第7話「正体不明」

「ねえ……本当にそれは、コラリーが前から飼っているはりねずみなんだよね?」


 アーチボルトはやけに私の手の中にある、ついさっきまで、野良だったはりねずみを気にしている。


 三分前から飼い出したことだって、『前』という基準には適っているものね。


「そうなの! もう、なんなの。アーチボルト。私のペットに何か文句でもあるの?」


 私は嘘をついているという罪悪感から、勢い良く彼へと言い放った。


「……いや。本当にそうだったら、それで良いんだよ。僕も結婚したてで、何か過敏になっているのかもしれないな……」


 苦笑したアーチボルトは真剣な顔になり考え込んでいるようだけど……この私だって色々と考えるところはあるのよ。


 まさか貴方と結婚するなんて、夢にも思っていなかったんだから!


 そうこうしている間にアーチボルトの用意していたという邸に着き、私用に用意しているという部屋へ案内してくれるというメイドに、何か言いたそうなアーチボルトを残してそそくさと付いて行った。


 とにかく、荷物を部屋へ置いたらこの邸のどこかにあるはずの図書室を探して、はりねずみのことをどうやって飼育するか早急に調べる必要があるわ。


 アーチボルトからどうにか逃げようと企み、その場その場で変な嘘をついた代償というか、この子を飼うことにはなってしまったし、私が拾った命なんだから大切にしないと……。


 ……ふふふ。嘘でしょう。意味がわからなくて、思わず遠い目になってしまうわ。


 私は今日、何をどこで間違えたのかしら?


 感じの良い若いメイドが案内をしてくれたのは、予想通りに私好みのど真ん中を突くような、可愛らしい部屋だった。


 白い家具には素晴らしい彫り模様が施され、壁紙の色は品の良い光沢のある水色。まあ……まるで、私が何年も前に理想だと言った部屋、そのままみたいね。


 邸の外観同様に、アーチボルトが指示したんでしょうとも……そうでしょうね。


「コラリー様。あの……はりねずみ……様は、どうなさいますか? 何か小屋のようなものは必要ですか?」


 若いメイドは私の人柄がわからないうちは、すべて丁寧な対応を取った方が良いと踏んだのか、くるんと丸まっているはりねずみにも敬称を付けていた。


 そうね。


 私がもし、このはりねずみを溺愛する変わった人物なら「まあ! はりねずみ、ですって? 貴女が呼び捨てに出来る存在ではなくてよ!」と、カンカンになって怒り出す場面なのかしらね。


 ……違うの。止めて。そんな、地雷女みたいな真似は絶対しないわ。


「えっ……そうね。この子は大人しいから、とりあえずは……そこのクッションの上にでも置いておこうかしら」


 私はソファの上に配置された柔らかそうなクッションを見つけ、それを床の上に置くと手に持っていたはりねずみを乗せた。


 まだ、はりねずみはびっくりした様子のまんまるな目で私を見つめ、こんなところに連れて来られてしまった警戒心で、くるんと丸まっている。


「かしこまりました。それでは、コラリー様、こちらの荷物を広げて参ります」


「ま……待って!」


 メイドは私が持ってきた荷物を持ち、衣装部屋に下がろうとしていたので、慌ててそれを止めた。


「コラリー奥様。どうかいたしましたか?」


 この場面で荷物を広げに行こうとするのは、間違いない流れのはずなのに何なのだろうかと、長いスカートのメイド服も愛らしい彼女は可愛く首を傾げた。


 ここで貴女の主人と、結婚生活なんて開始したくないから、荷物はそのままにして広げないで欲しいんだけど……なんて、そんな事はここで言えませんよね!


