第21話 過去の話

「ーーお父さん、これ何?」


「これはね、結花を守る為の刀だ。明鏡っていう名前でね、言わばお守りみたいなものだよ」


とある日、居間に飾られた一振りの刀に結花は目を奪われていた。

昨日までこんなものはなかったはずだ。


――きれい……


その直刃の刀身は何よりも澄んだ青色で光を帯びている。

鍔、柄、鞘そのどれを取っても一級品、幼い結花の目にはそれが魅力的に映った。


「結花もあれ使いたい!」


「んー、あれは結花が使う為に打った訳じゃないからなあ……」


父の表情に惑いの色が強くなる。

しかし結花はここで折れない、それほどまでに魅入ってしまったのだ。


「って痛ったい!!」


「ほら言ったじゃないか!!その刀は持つ人を選ぶんだ。」


その刀に触れた瞬間電気が流れたような感覚がして、結花は手を離した。

刀が持つ人を選ぶ、まるで刀に意思があるような言いぶりに結花は不思議に思う。


「この刀さんは生きてるの?」


「――生きてる……あながち間違いじゃないかもね」


「ふーんへんなの」


父の含みのある言い方に結花の困惑はますます深まるばかりだ。

昔寝る前によく読み聞かしてくれていた御伽噺や童話の様な現実感の無い話を、冗談が余り得意でない父から聞くなんて思いもしなかった。

だが逆にそんな父がこの刀をそういうのだから、それを聞く結花の興味は深まっていく一方だ。


「……結花も握れるようになるかな」


「それは分からないな……この刀は気まぐれだから」


「えー、結花もあの刀握れるようになりたいよ!!」


「じゃあそうだな……結花に合わせたあの刀の写しを作ろう。あれと全く同じには出来ないけど、出来るだけ似せて作るよ」


「んー、分かった。じゃあ結花それにする」


偽物であることに不満がない訳ではない。

だがその刀を持つことが出来るという喜びがそれを勝ったのだ。


「あの刀の写しとなると……5年はかかるかな」


「えーーーー!!」


予想外の作成期間に結花は思わず声を上げる。

精々数週間ぐらいだと思っていたのだ、想像の数十倍楽しみが持ち越されてしまった。

だが、


「それまでに強くなって、持ち腐れないように頑張らないとな」


「――うん!!」


刀を持つことが出来る、その事実は変わらない。

気長に待とうと決意して、結花は父の言葉に頷くのだった。

======

結花はある辺境の村で育った。

村人も碌にいないこの村では同い年の子供も中々居らず、結花はいつも刀鍛冶の父と一緒にいたのだ。

父とだけ、母は結花が物心ついた時にはもういなかった。

理由を聞くと歯切れが悪くなる父の様子を見て、きっと亡くなったのだと推察出来た。


「いいかい結花、本当に強い人っていうのは自分の為に涙を流さないんだ。他の人と一緒に泣く為に、自分の涙を取っておくんだよ」


「またその話?私玉ねぎ切ってるだけなんだけど」


台所で晩御飯を作る結花の顔を覗いて、父はそう言い聞かせてくる。

昔から結花が泣く度に父はそう言ってくるのだ。

だが今は場違いだ、それはもっと感情的な涙の方の話だろう。

これは生理現象だ、どうしようもない。


「流石に冗談だよ」


「……それ面白くないよ」


「結花も言うようになったね……成長を感じてお父さん嬉しいよ」


父のつまらない冗談に、結花はそっけなくそう返す。

何故かダメージを受けている父だが、それは自業自得だろう。


「――もうご飯出来るから、居間で待ってて」


「分かった」


「はぁ……」


すごすごと台所から退散していく父を見届けながら、結花は大きくため息をついた。

本当にユーモアだけは何時まで経っても上達しない。

幼少期、ことあるごとに泣きじゃくっていた結花にいつも父はそう言った。

そういう年頃というのは普通寄り添って欲しいものだろう、結花も類に漏れずそうして欲しかった一人だ。

だからあの言葉は嫌い、それを冗談として使えると思っているのだからどうしようもなく笑いのセンスが無い。


「まあ、あれもお父さんなりの愛情なんだろうな、多分」


笑いのセンスはないが、優しい父の事は尊敬している。

きっと父は結花に対して強くなることを求めているのだ、母が他界し男で一つで娘を育てるにあたって、父も不安で仕方がないのだろう。

もし自分に何かあれば娘を一人にしてしまう、だからその時に泣きじゃくっていられては困るのだ。

