バレンタイン

#1

 二月になった。紘香ひろかは東京校に籍を置いていたが、授業は月に二回長野本校に三泊する形で受けていた。その方がファンの目や週刊誌の取材から逃れられる。

 このままずっと長野で受けることになるのか紘香にもわからなかった。

 そして、なぜか紘香と同じように月に二回長野本校で補習を受ける生徒が何人かいた。

 その一人は大阪弁を喋る長身の麗人だった。

「今日の夕食、豆腐だらけやな。珍しくハンバーグが出て感動してたのに豆腐ハンバーグや」ステイシーが言う。

 全員が揃ってとる夕食。しかし食堂ラウンジは静まり返っていてわずかに食器の音しかしない。

 だからステイシーの囁きは隣のテーブルまで聞こえただろう。とはいっても聞き耳をたてている者がいるとは限らないが。

「節分だからでしょ」

「それで豆だらけなのか」

 豆腐以外も豆尽くし。ひじき豆、黒豆、金時豆まであった。

 このミッション系学園で豆まきの行事はない。豆だらけにしたのは家庭科教師兼栄養士の笹塚ささづか教官の発案によるのだろう。

 嫌みのように豆だらけだが、それに対して教官たちは何も言わなかった。

「甘い豆はデザートみたいでエエわ。ナットウ食べたい」

「ナットウ?」

「ああごめん、甘納豆や」

 イントネーションが異なるので紘香は理解できなかった。

「甘いといえばもうすぐバレンタインやな」

「ここにいてもチョコレートは手に入らないわよ」

「そうなんか。みんな買い出しとかに行くのかな?」

「どうかしら。教官の手荷物検査にひっかかるのを恐れたら行けないでしょうね」

 紘香の囁きには聞き耳が立ったようだ。

「買い出しに行くの?」加藤亜樹かとうあきがステイシーに訊いた。

「私やないよ。私はもらう方やから」

「は?」やはりそうかと紘香は思った。「大阪校ではチョコのやりとりがあったんだ?」

「そや、半分は非教会員やったしな、ふつうにチョコレート渡すで。私は毎年三十個はもらってたなあ。でもお返しでお小遣いがみんな飛んでいくんや」

 ステイシーは両目から涙がこぼれ落ちる仕草をした。

 その美貌に似合わない三枚目。それでもチョコを集めるのは納得だと紘香は思った。

「ロカにもらったら記念に写真撮るで。てゆうても、スマホもカメラもないやん。アキ頼むわ」

「良いよ、わかった」亜樹が了承した。

「なんで私がチョコを渡す前提?」

「ん? 違うの? 毎年FIANAフィアナでチョコを作る動画をアップしてるやん」

「あんなのただのセレモニーでしょ」

「業界と癒着したヤラセなんか? 私、期待してたんやけどな」ステイシーは肩を落とした。

「だいたい、私も貰う方だったし」

 メンバーのKANAカナALISAアリサが作るのを手伝ったことはある。お世話になっている業界人に配るものだ。

 紘香は毎年それに便乗していた。そしてその挙げ句にKANAやALISAから貰うのだ。

 ファンから送られてくることもあるが、毒味係に「処分」を任せている。食べたか棄てたかは紘香の知るところではない。

「外出の時に食べてくるしかないのか」

「外出の目的に何と書くつもり? チョコを食べてくるなんて書いたら絶対に許可がおりないわ」

「そやから、買い物。ショッピング」

「引率者がつくわね」

 日用品は原則家族が寮まで送ってくる。どうしても必要なものを買いに行くときは教官が引率する買い物ツアー(そんな名称はついていない)に参加するしかなかった。

「ロカのマネージャーさんに車で来てもらうというのはどや?」

「その車にあなたが乗る妥当な理由は? 外出届に何て書くのよ?」

「そやったあああ」またステイシーは泣き真似をした。

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