第5話「新居」
「やぁ、どう? この新居。気に入った?」
アーチボルトが結婚したばかりの私を連れて来たのは、立派な白く塗られたお邸だ。それを囲む庭園には、色とりどりの可愛らしい花々が咲き乱れていた。
……まるで、幼い頃に理想だと思い描いたような、小さかった事の私の夢が、そのまま具現化した邸がそこにあった。
覚えていたのね。私の言ったことなんて、もうすべて忘れてしまっていると思っていた。
「……気に入らないのなら、帰って良いの?」
私がため息をついてそう言うと、アーチボルトはにっこり笑って手を取った。優しい手付きながらも、有無を言わせない力も篭もっている。
「では、君の気に入るように、改装しようか。コラリー……もしかして、趣味が変わったの? その可愛らしいドレスは、以前の趣味と変わらないようだけど」
確かに私は可愛い系で、装飾多めのドレスが好き。色も濃いより薄めが良い。
「私があの頃と変わらないなんて、ありえないでしょ。貴方と別れてから、二年も経っているのよ。アーチボルド」
彼のすぐ後に続く私の足取りは、ゆっくりとして重い。けど、アーチボルトは速度が遅いことについては、文句は言わなかった。
ここに来るまでの馬車で「離婚しましょう」と、私は何度も言ったんだけど、アーチボルトは素知らぬ顔で、全て聞き流していた。
もう……ほんっとうに最悪だわ。
付き合っていた時は、こういう強引なところも仕方ないわね……と、可愛く思えたけど、今では自分の意志を無視されて、本当に嫌な気持ちにしかならない。
「けど、変わらないものもあるよ。僕の気持ちとか」
「嘘つき! ……もう良いわ。ねえ! アーチボルト。私の話を、ちゃんと聞く気なんてないでしょう?」
「ちゃんとした会話は、するつもりだよ。コラリー。僕は君を、世界で一番愛しているんだから」
私は彼のその言葉を聞いて、思わず鼻で笑ってしまった。
何言ってるの。汚れて役立たずになった人形のように、何の未練もなく捨てた癖に。
「あんなひどい振り方をしておいて、どの口が言ってるのよ」
……私は本当に、傷ついたのだ。
失恋の衝撃から、立ち直るのに一年。忘れて他の人と結婚しようと、決意するまで二年。
それほどまでに、私にとっては回復に人生の貴重な時間を費やした、衝撃的な出来事だったのだ。
「離婚には、応じられない。僕は君以外と結婚する気はないから」
アーチボルトは、基本的に嘘つきだ。
いつも、人を煙に巻くような言いようをする。それがやたらと格好良く思える時代が、私にもありました。
それは、もう卒業して長いけど。
「……じゃあ、どうして……あの時に、私を振ったのよ」
「僕は今、コラリーと結婚している。それが、すべての答えだよ」
駄目だわ。アーチボルトには、私とちゃんと会話する気なんて、なさそうだもの。これだと、何を言っても答えは要られず、時間の無駄になってしまう。
「アーヴィング家に帰るわ。アーチボルト……私、その……ここで、生活するのなら荷物を取りに行こうと思うの」
出来るだけ、しおらしい表情を演出したつもりだ。
私は実家アーヴィング伯爵家に戻り、とりあえず、旅行に行くと言って他国に逃げよう。
ええ。アーチボルトの思惑はなんであれ、私としては自分を裏切った元恋人と夫婦になるなんて、寒気がする。
耐えられそうもない。絶対無理。
けど、『仮面婚』は制度の決まり上、すぐには離婚することが出来ない。けれど、確か一年ほど経てば、相手との関係構築努力義務達成とみなされ、私からの希望だけでも、離婚することは可能なはず。
アーチボルトの言った通りに、私たち二人は正式に結婚してしまっている訳だから、とにかく離れて時間を置けば良いのよ。
「じゃあ、僕もコラリーと一緒にアーヴィング家に行こうかな……久しぶりに、アーヴィング伯爵と夫人に会えるなんて、とても楽しみだ」
お父様もお母様も、幼い頃からアーチボルトを可愛がり気に入っていた。彼が私と復縁したいと望んでいると聞けば、それはそれは、とても喜ぶことだろうと思う。
だって、そもそも両親が私たち二人を、結婚させたかった訳だもの。
「ねえ、アーチボルト。貴方……どうして私と別れたの?」
私は二年前から、アーチボルトに聞きたかったことを聞いた。何度も何度も自問自答したけど、彼に直接聞くしかその答えはない。
……私と比較して、ただ乗り換えた彼女が、良かっただけでしょう? なんで、そう……はっきりと言ってくれないの?
