海の夢

 わたしはひとり。どこまでもひんやりとした輪郭がある、わたしではないというものたちの姿かたちが。手始めにわたしは扉を開ける。ほんのりとした金色の、骨ばかりの扉だった。把手とってはない。鍵は開いていた。踏み出した先に折り重なる、階段はおびただしいガラスの綴り、波に洗われた角の丸い海ガラスの積み重なった、四角く並んだ層。わたしの足元にある分はまだしもいくらか見えていた、けれど数段下の色はもうわからない。身体が軽い、浮き上がりそうになる両脚。あまりにたくさんの泡に包まれながらわたしは踊る。すべてはわたしの吐き出した息。ここは水の底。頭上には遠く光の輪が浮かんでいて、あたりの色がかすかに分かる。わたしは泳げない。

 くらげがあり魚があり海老があった、見たこともないかたちの貝たち。踊る海草、珊瑚の森。磯巾着、海栗うに。ゆらめく鮫、誰もわたしを見ることはない。気づかない。わたしはおりていく、無数の階段を。無数の水を、無数の静けさを。聞こえる音はひとつもなかった。どれほど景色がうごめいても。どれだけの生き物がそこにいても、ここには誰もいない。水の動きに髪がたなびく。わたしは瞬きをする。水は目に沁みない、それでもここは海なのかも知れなかった。ただわたしは沈んでいる、沈んでいこうとする、裸足の裏に飛び降りる足がかりを見つけながら。その階段はこの水底にあって、しかし階段としか呼びようなくそこにあるのだった。

 どこまで続くだろう。何もわからないまま青黒の深さを進んでいく。けれどここにあってここにはないわたしはどこか遠くで眠っている。

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