あの青い空の様に

増田朋美

あの青い空の様に

やっと、12月らしい寒い季節がやってきた。寒い季節というと、まず先に思いつくのはクリスマス、そして正月である。この時期はいつも、慌ただしくてバタバタしていることが多いが、ある意味それができるというのは、良いことなのかもしれない。

その日、製鉄所と呼ばれている福祉施設では、杉ちゃんが一生懸命水穂さんにご飯を食べさせようとしていた。今回は、米粉を麺状にした、フォーを食べさせていたが、水穂さんは、また咳き込んで吐いてしまい、どうしても食べると言うことができないのだった。そのときも、杉ちゃんが口元へフォーを運ぶが、水穂さんは咳き込んで吐いてしまうことを、10回くらい繰り返していたのであるが。

「こんにちは。野上です。お手伝いにまいりました。」

そういいながらやってきたのは、ガミさんと呼ばれている野上あずささんであった。いつもなら一人で来るはずなのに、今日は、幼い子供さんの声で、

「初めまして、菅谷光男です。お手伝いに来ました。」

と言う声がしたので、杉ちゃんも水穂さんも、びっくりする。

「菅谷光男。聞いたことのない名前だな。」  

杉ちゃんが言うと、

「以前、テレビ番組に、登場した名前ですね。」

と、水穂さんが言った。それと同時に、あずささんが小さな男の子をつれて、四畳半に入ってきた。

「紹介するわ。菅谷光男くん。以前時代劇の子役をやっていて、それで知っている方もいるかもしれません。何でも、芸能生活に疲れてしまって、事務所を飛び出してきたそうです。それで、公園で一人でいるところを、私が見つけて、連れてきました。」

と、あずささんは状況を説明した。確かに、子供が公園に一人でいるのは、ちょっと心配になる時代でもある。

水穂さんが布団から起きて、光男くんと対等にすわり、

「初めまして。おじさんは、磯野水穂です。」

というと、光男くんは、

「よろしくお願いします。」

と、挨拶した。

「偉いね、ちゃんと挨拶ができるんだ、いくつ?」

水穂さんが聞くと、

「6歳。」

と光男くんは答えた。

「そうか、じゃあ、小学校1年生だね。どちらの学校へ?」

杉ちゃんが聞くと、

「大谷小学校。」

と、光男くんは答える。

「あの有名な私立学校か。それでは、勉強と芸人生活は大変だろう。あそこは、すごく大変なことで有名なところだから。」

杉ちゃんが言うと、光男くんは小さな声ではいと答えた。

「遊ぶこともできないし、友達もいない。」

「そうなんだね。じゃあ、おじさんと遊ぼうか。そういうことしたことないんじゃ、辛いだけだものね。」

水穂さんが優しくそういうと、光男くんは、とても嬉しそうな顔になり、

「本当?」

と聞いた。

「ええ。ピアノを弾いてあげるから、歌ってご覧。」

水穂さんは布団から起きて、ピアノの蓋をあけて、ピアノを弾き始めた。最近の子供に人気があると言われる、あの青い空のようにという曲であった。光男くんは、すぐにそれを歌い出した。確かに芸能界にいる子供さんらしく、いい声だし、音程も正確である。もしかしたら、レッスンなどを受けているのかもしれない。

「歌が上手だね。」

と、水穂さんが褒めてやると、

「でもみんなもっとうまくなれってうるさいの。」

と、光男くんはいうのであった。

「そうなんだね。でも上手だよ。光男くんは学校では、何が好きなの?国語?数学?」

水穂さんが聞くと、

「図工。」

と彼は子供らしく答えた。

「へえ、じゃあ絵を書いたり、何か作ることが好きなの?」

水穂さんが聞くと、

「うん、それが一番好き!」

と光男くんは言った。

「そうなんだね。じゃあ図工の時間になるとワクワクするよね。」

「将来は美術学校かな?」

水穂さんと杉ちゃんが相次いでそういうと、

「でも、それは無理なんだ。」

と、小さな声で光男くんは言うのだった。

「なんでだ?」

杉ちゃんが言うと、

「だって僕が何か作ってると、ママが怒るから。」

光男くんは答えるのである。

「はあ、ママは何をやっているのかな?」

杉ちゃんがきくと、

「ママは大学の先生でパパは銀行に勤めてる。」

光男くんは小さな声でいった。ということは、ものすごいエリート一家なのだろう。

「だから僕が家にいるときはいつも一人なんだ。ママはいるけど、仕事ばっかりして、すぐ怒るから、芸能界に行こうと思った。」

「なるほど、うまくやっていないのか?」

杉ちゃんが聞くと、光男くんは、うんといった。 

「それなら、そういえばいいじゃないか。お母さんに、僕は寂しいんだ、もっとそばにいてってちゃんと言うべきだぜ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そんな事言っても、意味がないよ。」

