3

 満たされた気分のまま、ぼんやりと鏡を覗いていたら、鏡の世界に娘が映った。目の焦点を晴れ着をまとった少女から娘に絞ると、次第にこちらに近づいて来る。背後からの声にふと我に返った。

 娘の体温が背中から全身に伝わる。その喜びを目をつむってしみじみと味わった。彼女に抱き締められたまま鏡を覗くと、母の微笑んだ顔が一瞬だけ浮かんだ。晴れ着のままの少女の姿は消え、母の面影を遺した自分の顔が笑っていた。辺りを見回すと、先ほどまでいた実家の平屋ではなく、夫と娘と暮らすマンションのリビングだった。

 私は完全に白昼夢から目覚めた。

「ママ、こっちに来て」

 娘にいきなり手を引っ張られ立ち上がる。促されるまま食卓に着くと、いつ帰宅したのか、夫もダイニングに顔を覗かせる。

「あら、いつ帰ったの? 気づかなかったわ、フフフ……」

 夫と娘はダイニングテーブル越しに並んで突っ立ったまま笑っている。

「そうだ! ちょっと待ってて」

 私は立ち上がり、ボウルを用意すると卵を三つ割り入れた。調味料をサッと投入して手際よくサイバシを操る。

 私の玉子焼きは母の味そのものだ。母から手取り足取り手解きを受ける時間など幼い私には当然なかったのに。ただ、母の家事をこなす音は、物心ついた頃から耳にこびりついていたので、母の後姿を思い浮かべながら、母のリズムを真似ているうちに自ずと同じ味を再現できたに違いない。ムスメに受け継がれた、“リズムが奏でる母の味”とでも言うべきか。これが我が家の伝統の味になってゆくのだろう。

 ふっくらと焼き上がったダシ巻き玉子を皿に移し、端を摘まんで娘の口へ近づけた。娘の口が大きく開くと、そっと舌にのせてやる。と、娘は満足げに舌鼓を打った。

「ママの玉子焼き、サイコー! 今度のお弁当、これがいい」

「わかったわ、そうしましょうね」

 娘の言葉に胸をくすぐられ、自ずと口元は綻んだ。

「お腹すいたでしょ? すぐに支度するから、ちょっと待ってて」

「ママ、今日はいいの!」

「エッ、どうして?」

「もう準備できてるもん」

 私がキョトンと夫に目配せするとすぐに視線を外し、二人してダイニングを出た。再び戻って来た時には、たっぷりのご馳走がのった大皿を、それぞれが抱えていた。私の目につかぬ所に置いてあったらしい。テーブルに今晩のメニューは並べられた。

 突っ立っていた私の手を強引に取って座らせた娘は、ニヤニヤ笑って横に立ち続ける。

 と、夫が白い箱を後生大事そうに抱えて傍まで来ると、静かに私の前に置いた。私の目をチラと覗きながら、ゆっくりともったいぶった仕種で蓋を開けた。

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