1章 ドリームヒーロー-中編


うさぎが目を覚ます。

 それにとって、そこは見知らない室内で警戒するべきところだが、冷静に見渡してから口を開く。

「やっぱ、こういう体は不自由だね。すぐ怪我するし。でも、エネルギーがないから人型で実体化できないし」

 次の瞬間、うさぎが横たわっていたところには足元が煙で霞んだ少女がいた。

 胸下まであるピンクの長い髪を前で二つに結び、黒いホルターネックインナーは華奢な肩をさらし、丈の短い和装をまとう。黒と緑の蛍光色のラインが入ったサイバーパンク風のジャケットを羽織っていた。日本の伝統衣装と、最先端ファッションという異端な組み合わせで、ゲームのなかから飛び出した雰囲気をもつ。

 足元が霞んだその人物は、腹部に巻かれた包帯を見る。帯で窮屈なのに、さらに包帯で腹部を締めて少しだけ不快感を憶えるが、状況整理のため周囲を確認することにした。

 家屋、見知らぬ室内、現代でいえばリビングと呼ばれる空間で、彼女の浮遊する場所はソファの上。

 視線を下に向けると、少年がソファに突っ伏して寝息を立てていた。

「この人間に助けられたのか。どんなあほ面したやつが私を助けのかしら」

どうせ聞こえないのだと慢心し、無用心に人間の顔を覗き込む。

「若者……痩身で筋肉質には見えない。びびりで軟弱そう。顔は――え――?」

少女は言葉を詰まらせ、思考が停止した。

『なぜ?』と自問自答し、記憶を探る。しかし、答えを出そうした瞬間、夢夜が身動いた。

「うん……? まずい、寝てしまっ――うわああああああっっっ!?  誰だおまえ!」

 目を擦りながら起きて開口一番。先ほど、うさぎを介抱していた夢夜は、少女を指差して叫びながら後ずさりする。

「私は貴方が助けたうさぎですが?」

「うさぎッ?? 違うよね、嘘だよね! てか、どっから入って来たんだ!? 怖い怖い、不法侵入で警察呼ぶぞ!」

 少女は気が動転している男を『なんだこのウルサイ人間は……』と睨みながら答える。

「どうぞ呼んでくれてかまいませんよ。 私は道を歩いていただけなのに、先に手を出したのは貴方ですし。この傷で、傷害罪もしくは拉致監禁で堀の向こうに行くのは貴方のほうですね。示談交渉必要でしたら全財産むしりとりますが、いかがなさいますか?」

「道を歩いてたというより、落ちてたよね? えっなにこの状況、人助けしたら『このひとが危害を加えました』って被疑者にされるパターン!?」

 四の五の喚いている夢夜を放置して、少女は逡巡する。

(本来、ここでは私は可視できない存在で人間に見える筈がない。そう思っていた筈なのに……)

「貴方。なんで私のこと視えるんです?」

「は?」

 警察を呼ぼうと、スマートフォン片手に騒いでいた夢夜がぴたりと止まった。

 二秒ほど遅れて、少女の言葉を理解すると真っ青になり、

「幽霊とか、そそそんな非現実的な現象が起こるわけないだろ! あれは脳による思い込みで、錯覚で――」

「私は幽霊で、通常は視認不可能なのですが」

 言葉を遮られた夢夜はその内容に絶句し放心していた。

 放心した人間を横目に、少女は自身の考えを巡らせる。所属する組織の上司とともに、とある計画を遂行していた彼女には、『死んだ人間の魂を回収する』という役割があった。

 その上司である研究員は、エネルギーを大きく『肉体的なもの』と『精神的なもの』二つに分けた。

人間の死後、精神のかたまりである『魂』と呼ばれる熱エネルギーを集めるのだが、精神的エネルギーもとい負の感情といったものは、時に莫大な熱を生み出すとされる。

 恨みを残しこの世を去ったもの、悪霊。

これらは生きた人間にとって危害を加える存在であり、伝播していく呪いでもある。

 少女は以前、上司に『膨大なエネルギーを生む悪霊だからこそ、負の連鎖で大規模な熱源を得られていいのではないか?』と問いかけたことがあるが、『何事もバランスが大事』なのだと諭された。

 『そういえば、上司の顔はどんなだったか?』と彼女は思い出そうとするが、空しくも成果はでなかった。

(まあ、残りのノルマを考えて、ここを拠点にして最後はゆっくりと計画を遂行するのもいいかな)

