の破片により死んでしまうといった、一時的な恐怖を煽る読み物だ。

また、『白い水晶』や『ピンクの鏡』を覚えていると死を回避できるとされている。

実際はこんな事はただの迷信であり、戯言であり、空想である。

 しかし、そんな風になると思い込んで生き続けている女性がいた。

 自身に不幸が起きた際には、「紫の鏡の呪いだ」と主張する。

 さっさと忘れてしまえばいいものの、取れないほどに脳に染みついたそれに転嫁し、責任を逃れようとする。

意識とは厄介なもので、やがて思い込みは呪いとなり、不幸を招く循環を生み出す存在となる。

 今となっては過去だが、とある少女の、思い出とは呼ぶ価値も無い十年前の話。

その少女は、学校の友人から『紫の鏡』の話を耳にした。

その時はただの不安と恐怖に心を震わせていたのだが、そこから不幸が始まった。

『期限である二十歳はまだ随分と先のはずなのに、何故こうも身に良くないことが起こるのだろう』

そんな風に思い始めた時、親が宗教に嵌まってしまい家庭が崩壊した。

この世の醜い欲望を一身に受け止めて、狂っていく精神。失意に先に宿したのは、報復の念。

宗教から贈られた瑞雲の装飾が施された鏡は、不気味に笑っている自分しか映さない。

生者であるはずの少女は、得てきたものを全て使い、彼女自身が呪いを振りまく化物になっていた。


       zzz


《信者による、宗教団体への献金が問題になっています》

《当事者の息子さんのお話によりますと――》

《今はもう縁を切っていますが、子供時代は本当に荒れていて、家庭崩壊していました》

空は青く、雲一つ無くカラッと晴れてはいるものの、殺人的な暑さを強調させる季節――夏。

七月下旬。午後三時。

 難浪夢夜は相変わらず、ニュースをBGMにして作業をしていた。

しかし、その姿はいつもの様子と異なっている。

 彼は季節特有の蒸し暑さに耐えられず、ダッカールヘアピンで前髪を留め、額に冷却シートを貼っていた。さらに、パソコン机の隅には卓上扇風機が置かれており、モーター音を発しながら対象者を冷やす役割を全うしていた。

「最近、宗教団体の信者による献金が問題視されているな」

「動画サイトもそのテの投稿が多いですね〜。」『献金の行先は?』や『元信者が語ります!』とか、再生数高いですもん」

「そりゃ、みんな真相や当事者たちの話が気になるからな」

 キーボードを弾きながら、カルミアの言葉に声だけで返す。

 彼女はというと、クッションを抱きしめて、くつろぎながら自前のタブレットで動画サイトで映像を漁っていた。

 夢夜の言葉を聞き取るため、タブレットに繋がれたイヤホンを片耳だけ挿しているのは、数か月共にしてきて得た信頼と優しさによるものだろう。

「気になると言えば。最近、拓哉からの当たりが以前に増して強いんだが……カルミア何か知らね?」

「どうでしょう。『期末試験が~、成績が〜』って言ってましたし、ピリピリしてるのでは?」

 従弟である相沢拓哉。

 確かに、彼と夢夜の間に溝はあった。しかし、数週間ほど前から急に深く亀裂が入り、関係が悪化したのだ。

「そうだとしても、帰りは遅いしタバコの臭いするし、怪我してるらしいし。飯は食べてきたから要らないって言うし」

「悪い人間に影響されて、とうとう不良になってしまったんですかね〜」

お互い、顔を見ず行われた言葉のキャッチボールは沈黙で止まった。キーボードを叩く音だけが響く。

「そういえば。昨日の夜に幽体でふら〜っと散歩してたんですが、街中の治安が良くないそうです。老人が若者にケンカ売ってたり、勧誘やナンパが多くて。でもゴーストはいないんですよね。不思議」

