第10話「懸念」

 はりねずみになった私は、またアーチボルトに机の上に戻して貰ってミルクティーを舐めた……当たり前だけど、また人に戻った。


「慌てないで良いよ……コラリー……」


「ごっ……ごめんなさい! 恥ずかしいわ……」


 私は顔を赤くしてアーチボルトを見たけど、その他にも色々あって顔が火を吹いてしまいそうだった。


 とにかく……色々と知ってしまう前と今とでは、状況が全く違う。アーチボルトは、私のことを好きなままだった!


「アーチボルト……ドミニク殿下に、何て言われて脅されたの?」


 私の感じた素直な質問に、アーチボルトは大きくため息をついた。


「コラリー……それは、誤解だ。あの姿を見てしまった僕を脅したのは、あいつ本人ではないよ。王家の呪いについては、聞いての通り箝口令が敷かれている。僕はそれを遵守すると誓ったが、王家に近いとある人物が無条件での解放を渋った……だから、ドミニクが僕を試そうと言い出したんだ」


「試す? あ……アーチボルトが誰にも話さないかを?」


「そうだ。王家への忠誠を試して、それを守れるようであれば僕を信じようと……そして、ドミニク自身がそれを見張ることになるため、恋人役になるように言われた……どうしても、断れなかった。だから、コラリーと別れることになってしまったんだ」


 アーチボルトは表情を歪ませ、苦しげにそう言った。


 事情を聞けば私だって、もし彼が死んでしまうくらいなら、嘘をついて別れてくれた方が良いって思う。


 けれど、アーチボルトは、私にそれを知らせることは許されてなくて……どんなに苦しかったの。


「そうなのね……私、あの時アーチボルトが苦しそうで辛そうで……もしかしたら、何かあるかもしれないって思ってたの」


 私はまた涙を流したけど、アーチボルトはハンカチを貸して一歩身を引いた。


「ごめん。コラリー……僕が君を抱きしめそうになると、また」


 抱きしめて慰めようとすると、さっき私が起こしてしまったことと一緒になってしまうと、アーチボルトは心配しているようだった。


「うん。わかっているから、気にしないで」


 私が涙を拭いて微笑むとアーチボルトは、嬉しそうに笑った。


「事情を言う訳にもいかないけど、君を苦しめていると思えば辛かった……こんなことを言うのもおかしいけど、なんだかほっとしているんだ。長い間、胸につかえていたものが、すっきりと取れてしまった感覚だよ」


 それは……そうだろうと思う。私と別れないと殺されてしまうし、私に話しても殺されてしまう。


 そんなアーチボルトに何が出来るかと言うと、私に「好きだ」と何度も言うことくらい。私はそれを「嘘言わないで」と拒んだ。


「アーチボルド。ごめんなさい……何も知らなかったことは確かだけど、私は貴方を傷つける言葉を何度も使ったわ」


「別に構わないよ。コラリーは、何も知らなかったんだから。ちなみに、今日の仮面婚を君が予約したと教えてくれたのは、ドミニクだ。責任を感じて、君のことを気にしてくれていたらしい」


 それは私も不思議だったんだけど、なんと王家の権力で私の仮面婚の予約状況を知っていたらしい。


「あ……そうだったの? だから、私が来ていることを知って、アーチボルトが来ていたの? 私がわかったのも、事前に知っていたから?」


 私は仮面をしていたというのに、あの時のアーチボルトの足取りには全く迷いはなかった。


「まさか! 僕が仮面程度で、コラリーをわからないはずがないよ」


 アーチボルトはしごく当然だと言いたげな顔をしたので、私は何も言わずに曖昧に微笑んだ……私の場合は、アーチボルトを見ることが、二年ぶりだったんだからわからないのも仕方ないわ。