「とりあえず。怪我したところが痛いので、ここに当分お邪魔させていただきます。行く当てもありませんし」

 聞捨てならない言葉に、夢夜は一気に会話に引き戻される。

 部屋のドアの向こうまで後退り、壁際から半分顔を覗かせると、名前も知らない少女を下から上まで再確認する。

「……この家は思春期の従弟もいるので、女子禁止デス」

 落ち着いて正気になった少年は、普段から同年代の異性と話したことがない。

 そのため、否定した台詞の語尾は上ずった。

「ドーテーかよ……おっと失礼。本音が」

「っ! 怪我人でも、ひとを馬鹿にするなら出てってくれ。こっちだって慈善活動じゃないんでね」

 少女のからかう態度に、カチンときた夢夜は強気な姿勢を見せる。しかし、いまだ壁を盾にして吠えているのだった。

「そんなっ……。この怪我じゃ逃げられなくて、カラスや野良犬のえさになっちゃいます。はたまた倫理観ない人間に捕まって、惨たらしく殺されてしまうんですね……。貴方が次に私を見るときは、ニュースかSNSのトピックス欄だと思うので、チェックお願いします。短い間ですが、お世話になりました。ありが―――」

「~~っ! 怪我が治るまでだからな」

 涙を目尻に溜め、サンドバックさながら一方的に追い打ちをかけてくる少女。罪悪感に堪えかねて、夢夜は了承してしまった。彼の押しの弱さに『ちょろいな〜〜』と少女は呟く。

「それじゃあ、よろしくお願いしますね。私の名前はカルミアと呼んでください」

「俺は難浪夢夜。えっと、その、よろしく……」

 名乗った彼はようやくカルミアの前に出てくると、右手を差しだした。

 正確には、袖の中にしまわれた手なのだが。

「……それ、握手のつもりですか」

「そうだけど。礼儀ではあるけど、恥ずかしいだろ?」

 カルミアはじと目で夢夜を見つめながら、袖に隠れた手を握る。

「礼儀と恥ずかしさを天秤にかけるなんて、情けないと思わないんですか? それでも男ですか?」

「これでも男です」

 ぐさぐさと遠慮なく毒を吐くカルミアの言いまわしに少しだけ慣れてきたのか、夢夜も皮肉を含んで返すと、握る力を込められる。

 彼が『カーストをかけた牽制だろうか?』等と思っていると、握っていた手を離された。そして、

「そうだ。これも何かの縁。怪我で動けない私の代わりに、仕事の手伝いをしてほしいのです」

「仕事の手伝い?」

 唐突に要求をしてくる彼女に、彼は首をかしげて問い返した。『幽霊に仕事があるのか?』という本音は喧嘩の火種になりそうだったので、喉奥に押し込むことにする。

「そうです。敬意を込めて貴方のことを『マイスター』と呼びます。当分は私が指示を出しますが、大半の作業は貴方なので。呼び名だけは豪華にしてあげます。無是日泣いてもらって構いませんよ、マイスター」

「呼び名だけは豪華ってそこに敬意はあるのかよ……。てか、『仕事』って具体的には何するんだ? こう……ファンタジー? 的なことはできないぞ」

 強引、強制、すでにカルミアのなかでは決定事項のようで、彼は仕方なくそれを受け入れる。

 彼女の特殊な風貌から、『きっと仕事も予想をぶっとんだ内容なのだろう』と疑いの目で見る夢夜。

「ふふん、今は便利なお助けアプリがあるんですよ~。ちょっと貸してください」

「お助けアプリねえ」

 カルミアは協力者を得られ気分がいいらしく、得意げに笑う。夢夜は疑問を持ちながらも、ずっと手に持っていたスマートフォンを指示通り彼女に手渡す。カルミアはそれを受け取ると、何度か画面をタップやスワイプをしてから電源を入れ直した。

「これでよし。このスマートフォンで悪霊や異形を撮れば、魂を回収できるようにしました」

「えっ、まって。画面かなり変わってるんだが大丈夫か?」

 返された自身のスマートフォンを見て不安になる夢夜。

 ホーム画面は白色を背景に、上部には赤い鳥居、下部にはデフォルメされた可愛らしい黒いうさぎが自由に行き来していた。シンプルなテーマから和風に変更されてしまい、夢夜は焦りながら横にスライドすると、見慣れたいつものホーム画面が出てきて胸を撫で下ろす。

