2章 四面楚歌-中編
zzz
時は遡って三十分前――十二時半。
公立桜野山中学校では、ちょうどホームルームを終えた頃だった。
期末試験の最終日。生徒にとって、待ちに待った放課後である。
試験から解放されたのか、意気揚々に部活に行く生徒や、委員会活動で忙しい生徒が廊下を走っていく。相沢拓哉が所属するクラスでは、少年少女が数人集まり、この後の自由な時間をどう過ごすかで賑わっていた。一人の女子生徒が切り出す。
「ねえ! 郊外の廃墟で幽霊が出る噂って聞いた?」
「知ってる! ネットでも話題になってるよね! ホラー好きの実況者も生配信してなかった?」
「今から肝試しに行こうぜ! 夕暮さんもどう!?」
「え……と、た、相沢君はどうする?」
「…………好きにすれば?」
落ち着いたピンクベージュの長髪をツインテールにした夕暮と呼ばれた少女――夕暮未は振られた話題に困惑しつつ、隣で帰り支度をしている少年に声をかけた。
彼女の期待と焦りを含んだ視線を無視することもできず、堪えかねた相沢拓哉は無愛想に口を開いた。
淡々と返す様子を見た周りの男子が冷やかす。
「未ちゃん~~。テストはほぼ赤点! 運動もできない奴なんてほっとこうよ~~~!」
「ホント! 反応もやり返しもないし、なんていうか負け犬ってカンジ? 構う時間がもったいないわ」
クラスメイトは相沢の心情も知らずに平気な顔をして、煽りと愚痴を目の前の本人にぶつける。
拓哉は、何を言っても通じない人間の相手はしないことに決めていた。それは心の安寧の為でもあった。夕暮には居心地の悪いことをしたと思いつつも、自身の知ったことではないと言い聞かせる。
「こっちのセリフだ、クソども」
誰にも聞こえないように悪態をつく。
他者を平気でなじってくる人間性をもつ輩とは関わるのは時間の無駄だと結論づけ、支度を終えて自身のバッグに手をかけた時だった。反対側から引っ張られた気がして、拓哉は驚いてそちらを振り向く。
愚痴を聞かれたかと思い冷や汗を流すが、そんな心配は杞憂で。
身体が傾いた原因は、未が彼の制服の裾を掴んでいたからだった。
「相沢君も行ってみようよ。ほら、何か新しい発見とかあるかもしれないしさ……!」
何かを紛らわすように口早で誘う。上目使いで首を傾げる未にほだされてしまい、拓哉はしぶしぶつ同行することになる。
バスに三十分ほど揺られ、拓哉を含む少年少女は自然に囲まれた目的地に辿り着く。
廃墟――かつては中規模テーマパークとして賑わっていた場所を、彼らは期待を込めて見渡す。
「よし、俺らのほかは誰もいないな」
リーダー的存在の男子が先導し数分歩くと、当時は可愛らしかったであろう鉄製の寂れたアーチが出迎えた。
その周囲には穴だらけの金網が張り巡らされていたが、よく見ると穴の部分を有刺鉄線で塞ぐように補強している。それらは威嚇のように思え、牽制のように感じられ、来るものを阻もうとしているようであった。
「いかにもって感じだねえ~」
「いいから早く行こうぜ! 帰りのバス間に合わなくなる!」
それでも、アーチをくぐり、いくつかある入退場ゲートを通ろうとする。
アームが回転して通行できるタイプのものだが、先人達か時間の仕業か判別が難しく、壊されており機能していない。
入場して少し歩くと、パーク内案内図の掲示板が寂しそうにぽつんと佇んでいた。
右の方にはレストランや土産品の建物や迷子センター。左と中央の方にはアトラクション。そして、あちこちにワゴンの配置場所が表記してある。
アトラクションはジェットコースターやゴーカート、観覧車とメリーゴーランドとコーヒーカップがあるらしい。幼児向けの小規模なアトラクションやアスレチックエリアも確保されている。
しかし、在り来たり過ぎたのだろう、今は誰一人それらで遊ぶ者はいなかった。
中央に向かって歩いて行くと、メリーゴーランドが設置されていた。
ところどころ塗装が剥げて錆付いており、劣化によるものなのか、中には白馬の頭部が無いオブジェがあり、不気味さが漂っていた。
そして、誰かの悪戯なのか、その場にそぐわないモノが存在していた。
頭部の無い白馬の背に置かれている状態――寄りかかっている、または跨っているようにも見えるそれ。白く細いものは、棒だったり丸かったり曲線の形をしており、カラッと乾いた表面は筋が入って空洞を作っているようで独特のヒビが入っている。
頭の無い人間の白骨が、そこにはあった。
