第6話「はりねずみ」
「コラリーお嬢様! おかえりなさいませ!! さきほど公的機関より、速達がございました! 仮面婚で見事、結婚なされたとのこと……非常に喜ばしいことです! おめでとうございます!」
アーヴィング伯爵邸へと戻り自室のある二階へ階段を上がり終えた私は、喜びに目を輝かせて廊下を走ってくるメイドのサマンサを見て、思わず口を手で押さえた。
しまった。そうだった……邸には、この子が居たんだったわ。
元恋人アーチボルトと、よくわからぬまま結婚してしまったという、強すぎる衝撃で他のことが何も考えられなくなってしまっていた。
茶色い髪と瞳を持つ私付きのメイドサマンサは、幼い頃から私を育ててくれた乳母カイリーの娘で、ずーっと一緒に過ごしている。
つまり……アーチボルトのことだって、何があったか詳細に知っていて、私を傷つけた裏切り者として彼女はひどく憎んでいる。
「サマンサ! ただいま……そうなの。これまでにずーっと悩んでいた結婚は、やっと……こうしてすることが出来たわ。けど、なんだか、もう色々あって……ごめんなさい。今日は実はもう、話す時間がないの。また、次の機会に、ゆっくりと話をしましょう」
私は万が一、今日成立した時のためにと、身の回りのものを用意していた大きな鞄を取った。けれど、それは「説明しないと、どこにも行かせない」とばかりに、サマンサにサッと取られてしまった。
「まあ……そうなのですか? コラリーお嬢様は……私のことも婚家には、ご一緒に連れて行って頂けないのですか?」
うるうるとした緑の瞳を見て、私はうっと言葉が詰まってしまう。
私は実はサマンサには、とても弱い。私のことを大事にしてくれてなんなら盲信してくれるのは、確かに良いんだけど、すべてが私を思っての善意からなので、とても断りづらい。
そして、小動物のようなこの子の頼みを、私は無下には断れず、たまにどちらが仕える主人かわからないような有り様になってしまっていた。
「……落ち着いたら、ちゃんと呼ぶわ。サマンサも知っての通り、私はさっき結婚したばかりだし、色々と大変なのよ。相手方のご都合だってあるわ。仮面婚での結婚は特殊なの。サマンサだって、それはわかってくれるでしょう?」
とにかく、サマンサをアーチボルトに会わせる訳にはいかないと、私は必死で言い訳という言葉を重ねた。
元々、二人はあまり相性は良くなかったようだけど、私を振ってしまったあの事件の後、サマンサはアーチボルトの名前を聞けば物凄く不機嫌になってしまうので、傷つけられた私自身すらも、口にすることは止めようと決意してしまうくらい。
「私! とっても、感動しています! お嬢様も、立派になられて……わかりましたわ! 私、アーヴィング邸でお嬢様がお呼びになられるのを、待っています。お嬢様も……私のことを、お忘れにはならないでしょうし……」
うるうるとした目で両手を組んで見つめられ、可愛らしくおねだりされているようでいて、私は強い圧を掛けられているように感じた。
サマンサには……いつも、敵わない。
「わかったわ。近いうちに必ず連絡するから。とにかく、今日は待たせていて急ぐの。また、ゆっくり話をしましょう」
サマンサに説明する時も、言葉を選ばなくては……はあ、頭の痛いことだらけだわ。
「かしこまりました。大事なお嬢様が、ようやく幸せを掴まれたのですから、このサマンサ何の文句もございませんわ! 仮面婚であれば、お相手も申し分ないでしょうし」
多分……貴女が私の結婚相手を知ったら、次から次へと文句が出てくると思うわ。サマンサ。
彼女の言った通り、私が入ったあの部屋には、階級と同じする貴族男性しか居ないはず。そして、詳細な身元調査をされて、結婚には適さないと判断された男性は、そこで弾かれてしまっているはず。
けれど、私はその中でも一番引いてはいけないジョーカーを引いてしまったみたい。
自分でもなんでこんなことになったのか、本当に理解出来ていないのよ。
「お父様とお母様は?」
「あ! そうなんです。実はまだ、お戻りになられていなくて……お二人とも非常に喜ばれると思いますわ。ここへお嬢様の仮面婚成立の知らせが届いた時、使用人全員飛び上がって喜んだんですよ!」