「悪霊を感知するデバイスを搭載しているので、近くでしたら発生時間や危機的深度がわかります。あと黒うさちゃんに話しかけると、内容によってはフキダシで罵倒されます」

「ああ、なるほど。お前みたいだな」

 夢夜はすかさず悪態をつくと、スマートフォンを持つ手をぺちんと軽く叩かれた。

『さて、どうするか』とカルミアは考えを巡らせる。

 回収された魂はどんなに穢れていても、ひとつのエネルギーに、情報に置換される。

 しかし、いずれ消えゆくこの被験体に、そこまで内部事情を話すわけにはいかない。ならば、と

「このお仕事は、世界のバランスを保つために必要なのです。回収できる魂を総じて『ゴースト』と呼びます。無念により成仏できない悪霊、凶悪な地縛霊でも、それで撮ったら幸せな気分であの世に逝けるんです」

 彼女は、真っ赤な嘘をでっち上げた。根拠も信用もないとんちんかんな話に、夢夜は呆然とする。

(大丈夫。シナリオも設定も、押し通せます!)

「幸せな気分であの世に逝くって麻薬並に危ない響きがするな。というか、撮るだけで成仏ってどんな原理なんだ?」

「夢や希望をお届けする。私はこれを『ドリームヒーロー』と読んでいます。しかし、なかには願いを叶えられず亡くなった人もいます。このような人たちのために、最後に夢を与えて、希望を叶えて、来世に導くのです!!」

「スルーされた……」

 説明を要求する夢夜を置いて、カルミアは口上をうたい、ひとり突っ走っていく。

「マイスターは「ヒーロー』に憧れないのですか? 才知に優れ、勇気を剣にし、武勇を語られるそんな存在に」

 『ヒーロー』『武勇』という言葉に、夢夜は何故か引っかかった――気がした。

「そういうのって、なりたいと思ってなれるものじゃないと思うけど。なんか非現実的だし、俺にはせいぜい人助け程度が限界だな」

「はー……そんなもんですかね」

「そんなもんだ」

「じゃあ、これを機にヒーローになってみましょうよ! 私のお仕事も大雑把に言ってしまえば人助けなので!」

 目をキラキラ輝かせて心に訴えてくるカルミアは、第一印象の冷たい態度とはかけ離れていた。

 面倒な仕事を押しつける事ができ、揚々としているようにも見える。

 しかし、夢夜は彼女の『魂の回収』という言葉に疑問を抱いていた。

 魂を集めて除霊のような効果を発揮するであろう、改造されたスマートフォンを改めて見る。

 ホーム画面にいる愛らしい黒うさぎは、『現在の回収率はゼロパーセント』『ゴーストはまだ見つかっていません』と吹き出しを表示する。俗にいう、待ち受けキャラというものらしい。

 達成までの道のりがこう可視化されると、わかり易く有難くはあるが、夢夜にとっては不安しかなかった。彼女のちょっとした配慮だろう。ここまで準備されてしまったら、後に引けない。

夢夜は少しだけ深い息をはいて、答えた。

「ヒーロー目指すわけじゃないけど、怪我をしているお前の仕事は手伝ってやる。そういう身近な人助けで十分だ」

「心強いです〜! マイスターはニートからヒーローに転職ですね!」

「ニートじゃなくて、引きこもりの在宅ワーカーな」

 カルミアの語弊のある煽りに対し、夢夜は眼鏡の角度をあわせながら訂正した。

《警告。微弱なゴーストを感知》

 やっと一段落した、と思っていた彼のスマートフォンが鳴り響く。画面の黒うさぎは危機を知らせていた。

「さっそくお仕事ですね」

「俺、これでも背中怪我してるんだが、行かなきゃダメかこれ?」

「私がサポートしますから行きましょう」

「……お互い怪我してる身で出勤とか、ブラックな職場だな!」

「この仕事は体力勝負ですから~」

 会話のキャッチボールを続けながら、カルミアは庭側の大きい窓から出ようとする。

『ああ。幽霊だからすり抜けられるのか便利だなあ~……』と夢夜が悠長に感心していると、

ごんっ!

「いったああああああああああ~~~~~!! うっ……お腹の傷に響いた」

盛大に鈍い衝突音をたてた。

幽霊である霞がかかった状態のカルミアが、窓に、障害物にぶつかったのだ。これには夢夜も驚いてしまい、目を丸くする。彼女本人も、意味が解らないといった様子で痛みに耐えていた。