振られて落ち込んでいた時にも、思ったものだ。
もっと、ひどい振り方をしてくれていたなら、彼を憎んですぐに他の男性と上手くいったかもしれないのにって……あんな風に、理由も告げず苦しげな顔をして去った理由が、どこかに隠れていないものかと意味もなく探してしまった。
けど、それはただの時間の無駄だった。今では、ないものを見つけようと努力したことを、すごく後悔している。
「……別に今は嘘だと思っても良いけど、僕が好きなのはコラリーだけだよ」
余裕綽々の態度を崩さないアーチボルトは、私の頬に指を這わせて言った。
信じられない!
「じゃあ、なんで!! なんで、私を捨てたの。私は本当に、辛かったのに!!」
私はそう言ってから、後悔した。アーチボルトの青い目が、ひどく辛そうになったからだ……一体、なんなの。先に傷つけたのは、自分の癖に。
信じられない。都合の良い女になんて、絶対なりたくない……良いわよ。今度は私の方から、捨ててあげましょうか?
真っ暗な影で出来た私が、心の中に現れてそう言った。けど……私は、それに首を振った。
傷つけられたから、傷つけ返すなんて、そんなことはしてはいけない。
「もう良いわ……とりあえず、家に荷物を取りに戻るから。貴方はここで」
私はとにかく帰宅しようと身を翻して、アーチボルトへ背を向けた。そんな私の手が引かれて、仕方なく振り返った。
アーチボルトの目は、何故か楽しそうで嬉しそう。
……どうして、そんなに嬉しそうなの? 私は一度捨てた女のはずでしょう?
「荷物ならば、使用人に行かせれば良い。既に何人も雇っている」
それは、そうでしょうね。多くの使用人が居なければ、こんなに大きなお邸は維持出来ないはず。
完全に私好みでしかない白亜のお邸は、本当に美しくて……侯爵家のスペアこと次男のはずなのに、宰相にまで上り詰めてしまって、本当にすごいわ。
すごいけど……とりあえず、彼と時間と距離を置きたい。
「ペットも居るから、自分で行きたいの……私が餌をあげないと食べないのに、このまま帰らないとしんじゃうわ。私以外には、懐かなくて……」
嘘に慣れていない私が、しどろもどろでそう言うと、アーチボルトは目を細めて、面白くなさそうな顔をした。
「……ふーん? じゃあ、良いよ。僕も一緒に行くかな……」
「別に……留守番していても、良いでしょう。だって、アーチボルトと結婚したと聞いたら、二人とも驚くと思うし……」
それを言っている間、私は複雑だった。
娘の私の気持ちを置いておいても、彼らは喜ぶはずだ。私がアーチボルトに振られてしまい、ひどく悲しんでいたことを誰よりも知っていたはずだから。
「駄目だ。コラリーの顔に、そのまま逃げてしまおうと書いているからね。僕に嘘をつこうなんて、君も命知らずな真似をするようになったね」
私はアーチボルトの言葉を聞いて、はあっと大きくため息をついた。
……どうしよう。
この話の流れ的には、アーヴィング家に彼を連れて帰らねばいけないけど、アーチボルトと両親を会わせてしまえば、私以外の外堀が全部埋まってしまうわ。
絶対にそれは拒否よ。
「そうね……わかったわ。アーチボルト。けど、挨拶は今度にしてくれないかしら? 私にだって、心の準備があるわ。時間をおきたいの。あまりにも急な話だもの」
私はそう言って、アーチボルトに両手の手のひらを向けた。
「……わかってるよ。ココ。事を急ぐつもりはない。いくらでも時間はあるんだからね……」
そう言って、アーチボルトは片目を瞑った。
顔が良いだけに、そういうキザな仕草が様になって決まってて、好意的にそれを見られない私は、なんだかやたらと苛立ってしまった。
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