「あ……私の恋が上手く行かなかったのって、もしかしてドミニク殿下が手を回していたとか?」


「いや、それは僕だよ」


 その時の私は「なんてね。ある訳ないよね」という軽い気持ちで、ドミニク殿下が私の恋を邪魔していたのではと口に出したんだけど、アーチボルトにさらりと否定されて驚きに目を剥いた。


「あれって、アーチボルトだったの? ずっと、私の恋を邪魔をしてたの?」


「だって、僕はドミニクから解放されたら、君とすぐに結婚するつもりだったんだよ。だから、邪魔をするよ。それは」


 私の頭の中には、色々な想いが渦巻いた。アーチボルトのことは……好きだと認めるし、彼が今まで別れた理由を話せなかったことは理解した。


 ……理由があり何も言えず、まだ私の元に来られないアーチボルトが、私の恋をことごとく邪魔していた?


「……う、うん。それは仕方ないよね?」


 なんということでしょう……アーチボルトのことが大好きで、とても簡単な私は、彼の許されざる違法行為を許してしまった。


 いけないとわかりつつ、許してしまう。だって、私が好きなのは、アーチボルトただ一人で、彼と結婚出来ないなら……結婚するのなら、誰でも良いと思った。


「コラリー……今までは僕のせいだと諦めていたけど、これからは僕の妻だからね」


 真剣な表情で言い出したアーチボルトに、私は戸惑いつつも頷いた。もう色々あり過ぎて頭が追いつかないけど、あれって今日の出来事だったわね。


「え? ええ。わかっているわ。だって、正式な書類だって受理されているものね?」


 だから、アーチボルトだって、あの時に自分の正体を明かしたんでしょう? 私はそう思って首を傾げたけど、アーチボルトは遠い目をしていた。


「……そうだね。君は僕の妻で、今日から夫婦として生活を始める予定だったんだ」


「そういうことよね……あ! 私、実は親に届いた手紙を、持って来てしまっているの。だから、両親は私とアーチボルトが結婚したことを知らないわ」


 今となっては、アーチボルトと結婚したことを覆すつもりもないし、彼らに伝えなければ。


「やっぱり……僕の隙をついて、逃げるつもりだったよね。コラリー?」


 予想通りの行動だったようで、私は誤魔化すように微笑んだ。


「ふふふ……もう、アーチボルトから逃げないってば! 二年前に別れないといけなかった理由だって理解したわ……けど、まだ……あ!」


 大事なことを思い出した私に、アーチボルトは何があったのかと驚いた顔をしていた。


「どうしたの?」


「サマンサを忘れていたわ……どうしよう」


 サマンサは幼い頃から共に過ごした私付きのメイドで、絶対に婚家にも付いていくと言って聞かない。


 そんな彼女は私を捨てた……いいえ。別れざるをえなかったアーチボルトをひどく憎んでいる。そして、近いうちに呼び寄せると言ってしまった。


「サマンサ? ああ……あの、君のことが大好きなメイドだね」


 アーチボルトもサマンサのことを覚えていたのか、鷹揚に頷いた。けど、サマンサにどれだけ悪し様に言われているかを知ったら、いつも飄々としている彼だって少しは落ち込んでしまうはずよ。


「そうなの。私は今では、あの時のアーチボルトには理由があったって知っているわ。けど、あの子は知らないから、アーチボルトのことを憎んでいるというか……どうにかして、私たちが復縁する上手い理由を考えないといけないわ」


「コラリーが複雑な事情を作って、下手な嘘をついても身近な人には、すぐにそれが嘘だとわかってしまうよ。だから、一度は別れたけど、再会して好きになったで押し通せば良いよ。どう考えてもそれが自然だよ」


 アーチボルトはそう言うけど、私だって別に好きで嘘をつこうとしている訳でもないんだから。


「サマンサは私にとって、家族にも似た存在なのよ。アーチボルト……貴方が居ない間を支えてくれたのは彼女だったもの」


 私を傷つけたという罪悪感のあるアーチボルトは、それを聞いて苦笑すると、顎に手を当てて何かを考え始めたようだった。

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