2章 四面楚歌-後編


 難浪夢夜は、ヒーローのような絶妙なタイミングで現れた。

 彼の右手には刃渡り八十センチほどの太刀が握られており、柄の部分と刀身は白く、角度によって多彩な輝きを放っていた。

「あれ? なんで拓哉がいるんだよ!?」

「はぁっ!? それはこっちのセリフなんだけど、なあ未…………。?」

 拓哉は彼女に話を振るが反応がなく、目をやると彼の腕の中で力なく眠るように目を閉じていた。

 起こそうと体を揺さぶるが、一向に目を覚まさない幼馴染にパニックになり、従兄に助けを求める。

「え――? 未が目覚まさない! どうしよう!?」

「落ち着け! …………ただ、気絶してるだけだ」

 夢夜は未の手首に触れて脈拍を確認する。拓哉はその言葉に安堵するも、束の間。

 重低音が鳴り響き地面が少しだけ揺れると、二人は意識失っている未を守るように身構える。

「あと、さっきの奴だけじゃなくて、他にも黒い影が――」

「邪魔ヲするナアアアアああああああああアアアアアあああああッッ――――――!!」

 空気を激しく震わせた怒号が響き、拓哉の言葉は掻き消された。

 その雄たけびのような咆哮により、百近いゴーストの大群が床下から現れ、天井へ向かって行く。

 喚び出されたのは、拓哉が言いかけた『それ』だった。

「ぎぎぎぎぎ」

 ゴーストである黒い影達は、人間の言葉でない音を発しながら、高速で地面を滑って、今を生きている者へ間合いを詰める。

 枝のような腕がいくつも伸びて太刀を構える夢夜を襲うが、それが太刀の射程に入った瞬間、キィンと細く高い神秘的な音が鳴り渡り、襲いかかった黒い影は弾かれて霧散する。

 ここに到着して二手に分かれた際に護身用として彼女から渡された、邪を払うとされている『生太刀』。

 『生』を宿した太刀――そして、『生』を断つ刀でもある。

 薙ぎ払えば鎌鼬、突けば巨岩をも穿ち、振れば光芒を放つ神剣。

(ただの人間に、一般人に――これの相手は無理だろ!? ゴーストに触れさえすれば〝デバフ〟で何とかなる言ってたけどッ……!)

 夢夜はカルミアから、手強いゴーストは一度弱体化させなければ魂を回収できないと教えられていた。

 二人は刀の思わぬ威力と非現実な状況を目の当たりにして驚く。しかし、次の瞬間――背筋に悪寒が張り付き、足から力が抜けて不気味な空気に戦慄する。

「かァごめ かァごめ カゴの中のとリは いついつ出ぇやァる よ明けの晩に つるつるつっぺぇつた うしロの正面だァれ」

 喉を絞った男性の低い声に重ねるように少女は唄うと、鈍い音を立てて頭部が床に落ちた。

 それは慌てる様子もなく、断たれた部分から黒い泥を流し続け、体を引き摺り夢夜達の前に立ちはだかる。黒い影たちは首無し霊に吸い込まれていき、やがて最後のひとつがその身に宿ると、力を得たそれは二メートルほどの異形に変貌を遂げる。

 頭部には椿の花が髪飾りのように差し込まれ、着物を重ねて身に纏う少女らしき面影を残す。

 纏ったそれは血で汚れており、統一性がないのは幾人の衣服を剥いで奪ったのだろうか。

 それだけでも異質だが、表情を顔布で隠し、縄手錠をかけられた手は木の台を抱えており、背後には鞘に納められた二振りの刀が交差して宙で待機している。

 それは、罪人が受け皿をもって斬首の刻を待っているようだった。その異形の足元を、ちいさい人型の影が輪になって、ゆっくり回る。


«¡¡ 許さない ¡¡»


 理由は分からなかったが、その意味は理解してしまった。

 言葉ではないそれが夢夜の頭のなかに滑り込むと背筋に悪寒が走り、彼は後方にいる拓哉に向かって叫ぶ。

「下がっ――」

 しかし、目を逸らした瞬間――一振りの刀が下から彼のみぞおち目がけて突き上げると、二振りめの刀はそれを押し上げるかのように打ち、弾く。彼の体は直線に吹き飛んでいた。

 さながら、息の合ったバッティングトレーニング。人間の体がおもちゃのように扱われる一瞬の出来事。そのまま建物の外へ風を切っていき、中身の詰まった物が跳ねると、激しく擦る音が響いてからぴたりと止んだ。