子供なのに、そういう事を言うなんて、全く子供らしくない子供であった。だけど、そうなってしまうのも仕方ないことだと思った。父親も母親も仕事仕事でいつも不在なのだ。それなら、芸能界に入って自分だけになりたいと思っても仕方ないだろう。

「まあとにかくだな。いまのままでは、お母さんに寂しいって言うこともできないだろう。それでは、いつまで経っても、お父さんもお母さんもお前さんの気持ちを気がついてくれないままになっちまうぞ。そうなると、大きくなって、世の中を見ることができるようになったときに、お前さんは周りの子供さん比べて、随分不自由な人生だったってことも知るだろう。そのときにだな、湧いてくる感情ってのは、おそらく感謝でも無ければ、感動でもない、怒りの気持ちなんだよね。僕らは、そういう人たちたくさん見てるから、わかるんだよ。そうならないように、今のうちから、なんとかしておかないと、いけないんだよね。まあなんでも予防が大事だと言うけれど、そういうことも予防するのが、大事なことなんだと思うんだよね。」

杉ちゃんは、そう光男くんの肩をたたきながらそういった。

「そうよ、予防するのは、体の病気だけじゃないのよ。僕は、大きくなって、心が傷ついて仕舞う前に、お母さんにこうしてほしいって、主張することが大事なの。だから、仕事を辞めてって言ってもいいくらいなのよ。そうだ、それが良いわ。ママ、お願い、僕は寂しいんだ、お仕事辞めてって言いなさい。」

と、野上あずささんが言った。そのセリフはいかにも女性らしくて、本当に説得力のあるセリフだった。

「それに、愛しているのなら態度で示して貰わないと、僕にはわからないでしょうからね。だからお母さんに、仕事を辞めて、僕のことちゃんと見てって、言うのが大事なのよ。」

「そうですねあずささん。でも、生活のためだとか、あなたのために仕事をしているんだと言われてしまったら、何も反発できなくなってしまいますよね。自分のせいで仕事で苦労しているとか言われてしまうとね。特に、お年寄りなんかはその傾向が強いでしょう。」

あずささんがそう言うと、水穂さんが言った。そのセリフを聞いて、光男くんはとてもうれしそうな顔をした。まるでおじさんはわかっていると言いたげだった。

「実は僕もそうなんだ。」

光男くんは小さな声で言った。

「ママに叱られたことがあるんだ。誰のせいで、私はこんなに忙しいと思ってるのって。」

「それは光男くんが、直接ママに言われたの?」

水穂さんは優しく言った。

「そうじゃないよ。」

「じゃあ、他の家族、例えば、おじいちゃんやおばあちゃん何かに言われたのかな?」

水穂さんが聞くと、

「おじいちゃんもおばあちゃんも居ないの。代わりに居るのは、お掃除のおばちゃん。僕にとって家の中ではおばちゃんが話を聞いてくれる人だった。」

光男くんは答えた。たしかに、他人が家の中に入ることは、プラスに働くこともあるが、こういうふうにマイナスに働いてしまうこともある。それを修正するのは非常に難しくなる。というのは善でも悪でも家族に言われたことより、他人に言われたことを、小さな子供さんは信じてしまう傾向があるからだ。

「それでは芸能界に入ったのはどうしてかな?」

水穂さんがそうきくと、

「だって、家の中にずっといると、おばちゃんが色々してくれるけど、それは、うるさいことばっかりで。だから、僕はテレビに出るとき、出たいっていったの。」

光男くんの言葉を翻訳すれば、家政婦のおばちゃんが、非常にステレオタイプな人で、いい子にしていなさいとか、お母さんはあなたのために働いているとか、そういう事を言うのだろう。だから、もしかしたら、それから逃げさせるために、光男くんは芸能界に入ったかもしれない。

「そうなんだね。そうなると、逃げ場は芸能界しかなかったんだね。それは本当に大変だったね。光男くんは、本当に辛かったね。」

水穂さんはそう言ってくれた。光男くんはそれを聞いてちょっと涙をこぼした。

「それは、正直な感情だから、それを気にしないでいいのよ。それは、あなたが感じたことだから、それは、思ってくれていいのよ。大事なことは、それをなかったコトにして耐えているという方が、よほど辛いのよ。それなら、ママに寂しいってちゃんと話ができる環境に居られる方が大事よ。」