しかし、それ以外のパーツは全て接着剤かワイヤーで繋がれているのか、白骨標本にも見える。
「なんだこれ! こんなんじゃなくて幽霊出せっつーの!」
「誰よ~学校から白骨標本なんか持ち出したの~」
「は~~~……。……――っ!?」
周囲を気にせず盛大に笑い、喚き騒ぐクラスメイト。
拓哉は騒いでいる彼らを後ろから呆れた目で見ていたが、この世では無い存在を見たとでもいうように青ざめた顔でその場から走り出す。
その様子を見た未は脊髄反射で彼の後を追おうとするが、クラスメイトの声に遮られる。
「だっせえ~~。未ちゃん、ほっといて行こ」
「っ、ごめん! みんなは先行ってて!」
振り返りながら彼らの制止を断ると、少女は幼馴染を追いかける。
拓哉は来た道を戻り、先ほど話し込んでいた掲示案内図のところまで戻って来ると、身の毛もよだつ恐怖からその場で吐露した。
不快感や寒気に襲われてしまい、自身の意思に反して、胃の中のものが喉を圧迫しながら出てくる。
制御不能の生理現象に、息苦しさと自分の情けの無さにより、彼は涙を流しながらエナメルカバンを抱えて蹲ってしまう。
「……たっくんどうしたの? 大丈夫?」
聞き慣れた声に拓哉は顔を上げると、クラスメイトと一緒に居たはずの未は前屈みになり彼の顔を心配そうに見つめていた。
「ひ、つじ ――」
いつもと変わらない幼馴染に安堵するが、ばつが悪そうな顔をする。
走って来た道のりと出発地点だった場所を見ると何もなく、ただパーク内の建築物が錆びれた無機質な鉄が置かれていた。
「とりあえず、あっちの建物の方に行こう? 立てる?」
拓哉は未に手を引かれ、所々壊れた建物の一階で休息をとることにした。エントランスホールの隅に座り込む少年少女。
拓哉は情けさなさで、地面のひびを観察することしかできずにいた。
あんなに突き放していたのに、慣れ親しんだ名前で呼ばれるだけで落ち着きを取り戻すのだ。
彼女は自身の持参していた水筒の中身をコップに注ぐと、拓哉の前に差し出す。
「麦茶だけど、飲めそう?」
「ん……ありがとう」
素直に受け取ると、彼は少しずつ麦茶を数回に分けて飲み干した。未は拓哉から返されたコップを水筒に閉めてから声をかける。
「たっくん、どうして急に走ったりしたの?」
「さっき……の、骨のやつの――周り真っ黒な何かが囲んでた」
未の問いに拓哉は怯えて表情を曇らせるが、なんとか声を絞り出してぽつりぽつりと彼は説明し始める。
白骨標本の他に、メリーゴーランドのオブジェには数多くの真っ黒い影が佇んでおり、崇めるようにまたは罪人を軽視するかのように、それを見上げていたのだ。
回転する床から上下する数本の棒には人間の頭部、腕や胴体が貫通し、串刺し状態になっていた。
黒い影達は、顔と呼ぶ部分も、手足もない。それでも、光を吸収しない真っ黒なそこに、目や鼻、口があるのだと感じる。輪郭すらないのに、脳に、魂に語りかけてくる悍ましさがあった。
クラスメイトが笑い出すと、弾けるように、一斉にそれらがこちらに向いたのだ。
錯覚ではなく、妄想ではなく、予想ではなく、事実なのだと口を震わせて伝える。
拓哉が話終わると、未は優しく手で背中を擦りながら声をかける。
「そうなんだ……それは怖かったね」
「……なんでお前、そんなに平気なの」
「平気じゃないよ? だって、たっくんがこんなに怖がっているんだもの……」
その先、何かに続くようだったが言葉が紡がれることはなく、少女はただ目を細める。
未は彼にこんな怖く恐ろしい思いをさせた存在に殺意を抱いていた。
夕暮未は、平気であったが正気ではなかった。
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二人と分かれたクラスメイト達は、大声を上げ囃し立てて廃遊園地を見て回る。
彼らの後を黒い影が百鬼夜行の如く列を成して着いていくが、少年少女は全く気付いていない。
ゴーカートやジェットコースターの乗り場は勿論、観覧車や回転式のアトラクションを見て回っても、錆びれた鉄がそこに置いてあるだけだった。地面には雑草やごみが散らかり、ベンチや照明は塗装が剥げて見栄えが悪くなっている。
少年少女たちが歩きながら話し込んでいると、石造りのお化け屋敷が視界に入る。
「なにこれ超怖そう~!」
「もしかして幽霊出るって言うの、ここじゃないのか?」
「お化け屋敷に幽霊出るのは当り前だろー。もし出なかったらただのお屋敷だぜ?」