「え……?」

 砂埃が舞うなか、目の前に居たはずの従兄が姿を消して数秒、拓哉は敵の被害にあったのだと認識した。

 敵意も戦意も取りのぞいた異形は、ずるずるとその身を引き摺り、『友達』に近付いていく。

「ひっ……おい、あんた! 起きろよ!!」

 この期に及んで、他力本願な拓哉は、吹き飛ばされた人物に向かって声を張り上げた。

彼は自身の技量など分かり切っていて、他者に身を任せることにより流されて生きてきた。

 危機的状況を打破する能力も知識も無く、戦う前から負けを認めることしかできない。

 頭では逃げなければと思っていても、足が竦んで動かせない。

 それでも、倒れて動かない夢夜を見捨てるのは不可能であり、自己嫌悪とぐちゃぐちゃに乱れた自尊心により目頭が熱を持ち雫が落ちた。

 ひんやりとした気配に顔を上げてしまい、それの首から溢れる黒い泥が顔にかかる。憎悪という毒に触れ、皮膚が焼け、吐き気と眩暈により意識が朦朧とした拓哉の首に、ゴーストの手が掛かる。

 強く力を込められて、彼は全身を強張らせた。

「ぐぅ――っ……」

 辺り一面の空気が白みがかる。

 半壊した建物から広場に向けて突如発生したそれに、人間もゴーストも視界が奪われる。

 その奥にある影がゆらりと動き、

『「   ――」』

 «¡¡»

 聞き慣れない音が異形の脳内に響く。

 拓哉の首に手を掛けていたその体は一瞬で切り裂かれ、肉塊は音を立てて床に散らばった。

 頭部にあった大きい椿の花は、ぼとりと音をたてて落ちる。

 足元に輪をつくっていたちいさい人型の影は怯える反応をすると、球体になり逃げようとする。

 しかし、突然鞘から抜かれた二振りの刃により次々に両断され、霧散する。

 それは薄情者に罰を与える行為に似ていた。

 解放された拓哉は咳込みつつも、新たな脅威に警戒して視線だけを動かす。

細長い棒を持った人影を捕らえたが、その表情はぼやけて見えない。

 異形は、憎悪という核を砕かれていた。破片は光の粒子へと変わり、空中へと散っていく。

 『体』という器を失い、『同調』という鎖は断たれ、蓄積された数百もの魂が花火のように弾け飛んだ。

 そして、浄化され悪意を持たない彼らは、無慈悲に追う存在から逃れようとして、狼狽えるのだった。

逃げ惑う魂達は辺り一面たなびく霞に触れて、見えない何かに一瞬で隠されて姿を消す。

 拓哉はその異様な光景を怪訝そうに見つめ、先ほど従兄が居た場所へ声をかけようと口を開く。

「……いー、にい……?」

 金属が滑り落ちたかと思えば、人影もその場に音を立てて崩れる。

 立ち込めた霞が晴れていくと、そこにはうつ伏せに倒れていた夢夜が居た。

 未だ緊張が解けない拓哉は注意深く付近を確認するが、彼らを取り巻く脅威は排除されていた。


       zzz


「牢屋敷の跡地に、娯楽施設なんて作るからそんなことになるんですよ」

 廃遊園地にある、今はもう錆びて動かない観覧車の天辺に、カルミアはいた。

 罪を犯した囚人達は、斬首によりこの世を去る――そして、己の首を斬った者を探し、彷徨う亡者と化す。

 修学旅行で遊園地に遊びにきた少女は、信頼していた学友のちょっとした揶揄いにより、頭部を失い命を落とす。憎悪か、または友ならば『同じ』になるべきだと思ったのか――それは学友の首をはじめ、長きに渡り生きた人間の首を奪っては友を増やし続けた。