あずささんがそう言うと、光男くんは、本当?といった。

「そうですよ。大事なことは、自分の自然に湧いてきた気持ちを、自分でなかったことにしようとか、お母さんに悪事をしているとか、そういう事を、言い含める大人に負けないで、本当の気持ちをお母さんにつたえることじゃ無いかな。だから、光男くんは光男くんのままで良いの。無理して変わろうとか、いい子になろうとか、そんな事しなくて良い。お母さんに、僕は寂しいんだってちゃんと言いなさい。そうしてお母さんが、なにかしてくれるのをじっと待ちなさい。答えは、思ってるだけじゃ出てこない。答えは、なにかしなければ出てこないんだよ。」

水穂さんがそう光男くんの肩をたたきながら言った。

「だって、光男くんのお母さんは一人だけだもの。複数いるわけでは無いでしょう。」

「おじさんありがとう。」

光男くんはにこやかに言った。

「それを言うのも、もしかしたら勇気が必要なのかもしれないね。でも、それを乗り越えてお母さんに本当の気持ちを言えると、いっぱいいろんなことが見えてくると思うんだ。それは忘れないでね。」

「そういうことなら、水穂さんも勇気を出してくれ。はい、ご飯食べよ。」

杉ちゃんが、そう言って水穂さんに改めて茶碗を差し出したので、笑い話になってしまったが、確かに水穂さんが言うことは理想的なことでもあった。そして、日本人が一番苦手とする分野でもあった。詰まる所の自己主張だ。

それと同時に、製鉄所の玄関の引き戸が開いて、

「すみません!ここに菅谷光男という子が来てませんでしょうか?公園を掃除していた方に聞いたら、女の人がこちらに連れて行ったと聞いたものですから!」

と女性の声がした。

「ああ、お母さんが来たのかな?」

杉ちゃんがそう言うと、

「あの!預かって頂いてありがとうございました。お礼はこちらでしますから、とにかく光男を返してもらえないでしょうか?」

と、女性はそう言っている。光男くんは小さくなって、水穂さんの影に隠れようとしたが、

「大丈夫。ピンチは時にチャンスでもある、今だったら、お母さんにちゃんと言えるよね?おじさんがここで見てあげるからちゃんと、お母さんに寂しいって言えるでしょう?」

と、水穂さんは言った。

「じゃあ、お母さんの居るところに行って、お母さんに仕事は辞めてって行ってご覧。」

光男くんはまだ迷っているようであったが、それでも水穂さんが背中を押してくれたので、部屋を出ようとした。その前に、鶯張りの廊下がけたたましい音でなって、

「光男!何をやっているの!帰るわよ。」

と、言う声が聞こえてくる。そして四畳半のふすまが開いて一人の女性が現れた。多分きっとその人が、光男くんのお母さんだと思うけど、でも、その顔を見て、杉ちゃんたちは全員、この人がなぜいつも不在なのか、わかってしまった。

「はあなるほどねえ。菅谷承子さんか。お前さんの本は、いくつか見たことがある。なんか女性からのすごい支持があるようだけど、それって本当に正しいところかどうか、また疑問だぜ。」

杉ちゃんがそう言うほど、彼の母親はよく知られている人だった。大学の教授としてだけではない。頻繁に講演を行ったり、時にはテレビコメンテーターとしてテレビに出ていたこともある。それに何冊も、心理学にまつわる本を出して、感情のコントロールが苦手な女性たちに読まれている。そうなると、一般的な女性とはまた違ってくるだろう。そうなってしまったら、彼が寂しいと言えなくなってしまうのも、またわかる気がした。

「まあねえ。そういうことなら、お前さんは他人を矯正するのは得意なのかもしれないが、自分の子供さんを、自己主張させることは、苦手なようだな。それじゃあ、偽りってもんだ。人のためと書いて、偽りと読むんだねって相田みつをさんの書がある事を知っているか?それをもう一度よく頭の中で考えて見るんだな。」

人間は立場とか、権威とか、称号とか、そういうものに弱い。そういうものって、自然界にあるものじゃないのに、なんで人間はそれに弱いのかよくわからないのである。例えば野生のチンパンジーであれば、自分の仲間であっても、自分の子供に危害を加えようとしたら、必死で子供を守るという。だけど、人間は、立場とか権威とかそういうものが絡んでくると、敵の言う通りにしてしまう癖がある。それが大きな違いなのかもしれない。それをまたいで発言できるのは杉ちゃんだけであった。こういうときに口に出してしまうのは、もしかしたら、障害者と呼べるのかもしれないが。