涙を堪えて前を向き一人で立てる人間になってほしい、そんな思いから来る言葉なのだと結花は解釈している。


「――そうなろうとはしてるよ、お父さん」


本人を前にしてはこっぱずかしくなる本音を一人吐露する。

結花には最近夢が出来た、それはダンジョンアイドルになることだ。

偶然インターネットを見ている時に見つけた一本の動画、そこには強くて美しい一人の少女がダンジョン内を駆けずり回り、瞬く間にモンスター達を殲滅していく様子が映っていた。

その少女はダンジョンアイドルと呼ばれるものであり、結花はそれに心を惹かれたのだ。

強さで人々を魅了する、それをかっこいいと思えてしまうのは父の教育の賜物な気もするが、何はともあれ結花はそれを目指したいと本気で思ったのだ。

結果的に父が望む強い娘になろうとしている、だから安心して欲しい。

そんな感情は勿論伏せて結花は盆に夕飯を並べると、父の待つ居間へと向かった。


======

「――ご馳走様、美味しかったよ」


「お粗末様でした、洗っちゃうからもう下げていい?」


父と二人で食卓を囲み、結花はそう言うと開いた食器を片づけ始める。

申し訳ないから皿洗い位はやるという父を無視して、結花は台所へ引き上げていく。

父の苦労は知っている、刀鍛冶として丸一日鍛刀場に籠り仕事に打ち込む様を誰よりも近くで見て来ていた。

ダンジョンに挑むにあたって刀を持つものが多い昨今、父の仕事は多忙そのものであった。

だからこれぐらいはさせて欲しい、父からの無条件の愛情を受け続けるだけなのは性に合わないのだ。


「――やっぱりやるよ、いつもやってもらってばっかりだし」


「いいから!!テレビでも見てゴロゴロしてて」


台所にひょっこりと顔を覗かせる父に、あえて邪険にそう言い放つ。

その態度にビクついた父はありがとうと呟き、本日二度目の台所からの退散を決め込む。

まったく父は優しすぎるのだ、もう少し結花に頼ってくれてもいいのに。

強くあって欲しいと願っている癖に、甘えてしまうくらいの優しさを振りかざしてくるのは余りに矛盾していると思う。

それを矛盾と気付けないほど父は根からの善人だった。


「――幸せ者だな……私」


そこらにあるありふれた日常だと思う。

だがそれが結花には何にも代えがたい宝物だった。

このままこれが続けばいい、結花はそう願っていた。

=====

「――昔言ってた明鏡の写しの件なんだが、来週には完成しそうだよ」


「そっか楽しみにしてるね」


とある日、登校するための準備をしていた結花に父はそう言ってきた。

あれはたしか5年前ぐらいだったか、父に駄々をこねて結花はあの刀の写しを頼んでいたのだ。

今もあの刀を握りたいという気持ちは変わらない、むしろあの頃よりもその気持ちは強いと思う。

ダンジョンアイドルになるという夢が出来たのだ、その夢の相棒にこれ以上の適任はいないだろう。


「――じゃあ行ってくるね!」


登校準備を終えて、ランドセルに腕を通し結花はそう言って家を出ようとする。

この村には小学校が無く、隣町までの移動が必要なため家を出るのはかなり早い。

急がなきゃなんて思いながら靴を履いている、その時だった。


「待って結花」


父は徐に結花を制止した。

何だろうか、父がこのタイミングで呼び止めるなんて滅多にないことだ。

不思議に思って父の方を見ると、何か思い詰めているようなそんな表情をしていた。


「どうしたの?学校間に合わなくなっちゃうんだけど」


「結花……叔父さん家への行き方は分かるかい?」


本当に何の話だろうか、少なくとも今する話ではないと思うのだが。

困惑は深まるばかりだが、結花はそれに答える。


「覚えてるよ、何回も行ったし。そもそももう12歳なんだからスマホで調べたりするから覚えてなくても分かるよ」


「そうだよな……大きくなった。……ならいいんだ」


感慨深そうにそういう父。

結花はその顔を覗き、驚きを隠しきれずにいる。

なにせ、


「……なんで泣いてるの?」


人に泣かないことを強要していた父は、自分も泣いている所を見せることは無かった。

そんな父が目の前で泣いている、結花にとってこれほどまでに衝撃的なことは無い。

何故だろうか、その理由が分からない。


「……いいかい結花、今から学校を休んで、叔父さんの家に向かうんだ。叔父さんに事情は説明してあるから、きっと暖かく受け入れてくれる。結花はこれから暫く叔父さんの元で過ごすんだ。寂しいかもしれないけど……出来るって約束してくれるかい?」