あ……父母にもまだアーチボルトと結婚したことは、伝わっていないのね。不幸中の幸いだわ。
「その知らせの手紙は? 今はアルバスが持っているのかしら?」
私が執事の名前を出せば、サマンサは不思議そうに首を傾げながらも頷いた。
「ええ。アルバスが持っていると思います……旦那様へすぐにお渡し出来るようにと、玄関に置かれていると思いますが」
「そう……わかったわ」
では、私が仮面婚制度を利用し、結婚をしたという事実を知らせる公式な手紙だけでも回収してしまえば、私が誰と結婚したかということを知られることを伸ばすことは出来るわ。
「サマンサ。アルバスに、伝えて貰えるかしら。その手紙はとりあえず私が持ち帰ったと、お父様に伝えてと……お父様とお母様にも、また私本人から結婚したことについては、きちんと話をするわ。だから、サマンサも、ここでどうか待っていてちょうだい」
「かしこまりましたっ……! 楽しみにしております!」
我がアーヴィング家の執事への伝言を引き受け、喜びいっぱいの笑顔で何度も頷いたサマンサにぎこちなく頷き、私は手荷物を持って階段を降りた。
そして、お父様に渡す用にと銀盆に載せられていた手紙を取り、アーチボルトが乗っている馬車へと急いだ。
とにかく……私には、落ち着いて考える時間が必要だわ。アーチボルトの真意だってはっきりしないというのに、今ここで私が焦って何が出来るというの。
あら。今気がついたけど、私を連れて来たアーチーの馬車には、ラザフォード家の紋章が見当たらないわ。
まるで、身元を隠したい上流階級のみを相手するという、噂に聞いたことのあった辻馬車のようだわ。
私が馬車に乗り込もうとしていた時、アーチボルトは特に揶揄うでもなく、不思議そうに言った。
「……あれ? コラリー。ペットはどうしたの?」
そ、そうだったー! 私そんなこと言ったわよね! 今ここで口からでまかせを言うにも、思考が停止して思いつかない。
私は一旦馬車を降りて、目の端で、何か動いているものを目に留めた。
「こっ、これよ!!」
「え? ……はりねずみ?」
困惑したアーチボルトの言葉を聞いて、私は信じられない思いで目をぱっと開いた。
……はりねずみ!?
実は私はそれを、小犬か小猫だろうくらいに思って居たんだけど、手袋に包まれた私の両手の中にあったのは、まるまる丸まったはりねずみだった。
可愛らしいはりねずみは気候の良いこの国では、たまに草原などで見掛けることはあるらしい……あるだろうけど、どうしてこんな辺鄙な場所に丸まってるの!?
犬か猫なら、欲しがっている人も多いし、次のもらい手を探しようもあるけど……このはりねずみ……話の流れで、私が飼ってるペットってことに、なっちゃったじゃない!
「かっ……可愛いでしょ!!」
どうしようもなくなった私は、やけになって、馬車に乗り込んだ。
膝の上に居るはりねずみは、自分の状況が信じられないのか、黒い目をまんまるにしてしまっているようだ。
本当に……ごめんなさい! 私自身も正直、今この事態が信じられないの!
「……コラリー、それって本当に……コラリーが飼っているはりねずみなの?」
アーチボルトははりねずみが私のペットなのか、本当に不思議そうだ。私の手の中にいるはりねずみをまじまじと見つめ、眉を寄せている。
アーチボルトの言いたいことは、もうわかっています!
ああ……私だって、誰かがはりねずみを飼っていると知れば、変わった趣味だねと思ってしまうと思うわ! 今の時代に良く飼われているふわふわした手触りの犬でなく猫でなく……なぜ、とげとげしいはりねずみなのかと!
とにかく、仮面婚で別れたはずの元恋人と結婚することになり、その場しのぎの嘘をついていたら、必要もない良くわからない嘘を塗り重ねることになった。
けど……ここで、アーチボルトになんて、素直に「嘘をついてました」なんて、絶対に言いたくない!
私の手の中で、ころんと灰色の球のように丸くなったはりねずみには何の罪もない。けど、私はそれをじっとりと見つめ、涙目になってしまった。
あなたは、まったく悪くないのよ……私が、本当に馬鹿なだけで……。
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