行ってはいけない

 子供のころのこと。

 住んでいる村から、ほんの少し東へ歩くと、そこに大きな幅の池があった。それとも、子供のころに感じた大きさだから、それほど大きくなかったのかもわからない。しかしともかく、その池には底がないと言われていた。これはたしかなことだ、なんといっても、誰も潜ったものはなかったのだから。

 子供だけで池へ行ってはいけないと言われていた。近寄ることも。池の周りには、高く鋭い柵がぐるりと張り巡らされていて、ひとつきりの門は錠前にかたく守られている。大人たちも特別の理由がない限り、そこをくぐることはなかった。危なかったから? さあ、どうだろう。

 池には、食べられるたぐいの魚もずいぶんいたようだったが、そこで釣りだの漁だのをするものはなかったし、そういった話を聞いたことはない。私たちにとって、魚は川でとるものだった。

 大人たちは池を避けていた――池のことを尋ねても、そうたくさんのことは教えてもらえなかった。だいたいは嫌な顔をされ、そうでなければ、どこか困った具合の曖昧な表情をされるばかり。どれも、体よく濁される言葉。少なくとも私にはただ、遠ざけられているということがわかるばかりだった。

 子供たちはどうだったか。大部分は大人にならって、近寄ろうとするものは少なかったように思う。叱られるのを嫌がって、ということもあっただろう。そうでなくとも、道はあっても手入れはされていなかったし、柵にはところどころ針や棘、釘などがさしてあり、そうとうに不気味な場所ではあった。

 私はと言えば。それはもちろん、親の言いつけもろくに守らず、辺りの険悪さがわかる感受性の持ち合わせもない、悪童らのひとりだった。

 あれは夏のことだっただろうか。それとも春、あるいは秋だったかも知れない。それなりに温かい日差しのあるいずれかの季節、この世にたった一度きりの。

 私はいつものように朝食を掻きこむと、顔を洗いもしないで家を飛び出していった。まだ十か、そこらくらいの年だったように思う。とにかく元気があり、疲れを知らず健康、無鉄砲で、おおよその子供がそうであるように、稚拙で愚かだった。

 ちっぽけな私はそのまま、相棒の家へ走っていく。とにかく一目散に。道を歩く人々は笑っているか、あるいは眉をひそめて脇へどく。人にも物にもぶつかりかけるが、私はそんなこともわからない。

 ふと立ち止まる。斜めに取りつけた屋根を、暗い青に塗った家だった。戸を叩く。おおい、きたぞ!

 私に向けて大きく応える声がひとつ、小さな話し声がひとつ、ふたつ、みっつ。そうしてその家の奥から、私くらいの子供が飛び出してくる。同じような背、同じような格好、そして同じようないたずらな顔をして……私は、私たちになって駆け出す。私たちは道々どんどん増えていく。村中を走り回り、あるいはその外へ。いまや六人ほどになった私たちは、丈高く伸びた草たちをむしり、虫を捕まえては羽をむしり、腹が減れば道端になる蔦いちごをむしって、夕方にもなればお互いの髪をむしり合った。ほとんど毎日。

 ある日、私たちの誰かが釣竿を持ってきた。さすがに人数分はない。私たちは十二本の手をぐるぐると振り回しながら釣りをした。糸を垂れないものは石を裏返して餌になる虫を探し、どちらでもないものは川へ入って蟹を探す。

 けっきょく一匹もとれないまま日が暮れるころ、私たちはふと、自分たちが何かをむしることにはもう飽きていることに気づいた。釣りは驚異的に楽しかった。まだ大分空っぽの頭を左右に振り振り、そうして私たちは池へ行くことにした。

 荒れ放題の道を、どうしてたどれたのかは知れない。いまとなってはどうでもいいことだ。ひとつきりの門にかかった錠前は、柵に引っかかっていた針でくすぐれば、簡単に開いた。

 きれいな眺めだった――柵の内側にはいくらかの草が茂り、穏やかに花を咲かせている。人にも獣にも踏まれたあとのない景色。いくらかまばらに生えた木々には点々と赤くざくろの実がなっていた。近く遠く、どこかから聞こえる鳥の声。

 私たちは一日中、池の傍に遊んだ。面白いものはいくらもあった。やがて私たちの一人が池のふちで水遊びを始めた。

 そうしてふと、どこにも姿が見えなくなった。


 火が焚かれる。夜を汚して現れる人、人、人――乱れた足音と声、ひどく長い棒をのべて水を引っ掻きまわす影があった。それでも誰も、池の水へは近寄らない。

 やがて夜が明けた。薄紫に染まる空を映して、水面は静かに凪いでいる。

 たったひとつ浮かび上がった、小さな子供の背を別として。

 息を呑む音。鋭い声とともに腕が伸ばされる。

 冷たい手。引き上げられる顔は青褪めて、ほんの少しの血の気もない。沈んだ水と同じ温度を示した、うつろに重たい身体。かすかに膨らんだような丸い輪郭。そうしてもう動きはしない私を、また別の私が遠く見ている、大人たちの背に隠れて。やがてその私は、私たちの輪から離れていく。

 私は笑う。

 なんてちっぽけな私だろう。これ以上賢くなることも、何かを学ぶこともない。

 もう二度と。

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