「今まで一度もこんな事なかったのに、どうしてですかマイスター!!」

「いや、俺に聞かれても」

腹部の痛みもあり、彼女は力なくその場にへたりこんでしまう。

「不覚。一生の恥です」

「あー……けっこう赤くなってるな。 冷やすもの持ってくるわ」

 夢夜はカルミアにそう説明すると、洗面所に行きタオルを水で濡らし固く絞った。

 そして、リビングに戻りオープンキッチンにある冷凍庫から取り出した保冷剤をタオルで包む。

 彼は窓際で唸っている少女を覗き込むようにして座り、前髪をかき分けてやると、用意した保冷剤を額に当てた。

「大丈夫か?」

「……。――っ!? 自分で押さえられますから」

 夢夜がカルミアの額に保冷剤を当てて数秒、彼女は当てられていた物をひったくるように奪ってから顔を背ける。

「えっと、押し付けすぎたか?」

「…………マイスターは一回死んでください」

 少女にも乙女心というものがあった。カルミアは少し言い淀つつも暴言をいて、そっぽを向く。

 彼はその意味が分からず、心配そうに見つめて頭にはてなマークを浮かべていた。ときどき、怪我をして帰ってくる従兄弟の手当の流れで処置を施そうとしたので、拒まれた理由がわからないのだ。

「まあ、その……お気遣い、ありがとうございます」

 カルミアは一度ならず二度まで、人間に世話になってしまった事に対し、恥ずかしさと情けなさでぶすっと頬を膨らませる。

「今日はもう出かけるのはやめたほうがいい。額と腹に怪我してるんだからさ」

 カルミアは夢夜の表情を見て、声を聞くと、何故か毒気が抜けていくのを感じていた。

「……そうですね。不服ですが今日は活動しないようにします。さっきの警告だとゴーストも弱いみたいですし、ほっといても大丈夫ですよ」

 今までの疲労が怪我をきっかけに現れたのだろう。カルミアが思うより傷が痛みを訴えており、額に伝う汗をタオルで冷やす素振りをする。それと同時に、

「そういやどういう理屈かわかんないけど、その洋服の上から包帯って意味ないよな? 巻き直すつっても、その姿だと無理か……」

 夢夜はハッと思い出したかのように疑問を投げかけると、足元が透けている少女を見て考え込む。

「一応、うさぎでの実体化ならできますが、エネルギーを必要としますし……。それも、今のこの状態ではキツイですね」

 カルミアは怪我と体力不足により、実体化できない状態であるらしい。

「まずはその怪我が治ってから、か」

「そう捉えてくれて構いません」

「なら、休んどけ。今お茶淹れてくるから、そこのソファに座って待ってろよ」

 夢夜はそう言い残すと、またオープンキッチンに向かっていく。よく見るとキッチンとリビングはガラスの引き戸で仕切られるようになっており、調理場のコンロや流し台にもガラスが設置されている。

 ひとことで言えばガラス張り。

(お節介というか、世話好きというか……本当に面倒くさい奴引っかけちゃった。いや、でもまあ、尽くされるというのも気分が悪いものではないし)

 カルミアは少しだけ云々唸っていたが、夢夜がお茶とお菓子を持ってくると、黒とピンクのマーブルカラーのうさぎに変化した。久しぶりに食べた甘味に、舌鼓をうつ。

「うさぎが足で立って、紅茶とクッキーを食ってる。絵面がやばい。野菜スティックのほうがよかったか?」

 可愛いのに二足歩行する、見慣れない小動物にツッコミを入れる。

 例を上げるなら、鳥獣戯画、童話の王道不思議の国のアリスのうさぎに近い。

「この状態でも、人型時と同じように食べれますのでお構いなく」

 そう返事をするカルミアは、さわやかな香りが引き立つアールグレイの紅茶に、さくほろ食感の市松柄のココアとプレーンのボックスクッキーに夢中だった。

(ちゃんと両手でカップ持って紅茶飲んでる。マジか……生物的にうさぎの舌って熱いのだめじゃないか?)

「食感も純ココアのビターな味も消えてなくて文句なし。厚みのある、この贅沢さがポイント高い……これ、どこのブランドですか?」

「それ、俺が作ったから。ブランドじゃないぞ」

 衝撃の事実に、クッキーを凝視していたカルミアはそのまま固まる。

 夢夜は咳払いをすると、自身の紅茶のカップを少し揺らしてから飲み干した。

 小動物になった彼女の角度からは、うっとうしい前髪で隠れた彼の表情はよく見えない。

 お互い、今しがた行われた皮肉交じりの会話を思い出しているのか、気恥ずかしさでどうしようもない空気が漂う。

 知らずとはいえ、作った本人の前で包み隠さず絶賛してしまったカルミアは自爆から戻ってくると、

「……また作ってくださいね」

 そう要求し、手に持っていたクッキーを齧った。

(この人間、男子力が低いんじゃなくて女子力が高いんだな)


     

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