「なんの冗談……冗談……だよね?」


父はユーモアのセンスが無い、だからこれもきっと下手な冗談なのだ。

そう思いたい結花の問いは父の表情が否定した。

まっすぐ真剣に結花を見つめている、それが意味するのは今の言葉が真実であるということだ。

途端溢れ出す、ダメと言われている目に溜まったそれは静かに頬を伝っていく。

だが父はそれを咎めようとしない。

ゆっくりと近付くと、結花の頭にそっと手を置いた。


「――不認識インビジブル


父はそう唱える。

その瞬間父はまるで結花を見失ったかのように、合っていた視線が合わなくなった。

父から聞いたことがある。この村はダンジョン跡地を均して建てられた特殊な村だから、魔術を使うことが出来ると。

今かけられたのは多分その魔術だ。


「その魔術は結花と結花が持っているものが認識出来なくなる魔術だ………効果はこの村を出るまで続く」


やっと分かった、父は何かから結花を逃がそうとしているのだ。

何かは分からないが、結花達に害を為すものがこちらへ向かってきている、それを父は察知したのだ。

そしてもう一つ、気付きたくもないことに結花は気付いてしまった。

それは、


「――お父さんも一緒に逃げようよ!!ねえ!!ねえってば!!」


父は逃げる気が無いということだ。

その事実に気付いた結花は必死に父にそう叫ぶ、だが父はそれになんの反応も示さない。

無視をしている訳ではきっとない、多分先ほどの魔術が結花の声すら遮断しているのだ。

父は家の中に駆け込むと、急いで結花の元へと戻ってくる。

その手には、一本の刀と財布が握られていた。


「――写し……作ってやれなくてごめん。結花、明鏡を預けるから……また暫くしたらお父さんに帰しに来てくれないか」


自分で言っていて支離滅裂なことに気付かないのだろうか。

死期を悟った顔をしておいて、未来の話をされた所で信じられる筈がないのだ。

父からの渡されたものを受け取りながらも、結花は父を何とか止めようとする。


「待って……ねえ、待ってよ……!!」


「――逃げろ!!」


父の覚悟を崩そうと袖を掴もうとした、その時だった。



「――どーん!!邪魔するでぇ!!」


「もう少し丁寧に入れよ」


父が叫んだのとほぼ同時、その空間に居てはならない、明らかに異質な侵入者が扉を蹴破り入ってきた。

二人組のその男達は黒いコートに身を包み、顔を趣味の悪いマスクで隠していた。


「――なんでここが分かった!!」


父は見たことがないほどの怒りの感情を露わにして、その二人に問いかける。

結花はその場に立ち尽くしている。

逃げろと言われた、だが結花は父をおいて逃げるなんて出来なかった。


「あいつが行ったきり帰ってこうへんと思ったら、まさかあいつの手を搔い潜ってこんなとこまで逃げとったとはなぁ」


「ただの優秀な刀鍛冶じゃあ無いみたいだな」


男たちは淡々と父と話をしている。

結花は何も分からない、分かることはただこの男たちが父に敵意を向けているということだけだった。


「今更何の用だ!!」


「いやあ、うちのボスにごっつええ刀があるから奪ってこいって言われてな。こんなど田舎まで刀一本の為に来るのはめんどかってんけど、ついでに殺していいって言われたもんやから、喜びさんに来たっちゅう訳や」