「いいか、もう一回見てくれよ。こいつが、寂しそうにしてるのが見えないのかよ。それを見ることは、できないんか?」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「お前さんは、いろんなフィルターかけてる。大学教授とか、著書がいくつも売れてるとか、そういうつまんないフィルターをな。それを全部取って、こいつの顔を見ろ。こいつが、とっても寂しそうな顔をしてるのがわからないのかい?もし、本当に分からないで、ただ本出しているのに精を出してるんだったら、お前さんの本はただの紙切れだぜ。」

「そんな事、、、!」

お母さんの、菅谷承子さんは、なんだか怒るような、そんな顔をした。多分、どうせ車椅子の人間に言われることなんてくらいにしか思っていないはずだ。水穂さんが、改めて、光男くんの肩に手をやった。

「まあ、そういう感情しか、わかないんだったら、お前さんはいくら偉くても、肝心なものが無いってことになるな。きっとお前さんが馬鹿にしている平民でも、愛情深く育てられるやつはいっぱいいるよ。お前さんはそれに負けてることになるぜ。」

杉ちゃんに言われて、菅谷承子さんは、癪に障ってしまったようだ。そういう人を怒らせても、杉ちゃんはびくともしないのだった。そういう人には、おべっか使ったり、なんとかして誤魔化そうとしてしまうものだが、杉ちゃんだけは直球勝負だった。

「光男、帰りましょう。こんな人達にたぶらかされていたら、あなたがおかしくなるわ。」

と、菅谷承子さんは言うのであるが、

「嫌だ!僕おじさんたちと一緒に居る!」

と光男くんは言った。それが、考え違いの反応だったようで、菅谷承子さんは驚いてしまった。

「どうして?この人たちは、あなたをたぶらかしてるの。甘やかしてるの。それでは行けないのよ。だから、帰らないと。こんな汚らしい着物着ているおじさんなんて、ろくな人じゃないわよ。」

「けっ!やっぱりそういう事言うんだねえ。身分の高い人は。ははは、絶対治らないよなあ。そういうところってどっから出てくるんだろうな。お前さんさ、すごい高い地位に居るのかもしれないが、それを死守するために大事な事忘れてないか?」

杉ちゃんは、そういう菅谷承子さんに対抗する様に言った。

「とにかくな、僕らはこいつが寂しそうにしてるからよ。だから遊んでやっただけのことで、何もたぶらかしたりも、甘やかしたりもしてないよ。それより、こいつは、そういう寂しさを紛らわしてやる存在が必要なんじゃないの?それをいいたいだけなんだけどねえ。まあ、偉いやつには通じないか!」

「僕、帰らないよ。おじさんと一緒に居る。おじさんたちがピアノ弾いてくれて、歌をうまいって言ってくれて、僕はそのままでいいって、いってくれた。だから僕は、帰らない。」

菅谷光男くんは、選手宣誓するときみたいに、大きな声で言った。

「そうだね。じゃあ、光男くん、さっきの歌を歌ってみて。」

不意に野上あずささんがそういった。水穂さんが再びピアノの前に座って、ピアノを弾き始めると、光男くんは朗々と歌を歌いだした。それはやっぱりいい声で、水穂さんたちを支持していることがわかった。光男くんの表情は真剣で、自分の伝えたいことを歌に合わせてつたえる技術も持ち合わせていた。歌い終わると、あずささんは、光男くんに向かって拍手した。それにあわせて水穂さんも杉ちゃんも。光男くんは、三人に向かって、

「どうもありがとう!」

と笑顔で挨拶した。

「とりあえず、帰りましょう。もう遅い時間だし、帰らないと。」

菅谷承子さんは、小さい声で言った。光男くんのうたが、どれくらい伝わったかよくわからないけれど、菅谷さんは先程のような覇気はなかった。そうなれば、もしかしたら、光男くんのことを考えてくれるかもしれないと、杉ちゃんも、水穂さんも、あずささんも思った。

そして、無理やり光男くんの手を引っ張って帰っていく菅谷承子さんを、三人はずっと見つめていた。

「父親はどこに居るのかな。」

水穂さんが疲れ切った表情をしてそういった。

「お母さんが仕事で忙しくても、お父さんがもう少し関わってくれれば、また寂しい思いをしなくなるかもしれないわ。」

あずささんも彼に続いてそういう。呆れた顔をして二人の顔を見ていた杉ちゃんは、一言、

「まあ、無理だねえ。」

と言った。

それが、なんだか、あの二人の事を、象徴しているような言葉だった。


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あの青い空の様に 増田朋美 @masubuchi4996

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