 妙に重い空気を切ったのは、カルミアの世間話だった。

「まあ、夏近くになると変なやつ多いよな。てか、俺が執筆代行で忙しい時に散歩……。お前の仕事の手伝いもしてるし、少しくらい労ってくれてもいいんじゃないか?」

 画面に向かって、淡々とした口調で愚痴る。

「『これくらい楽勝』と言ってたのは誰ですか?」

 ねぎらいの要望を嘘偽りない事実で返されてしまい、タイピングをしていた夢夜の手が止まった。

「…………俺だぁ」

 そして、そのまま電池が切れたかのように、机の上に突っ伏す。

 彼は事の発端である一週間前の自身を呪っていた。自身でもホラーオカルト記事を書いているものの、日和ってしまい、『誰でもできる!』といった無難で、単価の安いものを多く引き受けていたからだ。

強みや専門知識を活かして、割りの良い仕事を選択すればよかったと後悔する。

「ほらほら、納期が迫ってますよ〜。手を止めていいんですか?」

「だめです……」

 釈然としない様子で唸る夢夜に、カルミアは追い立てる。

彼が重い溜め息を吐いて、原稿に向き合おうとした時だった。

《緊急警告。ゴースト大量発生。速やかに対処してください》

 机の上に置いていたスマートフォンは、けたましい音を部屋全体に響かせる。

 夢夜は突然鳴った警告音に驚いてバランスを崩し、椅子からひっくり返ってしまう。

持ち主の代わりにカルミアがスマートフォンを手にとり状況を確認すると、その液晶越しに映る黒うさぎは発生源と思われる座標を示していた。

「びっくりした。なんなんだ?」

《集団の心的負荷上昇。ゴーストによる悪性が伝播しています。危険度B》

「以前の郊外廃墟の時より、とってもまずい状況です」

 夢夜の質問に、カルミアは答えると、一気に緊迫感が立ち込める。

急いで外に飛び出し、二人は目的地である二キロほど離れた駅近辺に向かう。

 駅に近づくほど、何か期待に満ちた子供のグループ、他にはちらほら浴衣姿の人を見かける。

「そうか、今日は夏祭りか……!」

「なるほど。活気があったり、生きた人間が集まる場所には、ゴーストも溜まりやすいです!」

 次第に祭囃子の音が大きくなり、ディスプレイ越しの黒うさぎが促す駅前の商店街へと到着した。

「捜索範囲は半一キロくらいでしょうか。小道も多いし手分けしましょう。マイスターは商店街通り、私は周辺をぐるっと一周してくるつもりです。三時間後にまた連絡します」

「わかった」

 カルミアは慣れた手付きで自身のタブレットの探知アプリを確認すると、二手に分かれた。


       zzz


 夢夜は商店街に入ると、人の多さと熱気により気が沈んでいた。

夏祭り特有の和風の装飾や屋台が並び、花火の効果音や祭囃子の音楽が反響する。

 なんとか気合を入れてスマートフォンを空にかざすと、賑わいに引き寄せられた力の弱いゴーストや敵意のない幽霊が多く、密集して映っていた。

屋台や人間に注視しているのか、こちらに気づいておらず、気を取り直してテンポよく撮っていく。

「回収っと」

 進行方向を見ると、スーツを着た男性と若い女性が口論していた。

 夢夜は気にかけるものの、痴話喧嘩か何かだと思い、『もし、トラブルだったとしても、これだけ人が多いんだ。誰かが助けてくれるだろう』と見て見ぬふりをして通り過ぎようとする。

 それでも保険として、手に持ったスマートフォンをさりげなく対象物の位置に合わせ、録画モードで撮影し始める。ぱっと見は、祭りの様子を撮っている少年の体でいた。

(隠し撮りとか趣味じゃないけど、なんかあった時の証拠にはなるだろ)