「殺す」その言葉に結花は戦慄する。

目の前のこの男は殺人という行為をご褒美かの様な言いぶりで、話している。

明らかに狂っている、そしてその矛先が父に向っているという事実がさらに結花の精神を追い込んでいく。


「話しすぎだ……とにかく今からお前を殺して刀を奪うんだが……なにか言い残すことはあるか」


何故そんなに簡単なことのように言うのだろうか。

おかしい、絶対におかしい。

狂気にあてられて、結花はその場に崩れ落ちた。

怖い、怖くて仕方がない、心臓は聞いたことが無い位に脈打ち、全身の震えが止まらない。

結花はただ目の前で起こっている狂った現状を眺めることしか出来ずにいる。


「……お前らに話すことなど何もない!!……がっ!!」


「そうか、ならもういい」


「――やめて!!!!」


長身の方の男がそう言うと父の首を掴んだ。

結花はそれを見て叫ぶが、やはりその声は届かない。


「お前らの……望みが叶うことはない……永遠にな……」


「死にぞこないの分際で……口だけは達者だな」


「やめて!!お父さんを……助けて!!」


叫べども叫べども結花の声は届かない。

まるで映画の鑑賞者のように、この世界に自分だけが置いていかれている。

どうしようもない、ただ干渉できない地獄だけが結花に垂れ流されているのだ。


「――首掻」


「ああああああああああ!!」


男がそう言った瞬間、父の首がまるで人形の頭を取り外したかの様に飛んだ。

少しおいて、その断面から鮮血が勢いよく溢れ出してくる。

信じられない、信じたくない景色が眼前に広がっていく。


「――よし、刀探して帰るぞ」


「お前、俺の楽しみとりやがって!許さんからな、ほんまに」


男たちはそんな父の死骸に興味を示すことなく、ずけずけと結花達の家に土足で上がり込んでいく。

結花はそれを何もできず見送るとその場に捨てられた父に駆け寄り、思いきり叫ぶ。


「……お父さん!!」


呼びかけても返事は無い。

魔術のせいだ、そう思いたい結花を嘲笑うように父から赤黒い血が溢れ出ている。

嫌だ、嫌だ、嫌だ。そう思えども、自分には何も出来ないのだ。


「ダメ……ダメ……ダメ……」


無力だ、目の前で唯一の肉親が死にゆく様をただ見送ることしか出来なかった。

剣術にも通じていた父に教えを乞いて毎日必死に努力していた、全ては強くなるために。

その結果がこれなのか。

大切な人を守るどころか大切な人に守られて、強くありたいと望んでいたくせに誰よりも弱い。


――私は弱い、私は弱い、私は弱い、私は弱い、私は弱い、私は弱い、私は弱い、私は弱い……


自責の言葉で脳内が溢れ返る。

何もできなかった現状が、泣き叫ぶことしか出来なかった自分が、一方的に施されただけの人生が、憎くて堪らない。


――死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……


「アハハ!……アハハハハハハ!!」


何で笑っているんだろう、紛れもない自分から発せられる笑い声が聞こえる。

分からない、何故自分が笑っているのか。

絶対に笑うようなことではないはずなのに、絶対に泣き叫ぶべきなのに。

場違いな笑い声を最後に、結花の意識は突如として断ち切られた。


=============

「――なんで叔父さんの所に行かなきゃいけないんだっけ……忘れちゃった」


村から一時間ほど歩いて電車に乗り込みながら結花はそう呟いていた。

あまり覚えていない、父から叔父さんの所へ向かうように言われた気がするのだが。


「でもワクワクするなぁ……久しぶりに会うし」


親族との再会というのは、結花にとって楽しみと思えるイベントの一つだ。

人には人の数だけ人生がある、結花はそんな人生を覗くことが出来る人の思い出話が好きであった。

叔父さんはお喋りで活動的な人だ、だから色々な話を結花に聞かせてくれる。


「あっちにいったら何しようかなあ、都会だしショッピングとか連れて行って貰っちゃおうかな!!」


叔父さんは小金持ちでもある為、よく結花は小さい頃から行く度に服やおもちゃなどを買ってもらっていた。

結花は最近おしゃれにも目覚め始め、都会のウィンドウショッピングに密かな憧れを抱いていた。

だから連れていって貰おう、そしてお気に入りの服を見つけるのだ。

そんなことを考えていると待ち遠しくて堪らない、これから半日ほど電車に揺られるがその時間も心が浮き立って仕方がないだろう。


「ああ……楽しみ!!」


これからの話に胸を膨らませる。

屈託のない満面の笑みで結花はそう言って笑っていた。





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