第4話「あの日の二人」

 私とラザフォード侯爵家の次男アーチーは、幼い頃から、とても仲良しだった。


 多分三歳くらいから一緒に居て、その頃は男と女の違いなんてわからなかったから、おてんばな私はアーチーと同じように、木登りしたり水浴びしたり……今思えば、周囲からは、まるでやんちゃな男の子が二人で遊んでいるみたいに見えただろう。


 ある時、私が森の中で木から足を滑らせて池へと落ちて、そのまま意識を失ってしまったことがあった。


 その時には怪我はなかったらしいけど、後から話を聞くところによると、母は真っ青になって泣き叫び、大変な騒ぎになってしまったらしい。


 そうしてしまったという責任を感じたのか、それ以来、アーチーは私をそういう遊びに誘うことは、パッタリとしなくなった。


 それを面白くないと思っても、貴族令嬢らしくしろと、その頃から両親にやたらと言われ出すようになったので、私の両親が彼に何かを言ったのだと、容易に想像することが出来た。


 けど、私が不注意で足を滑らせて自分で落ちてしまっていただけなので、その時にただ一緒に居た彼が責められることになってしまい、罪悪感のあった私はそれを追求することは出来なかった。


 二人で一緒に居たとしても、本を読んだり一緒にダンスを踊ったりと、大人しく貴族令息貴族令嬢として模範的になるように私たちは育った。


 今思うと婚約制度自体は廃止されているので、政略結婚は許されないけれど、幼い頃から仲睦まじく育った私たち二人が、互いに選び合うのは自由である。


 だから、アーチーと私の互いの両親が私たち二人を結婚させようとしていたことは、今思うと間違いない。


 アーチーは由緒正しいラザフォード侯爵家の次男……つまり、貴族だけど跡取りでない彼は、私にピッタリの結婚相手となり得るのだ。


 それに、ラザフォード侯爵家は、ある意味とても有名だった。


 アーチボルトの祖父にあたる、前ラザフォード侯爵様は国一番と言われた美男で、アーチボルトはその孫。


 まるで彫刻だ芸術品だと例えられる美貌も、アーチボルトの兄と弟二人だって、同じように祖父から受け継いでいる。


 けど、よく私の家に遊びに来るのは、次男アーチボルト一人だけ。三男四男も数えるほどしか会ったことがないし、跡継ぎの兄ラファエル様なんて、お茶会で見掛けて挨拶をする程度で、ほぼ話をしたこともない。


 だから、アーチボルトならば、私の結婚相手にちょうど良いだろうという、両家のもくろみが透けて見えるようだ。


 あの頃の私たちは、とてもとても純粋で、若い男女を近くに置けば、恋愛感情も自然と芽生えるだろうという親たちのそんな策略なんて知らず、ただ二人で居ることが純粋に楽しくて心地良くて……それが、永遠に続くと思い込んでいた。


 今でもはっきりと思い出せる。彼との恋のはじまりは、いつもと同じように終わる日だと思っていた、ある日のこと。


 アーチボルトは六歳になってから、貴族学校に通うようになっていたので、それからは私と平日に会うのは夕方になってからだ。


 彼のような令息は貴族学校に通うけれど、同じように令嬢で通う子は少なかった。いつも一緒に居たアーチーと日中離れるのは嫌だけど、世の中はそういうものだと言われてしまえば仕方ない。


 だから、将来私が必要になるだろう勉強は、家庭教師数人から学んでいて、午後からはお茶会に行く日も多い。


「……ねえ。アーチー。一体、何をそんなに深刻に考え込んでいるの?」


 休日、我がアーヴィング伯爵邸の東屋で、ぼんやりとしていたアーチボルトに、何を考えているのだろうと思い、隣に座って質問した私の顔をやけにじっと見た。


 私はアーチーの顔は、まだ六歳だというのに芸術品のように大人びて完成されていて、真剣な表情になるとまた凄みが増した。


 それを見て私は我知らず、喉を鳴らしてしまった。


「ココ。僕は男女の友情なんて、成り立たないと思うんだ」


 私はそれを聞いて、彼はいきなり何を言い出したんだろうと思った。


「アーチー……何を言っているの。では、私と貴方は一体なんなの?」


「僕は、ココが好きなんだ。友達ではなく、恋人として」


 私はそれを聞いて、顔が赤くなってしまったと思う。何故なら、私だってアーチーのことが、大好きだったからだ。


 それを、幼い頃から共に過ごした男女の、ひな鳥の刷り込みだと、それを聞いた誰かは言うかも知れない。


 親同士だって、いずれ私たちを将来的に結婚させたいと思って近くに置き、私たちはお互いに恋愛感情を抱いた。


 果たして、誰かの思惑が入り込み抱いた感情は、偽物なのだろうか?