「ちょっと行ってみようよ」
意気揚々と期待して子供たち四人はその作り物建物の中に入っていく。跡を付いて回っていた影もまた、中へ続く。日中であるはずだが、屋敷内は薄暗く視界が悪かった。
いくつかコンセプトがあるのか、洋館の広間、理科の実験室、歴史博物館の人形展示のエリアに分かれていた。照らしながら館内を探索していたが、急に部屋の空気が冷たくなり、先頭を歩くリーダーは声を上げる。
「なんか……ここら辺寒くないか?」
「冗談やめてよ~」
「えっ、何出た!? 俺もバズり散らかす未来決定~!」
怖がったフリをする女子や、待っていましたという様子でカメラを身構える男子。
「うあっ!?」
先頭を歩いていた少年の驚いた声に反応し、仲間たちは足と会話を止める。
「ちょっと、リーダーどうしたの?」
「あッ……れ――」
リーダーと呼ばれた少年は、数メートル先を懐中電灯で照らすと、そこには白いワンピースを着ている少女が佇んでいた。そして、こちらに気付くと、口を曲線にして含み笑いをしている。
闇のように真っ黒い長髪に青白い肌が特徴的で、目は空洞。
刹那。少女の首が左に九十度折れる。それは、生きている人間ではできない芸当であった。
「「「「ひっ――!!」」」」
彼達は身体が硬直して動けないでいた。するすると床を滑るように移動して少年少女達目の前に来ると、嬉しそうに口が裂けていく。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
全速力で走り、どこのかの部屋に駆け込む。入って来れないようにドアの鍵を閉めて備品で塞いだりすると、隅の方で身を丸める。
ひたりひたりと音を立てて歩いているのだろうか、どうやら通路を行ったり来たり徘徊しているようだった。
「入って、来れないのかな……?」
少女が呟くと、壁をすり抜けて黒い影が十個――十人侵入してきた。
抵抗なのか、策も武器もなく勢いだけで少年はそれに突撃していくが、結果は見えない〝もの〟で頭部を刎ねられた。
一瞬の光景。制御を失ったそれは床を血で染め上げ、二度と動かなかった。
「きゃああああああああああっ!」
「ぎぎぎ」
黒い影たちは、絶命した少年を囲んでぐるぐるまわる。だが、悲鳴を上げた少女に向かっていくと、影のひとつが彼女を呑み込んだ。
行き先を阻む影たちは『かごめかごめ』を口ずさむと、次第に数が増えていた。
残った少年少女は、ただ呆然と、愕然と、見つめるしかなかった。
逃げなければならない――。迫る危機に脳が警鐘を鳴らし、心臓はこんなにも早鐘を打っているのに、どうしても手足が動かないのだ。目の前の現実を、受け止められないでいると、
「あー……あー」
どこからともなく赤ん坊の声がして、意識を引き戻される。
「!! く――くるなああああああああああああああああああああああああ!!」
目は空洞で虫にまみれた肌のそれが這いずってくる。腰を抜かしてしまい、恐怖から足でその赤ん坊の頭を蹴り続けると、ばきっと首が折れて動きが止まった。命の危機に、倫理感も罪悪感もないのだった。
「はっ……はっあ……!!」
横を見ると、クラスメイトの女子の目が恐怖のあまり見開いて硬直していた、というより死んでいた。壁から生えている白い手が、少女の首をぎちぎちと音を立てて捩じっていくと勢いをつけて横に倒す。
ゴギンッ。曲げる力に負けてしまい、鈍い音を鳴らして首が折れた。そして、血を流しながらゆっくりと少女の体が少年の方に倒れてくる。
「ひいっ!!」
汚物を避けるように、少年は機敏な動きで後退る。恐怖から、また何かくるのではないかと視線を必死に動かす。
先ほど頭があった空間を見ると、壁から生えた白い手が少女の頭部をそのなかに持って行こうとしている最中だった。
見たくもないはずなのに、信じられない光景に目が釘付けになってしまう。嘘だと、偽物だと、夢なんだと頭の中で片っ端から否定していると、外部からの衝撃により思考が停止する。
少年は、頭が何かに掴まれたと感じた瞬間、
「ごっ……ぎゅ―――」
ギギギギギギギギ……
首が限界まで曲げられていた。目や鼻から汁が出て、口元は泡が吹く。物理的に、肉体の構造的に、その圧力により悲鳴さえ上げることができない。
少年は絶対的な死を感じてすぐに、視界と呼ぶものは真っ暗になった。
ボキッ。と短く、しかし抵抗力のある素材が折れる音が部屋に響く。