 脳を失った者たちに理性はなく、自我は呪怨に呑まれ、他者を死に至らしめる悪霊へと変貌していた。

 胴と頭を切り離されてしまい、後ろの正面なんて見れない己に皮肉の唄をうたう。

「だから、〝かごめかごめ〟 ――か」

 しかし、そんな事は誰も知らない。世界の隅へと追いやられ、抹消された歴史。

 二手に分かれていたカルミアは、高い所から地上の様子を見物しながら、彼の回収し損ねた魂を集める為に待機していた。

 サポート、後始末、証拠隠滅とも呼ぶ作業を実行する者。

 ときどき、下では衝撃や破壊音が聞こえたが、次第に霞がかかり、状況が読めなくなっていた。

 それでも、神秘を宿した生太刀を渡しているのだ。敗北などあり得ない。魂はどれも消滅していない。

そう慢心している彼女が見つめる先には、火の玉をした物体が上空へと逃げ惑う姿があった。

「……ゴーストの他に善霊もいるということは、成功したみたいね」

 この土地には悪霊が蔓延っていたが、先刻の戦闘により浄化された魂が溢れていた。

 彼女は手に持つトランシーバーのスイッチを押すと、空中には粒子で形造られた鳥居が現れ、門へと強く吸い寄せられ、くぐって消えていく。

 カルミアはサイバーパンク風の上着の左袖を捲ると、肌には数字が浮かんでいた。

「今回の分で二パーセントか――あの人の分と合わせて、九二パーセント。もう少しゴースト居ると思ったけど、逃げられたのかな?」

 あの人とは難浪夢夜のことを指しているのだろう。

彼のスマートフォンをセッティングした時に、自身の端末と達成率の表記を詐称したのだった。

 身元を偽って、善人を演じて、当たり前に嘘をつく。

彼女は自身のタブレットを操作すると、時間差で《情報転送完了》の文字が出る。

「偽装しておかないと、バランス悪くなっちゃいますからね」

 彼女はそう呟くと、落下するように地上に降りてパートナーの姿を探すのであった。


       zzz


  翌日、正午過ぎ。

「前もって学校には連絡してあるけど、休まなくて平気か?」

「夏休み前で、いろいろ連絡とかあるかもだから……行く」

「二人に大事なくて良かったですね~。まさか拓哉もあそこに居るなんて思いもしませんでした」

「いろいろあって、肝試し……してたから」

 夢夜と拓哉の二人は午前中に病院で怪我の診断してから、ともに桜野山中学校に向かう。

 カルミアに応急処置はしてもらったが、体のいたるところに包帯や湿布を貼っている夢夜。

気丈に振る舞いつつも、疲れた表情を残すその姿に、拓哉は心が痛んで視線を逸らす。

 昨夜、彼らが合流した後の話――。

 気絶した夢夜と未を両脇に抱え、意識が曖昧な拓哉を背負うカルミアにより帰還した。

 拓哉は、ビルを足場にして大きく跳躍する彼女の姿を思い出す。

(この女性、本当に人間じゃないんだな。人間三人抱えられる腕力も、飛ぶ力もやばいし……)

「一番怪我してたのマイスターでしたけど、昨日の女の子も無事だと良いですね」

「う、うん。じゃあ、もう行くからっ!」

 不信感を感じ取ったのか、または視線に気付いたのか、カルミアは拓哉に向けて声をかける。

 その不意打ちにどきりと心臓が跳ねて、顔も声も引き攣らせると、彼は逃げるように中等部の校舎へ向かった。


「鈴木ちゃん、昨日大丈夫だった?」

 拓哉は在籍する教室に入ると、未が先日一緒に廃遊園地を探索したクラスメイトに声をかけているところだった。どうやら幼馴染も昼過ぎ登校だったらしい。

 鈴木と呼ばれた少女は、先日まではあんなにアイドルのように持て囃して付き纏っていたのが嘘のように、彼女に全く興味がない様子で無視して着席する。

 その光景を横目で見ながら、拓哉は窓側後ろの自身の席に腰を下ろす。

クラスメイトの態度に面食らって気落ちしていた未は拓哉と目が合うと、そのまま幼馴染の方にやって来る。

「たっ――相沢君。昨日は家まで運んでくれて、ありがとう」

「ん……べつに」

 愛称を喉に押し込んで礼を言う未に、彼は素っ気なく返事をする。

あの後、拓哉はカルミアに途切れ途切れに状況の説明はしたが、怪我人三人を放置する訳にもいかず、彼らはクラスメイトの捜索を諦めたのだった。

 だが、先ほどの有様を見ると、途中で飽きたのか、早々に帰宅したのか無事なようだった。

彼は心の中で『こっちの気も知らないで、運の良い奴ら』だと羨む。

「昨日行ったメンバーの様子が変なんだけど……相沢君は無事で安心した!」

「僕たちが空気盛り下げたから、どうせ怒って帰ったんでしょ。お前も無事で良かったね」

 心配する未を余所に、拓哉は適当に相槌を打つ。エナメルバッグの中から筆記用具と教科書を取り出しながら、昨夜の来事出を振り返る。

 突然現れた少女――従兄である夢夜はカルミアの仕事を手伝っていると聞いていたが、今まで仕事内容を確認しようとも、現状を聴こうとも思わなかったのだ。

(あの人、あんなことやっていたのか――あんな危険な、非道なこと……)