しかし、次の瞬間、事態は一転し悲鳴が上がる。男性が女性に掴みかかっていたのだ。

周囲の通行人はそれに反応して、携帯端末のカメラを向ける者、足早にその場を去る者、囁き合う者がいた。

しかし、人は多いのに、なぜか止めに入る者がいない。それらを一瞥して夢夜は、

「い、今の、撮りました。ネットに流しますヨ」

考えるより先に、男に向かってその言葉が出た。慣れないことをし、語尾が上擦る。

カルミアとの出逢いにより、場数を踏んできた彼は、以前より少し強気になっていた。

実際に晒し行為はしないが、牽制にはなるだろうと思ってとった行動。勇ましい行動に反して、羞恥心と恐怖で心臓がバクバクと早鐘を打つ。

落ち着こうにも、遠くでこの場を収めようとシャッター音が数回聞こえ、夢夜の情緒も混乱を極めていた。公衆の面前で行われた勇気あるきっと彼の黒歴史になるだろう。

それでも、薄情で無責任な追い打ちに負けじと構える――ただ、動けないだけなのだが。

居心地が悪いのか、スーツ姿の男は舌打ちをすると、立ち去っていく。

「お兄さんがいてくれて、助かりました。お礼させてください!」

女性は乱れた髪を整えながら、夢夜に礼を言う。

彼らにとっての見世物が終わったのか、夏祭りという本来のイベントに興じるため人がはけていく。

「えっと……、こういう時はお互い様というか。あとは警察とかに行ってください。それじゃあ、急いでいるので俺はこれで――」

「そんなひどいこと言わないで? 私喉かわいちゃったから、一緒にお茶しましょう。ね?」

腕を掴まれ、そのまま女性の体の方に引き寄せられた。

さっきの清楚さとは変わって、上目遣いで誘う。初めて感じた女性特有の胸部の柔らかさに、夢夜の思考は停止する。

脳に電撃が走ったような、強すぎる刺激で固まった彼を連れて、女性はカフェに入っていった。

ウエイトレスに誘導され、窓際のテーブル席に着く。

夢夜が正気に戻って食事を断ろうとした頃には、女性はアイスコーヒーとケーキを二つ注文しているところだった。

彼はその光景を見て、断るのが気まずくなり諦めモードに突入する。

「これって、ば、罰ゲームとか……ドッキリとかですか?」

「違いますよ。ふふっ、私の奢りですから気にしないでくださいね」

少ししてアイスコーヒーとケーキが運ばれてきたが、女性は鞄からリボンやハートで装飾された可愛らしいスマートフォンを取り出して、写真を撮っていく。

なんとなく、初対面かつ奢られる側が先に料理に手をつけるのはどうかと思い、夢夜はそれが終わるまで、コーヒーグラスについた水滴が垂れていく様子を見つめながら待つ事にする。

彼女が写真を撮り終えたため、夢夜は早く食べて出て行こうとするが、次に用意されていたのは質問攻めの嵐だった。食べやすいように切り分けたケーキを口に運んで、そのまま手が止まる。

涼しい室内にいるはずなのに、夢夜は夏祭りの騒々しさのほうが開放的で気が楽だと思えてしまっていた。それほどまでにくどい程、口説かれていた。

「お兄さん最近、悩み事とかありますか?」

「特に、その、ないです……させっス」

「え~、私あるんですよぉ」

急にセンチメンタルな空気に変わり、夢夜の心臓がどきりと跳ねる。

冷静を装い適当にあしらおうとするが、語尾にはしっかり緊張が出てしまっていた。絶対伝わらないであろう意味不明な言葉を恥じて口を結ぶ。言葉というより、ただの発声かもしれない。

人の出入りが多く、賑やかな空間とは別の場所に居るかの様に錯覚する。

「ほんと何やってもダメで、さっきみたいに変な人にも絡まれやすくて。でもそんな時にサークルの、人生の大先輩にあったんです。それからは世界が見違えるようになって――」

