#5

 部屋に戻ってからは自由時間だ。といっても提出課題があるからそれに時間はとられる。十時には消灯するから二人は急いだ。

「お腹空いたな」ステイシーが言った。「ここ冷蔵庫もないんやな」

「間食夜食禁止よ」

「せやかてあんな精進料理だけやったら体がもたへんやん」

「慣れるわよ」

 売店があるわけでもない。買い物にも出られない。空腹を満たす手だては通常ない。

「豚まんがあるんやけど」

「豚まん?」肉まんだと紘香は思った。

「窓の外に吊るしてある」冷蔵庫がないものだから袋に入れて外気で冷蔵しているようだ。

「良いわね」

「でもレンジがない」

「厨房の助けを借りようか」

「できるの?」ステイシーは目を輝かせた。

「私ならね」

「神様や!」

 紘香は部屋にある端末を使ってメールを送った。

「ここスマホも持ち込み禁止やもんな」ステイシーが不平を言う。

 スマホどころか生徒が使う端末はインターネットが繋がらない。教官に課題提出する際のイントラネットのみだ。

 新聞は切り抜き編集したものを一日遅れで読む。テレビなどメディアはない。インターネットで調べものをするときは視聴覚室でできるが、芸能、スポーツ、ショッピングなど娯楽関連は全てブロックされて繋がらなくなっていた。

 徹底した情報統制が行われている。盆正月に帰省しない生徒は世間の誰もが知る有名人を知らなかった。

 だから紘香の認知度はここでは低い。生徒会長が昔紘香が出演した映画を観たと言ったことは奇蹟のようなものだった。

 メールの返信はすぐにあった。

「あちらも待ちくたびれてたみたいね」

 意味ありげに紘香が言うとステイシーは不思議そうな顔をした。

「誰とメールしたん?」

笹塚ささづか先生。家庭科の先生よ。管理栄養士もしていてふだんは厨房にいるの」

「その先生、大丈夫なん?」

「大丈夫、大丈夫」

 消灯時刻の十時を過ぎてから二人は動き出した。その方が人目につかない。

 食堂がある十二階へ行くには非常階段を使った。エレベーターはカードを使うので後でもし調べられたら足がつく。

「調べるほど暇な教官はいないと思うけど」

「家庭科の先生は教官とちゃうんか?」

「ちゃんとそでの下払ってるから」

「やーさんの世界か!」

 十二階に人気はなかった。中に入るにはカードタッチが必要だ。

 紘香が扉越しにリズムをつけて三回叩くと扉は開いた。

「いらっしゃい、伊佐治さん」

 顔を見せたのは二十代半ばの美女。この学園にはいない洗練された都会の美女だ。

「待ちくたびれたよ」

 二人は厨房へ引っ張り込まれた。

 他に人はいない。朝食は生徒が当番制で用意するのだが五時までは本来誰もいないのだ。

「持ってきましたよ」と言って紘香が手提げから取り出したのはウイスキーだった。

 ステイシーが目を丸くする。「そんなん有り?」

「だめっしょ」

「敷地内アルコール煙草持ち込み禁止だからね」

葷酒山門くんしゅさんもんるをゆるさずってか?」

「寺院じゃなくて似非えせキリスト教だけど」紘香は笑った。

 教団はキリスト教スタイルだが異端である。それでも全国に教会を持つほど大きな組織となっている。

「少しずつ大切に飲むわ」笹塚は本当に嬉しそうにした。「つまみがないのは残念だけど」

「許されざる葷酒くんしゅ、山門にる、やな」とステイシーは笑った。

「それでお願いがあるのですが」と紘香は切り出した。

 ステイシーが肉まんの箱を取り出す。

 笹塚が目を丸くした。「よく持ち込んだわね」

「チェックされませんでしたけど」

「教官によっては荷物検査されるわよ」

「ラッキーでした」

「レンジがないから蒸して食べようか」笹塚も食べる気になっていた。

「レンジないんですか?」

「ほとんど動物性のものは食べないし」

「お菓子もないわよ」

「うわ、拷問やわ」

監獄プリズンって言われてるもの」

「生徒だけじゃないわよ、職員も一部は我慢している。中には全く平気で疑問にも感じない人もいるけど」

 水を張った鍋で蒸していると良い匂いがしてきた。

「醤油はあるけど、辛子からしがないわ」

「なくても私は大丈夫」

胡椒コショウとウスターソースあります?」ステイシーが訊く。

「あるけど」

「じゃあ私はそれで食べます。グランパ直伝じきでんの食べ方」

「何それ」紘香は興味を覚えた。

 熱々になった肉まんを皿の上に載せる。

「ナイフあります?」

 笹塚が用意したナイフでステイシーは肉まんの平らな部分に十字の切れ目を入れた。そして胡椒をふりかけ、その上からウスターソースをたらっとかけた。

「面白いわね」

「これがなかなかいけるんよ」

「おいひほうね」すでに一つ醤油のみで食べていた笹塚が言った。

「ほんと、美味しい」

「な、いけるやろ」

 六個あった肉まんが二つずつ女子三人の腹の中に消えた。

 笹塚はこの学園の教官ではあるがそれほど教団に染まっていない。何かと融通してくれるので紘香は葷酒くんしゅでもって買収していたのだ。

 三十分ほどお喋りをして二人は部屋に戻った。

「あんた、やるやん。この学園の影のぬしちゃうか」

「もっと影の主みたいなのは他にたくさんいるよ」と言いつつ具体的なことは話さなかった。

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