 私は苦肉の策で、実家に居るサマンサを口実にした。


「実家から、私付きのメイドが来るから……そうしたら、その子の指示に従って貰えるかしら?」


「はい! そうだったんですね。それでは、こちらの荷物は、衣装部屋に置いて、そのままにしておきますね」


「……ありがとう」


「それでは、私はここで失礼いたします。何かありましたら、お呼びください」


 メイドはそう言って、一礼してから去って行った。


 まだまだ若いのに、メイドとしての教育も行き届いていて……私はそんな彼女を雇うことの出来るアーチボルトの財力を思った。


 城の文官の頂点にあたる宰相なのだから、当然なのかしら。城の財的なことは宰相の管理下にあるはずだし、そんな彼に取り入ろうとする人たちは多いだろう。


 とにかく、もう本当に、色々あって疲れたけど……巻き込まれたはりねずみの餌や生育について調べないと……。


 私はまだクッションの上で丸まるはりねずみに近づき、何気なく人差し指でつんと押した。


 軽く付いただけなのに、ころんと転がって床に落ちたので、私は慌ててはりねずみを抱き上げた。


 今は丸まってなく、私は前脚の部分に親指を入れて目線を合わせた。


 黒くてつぶらな目を向ける、はりねずみ……癒される。可愛すぎる。とげとげとした針が、身体の大部分を取り巻いているのも、可愛いとしか思えないわ。


 けど、その針山のような刺々しい身体は、外敵から自分を守ために彼らにあるもののはずだ。


「君は……なんだか、私みたいね。こうして、自分を守るために無数の針で身体を守っているけど……敵ではないかもしれないけど……傷つけてしまうから、近付けないんだよね」


 今日聞かされたアーチボルトの変心は、確かに私も驚いていた。


 お姫様のことを、貴方は二年前に選んだはずでしょう? って。


 けど、あんな別れ方をした彼をもう一度信じるには、私の中には今はない大きな勇気が要ると思う。


 また傷付けられても良いから、アーチボルトを好きだという……強い想い。


 私にはないから、どうかまた貴方のことを好きにさせないでと、全身から針を出して拒むしかない。


 私はその時に不意に暴れたはりねずみに驚き、顔の辺りにまで持ち上げてしまった。


 そして、口のあたりに何かぶつかったとは感じた。


「うわー……」


 信じられないとでも言いたそうな低い声がしたので、私は声のする方向を見上げた……そう、見上げたのだ。


 なぜかというと視点が床スレスレに、低くなってしまっていたから。


 目の前には、やたらと髪の長い男性……首の横で黒いリボンで縛り、片方の肩から流していた。


「えっ!? え!! ……きゃーーーーーーーーーーーー!!!!!」


 甲高い悲鳴をあげて、目の前に居た私の口を塞ごうとしてか、正体不明の彼は私の身体を持ち上げた。


 持ち上げた?


 そう! きっと、私今、はりねずみの姿になっているみたいでよくわからなくて、何がなんだか本当に、今のこの事態が理解できてなくて!!


「コラリー!」


 鋭い声がしてアーチボルトが来てくれたと知った。


「アーチー!」


 私はじたばたともがき、名前も知らない男性の手の中から逃れようとしたけど、当たり前だけど小動物にそんな力があるはずがない。


 けど、アーチボルトははりねずみになった私が男性に抱き上げられているのを見て、後に続いていただろう使用人に「大丈夫だ」と声を掛けて下がらせているようだった。


 え……アーチボルト?


「やはり、お前だったのか。ドミニク」


 眉を寄せたアーチボルトは親しげに声を掛けたので、私は驚きに目を剥いた。二人とも……知り合いなの?


「アーチボルト……偶然に偶然が重なったんだ。本当だ。悪かった」


 彼は手に持っていた私を床へと下ろしたので、自由になり慌てて扉近くに居たアーチボルトへと向かった。


 てとてとと短い両足で床近くを這うように必死に進むしかなく、それを見かねたのかアーチボルトは私へ歩み寄り、はりねずみになった私を抱き上げた。


 安心出来る場所にやって来て、やはり気になるのは、彼の正体だ。


 アーチボルトと、知り合いのようだし……一体、彼は誰なの?


 着用している貴族服も、目に見えて高級なもののようだけど、私がいくらあまり物を知らない貴族令嬢だったとしても……こうして、落ち着いて見てみると、とても美しい顔を持つ彼が高位貴族に居たなら……流石に知っているはず。


「……コラリーの様子がおかしかったし、後で様子を見に行こうと思っていたんだが、遅かったな」


 アーチボルトは床に座り込む彼を見つめて、大きく息をついた。

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