「そッ、そうなんですネ~」

「サークルって言っても、体育会系じゃないし。私はあまりよく分からないけど、ゲームとかアニメとか、配信系好きな人結構いますよ」

「へえ、ソウナンデスネ~~~」

「……サークルの先輩たちに会ったりしてみない?」

「いやあ隠キャで、ひ、人見知りなので、ちょっと、そういったものは……すんませ……」

夢夜はずっと不信感を抱いていたが、やがて確信に変わる。

断ってもそれとなく誘い、距離を縮めようと、相手に興味がある印象を与えながら根掘り葉掘り聞いてくる話術。善人を装った迷惑な人――悪人。

しかし、今回その対象である夢夜は突然頭が真っ白になってしまい、うまく説明ができずにいた。

「もしかして~ですか?」という問いかけに対して、『ああ、そんな感じです』という、彼女の質問と想像に乗っかる形で進行していたのだ。

家族構成、職業、普段のルーティンや趣味など聞かれたが、曖昧に返答してばかりで要領を得ない。

苛立ちはじめた女性は、手段を強行してきたのだろう。

「なんて、うふふ。大学のサークルにいきなり参加して~とかびっくりしますよねえ。活動内容も楽しくて推してるので、つい喋り過ぎちゃいました。十分涼んだし出ましょうか」

「あはは……なん、推し活……大学生って大変なんですね」

愛想笑いをする二人。彼らは席を立ち、会計をしてから店の外に出ると、大通りはまだイベントの真っ最中だった。


夢夜は会釈をして別れようとするが、女性に腕を抱き込まれ、半ば強引に引っ張られる。

「一緒にお祭り見て回りましょう。こっちにおすすめの屋台あるんですよぉ」

 一方的な誘いに不信を抱くも、そのまま連れられ、人気のない狭い路地裏に入っていく。

 背後に大通りの賑やかさが夢夜を追いかけるも、別の世界に迷い込んだ気分になり、はるか先へ遠ざかって聞こえてしまう。

 (って、こんな事してる場合じゃない! ゴースト回収の途中だろ!)

 夢夜は本来の目的を思い出し、心の中で叱りつけると、女性の手を振り払おうとして声を上げる。

「いい加減離し――」

 だが、突然。――自身の手首に、体温と違う無機質の冷たさと感触を覚える。

 違和感へ目をやると、漫画や刑事ドラマ等でよく見る金属の手錠が掛けられていた。

「これ、なんで……ッ!?」

 苛立ちと焦りで視線を周りに移すが、背中に何かがぶつかった痛みを感じて、前に倒れ込んでしまう。

 受け身を取れず、そのままうつ伏せに地面に転がり鈍痛に悶えていると、足音が増えていく。

 少しだけ顔を上へ向けると――先ほどの女性と、複数の男達が夢夜を取り囲んでいた。

「保険証のみ? 歳は未成年か……学生証はないカンジ?」

「身なり的には無職っぽいすけど。フリーターか、親のすね齧ってるかのどっちかっすね」

「! か、返せ」

 会話で私物を奪われたことに気が付いた夢夜は慌てふためく。

 しかし、次の瞬間――、聞き覚えのある声が響いて、彼は唖然とする。

「こいつ、さっきは驚いたけど、姉さんの手にかかればちょろいなモンだな~~」

 その人物は、先刻大通りで女性と口論していた男性だったのだ。

(あいつらグルだったのか!? 財布は置いておいて……いや良くないけど! スマホを失うと、カルミアの手伝いに支障が出るかもしれない……!)

 彼が最後にスマートフォンを見たのは、カフェを出る前。

 ホーム画面に映る黒うさぎは警告音を出さないものの、いまだ危険性を知らせていた。

「今は祭りの最中。大声出しても、若者の奇声と思われてスルーされて無駄よ」

 その言葉に、夢夜はこれから起こるかもしれない、いく通りもの最悪な事態を想像する。

「ッ――」

 逃げようと肘を立てて起き上がろうとた途端、上から足で踏みつけられ身動きを封じられてしまう。

アスファルトの生ぬるい熱が顔に貼りついて、嫌悪を抱く。

 それでも、その場から脱出しようと非力なりに抵抗を試みるが、首に細く尖った何かを感じて彼は恐怖により目を閉じて体を強張らせた。

「ちょっと気分が楽になるクスリだから安心し――って、前見えねえ!」

 夢夜を踏みつけて揚々と話していた男は突然現れた現象により視界が遮られ、苛立ちを含んだ大声を上げる。

――夏だというのに、急激に温度が下がり、白い空気が路地裏に立ち込める。

 視界は不良。手元しか見えず、その不可解な事態に、弱者を取り囲んでいた者達は混乱に陥った。

「ぎゃっ」

「ぐえ」

 充満する白い霧の中から大人たちの短い悲鳴や呻く声が聞こえ、中身の詰まった物を壁や地面に叩きつける音が繰り返される。

「おっ、おい!! なにがあっ――」

(今のうちに……!)