白い手は戦利品を見せびらかすように頭部をぐるんぐるん回すと、ぶちぶちと音を立てながら首をちぎり落とす。そして、腕を長く伸ばして落とした頭部を拾うと、壁に吸い込まれていく。
先ほどの騒ぎはなんだったのか、辺りはしんと静まり返る。気味が悪いほど静寂だった。
「友ダち増えた。皆であソぼう。モット増やソう」
いつの間に部屋に入ったのか、分からない。
闇のように黒く、床を引き摺るほど長い髪。青白い肌が特徴的な少女は、身に纏った汚れたワンピースを靡かせて不気味に笑う。
少女の霊の背後には、新たに四つの影が立っていた。
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「みんなどこ行ったんだろう……」
「さあ……?」
拓哉は胃のなかの物を全部出して自己嫌悪と罪悪感に浸ってすっかり気が弱くなっていた。
喉が胃酸で焼けてしまい、カラカラ乾いて悪循環が起きる。
そんな事よりも、拓哉は不意に見てしまった、見てはいけない黒い奴ら――徘徊する霊が気がかりだった。茶番だと思い、安易な気持ちで同行した自分を恨んでいた。
「たっくん麦茶いる?」
「いや、大丈夫」
「っ――――! たっくん!」
身を乗り出して、顔を近づけながら未は声を上げた。
「な……なに?」
「トイレとか心配しなくていいからね! 私ポケットティッシュはもちろん、アルコールウェットシート持っているから!」
「お前こんな時に何言ってんの!?」
「いや、だって! たっくんそわそわしているから、その……近いのかなって……」
「そうじゃなくて、黒いあいつらが居ないかどうかを心配してんの!!」
「心配しなくていいよ! 来ても来なくても下着の替えはあるから! ボクサーがいい? それともトランクス?」
「未、いい加減そこから離れよう!? てか、なんで思春期の女子が男子のパンツなんか持ってんの!」
「え。多感な時期だし……それに好きな人に渡すなら、これが良いってお姉ちゃんが――」
夕暮未のいう姉とは、八歳はなれた夕暮凛々子を指す。
妹ラブの激重過干渉であるため、未がアドバイスを求めたら、三時間みっちり知恵と知識を教え込むほどの勢いと真剣さを持ち合わせていた。智恵というより、悪智恵だったりジョークだったりするのだが。これも彼女による仕業だろう。
凛々しさの欠片もなく元気で騒がしい彼女は、未の名前は凛々子が名付け親でもあり、単純に『ひつじ、もこもこしてて可愛いじゃん。ひつじにしよう、はい決定!!』と、ものの十秒で決めてしまったらしい。
そこまでくると、考えるのではなくただの思いつきだ。インパクトが強い彼女の姉を思い出しながら、拓哉は問いかける。
「冗談でしょ?」
「本気だよ?」
彼女は即答だった。真っ直ぐすぎる未から、拓哉はつい目を逸らしてしまう。
(生々しいというか、赤裸々というか、何なんだよ)
「いや、思春期かつ繊細なこの時期にそれは無いよ。軽くトラウマになる……というか、今なった」
「そっかー。じゃあいいや。大人になったら渡すね」
「『大人になってから』って、流石にそのサイズは着れないでしょ」
「その時はその時で、新しく買うから安心して!」
「渡すことを前提に話をしないで! どんだけ下着に執着があるの!?」
「下着に執着してるんじゃなくて――」
未は言いかけて、口をつぐむと顔を赤らめて逸らした。急に静かになって拓哉はやっと一呼吸する。
「はああああ……」
二人きりになると、いつもこうなのだ。未のマイペースに呑まれて、拓哉は自分のペースを乱されてしまう。別に嫌ではないのだが、自分の中で何かが負けた気がするため、普段は彼女とは距離を置いていることが多い。
「でも、久しぶりだね。私たっくんとこんなに楽しくおしゃべりできて嬉しいよ!」
「ハイハイ。おしゃべりというより漫才ね」
「たっくんは私と居て楽しくないの……?」
にこにこと楽しそうに、嬉しそうに話す未に、拓哉は冷静に返すと、適当にあしらう対応に、彼女は表情を曇らせた。
「あー……まあ、内容はどうであれ気分が紛れたのは事実だし。……未ありがとう」
「えへへ~、どういたしまして」
落ち込む姿を見て居心地が悪くなり、言い淀みつつも拓哉は感謝を伝える。彼女はその誉め言葉に頬を染めると、満開の花の如く微笑んだ。
にこにこ満足そうに幸せオーラを放つ未から、不意に視線を逸らす。
(少し耳が熱いのは気のせい――頬が赤いのは緊張のせい!)
