第9話「戻れない」
アーチボルトは胸からハンカチーフを取って、私の目からあふれ出る涙をそっと拭ってくれた。
王家に掛けられた呪いなんて……偶然に、それを知ってしまったアーチボルトは、その秘密を守るために消されてしまうところだったの?
だからドミニク王子……つまり、ヴァレンティ姫が成人するまで自由を縛られていたということ?
もし、王家に関わる秘密であれば、そうなるかもしれないことだって理解は出来るわ……オラージュ王国は、国民全員とアーチボルト一人の命なら、どちらを取るかなんてわかりきったことだもの。
「とは言え、このままにはしておけない……どうする?」
アーチボルトは私の様子が落ち着いたとみたのか、近くにまで移動して来たドミニクに聞いた。
「どうするって……はりねずみになってしまうのは、俺の呪いなんだから、コラリーから俺へ戻すよ」
ドミニクはため息をついたけど、アーチボルトはより大きく息をついた。
「他に……何か、方法はないのか?」
「そもそも呪いを解かないうちにキスをすると、相手へ呪いを移してしまうことは知られている。だから、皆必要以上に接触には気を付けている。これまで近くに居たお前だって、それは知っているだろ? 近年、そんな例が起きたことを聞いたこともない……俺自身だってこれが移ってしまった例の初めてなのに、何か違う方法なんて知る訳がない……だから、非常に面白くないと思うが、再度コラリーにキスをしてみるしかないだろう」
そういえば、私が驚いてはりねずみだったドミニクを持ち上げたから、お互いの唇が偶然当たってしまったんだわ。だから、それを知っているアーチボルトに刺されてしまうと、ドミニクは恐れていたってこと?
必死に言いつのるドミニクは心底不本意だったという様子を見せているし、あれは私の過失が九割を占めていると言っても過言では無い。私のせいだって言って良いのに……彼は言わない。
それだけでも、ドミニク人柄が知れるようだった。
アーチボルトは私と二年間別れなければならなかったから、直接の原因となったドミニクには容赦ない様子を見せているけど、私はなんだか彼のことを憎めなかった。
呪われた王族であることも、病弱で階段でふらついてしまったことも、ドミニクのせいではないと思うし……それに、彼の持つ全く尊大ではなく可愛らしい性格もあるのかもしれない。
「……仕方ない。許すのは、一瞬だけだ。それ以上は、絶対に触れるな」
アーチボルトは、はりねずみの私を、ドミニクの差し出した手へ渡した。
私も胸の部分を前足で押さえて、ほっとした……良かった。これで、人の姿に戻ることが出来るわ。
「わかっている……本当に、何もかもが不可抗力なんだ! お前がどれだけ怖いかは重々理解しているから、もう勘弁してくれ!」
ドミニクは泣きそうな声で言ったので、私はアーチーの方向へ目を向けたら、彼はそれに気がついたのかにっこり微笑んだ。
「良いから。さっさとしろ」
「おいおい……俺とコラリーへ向ける表情の格差が酷い。お忘れかも知れないが、一応身分は王子なんだが?」
ドミニクはそう言ったらアーチボルトは、彼の言いようを鼻で笑った。
「はっ……すべての尻拭いを、助けただけの僕にさせるとは、ご立派な王子様だ。さっさとしろ。その後に、何も出来ないはりねずみ姿で僕の邸から、たたき出してやる」
ドミニクはこれ以上は怒れるアーチボルトには何も言うべきではないと思ったのか、彼の手の中に居る私へ顔を差し出した。
「コラリー。俺は見ていないから、そちらから動いてくれ。触れるのは、一瞬だけで良い」
近づけてくれた彼の顔は距離的には、かなり近い。私は慌てて口になる部分を突き出して、唇に触れた。
……あら?
「戻らない……何故だ」
愕然としたアーチボルトの声が聞こえて、私も我に返った。
「コラリー……もう一度だ。俺が殺される前に……頼む」
ドミニクが泣きそうな声でそう言ったので、触れていなかったのかもしれないと思った私はなるべく唇の真ん中付近にしっかりと触れた。
……けど、戻らない。私の手足も可愛いピンク色で、短いまま。
「なっ……なんでー!? 私、このままはりねずみ姿のままで一生終えるの?!」
せっかく、私を裏切ったと思っていた元恋人アーチボルトとの誤解だって解けたのに! 人として生きることも出来ないの?