 ……ううん。私はそうは思わない。


 彼と長い時を過ごしてから、アーチボルドのことを好きになることを選んだのは、私自身の意志なんだから。


「……嬉しい。私もアーチボルトのことを、好きだったから……」


 アーチボルトの顔は、あまり感情が出ないし、表情だって動かない。これって、別に彼がそうしようと思ってそうしている訳ではなくて、そういう人なのだと思う。


 そんな彼が、珍しく物凄く嬉しそうな顔をして、顔を赤らめて……私の手を無言で握り、顔がゆっくり近付いて……私はその時に産まれて初めて、唇に熱い熱を感じた。


 ……ああ。私たち、このまま二人で……ずっと、幸せに暮らすんだわ。




◇◆◇




 ……なんて、そんな……脳内お花畑なことを思ったことが、私にもありました。ええ。


 あの頃の私たち二人は、本当に純粋で……お互いのことが、大好きだった。


 ううん。アーチボルトは私のことを好きでいてくれると、馬鹿な私は別れを告げられるまで強く信じていた。


 もちろん。今となってはそれは、何も知らない無知な女が作り出した、無意味で美しいだけの幻想でしかなかった。


 ……こんな私なんかより、格段に良い条件と美貌を兼ね備えた女性が、アーチボルトの前へ現れるまではね!


 私と別れた後、アーチボルトが付き合いだしたお姫様の名は、ヴァレンティ・ロゼンティナ。オラージュ王国の第二王女で、輝く美貌と才知溢れる頭脳を持ち合わせた、欠点と言えば身体が弱い程度。それもまた儚げで魅力になり国民も鼻高々になってしまうくらいに、どこに出しても恥ずかしくない自慢のお姫様。


 幼い頃から一緒に居て、五年ほど恋人関係にあった私は、心底苦しそうな顔で「別れて欲しい」とアーチボルトに別れを告げられた三日後、彼とヴァレンティ姫が交際し始めたという噂を聞き、あまりの衝撃を受け、その場で意識を失い倒れてしまった。


 それからというもの、娘から乗り換えられた先の女性が王族なもので、結婚するだろうと思っていたアーチボルトの両親にも面と向かって文句を言うことも出来ず、かと言って当事者でもない私の両親は、今にも裂けてしまいそうな腫れ物を障るような対応だった。


 一度だけ……アーチボルトの弟のどちらかに会ってみるかと聞かれたけど、その時の私の泣き叫んだ反応を見て、二度と代わりを紹介しようかなんて馬鹿なことを言わなくなった。


 泣いて泣いて泣き暮らしていても、当たり前だけど、他の女性に乗り換えたアーチボルトは戻ってこない。手紙も来ない。会いにも来ない。


 時が経って冷静になって考えると、それって全部、当たり前のことだ。アーチボルドには、私ではなく既に愛する女性が居るんだもの。


 そして……あー……私って初恋のアーチボルトに、捨てられたんだと、ようやく自分の中で現実を受け止めることが出来たのは、なんと半年後。


 不誠実なアーチボルトなんかより、もっと素敵な人を絶対捕まえるわと、ようやく奮起して、他の貴族令嬢と同じように夜会に求婚者を募ろうと参加するようになったのが、一年後。


 求婚者は定期的には現れるものの、何故かどの方とも、なかなか関係が進展せずに自然消滅する。出会いはなかなか上手くいかず、もう私の結婚は、『仮面婚』で良くない? と、ふんわり思い出したのが、一年半後。


 跡取り娘の私は、将来的にはいつか結婚しなければいけないけど、はじまりは良いけど最後にはあんなに傷つく恋愛なんて、もうこりごり『仮面婚』で良いわ! と決意したのが失恋二年後の、ついこの間のこと。


 そして、捨てられたはずの元恋人と結婚することになったのが、ほんの十分前の今。


 ……アーチボルトが用意したという新居に行くまで、二人無言のまま馬車に揺られながら、私は本当に今この瞬間が、信じられない気持ちでいっぱいだった。

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