 見えないそれに恐れつつも、夢夜を捕らえている男は仲間に呼びかけた。

 踏みつけていた足が夢夜の体から離れると、彼は顔を上げて腹ばいにのまま前進ようとしたその時――、壁に向かってトマトを思いきり投げつけたような物音がした。

 障害物に当たり、中身が弾けて液体が飛び散ったその状態それが、耳の奥に届く。

 夢夜は咄嗟に目を瞑った。

(黒うさぎが警告してた、ゴーストの猛襲か呪いのなにかか!?)

 その場には、一人と〝なにか〟の気配だけになり、彼らと同じような運命を辿ると悟った夢夜だった。

だが、その攻撃はぴたりと止んだ。

 『テレビのチャンネルを切り替えたのではないか?』と思うくらい、不気味で、不自然な変化だった。

 しんと静まり返るなか、夢夜は恐る恐る目を開ける。

 彼を取り囲んでいた不届き者たちは、その場から姿を消していた。


 先ほどの状況からして、最悪の事態が繰り広げられていたはず――しかし、赤い飛沫の跡すら見当たらない。

眼前に佇む、一匹の獣を除いて――。

それは、獣と呼ぶべきか迷うフォルムをしており、額から角、口元は小さい象牙が生えていた。

折れた耳からは、さらに別の動物の耳が垂れ下がっていた。ふわふわの体毛に、先端が霞んだ長い尾を持つ。可愛らしさとかけ離れた獅子の虎のような模様が、それの強さを印象づける。

しかし、それよりも特徴的なものは、真っ黒い三角形の『目』と『長い鼻』だった。

(なんだ、この象……羊みたいな毛をした生物は……?)

急にいなくなった不届き者たちの行方と、珍獣の姿をした〝それ〟の関係性に疑問を持つが、答えが出るはずもなく。彼は痛む体を起こして、その獣の前まで寄ると、屈みこんで目を合わせる。

見た目は強かであるが、小型犬程度の大きさをしていた。

夢夜は、〝それ〟をじっと見つめる。

〝それ〟は、夢夜を見据える。

その獣は立っている位置から一歩下がると、そこには夢夜の私物が落ちていた。

鳥がたまごを温める習性を真似ているのか、もしくは悪戯でわざと隠していたのだろうか、夢夜は貴重品であるそれを回収する。

彼はカルミアが以前言っていた内容を思い出し、そこから、『イレギュラーなゴーストなのだろう』と解釈することにした。

だが、その自己解釈と同時に、初めて会ったはずのゴーストにどこか懐かしさが込み上げ――、

「えっと、追っ払ってくれたのか? ありがとうな」

思わず、声をかけていた。可笑しなこともあるものだと、彼は苦笑する。

ここ数ヵ月ゴーストたちと対峙していた夢夜は、その敵に救われて礼を告げていたのだ。

『愚生は、お前である。故に、一部始終しっかりとこの双眸で見ていたが……なんともまあ隙だらけなものよ』

「…………。――ッうわああああああああ!? 喋った!!」

〝それ〟は、呆れた口ぶりで、人間である夢夜を軽蔑する。

予想外の出来事に理解が追いつかず反応が遅れた彼は、驚いた拍子に後ろに尻もちをついてしまっていた。じんっと刺激が走った打ったところを緩和させようと擦る。

『そして、騒がしい』

そのゴーストは目の前で醜態を晒す人間の動作に対して、ちょこんと姿勢を正して座り、尾を揺らしながら逐一感想を述べる。

「いや、でも、カルミアみたく喋ったり人間の料理を食ううさぎもいるし、ゴーストとか理屈がわかんねー現象もあるし……。そうだ。この世界では何が起こっても不思議じゃないんだ。それか夢だ」