「……もう良い。ドミニク。コラリーを渡せ……大丈夫だ。コラリー落ち着いて。人の姿には戻れるし、はりねずみになる呪いのことは、必ずそこの馬鹿王子になんとかさせるから……大丈夫だ。僕を怒らせれば何が起こるのか、これまでに骨身に覚えさせているから」
「アーチボルト……本当?」
私がアーチボルトの青い目に視線を合わせると、安心させるように彼は私の背中を撫でた。
「本当だよ。大丈夫だ。すぐに戻れる。泣かなくても良い……ドミニク。事態はわかっているな? お前が早急に城へと帰って一番にすることは?」
「……こういう事態が起きたら、どうするべきか……すべての知識を結集して調べさせます……」
「コラリーのことは絶対に悟られるなよ……お前は本当に、信用成らない。嘘が下手過ぎるんだ」
アーチボルトがそう言えば、ドミニクは慌てて首を横に振った。
「絶対に、言わない! 絶対だ! アーチボルト。すぐに帰って調べてくる。何かわかれば、お前へと早馬を飛ばす」
「わかっているなら、さっさと行け。馬車は慈悲で貸してやる……もし、僕が明日登城した時に、暢気に過ごしているようなら、お前が一生後悔するようなことを何個かやってやる。それでもわからないようなら、何度でも繰り返しだ……それが、わかっているなら……」
アーチボルトの淡々として脅しつけるような言葉に、ドミニクは慌てて扉の方向へ動いた。
「わかりました! ……わかった! とにかく、俺は帰るから! コラリー。本当にごめんな」
ドミニクは私の背中をひと撫でして慌てて出て行ったので、アーチボルトは私へ視線を戻した。
「……アーチー……私、大丈夫? ちゃんと、戻れるよね?」
「大丈夫だよ。ココ。僕が付いてる。何があっても一緒だよ。安心して」
アーチーは私の頭を撫でて、さっきまでとは違って、落ち着かせるような低い声で言葉を選んだ。
「人の姿には、戻れる?」
「うん。大丈夫だ……呪いから姿を戻す方法はそれぞれなんだが、ドミニクはミルクティーを飲めば、はりねずみから人の姿へ戻ることが出来るから。彼の呪いが移ったと思えば、同じ方法でコラリーも戻るはずだ」
「ミルクティー? そうなんだ……」
ずいぶんと、可愛らしい方法だわ。私が不思議そうな顔をしたら、思ったことがわかったのかアーチボルトは苦笑した。
「多分、あいつがミルクティーを好きなんだと思うよ。他の王族も気に入った物を食べたり……そういう解除方法らしいんだ」
「……呪いも色々あるのね。勉強になるわ……」
「そんなこと、勉強しなくて良いよ。すぐに無関係になるから。コラリー。僕が行って持って来るから……ここで、待っていてくれる?」
「うん。大人しく待っているわ。ありがとう……アーチボルト」
この部屋に誰かを入れれば、私の姿が見えないことが知られてしまう。事が事だけに、これはメイドに頼む訳にもいかないだろうと私は頷いた。
「待ってて」
アーチボルトは私をソファの上に置いたので、私はなんとなく、ころんと丸くなった。
はー……思ったよりも、簡単に丸くなれてしまった。なんだか……この姿勢で居ると安心する。鋭い針に包まれて、外的には攻撃されないと守られていると思ってしまうせいかな……。
もう今日は信じられないことばかりで……これまでのすべてが、覆されてしまった。
あの時に辛そうで泣きそうだったアーチボルトは、私のことを捨てた訳ではなかった。私はそう思ったのに……彼のことを、その言葉ひとつでそれまでにあった何もかもを信じられなくなった。
……アーチボルトのことが、世界の誰よりも好きだったのに。
私が考え込んでいるうちに、アーチボルトはひとつティーカップを載せた銀盆を持って来た。
「……ココ。ミルクティーを持って来たよ……このままだと飲みにくいと思って、小さい皿も持って来たからそちらへと移そう」
私の口は現在、短い鼻先まで尖っている。このままでは、楽に飲めないと思ったアーチボルトは正しい。
正しいけど……私はそれすらも、待ちきれなかった。
「良い! このままで飲めるから……」
私はティーカップへと前足を伸ばして、舌先を湯気の出て居るミルクティーに当てた。
「コラリー! ……戻ったんだ。やはり、君に移された呪いは、ドミニクのそのままだったようだね」
アーチボルトは安心したようにそう言ったので、人に戻った私は彼へ何も考えず駆け寄り「人に抱きつく」という呪いの発現条件を満たし、また見事はりねずみになってしまったのでありました。
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