「そーいや、あいつらどうなった? 連絡来てない?」
拓哉は自身の吐いた言葉に気恥ずかしくなり、話題を変える。未はスマートフォンを学生カバンから取り出すと、メッセンジャーアプリを開いて確認するが、
「皆から来てない……ちょっと心配だね。たっくん、外の様子見に行こう?」
「まじか。めんどいけど仕方ない」
別行動の流れのまま、勝手に帰宅したいと考えていた彼はやる気がそがれた。
一度連絡が取れれば、レスポンスの早い彼らに期待していたのだ。音沙汰がないということは、クラスメイトたちに何かあったのかもしれない。
二人はフロアの窓から外を確認すると、日が傾き始めていた。
塾も部活もやってないのに、暗くなってから帰宅すると、居候している従兄に何か小言をいわれるだろう。『知れ渡ること』により、物事が拗れて面倒になるのはごめんだと、拓哉は躍起になる。
「じゃあ――」
そう言いかけて、拓哉は動きを止める。
空間の温度が一気に下がった感覚と、脳内に激しく危機を知らせる警鐘が鳴り響いたからだ。
フロア中央の床が液体のように、水面のように揺れるのが目に入る。
少年たちの前に、白い肌に黒く長い髪を持つ、ぼろぼろに汚れたワンピースを着た少女がいた。
「ワタシとお友達にナってクレル?」
少女の幽霊は、漆黒色の髪を揺らして口を釣り上げながらそう問いかけた。眼球は大きくぎょろっと見開いており、魚のような印象を与えていた。
性別と歳相応の高い声に、不相応に交じる男性の低い声が耳奥に残る。整合性という概念を失った異質さに、拓哉は背筋が凍りついた。
その言葉をどう理解するか、どう反応すれば良いのだろうか――そもそも反応して良いのだろうか、沈黙が流れる。
恐怖による絶望と、思い通りに動けない焦燥感で額や背中に冷汗が伝う。拓哉は負け犬と呼ばれようと、生にしがみついて逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
鼓動が早鐘を打っても、動かなければと思っても、言うことを聞かない体にもどかしさを覚える。
少年は、横目で隣にいる幼馴染を見ると、
「っ――私なるよ! あなたのお友達に!!」
何を思ったのか――突然、未が叫んだ。彼女の突拍子のないその行動に、拓哉は思考が停止する。
一瞬。沈黙が流れるが、怒号を交えて彼は未の口を押さえて腕を乱暴に引き寄せた。
「ばかか未!? 変なこと言うな!!」
「っ!」
未が小さく悲鳴を上げても、これから起きるであろう不吉な現状に警戒した拓哉は必死だった。
彼は少女の幽霊に背を向けると、被害が及ばないよう幼馴染を庇う。
(こいつはヤバい! 早く逃げないと、不吉なことが起きるかもっ……)
見たくはないが、見なくては状況が読めない。
拓哉は腹を括って、幽霊の方をゆっくりと視線を移す。
それは体の輪郭を不規則に波形し、膨張と収縮を繰り返す。口の端が裂けて悦びを表現する。
「お友達おともだちオトモダチオトモダチオトモダチオトモダチ。遊ぼうアソボウあそボう」
気付いた時はすでに遅く――少女の幽霊は歓喜の声を発しながら一瞬で間合いを詰め、拓哉は視界が遮られてしまい暗闇に包まれる。
(喰われる? 殺される? 憑かれる? だとしたら、未だけでも助けないと……!)
その『暗闇』から目を背きたいがために、彼は目を強く瞑った時だった。
地面が大きく揺れ、爆発音が鳴り響いた。風圧により、ガラスの破片やコンクリートの瓦礫が周辺に散らばり、追いかけるように煙が舞う。
屋根の一角を崩壊させた人物は、瓦礫を避けながら愚痴をこぼす。
「まったく、いきなり強い反応出しやがって。これ使うの慣れていないからやめてほしいんだが」
そこから現れたのは、拓哉がいつも邪険にしていた存在だった。
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