夢夜は頭を抱えて、独り言を口にする。

『そう乱心するな、見苦しい。その錠を外してやろう』

珍獣の言葉に半ば罵倒を含むが、霞んだ尾の先端を細い金具の形状にし、夢夜の手錠を外しにかかる。

かちゃかちゃと金属が擦れる音が止んで、拘束していた無機質の輪はそのまま落下した。

成功した歓喜なのか、『おーん』と小さく鳴いた

「なんだ、その鳴き声……。そういえばさっきの話。お前が俺ってどういう意味なんだ……?」

風貌に似合わない間抜けな鳴き声を発する獣に、夢夜はツッコミを入れながら疑問を投げかける。

『愚生は獏。名は〝伯奇〟。お前の内側に存在し、他者を喰らうモノである』


       zzz


時間は少し巻き戻り、夢夜とカルミアが分かれたあと。

「キミ一人〜?」

「俺らと一緒に祭りまわんね?」

「……」

「無視しないで遊んでよ」

メインストリートの外周を捜索していたカルミアは、軽薄そうな二人組の男にナンパされていた。彼女が誘いを断っても、しつこく付きまとう輩。

祭りに引き寄せられたゴーストや、力のない魂がそこらじゅうに浮遊していて、それだけで嫌気が差すというのに、利益を生まない生きた人間に対して彼女は苛立ちを覚える。

カルミアは、特殊アンテナを施した小型トランシーバーを片手に持つ。

超音波を流し、それに反応した魂を誘き寄せたり、鳥居を顕現させて強制的に回収するといった仕事道具。

ボタンを押して起動をさせるのだが、今の状況ではそれができない。

たとえ彼女にとって有象無象の人間であっても、自身の所有物を許可なしに覗かれるのはこの上ない嫌悪を感じるのだ。

「欲しいもんあったら奢るからさ〜」

 一人の男が誘いつつカルミアの肩に手にかけた刹那――殺気よりも先に、音もなく深い闇が男たちの視界を襲い、世界の音を奪う。

 俗世から切り取り、境界線が敷かれた別空間――結界の中に立つ二人と一体。

 宙には、計り知れない質量を持つ天体があり、その姿を覗かせる。

 血で染め上げた空に、光を失った太陽がそこには在った。

 その円環から流れ出る液体により、大地は浅瀬を作っていく。

 突然、視覚と聴覚を支配されてしまい、体を震わせて混乱する男達の脳内に、唸り声に似た低い音が響いた。

【「気安いぞ」】

 男二人に口説かれていた少女の髪は明るいピンクから漆黒に染まり、血のように赤い眼をした異形の『それ』に姿を変える。

 しかし、精神を汚染され捥がれた彼らにとって、二度と体を動かすことは叶わない。

「欲しいものは、どうしたって手に入らない……」

 人間の言い放った台詞は、彼女にとって逆鱗であった。

 結界が解かれ、元居た歩道に切り替わると、そこには倒れている男性二人の前に少女が一人立っていた。通行人はその様子を不思議そうに見ては、足早に通りすぎて行く。

「ふう……。久しぶりにキレました。ああ、『情報』入れておかないとですね」

 倒れた男たちをタブレットでスキャンをし、特殊な操作をする。

彼らはひとりでに起き上がり、何事もなかったように歩き始めると、人込みに紛れていく。

「二人分の魂の消失は誤差の範囲です。てへぺろ」

 カルミアは普段の往来とは違う、祭りというイベントに満喫し生を謳歌する人々を眺めながら、自身の失態を正当化させる言葉を吐く。そして―――、

「しかし、これだけ人の多さ……マイスターのほうも異性にナンパされてたら、むかつきますね」

難浪夢夜に対して懸念を抱くのだった。

 押しに弱く受け入れてしまう危うさ、その底なしのお人好しさに、カルミアは無意識のうちに嫉妬を露わにしていた。


       zzz


  同日、夕刻十八時。