 何故か、非道だと思った拓哉。彼の心の奥に暗雲が立ち込める。

(社会貢献してるって聞いてるし。人の役に立ってるらしいのに、なんであの人を認められないんだろ)

「大丈夫? 何か忘れ物しちゃった?」

「違う。てか、一緒に居るとまたばか共からいじられるよ。お前も僕も」

 心配そうに声をかけてきた未により、深い思考から現実に引き戻された拓哉は皮肉交じりに返す。

「私は別にそれでも……」

「午後の授業始めるぞー。みんな席に着け~」

「あ……じゃあまたね。相沢君」

 未はどうにか話を繋げようとするが、教室に入ってきた教師の声により阻まれてしまった。

 名残惜しそうに、彼の席から右斜め前にある自分の席に戻る。

 『大して距離が離れているわけでもないのに』と思いつつ、それでも気になる拓哉は幼馴染の背中を視線で追うと、寂しそうに見えた。

 少し無愛想だったと反省していると、教科書を読み上げて板書が始まっていた。

 拓哉は、慌てて黒板の文字をノートに写していく。追いついて余裕ができ、空いた場所にデフォルトされた犬を落書きしはじめた。

 負け犬――臆病で、いざという時に尻尾を巻いて逃げることしかできない。彼は心の中で自虐をしつつ窓の外へ視線を移すと、真っ青な空は厚みのある入道雲を浮かばせて、日差しは容赦なく世界を照らす。

 穏やかな景色を見ていると、昨夜のような恐ろしい事が嘘のように思い、夢を見ていたのではないかと疑問を持つ。

 やがて午後の授業が全て終わり、帰宅時間になった。

一日中ぼんやり授業を受けて、終わったらどこかで時間を潰してから帰宅するのが拓哉のルーティンだった。

自分のテリトリーであるはずの家には、今や苦手な従兄がいるため直帰が難しい。

 仕事で忙しい父母に会えず、寂しい気持ちを誰かに打ち明けることも、消化することもできずにいる。だからといって、何かに八つ当たりするのはダサいと思っているのだが――そもそも気軽に話せる友人がいなかった。

 はあ。と、大きく深い溜息をつく。幼馴染の未がいるが、ただでさえ常日頃情けない姿を晒しているため、彼女に赤裸々に話すくらいなら死んだほうがましだと思っていた。

 恥の上塗り、傷口に塩、天は彼に味方しないらしい。

「いってえな」

「あ、すいません」

 突然、頭に衝撃がしたかと思えば、身長より高い位置から言葉が降ってきて、拓哉は咄嗟に謝罪する。考えことに耽っていたら、人にぶつかってしまったらしい。

「すいません、じゃなくて、『すみません』だろ」

「なにこいつ~。言葉遣いがなってなくね」

 制服を着崩したガラの悪い男が三人。近くの高校に通う高校生のようだ。

 不良ながらも、体育会系で年功序列をモットーにしているらしい集団だった。

「すみません、では」

 口では謝罪したものの、心では沸点が低く心の狭い年上だと軽蔑すると、視界が激しく揺れて景色が横になっていた。混乱よりも頬がずきずきと痛んで、殴られ倒れたのだと確信した。

 集団リンチさながら、一方的に蹴りを入れられる瞬間――拓哉は咄嗟に頭を抱えて身を守る体勢に入るが、来るはずの痛みは無い。

 中身の詰まった重い物を乱暴に打つ音が響くと呻き声が聞こえた。

「お前大丈夫か?」

「……っ!?」

 突然、声をかけられた拓哉はぎこちなく目を開ける。視線を動かすと、知らない男が手を差し伸べていた。拓哉はその手を取ると、引っ張られ体を起こす。

 拓哉は周囲を見渡すと、先ほど彼に暴力を振るった不良たちが地面に突っ伏していたりうずくまっていた。

「えっ……?」

 今後、重大な事件に巻き込まれるとは知らずに、平和呆けな少年は夏休みを迎える。


       

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