 夢夜とカルミアはどうにかゴーストの回収を終えると、駅付近のコインパーキングに合流していた。

 あの後、夢夜は伯奇を追いかけようとしたが、視界が白く霞んで行く手を阻まれ、晴れたかと思えばその後ろ姿は消えていたのだ。

 夢夜は自身に関わる問題だったため、カルミアに伝えるべきか迷ったが、彼女が終始放つ不機嫌なオーラにより切り出せずにいた。

「さっきの危機信号はクリアしましたし、今日のタスクはこれで終了です」

 普段、ころころと感情の切り替えの早い彼女が苛立ちを引きずっているのは珍しく、夢夜は居心地の悪さに落ち着かない様子だった。お互い職務も報告も終えて帰路につくだけだが、何故か沈黙が流れる。

「機嫌悪いけど……なんかあったのか?」

「なんでもないです。マイスターにとって関係ないですし」

 淀んだ空気に耐えかねた夢夜は口を開くが、カルミアにぴしゃりと拒絶されてしまった。

言葉に怒気を含みつつも、切なさを帯びた横顔が見えた――気がした彼は、納得がいかず食い下る。

「……マイスターと呼ぶなら、俺はお前の悩み事を聴く権利があるんじゃないか?」

 出逢った時の設定を持ち出し、意地悪く重箱の隅をつつく夢夜。

「………………貴方と別れたあと、軽薄な野郎たちにつきまとわれただけです」

 彼女はばつが悪そうな表情をしてから、視線を逸らす。

 好意のない、まったく知らない人からの執拗な誘い。

 似たようなことに思い当たる節がある夢夜は、つい先ほどの苦い記憶が蘇り間接的にダメージをくらっていた。『確かに、微妙な気持ちが募る内容ではある』と、心のなかで同情する。

(俺の場合は宗教の誘いだったけど……その男たちは、カルミアに下心があって近づいたかもしれないんだよな……?)

 夢夜の心に暗雲が立ち込め、微量の電気を流したような、ちくっとした短い痛みが走った瞬間――

「服装はコスプレじみてるけど、髪の色がキレイで目を惹くのはわかるし、顔は可愛いほうだけど、そういう奴らに限って見た目で判断して、お前の破天荒な性格についてけなさそ――」

 突然捲し立てる彼のその言葉に、カルミアは目をぱちくりと見開いて面食らう。

 その反応を見て数秒、夢夜は『あっ……』と零して、とっさに自身の手でその口をふさぐ。

 失言――。それは時すでに遅く、彼の脊髄反射で出た台詞は間違いを犯していた。

 本来、心配をしなければいけないところだが、不意にもらした本音は嫉妬であった。

「あ、いや、しつこくつきまとわれて本当に大変で嫌だったな!? いくらお前の腕が立つとはいえ、女子をひとりにするのは危険だったか~~~~! 今度からは通話でもいいから、俺を頼ってくれて構わないからな!?」

彼が身振り手振りで濁すほど、弁解するほど、――それは紛れもない事実だとでもいうように、高速で自ら墓穴を掘っていく。

「ふふっ、くっ、あッはははははははは! マイスター言ってること支離滅裂ですよ!?」

 夢夜のその姿に、可愛らしさと面白さが混じった感情を抱いたカルミアは、吹き出して声を高くして笑いはじめた。

 爆笑の元となっている彼は、気恥ずかしさにより唇を強く結んで恥を忍ぶことしかできない。

「……でも、次からは貴方のこと頼らせていただきますね」

 ひとしきりに笑った彼女は吹っ切れたのか、夢夜に優しく微笑みかける。

 いつものカルミアなら、皮肉交じりになじってくるところだったが、今日に限ってそのお約束ごとは行われなかった。

 真夏の夜の熱に浮かされたのかわからない。二人は無自覚なまま、その胸に宿る心を焦がしていた。


       

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る